奈良、吉野。（09月23日記）

9月17日、日曜日の一日のこと。
今度の朗読のために奈良を訪れた。その一日のこと。


奈良。
ぼんやり「奈良」という字を思いながら、近鉄電車に乗った。
奈良。
やわらかくて美しいイメージがする地名だなあと今更思った。
お昼過ぎに電車に乗ったときは晴れていたのだけど、台風が近づいていたので、奈良に着くころには、土砂降りかなあ、なんとか間に合うといいなあと思いながら景色を見ていた。

今度、って。実は明後日、25日。
あるお寺に頼んで、法座のまえに、そんな時間をもうけていただいた。
読むのは花岡大学さんという方の作品で「水蜜桃」というもの。
どこが舞台とは作品にはっきり書かれていないけれど、どうやら、彼の故郷であるらしい。
草木や川の景色が、少年たちの姿とともに生き生きと濃密に描かれていて、一度その景色を見ておきたいと思った。ろくに調べもできないままに、えいやっと奈良・吉野に出かけたのであった。

どんどん車窓の景色が、田んぼやら緑やらに変わっていく。
乗り込んでくる、中学生や高校生たちの姿が面白かった。
焼けた肌、汗で顔にはりついた髪。
ドキドキした。彼らの息が感じられるように思った。
濃い。生々しい。
十代の頃は、そんな姿をよく見ていたのだろうけど……。

「おおあだ」という緑に囲まれた小さな駅で降りる。
花岡さんの生まれ育った佐名手というところを歩きつつ、図書館のある隣の駅「しもいちぐち」まで歩くため。
自動改札機もなくて、スルットカードで通れなくて、一人でおられる駅員さんに、ややこしい手続きをさせてしまった。

生家がわからないので、とにかく、隣の駅まで歩きながら、周りの景色を眺める。
見渡せる範囲が広い。ばばあーんと見える。田んぼ、山。
少年が走ってくる姿を想像してみる。
「たったったったっ」。

どんより曇ってきた。一人で見知らぬ土地を歩く。わきを見れば蜘蛛の巣。

隣駅まで歩こうなんて気軽に考えていたけど甘かった。
遠い。京都の四条から三条みたいなわけにはいかない。
山にはりついて見え隠れする電車を追いながら、ひたすら歩く。

吉野川にさしかかる。
川の水は緑が深い。岩の端がその緑に溶けていく。
高いところから見下ろしているせいか、なんだか怖い。引き寄せられるような、のみこまれそうな。景色の奥、に何か感じる。
川だけじゃない。吉野の景色はなんだか怖い。
お天気のせいもあるだろうけど。
怖さが、魅力的な気がする。
電車で見た、中高生の姿を思い出す。
生々しさが似ている。
ほんとうな気がする。

30～40分ほど歩いて、ようやく「しもいちぐち」へ。
ずいぶん様子が違う。建物が多く、人も増えて「町」の雰囲気がする。
美しい現代建築の図書館を訪れて、花岡さんのコーナーの本をじろじろ見る。もう閉館間近で、借りて帰ろうとしたら、断られた。この土地に住んでいる人か、通勤している人でないと駄目らしい。ま、当然かと思って、急いで、少しだけコピーする。

はてさて。ほんのちょっとの滞在だったけど楽しかったなと、帰ろうとしたら迷ってしまった。雨が降ってきて。情けない気分。

と、そこに真新しいきれいなカフェ。「そんたん」。
休憩して、帰りに駅までの道を尋ねようと思って入った。
お優しそうなご夫婦。
ほっそりとしたご主人と、小柄でふっくらとされた奥さん。
思い切って、奥さんに話しかけてみた。
言葉のニュアンスがわからないのがいくつかあったので、土地の人に聞けたらなあと思っていたので、そのことを聞いてみた。
すると、まるでトマトのような明るい笑顔で、とても丁寧にいろいろ話してくれた。作品中のせりふも実際に言ってもらった。太くて暖かくてかっこいい！！すごーい。
（バナナのパウンドケーキをいただいたのだけど、とてもおいしかった。奥さんの手作りとのこと）
帰りはご主人が車で駅まで送ってくださった。
「雨も降っているし、少しややこしいし」、と。
嬉しかったなあ。
ここのところ、落ち込むことも多々あったので、ホントにお二人の優しさが嬉しかった。
ご主人は、なんと、つい最近まで図書館に勤めてらしたとのこと。ご主人も、あの花岡さんの資料集めに奔走していらしたのであった。
不思議なご縁。

幸せな気分と、なんだか泣きそうな気分で、ごっちゃになりながら近鉄電車に乗る。窓の外は真っ黒、自分の姿がもろに映る。




長い大事な一日だった。