9月14日早朝祖母は逝きました
逝く前日『上に行きます』と言ったそうです
祖母と母は実の親子ながら仲の悪い親子で
私はその板挟みになり、子供の頃はとてもキツかった
大人になってからも、家を守る事を求められているのが分かっていたので
その気持ちに期待に応えるのが辛くて距離を置いていました
施設へ入るようになって帰り際に泣かれたりするのが辛くて、あまり行かなかった
本当に最晩年は1週間程度だけど実家で一緒にいる事が出来ました
『ずーーーーっとずーーーーーーーっと元気でね』
私に向けられた最後の言葉でした
私のことをとても心配していたそうです
おばあちゃん、最後の最後まで心配してくれてありがとう
ごめん。ずっと祖母不幸な孫で、本当にごめん
葬儀で他人様から聞く祖母の話が、私の祖母像と合わない事が多く
一体私は祖母の何を見ていたんだろう?祖母ってどんな人だったのんだろう?
そう思いながら、メモリアルスペースを作っていた
色眼鏡で祖母を見ず、もっと本質を見ることが出来れば
こんな事にはならなかったのでは?
ごめん、おばあちゃん。
あっちでたくさん文句を聞くから、今しばらく、私が逝くまで待っていてください
どんなに長生きしたとしても
やはり身近な人の死はキツイです
それでも残された者は懸命に生きて行くしかないんだなぁ