もう間もなく会期末ということで、前から気になっていた宮川香山の美術展に行ってきました。一言で言うなら「すさまじい!!」。香炉の上の愛らしい猫には目を近づけてやっと分かるほど細かな舌や歯。これほど薄くできるのかと思う尖った花びら。柔らかそうとしか言いようのない山鴫のつややかな羽毛。展示されている高浮彫の数々は、人の手による技術や、陶器として焼成可能な物理的な限界やら、そんな制約を飛び越えていて、現にここに存在していることが不思議なほど、すさまじい。
疑問がある。こんなすさまじい技術を駆使して、香山は何を目的としてこれらを作ったのだろうか。陶器であるからには、一つの完成品の裏にはそれこそ無数の試行錯誤と失敗と偶然がある。芸術家としてなら、自らの感性の発露として造形の美を目指すなら、彫刻等の他の方法を採る方が遙かに確実だ。本来陶芸は、全体としての形の優美さや、釉薬による色彩の美しさを追求するものだから、香山がやったような細かな造形には、圧倒的に向いていない。
疑問の2つめは、なぜベースが壷なのか。置物やら皿でなく壷にこだわった理由が分からない。壷の胴の部分を凹ませてというかくり抜いて、熊やらカエルやらを配置していたりする。実用性全く無視。そこまでしたら、もはや壷じゃないでしょ、と突っ込みを入れたくもなる。代表作のカニの高浮彫り(これは壷ではなく花瓶ですが)はあえて全体を押しつぶして凹ませたところにカニを配置している。このこだわりは何なの?
疑問の3つめ。そのカニの高浮彫は2つあって、一つは明治14年の作。二つめは大正5年に、最初と全く同じ意匠で色鮮やかな釉薬を掛けた物。大正5年は香山が無くなった年であり、年表によると前年には、博物館に収められていた一作目のカニの補修をしている。なぜ、同じ意匠で、色違いを作ったのか? 素直に考えれば、久しぶりに昔の作品を間近に見て、死を間近にしてやり残した技術の粋を掛けてみたくなった…となるが、そう単純ではなさそうに思える。
疑問はすべて、本人に聞かねば分からない。そして最大の疑問は、香山ってどんな人だったのだろう?ということ。 一大工房を率いているので単なる偏屈親父ではありえないし、かといってあれらのこだわりようはとても常人とは思えない。取りあえずは、すさまじい人、と言うしかないか。
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