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自転車で野山や旧街道へ

サイクリングを楽しみ、
山・花・樹の写真を撮ってます。

ヒガンバナと幟

2010-10-06 | 碑、石文、常夜燈
 早朝テニスへ行く前に、やっと満開になった自宅のヒガンバナを。


 重信橋の歩道から、日の出前の石鎚。


 重信川右岸のサイクリングロードを走ってると、下の河川敷に赤いヒガンバナが。じゅうたんのような北谷と比べると、ここのは座布団ほどか。


 ツルボ?の群生とヒガンバナ。


 正友神社前まで来ると、やっと日の出。


 西林寺の裏を通り、悪社川を少し遡れば、高井八幡神社。
 

 県道松山東部環状線を北に進み、小野川沿いに下れば、龍神社。 今朝は寄り道したのでテニスに遅刻。


 

重光の常夜燈

2010-08-13 | 碑、石文、常夜燈
 今朝は、伊予灘SAまで軽く走り、帰りに砥部町重光にある常夜燈へ寄った。常夜燈が2基と一里松の記念碑(どこから一里なのか?)などがあった。


 ここは5差路になっていて、南予からの金毘羅道が通っていたのでは?。



久谷町の常夜燈巡り

2010-05-02 | 碑、石文、常夜燈
 今日は日曜日だったが、夕方6時までは仕事で、それから1時間ほどサイクリングで、久谷地区の常夜燈巡りをした。


 上野町の「常夜燈1」。 民家の左にチラッと見えるのは、生涯学習センター。


 森松へ1里、久米へ1里半の「道標」。


 道標を南進するとすぐ「渡部家住宅」。


 さらに南へ進むと、三島神社。 米山さん筆の漱石がある。


 さらに南へ走ると「常夜燈2」と、


 「常夜燈3」。


 出口橋まで走り、そこからUターンするとすぐ「大黒座」と、


 「常夜燈4」がある。 自転車が小川に落ちそうでハラハラドキドキ。


 国道33号線の久万高原町から下って来て、浄瑠璃寺へ近道するとこの「常夜燈5」前へ出る。


 さらに北進すると、旧土佐街道の「三里石」(再建)がある。


 恵原の町並みの中に、フェンスに囲まれた「常夜燈6」。暗くなってきたので、ここからは自宅へ直行。

 

今朝も相変わらず

2008-07-13 | 碑、石文、常夜燈
今朝も早朝テニスの前に石文巡りで、高井の波賀部神社へ。ここのご神体は、52代嵯峨天皇の皇子寛王命のお墓で、もともとは「墓辺神社」と書いたらしい。

 神名石 「国史見在 波賀部神社」 明治22年 米山さん69才


テニスコートのすぐ手前になるのだが、ユニクロの裏に広がる野原が「来住廃寺跡」


ここまで来て、まだ時間があったので、日尾八幡神社へ行った。
 「百度石」 明治23年 70才


百度石をやっと見つけ、喜んで階段を降りてたら、狛犬が妙に新しいのに気付き、横の方を見ると、先代の2体が仲良く寄り添っていた。

客天満宮まで

2008-07-12 | 碑、石文、常夜燈
今朝も30分ほど早く家を出たので、水泥の客天満宮まで行った。

正友神社の注連石を撮ってなかったので、まずは寄り道。  
「大巧 若拙」 明治22年 米山さん69才 (巧みな物ほど拙く見える)米山さんの事のよう。


高井神社へも行ったことが無かったので。
神名石 「高井神社」 明治25年 72才


いよいよ客天満宮へ、ここの神名石の迫力は松山平野随一?。車では何度か前を通っているが、最近石の前の木が茂っていてよく見えない。
神名石 「客天満宮」 明治34年 81才 (枝を押しのけて撮影)


神名額 「客天満宮」 明治12年 59才




軍森神社へ

2008-07-10 | 碑、石文、常夜燈
今日も少し早く家を出たので、テニスコート近くの軍森神社へ寄り道した。車では神社の横をよく通るが、境内へ入るのは初めて。

神名石 「村社 軍森神社」 明治24年 米山さん71才
鳥居    「奉 献」     明治31年  〃  78才


神名石の裏には、「八十女翁建之」?



「いくさがもり神社」辺りは、1365年の河野氏と仁木氏との戦の、主戦場だったらしい。神社から南へ100mほど行くと、小野川の近くの「伊予の血坂」と言われた所にこんな碑が。




高忍日売神社へ

2008-07-07 | 碑、石文、常夜燈
月曜日は早朝テニスの定休日なので、松前町徳丸の「たかおしひめ神社」までサイクリング。(往復9km)

AM7:00前には境内の清掃が終わっていた。汚さぬよう外に駐輪した。


神名石 「延喜式内 高忍社」 明治33年 米山80才


神名額 「素鵞社」 これも米山書(本殿の右、神楽殿に)


二十年くらい前に初めて訪れた時に、ホルトノキ(モガシ)があった所には、説明板だけが立っていた。


モガシは枯れたが、境内にはクスノキの大木が何本もあり、その根元には安産を願う小石が。


また、ここでは平成8年から「徳丸一座」による素人芝居が行われていて、その舞台が組まれていた。

米山さんの石文巡り

2008-06-07 | 碑、石文、常夜燈
今朝はいつもより30分程早く家を出たので、神社巡りを思いついた。
それもテニスコートまでの途中にある、三輪田米山さんの石文を見て回ろうと。
           今日も参考ページは「伊予路りんりんbyけんさん」

重信川右岸を遡ると、土手の下の樹の下に「正友神社」の神名石  明治23年 70才


現在の境内は高架道のまだ向こう200m先にある、創建当時はここまで広かったのか。


48番札所西林寺を越え、悪社川を少し遡ると、「高井八幡宮」の神名石  明治25年


高井から北へ進み、窪田橋で左折し小野川を下ると右岸に、龍神社の鳥居「奉献」  慶応3年


コートに着いたがまだ早いので、少し先の「東山神社」の神名石へ 明治36年


ここの樹齢350年のクスノキもすばらしい


米山といえば日尾八幡神社の注連石 「鳥舞」「魚躍」 明治13年 米山60才


神名石「県社日尾八幡大神」 明治13年


コートの近くの道しるべ「みぎへんろ道」も米山とは、 文久2年 42才

葛掛五社神社へ

2008-06-04 | 碑、石文、常夜燈
 昨日の夕方に雨が降ったので、今朝はテニスは無理だろうと早合点して、サイクリングに行ってしまった。(こんな天気でもコートへ行ってみる熱心な4人で何とか試合は出来たそうだ)

 最近見つけた、三輪田米山の石文紹介のホームページ(byけんさん)に刺激され松山市久谷地区の葛掛五社神社まで行った。自転車で走ること約10km、上りが続くのでかなり辛い。ここの前の小川はホタル見物の名所?でもあり、今までに何回か来たことがあった。
 境内は狭いが良く手入れされている。


 神名石「葛掛五社神社」  明治23年 米山70才


 常夜灯「奉」  同じく明治23年


 神社の裏山は、松山平野では珍しい大木の森らしい。



 イチョウの大木の根元には力石が並んでいた。今では苔むしているが、昔は農作業の合間などに若者が力比べして盛り上がったことだろう。


 自宅近くの高尾神社にも、力石があったなと思い出し帰りに寄った。  (今日は朝から良い運動になった)