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自転車で野山や旧街道へ

サイクリングを楽しみ、
山・花・樹の写真を撮ってます。

新立橋から源太桜まで

2011-04-17 | 旧街道

桜の季節も終わりかけてはいるが、旧金毘羅道を自転車で走り、東温市の源太桜を目指した

旧街道を走る時に、いつも参考にさせていただいてる 「四国の古道・里山を歩く」 で何度も予習してたので、何とか大きなミスコースは無しに目的地へ行くことが出来た。

スタートは新立橋、旧国道11号線にあり交通量も多い。

 

石手川左岸を少し上ると、最初の金毘羅道標がある。

 

道標の先の交差点を右斜め方向に進み、あとは道なりに走ると、米山さんの日尾八幡神社へ。

 

八幡さんのお隣に浄土寺があり、山門の前の桜(御衣黄)が満開。でもとても地味。

 

浄土寺の山門から、真っ直ぐ南進すると、金毘羅道に戻れる。左奥から来て左折した。

 

上の角を左折して東進し、県道東部環状線を横切りさらに少し走ると、左手に二里石(再建)があった。この道は何度も走っているが、見たのは初めて。電柱の陰で分からなかったのかな。

 

この後は、主に旧国道11号線沿いに走り、新国道との合流地点に四里石がある。昔の道標がほぼ当時のままの位置にあり、これは貴重。

 

愛大医学部の前を通り、重信川を横河原橋で渡り、川上小学校辺りからは小川沿いに進み、この道標に従い左へ上ると川上神社。 「左讃州金毘羅道」

 

次の道標も左へ。 「左讃州こんぴらみち」

 

吹上池の北側を進み、松山ゴルフ倶楽部への進入道路を登ると、ゲートの手前にトンネルがあった。狭くて曲がりくねっているが、照明が付くのでゆっくりと下った。

 

トンネルを抜けてからは、旧街道らしい道もあったが、こんな大きな道も。ここ永寿橋に、五里石があったらしい。

 

永寿橋からかなり上り、少し不安になりかけた頃、右こんぴら道の新しい道標。

 

青汁工場横から狭い山道へ進み、松山道の高架下を登り、高速道路が下に見え出すと桧皮峠が近い。ほぼ上り切ったので安心して小休止。

 

広い道路に出てさらに登ると、斎場がありそこが峠だった。後は下るのみで、すぐに土谷集落へ。

 

曙橋辺りまでは快適な道だったが・・・

 

 

川沿いの道から左へ進んだ途端、悪路の急坂で自転車に乗っては登れない。でも所々ではこんな道もあり人に迷惑にならない所では乗ったりもして進んだ。(峠茶屋跡)

 

途中には、広いけど砂利道の急な下りがあり、ブレーキ音で歩いてる人を驚かせたようで、そこからはおとなしく自転車を押して歩いた。土谷橋の案内板には1500mとあったが歩いての往復は大変。  やっとこさ着いた源太桜その一には花が残っていた。

 

樹齢300年超のエドヒガンザクラは、左下の自転車と比べて、なんとも大きい。

 

源太桜その二は、ほとんど散っていたので、幹越しにその一を。

ここの案内板に順路→とあったので、先に進んで国道に出たが、あまりにも近くてびっくりした。桜から引き返すつもりだったのでラッキーだったが・・・・。帰りに国道のトンネルでタンクローリーに追い越される時怖くてアンラッキーだったかも。トンネル内の路肩の清掃をお願いします、国交省さん。

 

 


今朝は道後温泉本館へ

2010-07-25 | 旧街道
 昨日に引き続き松山市内方面へサイクリング。今朝は金毘羅街道とへんろ道を通り、札所のお寺を巡り、道後温泉本館まで走り、旧土佐街道を帰った。


 森松町から重信川右岸の旧金毘羅街道を走ると、土手の下に正友神社の「神名石」(米山書)


 久谷大橋の手前の「金毘羅大門へ29里」碑(再建)を左折し、


 松山道をくぐるとへんろ道沿いに祠が。


 細いへんろ道を道なりに進み、県道を横切ると「番外大師堂」。


 小川に沿ったへんろ道を走ると、正面に「西林寺」の山門、右手には当郷餓死萬霊塔。


 県道を北進し、国道11号線を横切り少し先の道標で左折し、米山道標の手前の道しるべを右折すると、正面に「浄土寺」。


 浄土寺西隣りの、「日尾八幡神社の注連石」にご挨拶。


 八幡さんの西を北へ走り、道標で右へ、墓地の中の道(自動車は不可)や住宅地の道を、道しるべを探しながら上ると第50番札所の「繁多寺」。


 へんろ道が分からなくなったので、また県道を走り遍路橋を渡れば第51番札所「石手寺」。


 石手寺から小川沿いに西へ下り、「道後温泉本館」へ。本館前は自動車が入れないので、観光客がのんびりと記念撮影してた。


 東部環状線を走り、湯渡橋を渡ってすぐの交差点を右折すると「道標」。石手川左岸を立花橋まで下り、昨日も走った旧土佐街道を帰った。


今朝は松山市内へ

2010-07-24 | 旧街道
 リハビリサイクリング初日は西へ、次は南と東へ走ったので、今朝は当然北方面へ走った。旧土佐街道を2里石からスタートし、すぐにあるのが豊島家。


 旧街道を北上し、南環状線を横切り少し走ると、赤レンガの重松倉庫。


 立花橋から旧市内に入り、早朝で車が少ないので、繁華街や官庁街を自在に走り、堀之内へ。市民会館の階段を上り、城山を望む。


 県庁前を通り、城山ロープウェイ乗り場へ来ると、今年5月に出来たらしい加藤嘉明公の銅像を磨いてる方たちが。


 すぐ横には、一等水準点があった。


 最後に秋山兄弟生家跡へ寄り、少し痛いヒザをかばいつつ家へ急いだ。

早朝、網掛け石へ

2010-06-27 | 旧街道
 昨日(27日)前夜の雨のせいでテニスが出来なかったので、1時間半ほどの予定でサイクリングをした。(AM6:30~)
旧土佐街道とへんろ道を主に走った。


 旧土佐街道を走り、文殊院の少し先の道標を右折しへんろ道へ。


 田植えが済んだばかりの水田に囲まれたへんろ道を進むと、右手に諏訪神社。(右奥はニンジニアスタジアム)


 ため池の下へ上ると自然石のへんろ道標があった。(右下から上った)


 旧えばらガーデン西側の裏道を通り、小川沿いを走れば八坂寺門前の赤い橋。


 八坂寺から浄瑠璃寺への道沿いの常夜燈。


浄瑠璃寺(弁天池)のハスが見頃だった。


 花をアップで。


 網掛け石への上り坂の途中にも常夜燈が。


 最後の急坂を上れば網掛け石。(この画像は以前撮ったもの)
時間があればこの先の坂本屋まで行きたいが、今日はここで引き返した。



 帰る途中、恵原町の荏原城跡へ寄った。室町から戦国期に伊予の豪族河野家18将の首位だった平岡氏の居城。


 土佐からの侵入を防ぐ拠点で、東西130m、南北120mの土塁が、幅10mから20mの堀で囲まれている。


 さらに進むと上野町に大宮八幡宮。


 金森大明神という名をもつ金平狸が鎮座している、巨大なイブキビャクシンの樹。



 

 

二里石からコートへ

2010-05-15 | 旧街道
 早朝テニスの前に寄り道して、旧土佐街道の二里石から一里石辺りまで走った。
桜の季節が終わり、特に行きたい所もないので、走り慣れたコースをサイクリング。


 自宅近くの重信橋の上で、GPSをONにした。朝日に輝く空と石鎚と東温アルプス。(AM6:10)


 橋を渡り、左へ進むと「二里石」。しかし肝心の碑はさぬきみち道標の陰。


 国道33号線の高架を潜り、西へ入るとすぐ旧家が並んでいる。


 松山インターの下を通り、三叉路を右へ行くと、立派な「常夜燈1」、村中安全。


 そのすぐ先に「豊島家住宅」、一度内部を見学したいのだが。


 高橋を渡り、高速道の進入道路下をくぐって走ると、正面に「昌福寺」。


 今日初めて気付いた「常夜燈2」。常夜燈の文字の上に「明 石 金 天」と4文字も並んでいた。


 椿神社の参道と出会う少し手前で、小川に沿って左へ進むと「椿橋」。


 参道を横切り、少し走ると右手に「居相の塚供養塔」。


 さらに北へ走ると、左に「棟田武道館」。棟田康幸選手がんばれ!!(振り返って)


 真っ直ぐ進み小野川の堤防を走り、上吉木橋を渡ると、左手に「一字一石」碑。2度と洪水が起きませんようにとの願い石。さあここから小野川を遡り、テニスコートまでひとっ走り。(AM6:37)



 

雨で讃岐街道を少し

2007-12-24 | 旧街道
今日も早朝テニスをしに行ったのだが、前々日の雨のせいでテニスコートがぬかるんでいて、プレーが出来なかった。そこでまずは日尾八幡さんにお参りして、それから近くの道しるべを訪ねた。

八幡さんの前の旧国道11号線を横切り、南へ少し進むと伊予鉄道横河原線の踏切りがあり、その右手前の線路沿いに寛政12年の「金毘羅常夜灯」があります。


踏切りを渡り、久米橋を過ぎて突き当たりの左手前に、「金毘羅大門より29里」の碑がある。


突き当たりを左折すると、すぐ三叉路があり、南東角にへんろ道とこんぴら道のみちしるべがあります。


「みきへんろ道」


今日は祭日だが、仕事があるのでここで帰ることに。この時期自転車は寒くてつらい!


坂本屋さんでお接待

2007-10-21 | 旧街道
久しぶりに快晴の日曜日なので石鎚の紅葉を見に行きたかったが、今朝の新聞で紹介されていたので、大変な混雑だろうと思い近場のサイクリングに変更。以前に1度行った事があるのだが、三坂峠まで土佐街道を上った

まずは2里石からスタート、自転車が向いてる方の小道へ。(10:53)


ここで金毘羅街道と別れ、土佐街道を進む(右折して重信川を渡る)


土手に上がって今日の目的地の三坂峠(中央の一番名低い所)を望む。
(2つの建物の間を目指して河原を歩く)


水の中を歩く用意はしていたが、背の高い草は考えて無かった。自転車を押して歩けるルートを探してウロウロしてたら、カニを取ってる少年が3人いたので、歩けそうな道を尋ねてやっと川を渡れた。

ビーチサンダルをザックに入れていたので、履き替えていざ水の中へ


土手に上がって、踏み跡と少年たちを振り返る


いよいよここから自転車に乗って出発(下の小道を進む)


県道を横切り、宮北橋を通り過ぎて少し行くと分かれ道があり、左へ。


少し行くと左には


右には大宮八幡神社があり、旧街道の趣き


上の交差点を過ぎると、現在の道とまた合流(来た方を振り返り)


真直ぐに進むと、やがて文殊院


そこを過ぎるとすぐ三里石がある(道端に再建されている)(11:29)


八坂寺さんと


浄瑠璃寺さんの横を通って。


土佐街道はここから右折し、今の道と少しの間離れるらしいが、迷ったので元の道へ戻った。


4里石も新しく建てられていた(位置も少し違うらしい)(11:54)


4里石を過ぎるといよいよ山中の道になり、何度か急坂を登ると網掛け石がある


さらに急坂を何とか上ると桜地区の集落があり、その一番奥がかつての遍路宿坂本屋。


家の前が賑やかだったのでのぞくと、お接待中。私はお遍路ではないが、鯛めしとマッタケ入りのアラ汁が残っているのでどうぞと言われ、ありがたく頂いた。


腹も太ったのでお礼を言って再スタート、舗装道が終わった少し先の休憩所から峠まではほとんど押しになりそう。ここで4里石から約4kmだが5里石があったであろう場所はもう少し先だったのでは。(12:54)


石畳も何ヶ所か残っていた。




石垣も2ヶ所あった、いつ頃のものだろうか。


この石垣の先に説明板があった




鍋割坂を過ぎればゴールは近いはず


やっと視界が開け、下界を見る。(真ん中の建物あたりから押し上った)


やっとゴール。(坂本屋さんから1hくらいかかった)(13:44)

へんろ道を

2007-04-20 | 旧街道
     4月15日、土佐街道を自転車で走り、道後温泉本館へも行った後
     石手寺から西林寺までのへんろ道を通って帰った。いつもと逆のコース
     なので何度かそれたけど、国交省の道標を頼りに何とか旧道を走れました。               
                        (   )内は撮影時刻
     

     14:20に出発してから、飲まず食わずで走っていたので石手寺
     ですこし腹ごしらえ。まずはアイスクリームでのどを潤し、次は
     やきもち二個と甘酒のセット(440円)。     (15:48)
     


     東野お茶屋跡を過ぎ、小高い丘の上から石手寺の大師像を遠望。
       (中央の低いほうの山の上に。  見えないかな)
     


     一番迷ったのが繁多寺のあたり        (16:11)
     


     浄土寺には、三輪田米山の墓があります。   (16:22)
     
     

     山門の前で数人が桜を撮影してたので私も。(御衣香?)
     


     米山書の注連石(鳥舞 魚躍)がある日尾八幡神社
       (また秋祭の幟の書も一見の価値あり。)
     


     田園地帯で、大屋根が遠くからでも望める西林寺  (16:45)
     


     西林寺から旧道らしき道路を探しながら走って、振り返るとこんな道。
     


     道なりに進むと、ここで重信川と出合った。そのまま川を渡れば
     浄瑠璃寺の方へ行ける。(石碑には金毘羅大門へ29里とあった)
     
              (来た道を振り返る>


     金毘羅さんとは反対の方向へ進むと、さぬき道とへんろ道との分岐点
     に着く。このまま真っすぐ進めば今日の出発点の二里石へ帰れる。
     
         (ここも来た方向を振り返る)  


     石碑の所で土手に上がれば、土佐街道の難所三坂峠が望める。
     重信川は天井川なので大雨の後以外は歩いて渡れたと思う。
     もちろんここで渡っても浄瑠璃寺へ行ける
     
     (中央のやや低いところが三坂峠)

土佐街道を

2007-04-16 | 旧街道
     のんびりと自転車で走ってみました。 
     スタートは松山市森松町にある二里石。     (14:24)
     


     走り出して、国道33号線の高架をくぐると、すぐ古い家並みがある。
     


     松山インターチェンジの下を通って、三叉路を右へ進むとすぐに
     常夜灯とすこし離れて豊島家。           (14:30)
     
     


     りっぱになった高橋(たかばし)を渡り左へ進むと昌福寺にあたる。
     
     


     寺の門前を右に折れ、しばらくは住宅地を直進。これからは家並みが
     途切れることはない。椿神社の参道に突き当たる少し手前で小川沿い
     に左へ進むと、大きな鳥居と椿橋。       (14:37)
     


     参道を横切り、石井支所と石井小学校の間をなおも進むと小野川に当た
     る、川沿いに少し下れば上吉木橋、橋を渡ると左に「一字一石」碑
      (洪水が二度と起きないように願いを込めた)  (14:44)
     
     


     土手を下り一筋左の信号で、南環状道路を横切ると後は立花橋まで
     旧市街地を真直ぐ進むだけ。

     赤レンガの倉庫が今も残っている。
     

     お地蔵さんも
     

     この坂を上ればとりあえずゴール。
     


     立花橋(土佐街道の起点は当然「松山札の辻」だが旧市内は
     変化が激しく、道を特定出来ないとの事でここで止めます。
     


     近くの公園に古い橋の石碑(明治22年)がありました。
     

二里石から椿橋まで


椿橋から立花橋まで

二里石にヒビが

2007-03-28 | 旧街道
     旧土佐街道沿いの二里石をアップで撮ると、随分風化が
     進んでいて、数ヶ所亀裂が見える。
     


     ここは松山札辻より弐里で、また大洲宇和嶋道の郡中へ百丁で、
     さぬきみちの川上へ三里の分岐点。
     
     見ての通りすぐ横を車が走っていて、少しの接触でも倒れそう。
     

近くの須我神社には五里石が有るので、二里石もその隣に避難
     させたらどうだろう。
     


     二里石
     二里石の立つ場所はここ