かちゃら@ハナハナ☆ワーホリ的生活

つれづれ日記とワーホリで行ったオーストラリアのお話など・・・

なぜワーホリに行こうと思ったのか

2007年03月30日 | 1年かけたバス旅の記録
なぜワーキングホリデーに行こうと思ったのか。

私の場合、オーストラリアを旅したかったから、
というのが理由でした。

ワーホリ前は,日本でのひとり旅にはまってました。
OLになってお金も出来て、会社の冬休みに当時友達が留学していたことから、
次はオーストラリアに行ってみようかなあ~ って思ったんです。

休みは1週間。
早速「地球の歩き方」を買って読んでみたんだけど、 あまりにも大きな国で
「これは一週間ではまわれない・・・(←あたりまえ)」と 悩んでたところ、
ワーキングホリデーという制度があると 知り、これいいやん!って。。。

高校の英語は赤点ラッシュのわたしだけど、友達と行ったグアムと
モルディブで、 片言でも生活できるんだァ~なんてヘンな自信もあった(^-^;)

OLになって2年。
このままわたしはどうなっていくのだろう・・と
少し悩んでいた時期でもありました。
1人暮らしでもしようかなあ・・・なんて考えていました。

どうせ1人暮らしするなら、
日本より海外で生活する方が、安い上にいろんな経験ができるんちゃうの?
パッとひらめいたその時は本当にワクワクしました。

結局、その旅行は友達のいるシドニーではなく、
ひとりでケアンズのユースホステルに滞在して
ワーホリの「事前調査」をすることにしました。

ひとりで海外に行くのは初めてだったけど、オーストラリアは
日本人が多いから、なんとかなるだろうと思ってたら、
本当になんとかなったので良かったです。
1週間、ユースホステル暮らしを経験して、イケル!と思った私は、
その9ヶ月後に旅立ちました。

ワーホリに行きたいと父親に告げるた時、
「勉強するならわかるけど、1年間も旅行してどうすんねん!」 って大反対されたけど、
「今しかできひんねん!!」って説得してなんとか許してもらえた。

出発の1週間前、突然「私大丈夫だろうか?」と不安になった。
でも向こうへ行ってしまうと毎日が楽しくって 1度もホームシックにならなかったよ。


「ワーホリに行って何がよかった? 何が変わった?」と聞かれても
一言では答えられないんだよね。

ただ言えることは、
「あの時行くと決めてよかった」ということ。

言葉では説明できない。
行った人しかわからない。

だから行きたいと思った人は、とりあえず行ってみて!って思うんです。

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1.日本脱出!

2007年03月30日 | 1年かけたバス旅の記録
目次はコチラ

ワーホリのビザがとれた。

6月末、2年ちょい勤めた会社を退職し、
7月、お中元の配達のアルバイトしながらワーホリ情報を集める。
8月、やっとワーホリの荷物の準備を始める。
9月、友達とのお別れ会の日々。
「青い目の彼氏、楽しみにしてんで~!」 無理ですから-!

出発直前に年金・税金の支払い催促が来ないように
市役所へオーストラリアへの転出届けを出しにいった。
転出先の欄に「オーストラリア」と記入しながら、
なんか…なんか…わたし格好イイ!  と1人で興奮する。

出発予定日1週間前にやっと航空券を買う。片道チケットだ。
実は帰りにアジアに寄るつもりだった。親には内緒だけど。
旅行会社で安い航空券を買うために粘ってたら、
路駐してた車がレッカーされていた。
実は免停間近…

でも大丈夫~♪ 日本脱出してる間に回復するもんね~って
安い航空券を買った意味がない。4万円近く罰金を払うことになる。

そしてとうとう9月26日夜、
わたしは関西国際空港からオーストラリアに向けて旅立った。

空港ロビーから手を振る家族の姿を思い出して、
飛び立ったばかりの飛行機の中で泣いた。
友達からもらったお守りの中身を見てみるとそれは5千円札だった。
手紙が添えてある。「困った時に使ってね」
彼女にこの5千円円を返すためにも、無事に帰ってこなければいけないな。
手紙を読みながらまた泣いた。

「ビーフ オア フィッシュ?」
感傷に浸っているわたしのもとへスッチーがやって来た。
「ビーフ プリーズ!」
ビーフうまい!ワインもうまい!体も気持ちも復活した。
そう、数時間後には新しい生活が始まる。いや、もう始まっているのだ。

翌日の朝、飛行機は無事シドニー国際空港に到着。
わたしはこれから1週間、こちらの大学に留学している高校からの友人
エムっちのシェアハウスに滞在させてもらうことになっていた。

彼女が住んでいるのはシドニーの南にあるウーロンゴン(Wollongong)という町。
シドニーから電車で1時間半くらいかかる。
空港からシドニー駅までは空港バスで問題なく行けたけど、問題はそのあと。

なんとかなるさ、フフンって思っていたら、
ホームが沢山あって、どの電車に乗ればいいかわからない。

駅員さんに「ウーロンゴンに行きたいねん!」って言っても、
「ウーロンゴン」の発音が悪いのかなかなか伝わらなかった。
“W”の発音ってホントは難しいらしい。
文字で書いて見せたらよかった…なんて今になって思います。

駅員さんの説明を自分なりに解釈して、「たぶんこの電車」と
勝手に推測して乗っけど、本当にあってるかわからなかったので、
電車の中でキョロキョロしていてたら無事に到着した。

エムっちが駅まで迎えに来てくれてホッと安心。
ウーロンゴン、結構栄えてるねえ~!
住みやすそうな町だった。
駅近くにあった中華料理店「好世界」のチャーハンが
すごく美味しかったよ!



写真:ウーロンゴン駅

エムっちは留学2年目で英語がペラペラになってた。
「あなたオーストラリア人?」ってネイティブに聞かれたらしい。
英語でケンカもしていた。しかも勝った。

私はというと、ANZ(オーストラリアの銀行)の口座開設時になかなか理解できず、
受付のおばちゃんに
「この子、大丈夫?オーストラリアで暮らせるの?」と心配され、
ユースホステルの電話予約では、「?????」と英語がわからず半泣きになり、
自分の英語力に少し不安を感じ始めました・・・。

その頃の写真を見ると、まだ小綺麗。
1年後、野生と化します。
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2.海外生活のはじまり

2007年03月30日 | 1年かけたバス旅の記録
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写真:ウーロンゴンのビーチ

留学中のエムっちは、オーストラリア人のおじさんが所有する家の
1部屋を借りて住んでいた。ほかにカナダ人の留学生の女の子がいて、
3人で共同生活をしていた。

こういう家をシェアハウス、一緒に住む仲間のことをシェアメイトと言い、
オーストラリアでは普通らしい。

エムっちは海外にいるのに日本の食材を沢山持っていて、
おみそ汁や肉じゃがを作ってくれた。

日本の食品は普通のスーパーや中国人や韓国人が経営するアジアン食品の
お店で簡単に手に入る。値段は高いけど醤油や焼き海苔、マヨネーズ、
カップラーメン、お菓子など普通に売っているよ。
ワーホリ中は貧乏生活なので、なかなか手を出せないけどね・・・。

お米は「Sunrice(サンライス)」というブランドの赤いラベルの商品が
日本のお米に近い味で、日本人のほとんどがそのお米を食べていた。
スーパーで1キロ100円ちょっとで買える。

オーストラリアは移民が多くいろんな国の食材が手に入るので、
スーパーに行くといろいろ試したくなるよ。
日本の友達へのお土産もスーパーのお菓子とか調味料を沢山買った。
珍しいし、なによりオシャレな感じがイイ☆

1週間はあっという間に過ぎ、本当の旅立ちの日がやってきた。
これからシドニーを北上し、ブリスベンを目指す。
バスで移動しながらユースホステルやバックパッカーズなどの安宿に泊まり、
オーストラリアを旅する“ラウンド”の開始だ。

エムっちに別れを告げ、まずはシドニー観光!とシドニー駅前にある
ユースホステル“セントラルYHA”に移った。
で、でかい!!!めっちゃキレイ!!人が多い・・・。

わたしが思っていたバックパッカー生活とは違うよ・・。
2泊して宿を変更。
ノースシドニーにある「カナーボンプライベートホテル」に移動する。
小さなアパートみたいで長期滞在者が多く、出身国も様々。
夜、庭でビールを飲んでると友達ができるといった感じで楽しかった~!

ノースシドニーを拠点に“トラベルパス”という決められた区間内の
バス、電車、フェリーが1週間乗り放題になるお得チケットを活用して
シドニーを観光した。

フェリーを活用するとちょっとしたクルーズ気分を味わえて楽しい。
夜はシドニーの夜景が一望できてかなりよかったよ!



写真:シドニーハーバーブリッジ

とりあえず有名どころは観光した。 でもブルーマウンテンは行ってない(笑)
人気の“ロックス”のマーケットが可愛かったけど、
あとで訪れたパースやタスマニアのマーケットの方が私は好きだなぁ。。

ほかには日帰りで“ボンダイ・ビーチ”や“ワトソンズ・ベイ”などに行き、
10日間ほどシドニー近辺で遊んでいました。

シドニー駅前の長距離バス“グレイハウンド”のオフィスでこれから
お世話になるバスのキロメーター・パスを購入した。
キロメーター・パスとは、購入した距離分だけバスに乗れて、
普通に乗るよりお安くなるお得なパスだ。

とりあえず8000km分購入。大陸を1周するので足りないだろうけど、
途中で別の乗り物で移動するかもしれないと思い、
足りなかったら買い足すつもりだった。

結局、途中で知り合った子達と車で移動したり、
別のバス会社を利用することがあったので、それでちょうどよかったです。
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3.シドニー北上 バックパッカーズデビュー

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10月15日、ノースシドニーを出発しニューキャッスルへ。
近かったので電車で向かった。

わたしのバックパッカーズ(安宿。みんなバッパーと呼んでいる。)
デビューがニューキャッスル。ここで悲惨な目にあった。

当時の「○○の歩き方」にバッパーは1つだけしか載ってなかった。
電話で予約する自信がなかった私は直接行ったんだけど、
そこには5階建てくらいのボロいパブがあり、恐る恐る中に入ると
恐ろしく怪しいオッサン達が、まだ明るいのにビールを飲んでいた。

宿泊客は労働者風のオッサンが数人いるだけでバックパッカーは
1人もいない。 キッチンもあるけど使っていない感じ。
部屋も1人。恐ろしくなって、近くのインフォメーションで
他の宿がないか聞いたら、「すぐそこにYHAがあるよ」だって。

翌日のYHAの予約をしてもらった。
その日にその宿をキャンセルして出ることができない小心者な私・・・。


その日の夜は、なぜか壁から「トントントントン」って音がずっとするし、
深夜に部屋の前を人が行ったり来たりするし、怖くてナイフを
枕の下に忍ばせて寝た。

翌日、朝なのに暗いパブのカウンターでチェックアウト。
キーデポジット(部屋の鍵の保証金)を最初に10ドル渡したので
10ドル返ってくると思ってたら、20ドル渡された。

知らんぷりしてもらっちゃおうかな、と思ったけど、
そのままもらってパブを出た瞬間、
「おじょうちゃん、待ちな!」って捕まって売り飛ばされたら・・・
と心配になり、「ノーノー、10ダーラー」と言って返した。
もらっとけば良かった?

逃げるように移動したYHAはとっても綺麗でホッとしたよ。
バッパーの冷蔵庫にバターと野菜を忘れてきたんだけど、
もう行きたくなかったので泣く泣くあきらめた。
半年後なら「私のバター!」って必死になって取りに
帰ってだろう。。。。

ラウンド中、あんな所を載せたらダメだよ~!って言ってたら、
そこに泊まった子に遭遇。その話で盛り上がった。
ガイドブックをあまり信用しちゃいけませんな、と意気投合した。

ニューキャッスルは活気があるとは言えないけど、
岬にある灯台跡へ 向かう遊歩道を私は気に入ったよ。
散歩を楽しむ老夫婦や家族連れ、チャリダー達と「ハーイ!」と
挨拶しながら歩く海沿いの道は素敵だった。


写真:ニューキャッスルの灯台跡へ向かう道

次は、さらに北のコフスハーバーへ向かう。
この時初めて、ラウンドにはかかせない長距離バス“グレイハウンド(通称
グレハン)”に乗る。電話で予約したので、本当に予約が取れているかビクビク
しながらバス停で待っていた。ちゃんと乗れた時はもう感激だった!

コフスハーバーはオージー(オーストラリア人)のリゾート地。
マトンバードの島に登るとハーバーと町が見渡せてとても気持ちがいい。


写真:コフスハーバーのマトンバード島からの景色

ニューキャッスルのYHAのお姉さんに「次はコフスハーバーに行く」と
言ったら、YHAを予約してくれた。その時は意味がわからなくて、
「コフスハーバーで誰かが待ってる」ということだけ理解ができた。
到着したらYHAの人がいたから、そういうことか!とやっとわかった。

あとで知ったんだけど、頼んだらYHA同士で予約してくれるんだね。

YHAは結構古かったけど、宿泊者同士が気軽に仲良くなれる雰囲気。
無料のバーベキューパーティーもあった。今はこのYHAはないみたい。

ここでなかなか英語の会話に入っていけない私に、イングリッシュの
女の子が微妙な日本語を操りながら、仲間にはいれるようにいろいろ
気を使ってくれた。本当にありがたかった(T▽T)

コフスハーバーででとても楽しい時間を過ごせたんだけど、
ひとつ悩みができた。

英語で話したいけど話せない。
もっと会話が出来るようになりたい。
素敵な人達と出会えたから、余計その思いが強くなった。
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4.ヤングの町だよ、バイロン・ベイ

2007年03月30日 | 1年かけたバス旅の記録
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コフス・ハーバーのYHAではとても楽しい時間を過ごせた。

はじめは部屋のシャワー室から真っ裸のブロンドガールが
「ハーイ!」と出てきて普通に挨拶してきたのでおったまげたけど。

キッチンでお話した人に料理をおしえてもらったり、
わたしを年下だと思いこんでいた18歳のイングランド人の子たちが
バーに連れて行ってくれたり(さらにおごってくれた)、
旅人からはいろんな旅の話を聞かせてもらった。
ニューキャッスルでブルーになっていたのですごく嬉しかった。

コフス・ハーバーで3泊して、次はバイロン・ベイを目指す。
長距離バス“グレハン”は朝6時20分にコフス・ハーバーを出るので、
5時に起床する。外はまだ暗く、部屋の仲間は就寝中。
滞在していたドミトリー部屋には2段ベッドが3つ置いてあり、
全てが埋まっていた。わたしは上の段に寝ていたけど・・・

電気がつけられないぃぃぃ
ゴソゴソ・・ゴソゴソ・・

前夜にちゃんと準備しておけばよかった・・・と後悔。
それからは、朝早い出発の時は前夜に荷物をまとめ、
懐中電灯を 用意して寝ることにした (^-^)v  え? 基本?

グレハンは昼前にバイロン・ベイに到着した。
バスの到着時間にあわせて、宿から迎えの車が沢山来ていた。
このお迎えのことをPick up(ピックアップ)といい、無料で送迎して
くれるんだよ。さすが人気の町とあってホステルの数もかなり多かった。

わたしは事前に決めていたバックパッカーズの車のところに行き、
「泊まりたいんやけど・・・」と言うと、
ピックアップに来ていたバイトらしきおねえちゃんが「どうぞどうぞ!」と
車に乗せてバッパーに連れて行ってくれた。

バッパーに到着。なに!?リゾートホテル?
椰子の木に囲まれた広い敷地にコの字型の素敵な建物があり、
中央にプールがあった。食器は貸し出し方式で、自分で管理して
チェックアウト時に返却するらしい。
ご立派すぎてちょっと居心地が悪いぞ・・・。

戸惑いながらも町へと繰り出す。
バイロン・ベイはビーチのためにある町と言ってもいいくらいビーチが近く、
ナイスバディのおねえちゃん達が水着で街中を歩いている。
私はできんよ・・(T―T)

ヒッピー系の人達が多く、かわいいお店やサーフショップが沢山あった。

見晴らし台などを巡る遊歩道は、砂浜やブッシュウォーキングも楽しめる
変化に富んだコース。オオトカゲに遭遇したりとかなり楽しめた。

ヒッピーの町、ニンビンへはここからツアーが出てる。
“あぶない草”を使ったケーキとかクッキーとかも売っているらしい。
知る人ぞ知る不思議の町だ。

ここでバッパーについて。

バイロン・ベイのホステルは悩みに悩んで決めた所。
私はYHA(ユースホステル)とVIP(バックパッカーズ)、両方の会員に
なっていたので両方のホテルブックホテルの紹介、評価が書いてある本)を
持っていて、宿を決める時は評価を見比べて決めていた。

今回はどうしても日本人がいないところに泊まりたかったので、
「○○の歩き方」に載っていない評価の高いバッパーを選んだ。
ところが・・・

綺麗で設備はいいんだけど、巨大バッパーなのでグループで滞在し
てる人が多く、またそのグループのマナーがひどい・・・。
ほかの人に話しかけるという雰囲気もなく、1人がかなり辛かった。

その後、私の宿選びは、
①評価が高い ②ベッド数が少ない
この2点が要チェック項目となった。

風邪がひどくなりビーチで泳ぐこともできず、結局バイロン・ベイで
滞在したのは2日だけ。次は観光客が多そうなゴールドコーストはとばして、
ブリスベンを目指すことにした。

途中、グレハンの窓から遠く海の海ににょきっとはえている
ゴールドコーストのビル群をみた時は衝撃だった。
海に浮かんだ巨大都市っていう感じ。
現実のものとは思えなかったよ。
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5.ブリスベンでの再会

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10月下旬、ブリスベンに到着!
バスターミナルがあるトランジットセンターは4階建てだったかな。
フードコートが充実してて、とにかく大きかった。

ブリスベンはシドニーに比べるとこぢんまりしていて、
人も町も落ち着いた雰囲気。大きな大学があり、学生の町とも言われている。
気候が日本に似てるので過ごしやすい。勉強するにはもってこいだね。
留学生にも人気がある町だ。

町を蛇行するブリスベン川の存在感がすごいよ。町の中心部からバスで
30分ほどの場所にあるマウント・クーサから見るとよくわかる。


写真:ブリスベンのマウント・クーサからの眺め。天気が良かったらもっと綺麗

私のお気に入りは博物館と美術館。展示品が結構凝ってるのに入場は無料!
わたしが言った時はお絵かきコーナーがあったよ。
半日以上いてもあきなかったです。
川沿いにあるボタニックガーデンもトロピカルな感じで居心地よかった~。

紫の花、ジャカランタだったっけ?
どこかでみたんだけど、ものすごく素敵だったよ。
さくらに似ているんだけど、花びらの色が紫だった。

さて、宿泊先のYHAには送迎がなく歩いていくことに。
重いバックパック背負って 20分くらい歩いたかな。
けっこうキツかったよぉ。。。

YHAには日本人が沢山いたけど、
私は日本語を話したくなかったので 避けていた。
今考えると、ものすごくイヤなやつだったと思う・・・。
でも必死だったのよ、あのときは・・・(T-T)

ここで偶然、コフスハーバーで会ったマルタ島から来てる
(と私は思ってる)グレースに再会!
彼女は私の名前は覚えにくいと言い、
「kat(カット)」というニックネームをつけてくれた。

その後、私は
「My name is Kachara、call me “ Kat ”!」
(わたしの名前はかちゃらです。カットと呼んでね!)
と必ず自己紹介するようにした。

さらに相手の名前と国籍を必ず聞き、メモっておくようにした。
難しい名前だったら 「名前、書いてくれへん?」って頼んで書いてもらった。
発音が難しかったらカタカナでフリガナをつけて覚え、

「グッドモーニング、マルティン!」
「スティーナ, ホエア アーユーゴーイング?」

というように、相手の名前を会話の中に入れるようにした。
すると向こうも私の名前を覚えてくれるようになり、
話しかけてくれるようになった。

初めて聞く名前はとても覚えにくいと思う。
だけど名前はとても大切。
国籍関係なく、名前を呼ぶこと呼ばれることで、
お互いの関係はずっと近いものになると思う。
「Kat」という名前をつけてくれたグレースに私はすごく感謝しています。

YHAに数日滞在したけど、日本人の多さにまいった私は、
町から少し離れたバッパーに移ることにする。
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6.ピッキングに行け!

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ブリスベンのウエストエンドにあるバックパッカーズ「Somewhere to Stay
(サムウェア トゥ ステイ)」は建物は古いけど清潔な宿だった。
部屋が男女相部屋のミックスルームしか空いていなかったけど、
そこに宿泊することになる。

部屋は6人部屋。なんと滞在していた1週間、私以外は全員オトコだった。
最初は戸惑ったけど、みんな好き勝手に生活しているので慣れちゃった。

そこで同室の韓国人の男の子、ミンと仲良くなり、
「僕はピッキングで英語が上達したで。ピッキングへ行け!」
とすすめられる。

ピッキングとは野菜や果物を収穫する仕事。
農場だと雇い主やいっしょに働く相手と強制的に英語で
話すことになるから(そうじゃないと仕事にならん!)
自然と英語が身に付くらしい。

自分の英語力に自信をなくし、ブリスベンで語学学校に行こうかなぁと
思っていたんだけど、ミンの話を聞いてピッキングに行くことに決めた。

彼に出会わなかったら、ブリスベンで語学学校に通い、
フードコートで働いていたりしたかも・・・。

ところで日本人が「V」や「the」の発音が苦手なように、韓国人は
「ぱ・ば行」が上手く言えないらしい。
「 If 」が「イプ」、enoughが「イナプ」と聞こえる。

会話の途中、ミンが「ぱっぺっこー」って言うんだけど、何度聞いても
何かわからない。ノートに書いてもらったら「バックパッカー」だった。

自分ではイケテル発音で
「バックパッカーやろ?」って言ったら、
「ちゃうちゃう、”ぱっぺっこー” !!」とゆずらない。
同じアジアン、どっちが正しいかはネイティブに判断してもらうしかない。

しかしこのミックス部屋はおもしろかった。
オトコの人達はわたしとしゃべりながら平気でパンツ一丁に
なって着替えてる。ミンは真っ青なブリーフをはいていたので、
(ブルマーかと思った)、「なんでブルー?」って聞いたら、
「見んといてー!」って隠れるし。
ある晩、わたしの下のベッドで寝てるオージーが寝言を言った。
もちろん英語。そしたら少し離れたベッドから韓国語の寝言が聞こえた。
ミンだ。この2人は仲良し。寝てても共鳴してるんだねえ。

さてピッキングをやろうと決めた私はブリスベンの西にある
Stanthorpe(スタンソープ)に行くことにした。
ブリスベン近辺でピッキングというとバンダバーグが有名だ。
しかし、とにかく日本人が多いと聞いた。
仕事が多い上に、日本語OKで安くスキューバーダイビングの
ライセンスがとれるので人気があるらしい。

わたしはできるだけ日本人がいないところへ行きたかったので、
日本人が知らなさそうな所にいきたかった。
そこで、バッパーで手に入れた無料雑誌“TNT”の広告に
「Workers Wanted(求人募集)」と書いてあるスタンソープの
バッパーに目をつけた。

仕事があるかどうか電話をかけて聞く勇気はまだない。
とりあえず行ってみて、ダメだったら帰って来るつもりだった。

ブリスベンから長距離バスのグレハンで3時間くらいなんだけど、
途中でバスが故障したので5時間ほどかかった。
スタンソープに着いたのは夕刻近く。どしゃ降りの雨だった。

案内所のおじさんにバッパーの場所を聞くと、
歩いて30分かかる町の はずれにあると言う。

半泣きになりながら雨の中を歩いていた。
すると! さっきのおじさんが車で追いかてきて、

「ヘイ おじょうちゃん 乗りな!」

バッパーまで送ってくれた。嬉しくて本当に泣きそうになった。
アリガトウ(;-;)

到着すると、そこはキャラバンパークだった。
キャラバンパークとは、日本のオートキャンプ場みたいな所。
たしかに宿の名前は「Top of the Caravan(トップ オブ ザ キャラバン)」。

建物に入り、レセプション(受付)にいたお姉さんに
「仕事がしたくて、ここに来たんやけど・・・」と言うと、
「それやったら、なんちゃらかんちゃら・・」
と説明してくれるんだけど理解できない・・・。

なんとか“8時にレセプション前に来たら仕事をくれる”ということが
わかる。OKすると、宿泊場所となる小さな小屋みたいなのが併設されている
キャラバンカーに案内された。バッパーは12月頃の繁盛期にならないと
開けないんだって。

わたしが住むことになるキャラバンカーの内部は、簡単なキッチンと
4人ほど座れるソファとテーブル、それをはさんで右側に大きなベッド、
左側に狭い2段ベッドがあった。
2段ベッドの上は子供しか寝られない大きさだったけど・・・。

併設の小屋には2段ベッドがおいてあり、合計4人滞在できるようだ。
その時は私1人だったので、奥のビッグサイズのベッドを占領する。

だけど、初めて泊まるキャラバンカー。
夜になるとちょっとコワクなった。

シャワーやトイレは外にあるし、ほかに人がどれくらいいるのかわからない。
1人っていうのがちょっと不安だった。
不安ながらもでっかいベッドでグッスリ寝たけど・・・。

翌朝8時、レセプション前で待つ。ひたすら待っても誰も来ない。
実は集合時間は朝の8時でなく、夜の8時だった。
なぜ私は “朝の8時” だと思ったのか、いまだに不明。
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7.ピッキングで英語を学ぶ

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スタンソープには11月初旬からクリスマス前まで滞在した。

「トップ オブ ザ キャラバン」に多い時には50人以上宿泊していたと思う。
みんなピッキングを目当てに来ていて、日本人は4~5人と少なく
ほとんどがヨーロピアンだったよ。

ここは宿のオーナーが仕事を斡旋してくれる。
仕事がほしい人は前日の夜8時にレセプションの前に集合し、
名前が呼ばれるのを待つ。

最初は単発で短時間のズッキーニ(これが腰が痛いの・・)や
草むしりとかしかもらえなかったけど、その後1つの農場の専属の
仕事をもらって、そこで1ヶ月半ほど働いた。

仕事はレタスやフルーツのピッキング。
早い日は朝4時から、1日7~9時間ほど働いた。
お給料は1ヶ月半で15万円くらいもらったよ。

ファーム(農場)では、ヨーロピアンのワーホリや留学生、
オーストラリア人の学生など、常に10人ほどの仲間と一緒に働いた。
ピークより少し早い時期だったので日本人は私1人。
これがラッキーだったと思う。私の日常英会話はめきめきと上達した!


写真:ピッキングが終わったレタス畑。



写真:ファームの仲間の名前が機械に刻まれていた。

レタスのピッキングの時はベルトコンベアーを追っかけながら
必死でレタスを刈り取らないといけないので全然しゃべれないんだけど、
フルーツのピッキングの時はおしゃべりし放題。
チャ―――――――ンス! 
仕事だから離れたくても離れられない。逃がさな―――い!

相手が日本人だったら簡単に話しかけられる。
じゃあ、もし日本人だったらナニを話す?
そうやって会話の糸口を探す。
知っている単語だけで話をする力をみがく。

これを毎日繰り返していると、
いつのまにか会話がスムーズにできるようになった。
リスニングもよくなって「ah-ha-」と相づちがうてるようになった。
「ah-ha-」(「ウー フン」でもオッケー)で会話もはずむ。これホント!

とにかく英語で話をし、頭を英語モードに切り換える!
それが上達への1番の近道だと感じた。
もちろん、伝えられなかった言葉はあとでちゃんと調べるのだよ。

ピッキングではいろんな人と出会い、一緒に働いた。
ピッキングの仕事を求めてさすらうオージー、
留学中のノルウェ-の美少女、残金30ドルのワーホリの子・・
その中で断トツすごいヤツがいた。

日本語ペラペラのアメリカ人、アレン(仮名)。

アレンは、私のアメリカ人のイメージを根本から覆した。
あなたは、超――ネガティブなアメリカ人に会ったことありますか?

アレンは毎晩、私たちのキャラバンにやって来て、グチる。

「カレはボクを嫌っているみたい・・・」←日本語
「ボクのこと嫌いなんでしょう・・・?」←もちろん日本語

キミ、大丈夫か!?・・・( ̄▽ ̄;)

実は彼は不法就労者だった。
ある日、移民局の人が不法就労者の取締りにやってきた。
彼は山に逃げて、最後は警察に捕まった。

ブリスベンに連れていかれる前夜、アレンは私たちに会いに来て、
最後まであーだ、こーだと人の悪口を言う。

私 : 「そんな話、聞きたくない」←日本語
アレン: 「最後くらい笑ってよ」←日本語

笑えるかい! ( ̄□ ̄;)

その後、彼がどうなったかは誰も知らない。
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8.スタンソープでのピッキング生活

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スタンソープでのピッキング生活はわたしのワーホリの
なかでもかなり思い出深い日々だと思う。


キャラバンパーク近くのゴルフ場には野生のカンガルーが!

毎日どんな生活をしていたかというと、
仕事がある日はだいたい朝5時頃に起きて出かけていた。

6時前に仕事がある仲間たちとともに、
バッパーのオーナーのランクルに乗せてもらって
それぞれ担当のファーム(農場)に降ろしてもらう。
早朝なのでみんな口数が少ない。
ランクルの車内の様子は
「ドナドナドーナ ドーナ♪♪」という感じ。

わたしのファームの場合、集合時間になると地元のおばちゃんや
オージーのピッキング青年、ファームのにいちゃんたちがやってくる。

レタスのピッキングは、5人が横一列にならび、大きなナイフで
一心不乱にレタスを刈っていく。

5人の前方には専用の車から伸びた長さ3メートルくらいの
ベルトコンベアーが「はい どうぞ」と待っているので、レタスを
1つ刈ったら急いでベルトに乗せ、また次のレタスを刈るの繰り返し。

レタスは車本体で待ちかまえてるおばちゃんたちのもとへ運ばれていき、
箱詰めされる。車は私たちのスピードにあわせて進んでくれるけど、
5人の息があわないと刈り残しが出るので気をつけないといけない。
気が抜けないけど、しんどいと思ったことは1度もなかったよ。

1回だけキャベツのピッキングもやったけど、キャベツは固いので
刈るのがしんどかった。。。。

そういえばファームのみんなは、レタスを「CUT(カット)する」と言わず、
「CHOP(チョップ)する」と言っていた。
チョップって空手チョップのイメージしかなかったから、
「チョッピング レタス(レタスを刈る)」と言われると、
レタスに「アチョーッ」なんて思ってしまう。

それと、一緒に仕事してる子が仕事が終わる度に「ダーン」と言ってくるので
ダーンってなんやろ?と思ってたんだけど、しばらくたってそれはDo(する)の
過去完了形のDone(した)じゃないかな?と思ったらやっぱりそうだったみたい。
「ダーン」は「終わったでー」という意味だろうと勝手に解釈して
マネして使ってみたら、ちゃんと会話ができたからたぶんあってると思うよ(^-^;)

そういえば休憩中に池で泳いだんだけど、わたしがオージーの子に
「ワニおらんよなー!?」って聞いたら、返事が
「Actually(アクチュアリー)」だった。
「アクチュアリーの意味わからん!!おるの?おらへんの?どっちー!!!」って
ひとりパニック。あとで辞書で調べたら
Actually(アクチュアリー):本当のところ・実際はだったので、
「ホンマはなぁ・・フフフ」とビビらせたかったんかな。
違う意味でビビりましたよ・・・。


仕事はほかにプラムや桃のピッキングもした。
収穫しながらファームにいちゃんが「食べてみー!」っていうので
遠慮なく食べたよ。甘くて実がピチピチしてて美味しかったー!

そのファームのにいちゃんがまたよくしゃべるしゃべる。
「カット(わたしの愛称)、モンキーを知ってるか?」っていうから、
サルは日本にもおるわ!って思ってたら、突然、ドラマ西遊記の
悟空の分身の術(?)のマネをやり始めた。
「なんで知ってんのー!?」と聞いたら、
以前オーストラリアで放映されていて、すごく人気があったんだって。
もちろん慎吾ちゃんじゃなくて、堺正章の西遊記だよ。
「モンキー(堺正章)はもう50歳越えてるで」って言ったら
「マジでー!?」ってめっちゃ驚いてた。

さあて、仕事から帰ると食べる食べる。
スーパーで買ってきたホールのアイスチーズケーキを半分とか普通に食べてました。
食べることと寝ることがなによりの楽しみって感じ。
そんな肉体労働者生活をみんな楽しんでたよ。

ピッキングは野菜や果物の成長をみながら収穫していくので、
今日は収穫できないっていう日は仕事が休みになる。
そんな時は町へメールをしにいったり、仕事が休みの子たちとしゃべったり、
ひとりでぼお~っと日向ぼっこしたり、まったり過ごしていました。

夜になると「ちょっと遊びに来たで~」って感じで
仲間のキャラバンを行き来きしたりして、
韓国人の子からチヂミの作り方をおしえてもらったり、
イングランド人の兄ちゃんたちとワイン飲みまくったりと
毎日退屈しなかった。

スタンソープの町はすごく小さくって遊ぶところなんて何もないし、
仕事がもらえなかった子たちはすぐに去っていってしまったけど、
わたしは仕事がもらえるまでねばってよかったなあって思った。
ほんとすごく楽しかった(^-^)
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9.再びシドニーへ

2007年03月30日 | 1年かけたバス旅の記録
目次はコチラ

ワーホリに来て、いつの間にか3ヶ月近く過ぎていた。
ミンが言った通り、この1ヶ月半のピッキング生活のおかげで
わたしの英会話力は確実に良くなった。
英語だけの環境ってほんと大切なんだな、と実感したよ。

ヒアリングは人が話してるのをとにかく一生懸命聞く。
スピーキングは人が使ってるのを真似して使う。

事前に英語で質問を考えておいて、 そのへんにいる人に質問してみる。
5人いたら5回練習できるもんね。
講師は全部外国人!全部無料!

関西人のお笑いが他の国の人に伝わるように、
がんばって英語でツっこんでみたりもしたよ。

「日本人っておとなしいと思ってたら、 面白い人もいるんだねえ」言われた。
関西人としてこんなに嬉しい褒め言葉はない。


さて、もうすぐクリスマス!
わたしはMっちとクリスマス&お正月をシドニーで
迎える約束をしていたので、そろそろスタンソープを出なければいけない。

4人で生活していたキャラバンの仲間も
「ダーリンが日本からやってくるから~」とか
「ホストファミリーとパーティーしま~す!」とか
そんな感じでひとり、ふたりと町へ帰って行った。

キャラバンに1番乗りしたわたしが1番最後に残った。
それまで賑やかだったキャラバンが一気に静かになる。

そしてピッキング最終日。
その日の夕方にスタンソープを出ることになっていた。
「カット、今日の仕事はこれで終わり。よくやったね!」と
ファームの兄ちゃんが言った途端、涙がこみ上げてきた。

最初は全然仲間に入れなかったのに、
いつの間にかみんなといることが当たり前になってた。
これでお別れということがとても悲しかったよ。。。。

真っ青な空の下、どこまでも続く広い広いレタス畑。
わたしの刈ったレタスは誰が手にしてるんだろう。

ファームの仲間が見送ってくれるというので、
急いでバッパーに戻り、シャワーを浴びて出発の準備する。
バッパーの仲間ともお別れだ。
まるで学校を卒業して 仲間と離れるような気分。
何人かはここで年末年始を迎えるらしい。また会えるよね (;―;)/

夕刻、長距離バス“グレイハウンド”はシドニーに向かって出発した。
仲間が手をふる姿がバスの窓から見える。みんなが遠ざかっていく。
アカン・・・。また涙が・・・・。(TT□TT)

半泣きしながらこの町にやって来た日がウソみたい。
ピッキングに来て本当によかった。ミン、ありがとう!

深夜12時頃。
バスの中でふと目が覚めたら、バスが止まっていた。
なんだか様子がおかしい。運転手の放送が入る。

「バスが故障したので、かわりのバスが来るまで待っててね!」

なんですと?
かわりのバスって・・・こんな山の中まで来れるんか??

それから3時間くらい後だったかな。。
別のバスがやって来て乗り換えた。
そういえば、行きも故障で止まったぞ。

17時間の長旅を終え、予定より3時間半遅れでバスはシドニーに到着。
そりゃもうグッタリですわ・・・。

でもパース←→アデレードに比べたら余裕のよっちゃんなんだよね。。
34時間だったっけ?
今はこのコースはなくなっちゃったんだけど、途中に東京→京都間くらいの
まっすぐな直線の道路があるナラボー平原を走る。

バスで行くよりインディアン・パシフィック号(略してインパシ)という寝台電車で
2泊3日かけて行くのがワーホリの憧れみたいな感じだったなぁ。
しかしここをチャリで行く人もいるっていうからスゴイよね・・・。
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10.真夏のクリスマス&お正月

2007年03月30日 | 1年かけたバス旅の記録
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再びウーロンゴンに到着。
エムっちと再会!3ヶ月ぶりだ。

ピッキングでガンガンに日焼けし、髪がボ-ボ-に伸びたわたしをみて、

「原人や・・・原人が来たでー!」と大ウケするエムっち。

久しぶりの都会でほぼノーメークのわたしは(眉毛は描いていた)、
「これはちょっとマズイかも・・・」と思い、久しぶりにちゃんと化粧をしてみた。
オゥ!顔の色と腕の色が違う!違いすぎるぞ!

それでもそれなりに都会の人らしくなったので、
エムっちと一緒にクリスマスイブの町へと繰り出した。

「イエーイ サマークリスマスー!」と浮かれていたけど、
シドニーは寒かった。夜は長袖の上着が必要だったよ(^-^;)

それに町はぜんぜんクリスマス~♪って感じじゃなかったんだよねぇ。
ストリートには大きなクリスマスツリーが飾られていたけど、
サンタさんはいないし、音楽も鳴ってないし、
あんまりクリスマス気分を味わえなかった。。残念。。。
でもクリスマスの頃に売り出される水着を着たサンタさんの切手はカワイイ。

さあ、とうとう2000年がやってくる。
そんな記念すべき年をオーストラリアで迎えます~

大晦日、ニューイヤーイベントを観にシドニーのダーリングハーバーに行く。
みんな早くから場所取りしてたよ。

0時近くなった頃、ショーが始まった。
ビルの上から花火! 水上スキーで花火!
早く行って場所取りしておいてよかった。すごく近くで観れたよ!

そして、カウントダウン!

「 スリー ・ トゥ ・ ワン・・♪ ほーたーるの ひーかーりー ♪

え? ( ̄◆ ̄;)???????  閉店っスか?
  

「蛍の光」の音楽が流れる中、
「ハッピー ニューイヤー!ミレニアムー!」とみんなが騒いでる。。。。

この時初めて、あの有名な「蛍の光」は日本の曲ではないこと知った。
海外ではなにかが始まる時によく流れている。
またひとつ、かしこくなったよ。 \( ̄▽ ̄)/



シドニーのダーリングハーバーでのミレニアムイベント

年が明けて、エムっちと新鮮な魚介類が安く食べられるフィッシュマー
ケットやハリウッド映画が制作されるFOXスタジオに行ったり、
車でウーロンゴンの南にある「火星」みたいな岩場(私はドラゴン
ボールに 出てきそうだと思った)に連れていってもらったり、
いっぱい遊んでもらった。



ここはなんていう所なんだろう?悟空とベジータが戦ってそうでしょ?

1月10日、ラウンド再開!
これからの長旅に向けて、えむっちが髪を切ってくれた。
う~ん、こざっぱり! エムっち、ありがとう!
つぎは日本で会おうね。

メルボルンへ行く道は2つ。
首都キャンベラ経由で内陸を行く道と海岸線を行く道。
わたしは>キャンベラには行かず、海岸線を南下することにした。

「○○の歩き方」に海岸線の町の紹介は少ししか載っていない。
だけどYHA(ユースホステル)ブックによると、そのルートにはYHAがいくつかある。

意外とオモシロイかもよ・・という自分の動物的感を頼りに
地図をひろげてつぎの行き先を決めた。
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11.メルボルンへの道

2007年03月30日 | 1年かけたバス旅の記録
目次はコチラ

メルボルンへ向けて海岸線をバスで南下することにしたわたしは、
「○○の歩き方」に少しだけ紹介があるアラドゥラ((Ulladulla)と
ベトマンズ・ベイ(Batemans Bay)に行くことにした。

まずはアラドゥラに到着!
町はスーパーやちょっとしたショップもあって思ったより栄えてた。
宿は「○○の歩き方」には高いアコモしか載っていなかったので、
バックパッカー向けの無料雑誌“TNT”に載っていたところに直接行ってみる。

すると表に「No Vacancy(満室)」の看板が !!
町から重いバックパック背負って15分汗だくで歩いて来たのに――!
っていうか、予約しとけよ・・・。

それでもレセプションに行って「ベッド空いてないですか?」って
聞いてみると、なんと運よく空きベッドがあった!
よかった――っ なんとかなるもんだね~\(^∀^)/

バッパーは山小屋風の建物で、入り口にウッドテラスがあり、
そこでごはんを食べたり、ビーチチェアでくつろいだりできるように
なっていた。キッチンも広く、清潔でとてもいい感じだ。

この辺りは波がいいらしく、サーファーが何人か滞在しており、
日本人の男の子も1人いた。 サーフィン修行でワーホリに来たらしい。

ここで初めてイスラエル人に会った。
イスラエルってどんな国か全然知らなかったので、近代的なイメージが
なかったんだけど、みんなオシャレ! そしてすごく気さくだった。

ほかにドイツ人、フランス人、イギリス人、アメリカ人が
滞在していて国際色豊か。
ピッキングで英語を鍛えられたわたしは、いつのまにか沢山話が
できるようになっていて自分でもビックリした。

アラドゥラではボディボードしたり、ビデオを観たり、
誰かとお話したりと、気の向くままに生活していたら
1週間近く過ぎていた。
そろそろ行かなきゃ、と次のベトマンズ・ベイに向かう。

ベトマンズ・ベイは、ちょっとさびれた海の町という感じ。
YHAに泊まったけど、かなりボロくてお客も数人しかいなかった。

でも管理人のおじさんと仲良くなって、夜はワインを飲みながら話したり、
ビーチへ連れて行ってもらったり、すごく良くしてもらった。
ここにはカンガルーがいるビーチがあるらしいね。

ベトマンズ・ベイの次はどこに行こう・・。
「○○の歩き方」にはこれより南の情報がない。
それならば、とユースホステルブックをみる。

その中で評価がいいナルーマ(Narooma)のYHAに興味を持った。
海、湖があり、自転車を貸してくれるし、カヌーもできるらしい。
「いい感じ~」って思って行ってみることにした。

翌日の午後、ベトマンズ・ベイを出発し更に南下する。
車窓の風景が、海辺の青から森の緑へと移り変わる。
その変化がとても美しく未だ鮮明に覚えている。

ベトマンズ・ベイのYHAで出会ったフランス人のチャリダーおじいさん、
ヤギは同じ道を走ってナルーマに行くと言っていた。
気持ちいいだろうなぁ。

夕方、ナルーマに到着。ヤギはすでに到着していて、
「ハロー アゲイン!」と再会を喜び合う。

ここのYHAは最高に良かった。
ベッド数は30くらいで普通の家みたいな作り。
そして来る人来る人、なぜかみんな仲良しになる。

テラスで夕食をとってると、どんどん人が集まってきて、
旅の話や自分の国の話で盛り上がる。
まるで大家族で住んでいるような、そんな気分になった。(*´-`*)

海岸線のコースはワーホリが少ない。
20日間旅をしていて、日本人には2人しか会わなかった。
ナルーマは、ヨーロピアンの30代40代の旅行者か、
オージーの旅人や学生が多かった。

そこで出会ったドイツ人のアニャとそのお母さんと話をしている時に
お母さんがわたしの話を聞きながら、「あ、そう」「あ、そう」とうなずいてる。
「もしかして日本語?!」とびっくりしてアニャに聞くと、
ドイツ語でも日本語を同じ意味で「ア、ソウ」と言うんだって!

いろんな国の人に会うから、いろんな国の言葉をおしえてもらえる。
わたしはドイツ人、オランダ人とよく一緒に過ごすことが多かったので、
ドイツ語とオランダ語をいくつかおしえてもらった。
発音は全部カタカナで書いてあるので、ホンモノとは違うだろうけど、
今覚えてるのは、

【オランダ語】
ホイ → こんにちは
シナシャポ ショプ → オレンジジュース
アナナ ショプ → パイナップルジュース

【ドイツ語】
イッヒ リビ ディヒ → あいらぶゆ-
イッヒ ハベ フォングア → ハラ減った

あんまり役に立ちそうにないっス…。
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12.異国で出会った素敵な仲間

2007年03月30日 | 1年かけたバス旅の記録
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ナルーマ(Narooma)はオーストラリアの右下の方にある
小さいけど綺麗な海辺の町だ。
YHA(ユースホステル)がなかったら、絶対立ち寄らなかったと思う。

ガイドブックに載っていない素敵な場所を見つけてた時って
ほんと嬉しいです。

滞在しているYHAから少し歩くと湖(海?)とちょっとした公園がある。
ここのフィッシュ&チップス(白身魚のフライ&ポテトフライ)が
美味しくて何回か食べたよ。

また結構歩くんだけど、ビーチがあってサーフィンが出来る。
人が少なく、綺麗で居心地のいいビーチだ。

「船着き場で魚釣りができるよ!」とYHAのオーナーが、
ハンドリールという直径10センチくらいのドーナッツ型の
プラスチックに釣り糸がクルクル巻いてある釣り道具を貸して
くれたので、釣りにも挑戦した!
釣れなかった!
ハンドリールは日本には売ってないのかな?あれは楽しいわ!



これがハンドリール。いろんな色があってかわいいよ!


そうそう、この町には小さい歴史的な映画館があるんだけど、
それがまたかわいくてとても雰囲気のある映画館だった。
ちょうど「シックス・センス」をやっていて観に行ったよ。


YHAには入れ替わり立ち替わり人がやってくる。
この町から近くの島へフェアリーペンギンやアザラシを見に行くツアーが
出ているので、それを目当てにやってくる人が多い。

その人達とは別に、わたしみたいになんとなく居ついてしまった者もいる。
サーファーの元気なライと無口なクリス、そしてひとり旅のジョン。
3人とも20歳前後のイングランド人でいつのまにか仲良くなってた。

ライはとてもやんちゃでかわいい。
わたしが履いていたスーパーで買ったピンクのビーサンが気に入ったらしく、
ある日「カットー 見てー!」って言うから、見に行ったら同じピンクの
ビーサンを履いてた。キュートなキミのほうがわたしよりはるかに似合ってるよ…。

クリスは無口で全然話さなかったんだけど、
1度だけまともに話したのは、クリスがお米を洗わずに炊こうとした時。

あの人たちはお米を洗わずに炊くのは普通なんだよね。
そして炊いたお米を洗って食べる人が多い。
あのネバネバがイヤなんだって。

「炊く前に洗ったほうが美味しいと思うねん…」と言ってみたら、
「どうやるの?」っていうからわたしが洗った。めっちゃ不思議そうに見てた。
たぶん彼は、サルが芋をあらっているのを見ているような気分だったんだろう…。

ジョンはこの異国のモンキーをたいへん気に入ってくれて、
熱い視線を送ってくれたのは女子としては嬉しいことなんだけど、
「カットの水着は(水着姿ではない)まじクールなんだよ!」って
みんなに言うのはやめてほしかった。ビキニじゃないのよ。

セパレートなんだけど、ちーちゃい子がよく着てるキャミソールが
短くなったみたいなヤツ。
あれがクールなら、日本のビーチの幼児はみなクールだ。


写真:オーストラリアンデーにYHAの仲間とサンドアート大会に出場し、見事2位になりました!

ナルーマ滞在8日目に、久しぶりに日本人の顔を見た。
元ワーホリのお姉さんと日本語で会話をする。
クルっと振り向いたらジョンの顔があった。

「青い目! が、外人!」って一瞬思った。(◎_ ◎;)

それまでそんなこと思ったことなかったのになんでだろう。
すごく変な気分だった。

ナルーマにもっと居たかったけど、メルボルンで全豪オープン
テニスを観てみたかったので出発することにする。

出発の前夜、リビングで盛り上がっちゃってすごい宴会になった。
夜の11時頃、外に行こう!橋からジャンプしよう!って話になって、
15人くらいで外へでた。
たぶん高さ10メートルはあったんじゃないかな、あの橋…

ライとクリスとその仲間が橋から川にジャーンプ!
そのあとアイリッシュのおじさん(と思ってたけど、たぶん20代だろう…)
マラーキーが「彼らは酔ってるから心配だー!!」と言って飛び込もうとした。
おめぇが1番酔ってるよ-!と止めたけど、
そのままジャーンプ! ドボーン!

心配したけど、全員平気な顔で帰ってきた。
阪神が優勝したら、飛び込みそうな人たちだ・・・。

その夜、初めてミルキーウェイ(天の川)と南十字星をみた。
日本とは違う見たことのない星空。
ここは異国なんだ、とあらためて思った。
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