卑弥呼の古墳と目される宮崎県西都市の西都原古墳群にある男狭穂塚が年に1回だけ公開される。今年は11月1日と2日。
鹿島説によると、邪馬壱国(ヤマタイコクとも言う)は福岡の伊都国と熊本(玉名)の多羅国と宮崎の安羅国の連邦国家であり、その本国の安羅国に卑弥呼が居たという。
『魏志』倭人伝には、「卑弥呼以って死す。大いに冢を作る。径百余歩」とある。「冢」は大型円墳のことであり、当時の「一歩」は軸足を左足とすれば、右後ろ足から、右後ろ足を前に一歩踏み出した合計の長さで、約1.4m。径百余歩とは140m以上の直径の古墳ということになる。
男狭穂塚(左図上部。下部は女狭穂塚)の墳長は154.6mでまさにどんぴしゃりなのである(主円丘部の高さは19.1m)。
しかし、普段は鉄条網で固く閉ざされており、宮内庁の管理下にあり内部を窺う事は不可能なのである。
鉄条網から内側を撮った写真。
望遠で撮ると、左から右上部に盛り上がる男狭穂塚の影が見える。
その花の海に浮かぶ『鬼の窟』古墳。こちらは自由に撮影できる。