4月19日から24日まで、連続休暇を取り、伊勢・奈良の古代を探ることにした。
19日の昼過ぎに新幹線に乗り、京都で近鉄に乗り換え4時間余りで三重県「宇治山田駅」に到着。¥5000のビジネスホテルに1泊。先ずは伊勢神宮の別宮である「伊雑宮(いざわのみや)」に行くことにした。
伊雑宮は宇治山田駅から各駅停車で50分かかる。三重県志摩市磯部町の上之郷から歩いて5分の場所にある。上之郷駅はごらんのような無人駅。
入り口を通り抜けると、左側に「伊雑宮衛士派出所」なるものがあり、お守り等を売っていた。
更に20mほど進むと、、、おーーーっ、mysterious! beautiful!!
Wikipediaによると、伊雑宮は伊勢神宮内宮の別宮で、14ある伊勢神宮別宮のなかで伊勢の国以外の地域にあるのは、伊雑宮のみ。
「先代旧事本紀大成経」には、「伊雑宮」こそが日の神(天照大神)の本宮であり、外宮は月の神、内宮は星の神に過ぎない、と記してあるらしい。
次の写真は、伊雑宮の入り口の道路を挟んだ反対側の、神道関係の施設の敷地にあった石燈籠。
一番上の屋根にあるのは「菊のご紋」。真ん中の灯をともす火袋の外側にあるのは、古代ユダヤのヘロデ大王の紋と同じ紋。台座にある、「かごめ紋」はダビデ王の紋章で、現在のイスラエル国旗に採用されているが、驚くべきことに、これが伊雑宮の神紋だという。
ということは、ユダヤ人の子孫がこの地に移動(移民)して来て、日本人、あるいは皇室はユダヤ人の末裔(ヨセフ・アイデルバーグ説:紀元前722年、アッシリア軍に敗れたサマリアのヘブライ王国は終わり、サマリア王国を追われた十部族はアッシリアから逃れ、東の方にさまよい出て、長年アジア大陸を流浪し、あげくの果てに中国のかなたの神秘な国に定着した〈バハラ地方の伝説〉。)ということになる・・・・・
確かに、「伊雑宮」の発音の”イザワ”は、ユダヤのキリストの出現を予言した予言者”イザヤ”に似ている。
さらに、この「かごめ紋」の刻印された同型の石燈籠が、伊勢神宮の内宮と外宮を結ぶ国道の両側に数メートル間隔で建っているらしい。
さて、ではその伊勢神宮へいよいよ向かうことにする。手荷物を宇治山田駅のコインロッカーに預けていたので、宇治山田駅まで戻り、すぐ近くにある「外宮」からお参りするのが通常ルートと言われているが、今にも降り出しそうな空模様だったのでバスで「内宮」へ先に行くことにした。
内宮は人が多かった。先ず、「宇治橋」を渡ろうとしたが、その橋が、、、、
20年毎に伊勢神宮を建て替える「式年遷宮」は平成25年に次回が開始されるが、その4年前に宇治橋だけの「式年遷宮」が2年がかりで始まったらしい。いっぺんに全部やると宮大工が足りなくなるかららしい。
さて、五十鈴川に降りて禊ぎをして、いよいよ内宮の御正宮に到着したが、写真撮影が禁止されている。
おりからの曇りと逆光で、階段下から撮影したが、トホホな結果となった。
正月でもないのに人の多いこと。
押されるようにして、次に向かったのが「荒祭宮(あらまつりのみや)」。正宮の天照大御神の荒御魂(神が現れた状態)を祀った別宮とのこと。
次は、風日祈宮(かざひのみのみや)へ向かう。
ミニ宇治橋みたいな橋を渡っていく。
なかなか良いな。元寇の役で日本軍を助けてくれた風の神様らしい。
主だったところを撮影したので、内宮を出てすぐ右手にあるおかげ横町へ。
皇太子夫妻が買ったとかいう草餅(¥500)を買って、次の目的地である猿田彦神社へバスで向かう。
外宮方面に向かって10分程度で猿田彦神社前に到着。
国道沿いを眺めると、あるわあるわ燈籠群が。
伊雑宮の前に建っていたものと同じスタイルで、「ダビデの星」と呼ばれる、かごめ紋が全ての火袋の台座に彫られていた。
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