天国への扉の近くで足踏み中

この4年大腸癌3回肝臓癌4回肺癌1回、5年目12指腸癌判明、9度目の災難、今度はどんな体験が待ち受けているか?

牛裂きの刑

2010-05-01 16:48:09 | Weblog
まこと、身の毛がよだつ残酷な、刑である。

龍馬の海援隊の前身亀山社中の結成の時の文だったかに、たとえ、牛裂きの刑、逆さ磔り付けにあおうとも、というところがあったが、当時実際に実行されたこともあったのだろうか?

日本の原色美術、小学館、23巻分が、九州中央病院の、小さな、図書館においてある。
外来で通院して、抗癌剤治療受けた時の帰りに、ちょっと、一服、自動販売機のジュース飲みながら、目を通すのが楽しみの一つ。

17巻だったか、南画と写生画というのに、丸山応挙(1733~1795)の作品があって、写生画の項目のところで、
応挙の難福図巻画稿、牛裂きの刑、があって、見た時、ショックと戦慄を覚えた。
文章で、牛裂きの刑と見ても感じなかったものを、百聞は一見にしかず、そのもの、写生画であろうとも、裸体に近い人物が2匹の牛の脚に脚を片足ずつ、くくりつけられて、その牛に尻尾辺りに火を放ち、狂わせて引っ張らせて、その結果その人物が、どうなっているか、写生してるのだ。

この絵は、大津の円満院にあるらしい。
門主の命によって、3年ほどの年月をかけて(4つの絵)出来上がったとあるから、実際に処刑のときに、見たのだろう。
仏説にもとずく因果応報の難福を図解するに、門主が、序文に、人々を教化するには、地獄や極楽などのように、架空の物語を示すのではもはや信を得ることは出来ない、眼前に生起する事実を描いてこそはじめて仏の教えを悟らせることができよう。
そのようなありのままの現実の姿を描くことが出来るのは今日自分が見るところ応挙をおいてほかにいない。特に応挙に命じてこれを描かせることにしたのはそのためである。
応挙がまだ目にしたことはないものは、あまねくこれを訪ねさせ3ヵ年ほどの月日をかけて成就したのがこの巻である。

難のほうはもう一枚は、台風であった。
福のほうは、見たが、記憶に残らぬ。
訪ねさせたのは、この、牛裂きに違いないと、思う。
本当に人間も一つ狂うと、恐ろしい。
もし、無罪の人だったら、いや有罪でも、ぞっとする。

といいながら、一度ならず、何度か見たのは、怖いもの見たさか? 

最新の画像もっと見る