ブログ しみぬき見聞録

しみ抜きを生業として二十九年、不肖の二代目です
仕事を通して日々感じたこと、思うことを、勝手気ままに書いてみたい

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価値

2015年04月24日 | Weblog
過日、お客様が、着物のお手入れの相談に来られた

お稽古事の先生から、お譲りしていただいた物らしい
発表会があるので、その時に、御礼をかねて、お召しになりたいという事らしい

衿、袖口、脇、背なか帯下、汗と汚れによる黄変がひどく、上前にも経時変化したシミがある
お預かり後、シミ抜きのテストをして見積もりのお電話を入れさせて頂く事にする

地色の染料は比較的丈夫で、しみ抜きにも十分耐えそうで、最後に補正はきあわせをすれば大丈夫そう
しかし、上前の柄の中は書き直し、金彩の置き直しが必要

見積もりの金額も、高額になる事、作業内容と合わせて、連絡させていただいた

長年の着用により、一部裾の部分のすじキレもあることもお伝えした

どうしても、その着物を先生の前で着て、見せてあげたい
大変お世話になった方なので、費用は問わないので是非とも引き受けて欲しいとの返事を頂いた

物の価値とは何だろう?

高い金額を払って手に入れた品物でも、しみ抜きに数千円かかりますと話すと、もう使わない
処分しますと言われる方もいる

値打ちと言うように、金額で物の価値を判断するのが当たり前だと普通思われるが、それだけではないだろう

思い入れが加味されて、本当の価値が決まると思う
また、難しいのは、思い入れ、こだわりとかは、時の経過、状況の変化によってドンドン変わる

断捨離、何が残るのか? 何を残すのか?





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職人

2015年04月12日 | Weblog
以前から、○○総本家と言う番組を見ている
あまり、日の当たる事のなかった職人の技にスポットを当ていることが面白く、楽しみにしている

登場する職人の皆さんに共通するのは、良い顔をしているという事だ

男前とか、美人とか下世話に言うのではなく、風格があるとでもいうのか

先日の放送で、もう僅かで廃業するという職人さんが、瞳を潤ませながら、「やめれば寂しいけれど」

「この仕事一筋でやりきってこられて」

その言葉を聞いて、言葉に出来ないその方の思いにグッと胸に迫るものがあった

一所懸命、一生懸命じゃない 一筋にその道を極める事の大切さを教えられたように思う

燃え尽きるように仕事に打ち込めるのは、幸せともいえるかもしれない

あの方に比べれば、まだまだ、はなたれ小僧だと反省する

もっと、情熱をかきたてて、頑張ってみよう

最近、とみに増えていく酒量も反省

でも、止められないんだよなぁ~   憂さ晴らしを言い訳に



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伝える

2015年04月06日 | Weblog
今、着物といえば晴れ着、礼装、晴れの場に着るものと言うイメージが強い
それが、ごく当たり前と、皆、考えている

しかし、文明開化の明治、大正、昭和の初期までは、洋服の方が、ハイカラで特別なものだったように思う
その当時の写真を見ると、よくわかります

衣服として、体の保護、機能性の面からは、洋服に軍配が上がるのは間違いない

それだけの理由で、和服が日々の生活から、姿を消してゆく事になったのだろうか?

ハイカラ、舶来至上主義の考えが、当時の日本人の中に広がって行った事

確かに目新しいものに飛びついてしまう事は、誰しもある事だと思う

その事で、日々の生活が便利、快適になり社会が元気になる事は、いいことだと思う
その反面、古い物はダメな物といわんばかりに、伝統を全て否定してしまうのは、どうだろう?

母は、自分の着物を、解いて、洗い、板張り又は、しんし張りをしていた
幼いころ、それを当たり前のように目にしていた

当然、仕立てもお手の物であった

母の世代では、それは当たり前の事であったし、躾、女性の嗜みの一つとして、教えられたのだろう
自分はそんな事はできても、自分の娘には、教えなかった

伝える、その必要も無かった そんな時代が続く

着物は、普段の生活から、離れたところに、追いやられてゆく
しかし、和服のあでやかさだけは、変わるものではなく、女性の憧れの物として残ったのだ思う

暴論と承知で言うと、需要が段々と縮小していく中、より豪華な物、高価な物にシフトしていった産地の
流れにも一つの要因があったと思う

ここ一番の時に、使いたい
その消費者の需要に答えるべき 当然の成り行き

バブル時代の、高価な物ほど、良いものだと言う、舞い上がった和服ブームの時代を遠く離れて、今

これから、何を伝え、残していくべきなのか?

私、着物の事、何も知らないの どうお手入れしていいか? たたみ方さえしらないのよ

お客様のそんな声をお聞きすると、これからどうなるの? 

考え込んでしまう

私見、暴論であります



 






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2015年04月02日 | Weblog
仕事柄、手、特に指先の手入れに気を遣う
手先の荒れ、爪の割れなどが少しでもあると、デリケートな絹の生地に引っ掛かり作業に
支障をきたすからである

しかし、寄る年波には勝てず、かさつきがひどくなるばかり
汚れを気にして、手洗いをしすぎるのもあるのだが

携帯電話をスマホしてみて、タッチが上手くいかなくて、イライラする

冬場は特に最悪だ
携帯ショップに行くと、同じような悩みの人が多いのか、タッチペンがオプション品で置いてあった

じっと手のひらを見ると、確かにくたびれて皺は随分増えてしまったが、不自由なく動いてくれ、感謝あるのみ

以前、同業の先輩に 「オイ、手を見せてみろ」と言われ両手を出すと、手のひらを交互に見ながら

「何だ この手は こんな華奢な手、職人の手じゃない」笑いながら、ぴしゃりと叩かれた

確かに先輩の手は節くれだち、アイロンを握る、右手のひらには分厚いタコができていた

人の手は、その人の生き方を、表してしているのかもしれない

息子たちの手を見ると、ペンだこを気にしていた細い指が、いつの間にか骨太の男の手になっている

ごつごつした指、洗っても、なかなか落ちない指紋の中にこびりついた汚れ、そんな事を気にも留めないで
手をつないでくれる 心優しき人を早く見つけろ




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エコ? セコ?

2015年03月22日 | Weblog
寒さも峠を越し、昼間は窓を開けて車を運転することが、多くなった

信号待ちでストップ、 信号 青 スタート あちこちから、エンジン始動音  シュルシュルシュル セルモーターの音

アイドリングストップ機能が働いているのだろう

イラッとする

前職、車にかかわる仕事をしていたし、何より、車好きの人間だからかもしれませんが

学生時代に、内燃担当教授から、車の心臓ともいえるエンジン負担がかかるのは、始動、過回転だと教えられた

セルが回転し、エンジン始動までの僅かな間に、燃焼しきらない生ガス つまり毒が吐き出される
勿論、排ガス浄化装置できれいにして出されるのではあるが

信号待ちの間、無駄を省く為にエンジンを止める
塵も積もれば山となる、成程、エコ 良いこと     本当に?

カタログ燃費  ○○km/L 競争のようにエコの旗印のもと、数字を上げる事に躍起になっている
其の為だけに、流行のように競っているとしか、思えない  セコい

本当に、燃費を上げるのは、アクセルの開け方、ブレーキのタイミングがポイント
アクセルペダルの下に、テニスボールを挟んだような感覚で踏み込む事 前職の時教えられた

ガバッと踏み込めば、ガクンと燃費が落ちる

車を運転していて、快感を一番感じるのは、加速時の体感Gだといわれる
ぶっとばして運転しているから、スカッとするわけではない

つまり、暴論と承知で言えば、究極の省エネ運転は、快感を犠牲にしてこそできるのだと思う

カタログの数値に飛びついても、エゴ丸出しの乱暴運転をすれば、命とエネルギーをすり減らす

交通事故死 ワーストのわが県、人柄が問われているともいえるかもしれない

我に問いかけると、   反省すべき点、多々あり



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エコ?エゴ?

2015年03月20日 | Weblog
以前、一度だけ食べに行った、うどん屋さんが廃業していた
田舎の街道沿いの店で、田んぼの真ん中

仰天したのはアスファルト舗装の駐車場の敷地いっぱいに、太陽光発電のパネルが設置されていた

その数、数十枚、南向きに傾斜をつけ整然とセットされている

かなりの発電量だろう

最近、実家の近くに出来た、戸建て団地の屋根には太陽光発電のパネルがついているのが目立つ

自然エネルギーで発電、エコの代表のようにもてはやされている感があるが、どうだろう

設備にかなりの金額を投資して、売電で回収という事だろうが、償却まで何年かかるのだろう
電力状況が、現在のまま推移するとしての試算だろうが、果たして?

物には寿命がある
発電パネルに寿命がきたとき、それは膨大な廃棄物となり、どこかに捨てられ環境を汚染する毒となる

ほんとのエコとは何だろう?
今、エコと言ってもそれは、目先のことであって、未来のためになることなんだろうか?

省エネ、環境問題などと大声で叫びながら、エアコンをフル稼働させ、快適な文化生活を楽しみ、
自分のエネルギー消費には頓着しない

それはエゴだ

暴論であることは承知で、エネルギー個人配給制を、導入すればどうだろう

利用できるエネルギーに限りがある事を知って、本当に個人が大切に使えば、本当のエコになると思う


暑がり、寒がりの嫁さんに、私の分は分捕られそうだけど
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匂い

2015年03月18日 | Weblog
過日、私の修業の場であった神戸に出かけてきました
今も、年一回は師匠の仕事場にお邪魔しています

二十年前の大震災で、表の建物は壊れて建て直しましたが、裏の仕事場はほとんど無傷でした
五階建てのビルが壊れて、木造二階建ての仕事場が残っていたのには、ビックリしました

一階の仕事場の突当りにある階段を上がると、懐かしい、しみ抜き場だ

作業道具類は、少しずつは変わっていくけれども、大まかなレイアウトはそのまま

駆け出しのころ、今は亡き師匠の横に立ち、作業を見ながら、メモを必死にとっていた

師匠、突然の質問「このシミ、なにやと思う?」

私、着物を作業台の上に広げて、思案投げ首、答えられない

「君、眺めとるだけで何が判る  シミのついている場所、形、色、判らんかったら指で触り、ルーペを使って
もっと、感覚と頭を使って」

大きな声は出さないけれど、うむを言わせぬ叱責

厳しかった  いつ質問されるか、ヒヤヒヤ、的外れな事を答えると、ジロリと一瞥

抜き打ちテストの毎日だった

仕事場を離れると、とても優しく、可愛がってもらった そのギャップに戸惑うばかりだった

いつも、この仕事場に来ると、あの時の光景、緊張感が脳裏にフラシュバックしてくる

そして、仕事場の空気に懐かしい匂いを感じる

なぜだか、嬉しい気持ちがこみ上げてくる

初心、忘れるべからず  まだ、道半ば




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波紋

2015年03月15日 | Weblog
着物といえば、日本の伝統その物と思いこまれていますが、時代の変化は容赦なく押し寄せて
きます

京友禅、職人の手仕事と言うイメージが、覆されてしまうかもしれません

随分以前から、人の手による仕事を、最新のテクノロジーに置き換える試みが行われています

染色の世界にも、インクジェットを利用することが試みられてきました

プリント、(捺染)では既に、市場に商品が出回っています
決して、粗悪品ではありません

微細なインクの粒を素材に打ち付けることで、画像を印刷する技術が成功し、あまりにも革新的であった為
その応用として染色の分野に利用を広げる事が考えられたのだと思います

それが、伝統的産業における、慢性的な問題、(次世代を担う職人の育成、)に代わるものとして、省エネ、省コスト
の面からも目をつけられる事になったのだろう

機会があり、インクジェットで染められた品物を、何度かテストしたことがある
第一世代の物よりは、最新の物は、格段に進歩していることは間違いない

ちょっと見た目には、区別がつきにくいところまで進化している

しかし、柔らかな、ぼかし染めの部分については明らかに、人の手に軍配が上がる

糸の芯の方まで、染料が浸透した染めと、上っ面に染料を載せた染めとでは微妙に透明感が違う

職人の端くれとして、少々ひいき目があるとしても結論は変わらない

しかし、これからはどうなって行くのか?

職人の技と最新のテクノロジーとの、せめぎ合いなどと言う単純な構図ではなく
着物と言う、日本の伝統をどう人が受け止めていくか?

わび、さびなどという言葉が理解されなくなってくるであろう時代に、何が残るのだろう?

私は、何としても残りたい



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2015年03月13日 | Weblog
TVを見ていた長男が、突然振り向き、「お父さんは、苦労が染みついたような顔をしとるなぁ」と言った

少し驚きながら、苦労がわかる歳に、やっとなったか 内心すこし嬉しくもあった


しかし、後が、いかん ガーン


「おんなじ○治でも、△山○治とは全然ちがうなぁ~」と続く


TV画面をみると、イケメン代表のような、△山○治のクローズアップのCM


名前が同じだけ、ただそれだけで比べる息子の思考回路はどうなっとる

四十を過ぎれば、自分の顔に責任を持つべきとは、偉人の言葉ではある


しかし、素材の悪さは仕方がない
おまけに還暦越え、職人気質の気難しさが、加われば、おのずと結果はこの通り

それを承知しているから、写真をとられるのが、大嫌い


ハイウエイを疾走するフェラーリと、田舎を走る軽トラックを比べるんじゃないよ

でも、軽トラには、軽トラにしか出来ない仕事、役割がある

息子よ、貴方にも、私のDNAが、半分入っていることを、忘れるんじゃない

くたびれが、顔に出る前に、恋をして、早く、良き伴侶を見つけたまえ   幸運を祈っている



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悲しみ

2015年03月12日 | Weblog
東北大震災から、もう四年

ニュースで震災の特番が流れている
津波の映像は、実体験の無い私が見ても、胸苦しくなり正視できない

遺族代表として、追悼の言葉をのべていた彼女の話には衝撃を受けた
感情を抑えて淡々としている様子が、とても痛々しく悲しかった  只々悲しかった

傷ついた母親を、置き去りにせざるを得なかった彼女を誰が責めることができよう

彼女以外にも、同じような体験をした人が沢山いただろう

生木を引き裂く様な、理不尽な事が、起きたのだから

マスコミから流される情報は、被災者○万人、死者、行方不明者○○人などと
数字で表すけれど、その方々、一人、一人に人生があり、家族、親せき、知人含めれば
とてつもない悲しみ、苦しみがあるのだ

数字にするのは簡単だが、悲しみ、苦しみは数字には現れない
ある芸能人の言葉だけれど

正しくその通りだろうと思う

あかん 今日はあかん 想いが昂ぶって字にできん

時が薬とはいうけれど、東北に向かって唯、祈るのみ
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