かちゃら@ハナハナ☆ワーホリ的生活

つれづれ日記とワーホリで行ったオーストラリアのお話など・・・

(15)タスマニアでのフリアコ生活

2007年07月31日 | タスマニア
タスマンハウスでの生活は思った以上に楽しかった。
朝8時頃に起床。さらっと朝食を食べて、9時から仕事。
わたしは部屋掃除担当だった。

ベッドメイキング、ゴミの回収、家具の拭き掃除が主な仕事で
トイレ&シャワーがある部屋はすこしやっかい。
いくつかの洗剤を使って、手早く綺麗に掃除していく。

ドミトリー部屋(共同部屋)では寝てる人もいるから、
あんまりうるさくできないしね(気づかず爆睡してる人もいるけど笑)。

キッチンは朝と晩と掃除するんだけど、オーナーのデニスが
とってもきれい好きなのでピカピカにしておかなければいけない。
日本人はきっちり働くので、そういう面でも彼女のお気に入りだったんじゃないかな。

仕事以外の時間は何をしてたかというと、
バッパーでまったりお話してたり、町に買い物に出かけたり、
図書館に無料のネットをしにいったりという感じ。

誰かがフリアコを卒業し,タスマニアを出ることになると、
みんなでお別れパーティーをし、波止場でフェリーを見送った。
ひとり、ふたりと海の中へジャーンプ!
ちょっと待て、フェリーのスクリューに吸い込まれるぞー!

ごはんのシェア(みんなで作って割り勘すること)もよくしたよ。
薄切り肉がないオーストラリアでのサイコロステーキ肉じゃがは
味、食感ともに一生忘れられない食べ物だ。

ほかにカレールーを使わないフリアコ3チームによるカレー対決で
うちのチームは、調味料をなんでもかんでも入れ過ぎて激マズ、最下位に。

ナニ人の男の人か忘れたけど、スシを作りたくて中国人の商店で
言われるがままにお米と海苔を購入した人がいて、
「スシの作り方をおしえてほしい!」と言われたんだけど、
そのお米がモチ米だった。

「これはスシ用のお米じゃないから、べちゃべちゃになるで」って教えたら、
「チャイニーズがこれがスシ用だって言ってたから大丈夫!」だって。

アンタ、あたしゃ日本人だよ。

何度言っても聞かないから、それで作った。
巻きすがなかったので、薄目の冊子を代用して巻いたら、
意外と上手く巻けて自分でもびっくりしたよ。

出来上がりを食べてみて、例の彼は、
「ほんとだ、あのチャイニーズは間違えていたんだ」
やっとわかったようだ。でも美味しい、美味しい!と食べてくれたよ。

そのあとわたしが残ったのをラップして冷蔵庫に入れたら、彼は、
「明日の朝に食べようと思ってたのに、そんなんしたら固くなるやん」

・・・そんな知識はあるんや!と笑けました。

ひとつの場所に長く滞在していると、どんどん居心地がよくなる。
フリアコなんてとくにそうだ。いろんな人と話す機会が増え、
また頼られることも多い。そこが自分の居場所のような気がしてくる。

当時のタスマニアの玄関口はフェリーが発着するデボンポートだったので、
この町からラウンドにでる旅人は、またこの場所に戻ってくる。
彼らを迎え、送り出すのがまた楽しかった。

ワーホリに来て5ヶ月。
英語をもっと話せるようになりたくて、日本人とつるまないようにしていたけど、
それなりに英語で会話を楽しめるようになったわたしは余裕が出てきた。

以前はリビングルームのテーブルで日本人だけで固まって話している環境が
大嫌いだったのに、それが気にならなくなった。

国籍関係なく、話したい時は自分から話しかける。話したい人と話す。
新しいクラスになった時に、新しい友達をつくる感じだ。
それに気付いてからは、日本人と一緒にいることが苦にならなくなった。


しかし、このままフリアコ生活に慣れてしまうと、
やばいぞ…と思ったわたしは、ファームステイに行くことにした。

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