ブログ しみぬき見聞録

しみ抜きを生業とし昭和、平成、令和、不肖の二代目です
仕事を通して日々感じたこと、思うことを、勝手気ままに書いてみたい

無念

2009年04月27日 | Weblog
「これ見てください」初老の御婦人が、困り果てた様子。
お品物は、和服を、リフォームして創られたスーツの上着である。

銀彩と刺繍があり、訪問着か、附け下げであったと思われる。
衿と脇マチの部分に、ひどく黄変したシミがある。
詳しく検品させていただくと、袖と背にも、シミがある。

「着物を着なくなったので、見かけた店で洗張りをして、スーツ上下にリフォームしてもらったのよ。」
仕上がって、大事にタンスの中に、入れて置いたのだと言われる。
袖を通すのを楽しみにしていたのだが、出してビックリ!!
あわてて、クリーニング屋に持ち込んでみたけれど、「このシミは無理です。」と断られたとの事。

薄いグレーの地色に、黄変した輪じみがでているが、どのしみも、縫い目を渡っていない。
洗張りをして、パターンをおこし、生地を裁断する時すでに付いていた、あるいは残っていたシミだろう。

「もともと着物に、シミが出ていませんでしたか?」とお聞きすると、「しみは確かにあったと思うし、着られなくなったので洋服にリフォームした。」とお返事

「でも、洗張りもそのお店でしてもらったし、シミは取れてたはずだ。取れてなかったら洋服にしなかった。一言、いって欲しかった。」といわれる。

しかし、洗張りだけでは変色のシミは取れない、しみ抜き、色のはき合わせをしっかりしておいてから、裁断縫製をすれば、よかったんだと思う。

柄合わせも、縫製もしっかりしているし、デザインもオーソドックスな物ではあるが、柄と良く合っている。
着物の生地は、巾が狭い為、洋服にするには工夫が必要である。
スーツ上下を創るとなると、パーツを取るのも裁断が、大変だったとは思う。

しかし、変色のシミを取り残したまま、仕立てをしたのはいただけない。

お客様に事前の確認をとるべきだし、仕立て上がりをお客様も検品すべきだった。

「しみ抜きは充分出来るが、料金はかなり、かかると思う。  とても、数千円という予算では無理です。」とお話しすると

「困ったどうしよう」 しばし 沈黙。
「せっかく、楽しみにしてたのに、思い切って費用も懸けたのに。」  また沈黙

黄変のしみ抜きをすれば、グレーの地色は、完全に抜けてしまうだろう。
地直し、染料のはき合わせに手間はかかるだろうが、直す自信はある。

「しみ抜きは、手間と料金はかかるけど、お召しになれるような状態には戻せますよ。」と声をかけても、お顔から無念の色は消えなかった。

「一度お持ち帰りになって、よく考えて、もし、よければお仕事させていただきます。 時間を懸けて、考えてみましょう。」 とお話しすると

「簡単に取れると思っていたけど、頼みの綱の、おたくにそう言われると、しかたがないわ。」   残念そうに出てゆかれました

お客様からの一方的なお話で、軽々に判断するべきではないけれど、落胆ぶりを見ると、リフォーム店に問題があるだろう。

いい仕事 言葉にすれば簡単だけど、お客様にとっていい仕事でなければ、 仕事をする側にとって、都合のいい仕事にすり替えてしまう事は許されない。

我に置き換えて肝に銘じるべき事だ。
それにしても、シミさえちゃんと取っておけば、惜しい、残念、無念!!

しみぬき110番 ハイドライ森内HPはこちらから




時代

2009年04月17日 | Weblog
大きな風呂敷包みを、お持ちになったお客様。
「ちょっと、御相談したいのですが、視て頂けますか?」

カウンターの上で、包みを解くと、まず、可愛い赤ちゃんのヨダレ掛けが出てきた。
「亡くなった母が、こんな物まで取っておいたんです。」
御実家の整理をしていて、衣裳缶のなかから出てきた、お品物らしい。

見ると、きちんと洗濯をして、しまわれていた物らしく、何枚かあるヨダレ掛けは、どれも、シミらしいシミは無い。

その次に、女の子用の頭巾 (現代風に言うとフード?)と、ケープ
フェルト生地で、手作りらしく、縫い目が少し粗いが、しかし、縁にはウサギらしい毛皮が、丁寧に縫い付けてある。
傷みやすい毛皮の部分も毛倒れはしているが、弱っている様子は無い。

その次に何点か着物、 喪服、帯、絽単衣の留袖と、縮緬袷の留袖が出てきた。

この仕事を始めてから、絽の夏用の留袖は、あまり、手に触れたことがない、珍しい品物だ。
文様は、打ち掛けと同じ様な、裾引きの絵羽付けである。
残念ながら、引き染めの三度黒は褪めてしまい、黒味を失っているが、時代を感じさせる逸品である。

祝い袱紗、お重掛けもあった
丁重な、吉兆文様を日本刺繍で、描いたものである。
糸の傷みも無く、色あせも無い非常に綺麗だ。

想像するに、由緒ある、家柄の品々である事は、疑いが無い。

何よりも、きちんとした、愛情のこもった、お手入れがされていて、カビ臭がプンプンなどと言う状態じゃない。
其の事が、なんだか嬉しかった。
玉手箱か、タイムカプセルを開けて見ている様で、過ぎていった時間の長さを感じさせる品々でした。

幸いにして、お手入れが緊急に必要とは思えなかったので、お使いにならない物であれば、虫干しを兼ねて、お部屋のインテリアとして時々入れ替えながら、飾られるようお話をした。

お持ちになる楽しみ、お召しになる楽しみ、其の他にも、見る楽しみが在っても良いと思う。

「着物や帯をリフォームして洋服、小物などに創る事も知ってはいるけど、ハサミを入れるのにどうしても抵抗があるのよ。」とのお客様の言葉に、お母様への思い出や、愛情があふれている様だった。
願わくば、出来るだけ長く、良いコンディションのまま、お手元において欲しいと思う。

物を大切に、モッタイナイと言う言葉がもてはやされたが、欲よりも愛情が在ってこその話だ。

欲に振り回されて飲みすぎ、食べすぎの日々のつけが、このウエストだ。

嗚呼、お腹に割れのあった過ぎ去りし日々、あの時代に帰りたい。




2009年04月08日 | Weblog
しみぬき110番のHPをたちあげて、デジカメを使うようになった。

小学生の頃、初めてカメラを買ってもらって以来、写真は、常に身近にあった。
学生時代には、自分の小遣いを貯め、カタログを沢山集めて、お気に入りのカメラを買ったこともある。

卒研では、友人の資料作成の手伝いに、モノクロではあるが、現像、プリントも飽きるほどした。
カラープリントが、当たり前の時代になって久しい頃ではあったが、個人でカラー現像、プリントは出来る時代ではなく、したくても、カラーは、ラボ(現像所)まかせするしかなかった。

のめりこむほどの、カメラ小僧ではなかったが、仕上がりの写真に、がっかりという事が何度もあった。
形は、正確に写し取れても、色だけは、なかなか気に入らなかった。

夜明けを狙って、学生寮からぬけだして、朝やけを撮りに行ったりもしたが、何度撮っても、仕上がりの写真をみると やっぱり違う!!
乏しい予算では、高価な機材を揃える事も出来ず、熱は次第に冷めてしまった。

自分の目に映ったように、写真に再現できない苛立ちのせいだった。

あれから技術の進歩は著しいが、デジカメを使ってみると同じ苛立ちを感じる。

着物の微妙な色合いがでない
画像処理ソフトで、多少の補正は出来るが、再現性は物足りない。

逆に言えば、人間の物を見る目が、素晴らしいと言う事だろう。

単純に、光を感じるだけではなくて、形と併せて脳の中で認識し、場合いによると補正を加える能力にたけているらしい。

水墨画の中に色を感じたりするのも、感性という表現がされるが、その現われだと思う。

訓練、経験により磨きがかかるものらしいが
しみ抜き職人には、しみ抜き屋の目が必要だろう。

妻が、買い物のレシートを見ながら、ブツブツ言っている。
どうやら、細かい字が見えにくいらしい。

キタァ~ッ!!!

それは立派な老眼、老眼のお知らせです。

綾小路きみまろ氏のギャグに大笑いする仲間入りです。

大いなる慶びを持って、心より、仲間入りを歓迎いたします。