母親が亡くなって13回忌を迎えた!所属団体での会議が終わり有志で飲みに行こうとしてた矢先の入院先からの訃報だった!あれから13年も経つのかぁ~?景気が低迷し、仕事が決まらなくなり、運転資金が借金となって残り、金融機関からの督促から逃げ回り、副業先の門を叩き、今となってはパワハラとも言える指導にも堪えて、役職を頂き現在の自分がいる!それなりに人生を積み重ねてきたつもりである!
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亡くなった人は早く感じますね 我が家も親父の七回忌を執り行いました
自分も20数年前に大怪我をして 歩けなくなる一歩手前まで行った時には
人生終わった気がしました 奇跡的に社会復帰できてからは
辛いことが有ると当時を思い出して この20年間乗り切れたと思います
いろんなひとに励まされ 時には助けられて 人間のつながりって大事だと実感しました
親が居なくなってありがたみがわかると 昔から言われてます 全くそのとおりですね
居るときは 時にはうるせえ爺だな~ なんて思うときも有りましたが
やっぱり実の父ですよ 人間は一人では大きくなれないんですね
ですので 自分も父親になってからは 子供にわかってもらえなくても
出来る限りの愛情を注いでいます 血は争えないって 昔の人は良く行ったもんですよ
そしてその度に、口論になる始末!因果は学生時代から続いてますからね!
建築設計業界に行く条件として、「建築全般が出来るから設計者と呼ばれるんだ」と言われ、勉強だけでは
覚えられないと現場で職人の道具を勝手に借りては、見よう見まねでやり方を覚え、道具を壊して職人に
怒られたり、逆に、設計者なのに現場肌だなぁ~と職人に好かれたりと経験積んだ挙句に、知った事は
うちの親父みたいな堅気の職人じゃ、世の中通らない時代になったと言うことですかね!
その癖、かなの道具を借りては自分の工具箱に仕舞い込んだり(この年代、非常に多いです)、
難しい事を言うと「俺は大工しかやってきていねぇ~から、そんなの言われてもわからねぇ~んだよ」と
逆切れするし・・・今の若い奴は、若い奴は、・・・も口癖だし、だからお互いに口をきかなくなっていくんです。