トヨタ問題ではアメリカと日本の違いが歴然とした。公の前で泪を流したトヨタ自動車の社長の姿は正に情の国、日本〔家族的〕である。異民族の集合の合衆国のアメリカでは情は通じ難い、法の国である。以前、武士の生様を社会教育とした日本の凧。アメリカのスポーツカイトは日本の戦闘機の標的としての訓練に使われた。との違いをニューヨークの女性に説明してあげたら驚いていた。上履きと下履きを何故履き分けるのか、人間の原理原則に関る、大切なことすらも分らない日本人が増えた。規範とする指導者が責任を取らない。日本は法の以前に、大切な人間として、してはならない恥ずべき行為が日常化した原因は、金拝主義に落ちた宗教界・知識の詰め込みの教育界の責任はより重大だ。日本人で唯一の政治哲学を持った人物は西郷隆盛だと司馬遼太郎の言葉にあった。と朧な記憶がある。西郷隆盛の啓天愛人の言葉も聞こえなくなった・・・・・ボケ老人の戯言が始まった・・・