桜の季節になりました。
職場では、別れの挨拶をする人と、新入の挨拶をする人が、1日違いで訪れる。
私も新入の人達を背に学校を退職した。
7教科分の授業準備の為のシラバスを作り、教案も作り終え、パワーポイントでほぼ前期分の見通しをつけた。
しかし、パワーポイントやビデオが使える学科内の視聴覚室の使用が時間割で6教科分ができなくなった。
脊柱管狭窄症の為、板書をするには、立ち続けなければならない。背中のそりは腰痛下肢痛がひどくなってしまう。
休憩を挟んだ90分4コマ連続授業もあり、この環境では仕事の継続は無理である。
他の教室で授業をするには、ノートPCと視聴覚機器の4台分の貸し出しがあるが、教員間で調整が必要である。
仮に借りれても、機器を運ぶための重量と手段が私の障害では能力の限界を超える。
昨年度は教室割当担当が、私の障害に気遣い、最優先に学科内視聴覚室を割り当ててくれた。
今年度は学年が増えて、非常勤講師などの視聴覚関連の授業が増えた。
偶然にも私の授業と視聴覚関連の時間割が抱き合わせになった。
私の障害を承知の上で、学科長が時間割を作り、内科や神経眼科などは画像が大切なので、そちらが優先だからと言う。
確かに、教員150名以上に視聴覚室5室と設備機器4台では絶対数が足りない。
仕方がないので、紙資料でも可能なように、ノートやワード資料に切替え準備もしていた。
学科内の教員が1年以内に次々と辞め、4月に産休に入る1人を除いては、学科長と私だけしか専任は残らない事態となった。
微力だが、精一杯頑張ろうと張り切っていたが、欠員分の業務も引き継げとの業務命令が出た。
エクセルで備品消耗品在庫管理や℡での修理依頼は簡単にできるが、重い機器の点検作業などは、身体に負担がかかるし、あてる時間が足りない。
学科長は「教員が少ないので業務を増やす」「週に4日しか出勤しないのはずるい」と言い続けていた。
今年度からはポリタンクに大量の水を入れる教務のお茶当番の仕事まで割り当てられた。
年6回の担当だが、私にはポリタンクを持ち上げる重量が障害を悪化させる原因となる。
契約は、前年度同様の4日出勤であったが、中身は日曜のみ休日と改悪した書類に判を押せと学科長に言われた。
直接、管理に指摘して、前年の契約と同じに訂正をしてもらった。
学科長は「契約で文句を言うのは、全職員であなたぐらいよ!」と言う。
このままでは身体と心が持たないと思い、授業の始まる前に私も職場に別れを告げた。。
職場では、別れの挨拶をする人と、新入の挨拶をする人が、1日違いで訪れる。
私も新入の人達を背に学校を退職した。
7教科分の授業準備の為のシラバスを作り、教案も作り終え、パワーポイントでほぼ前期分の見通しをつけた。
しかし、パワーポイントやビデオが使える学科内の視聴覚室の使用が時間割で6教科分ができなくなった。
脊柱管狭窄症の為、板書をするには、立ち続けなければならない。背中のそりは腰痛下肢痛がひどくなってしまう。
休憩を挟んだ90分4コマ連続授業もあり、この環境では仕事の継続は無理である。
他の教室で授業をするには、ノートPCと視聴覚機器の4台分の貸し出しがあるが、教員間で調整が必要である。
仮に借りれても、機器を運ぶための重量と手段が私の障害では能力の限界を超える。
昨年度は教室割当担当が、私の障害に気遣い、最優先に学科内視聴覚室を割り当ててくれた。
今年度は学年が増えて、非常勤講師などの視聴覚関連の授業が増えた。
偶然にも私の授業と視聴覚関連の時間割が抱き合わせになった。
私の障害を承知の上で、学科長が時間割を作り、内科や神経眼科などは画像が大切なので、そちらが優先だからと言う。
確かに、教員150名以上に視聴覚室5室と設備機器4台では絶対数が足りない。
仕方がないので、紙資料でも可能なように、ノートやワード資料に切替え準備もしていた。
学科内の教員が1年以内に次々と辞め、4月に産休に入る1人を除いては、学科長と私だけしか専任は残らない事態となった。
微力だが、精一杯頑張ろうと張り切っていたが、欠員分の業務も引き継げとの業務命令が出た。
エクセルで備品消耗品在庫管理や℡での修理依頼は簡単にできるが、重い機器の点検作業などは、身体に負担がかかるし、あてる時間が足りない。
学科長は「教員が少ないので業務を増やす」「週に4日しか出勤しないのはずるい」と言い続けていた。
今年度からはポリタンクに大量の水を入れる教務のお茶当番の仕事まで割り当てられた。
年6回の担当だが、私にはポリタンクを持ち上げる重量が障害を悪化させる原因となる。
契約は、前年度同様の4日出勤であったが、中身は日曜のみ休日と改悪した書類に判を押せと学科長に言われた。
直接、管理に指摘して、前年の契約と同じに訂正をしてもらった。
学科長は「契約で文句を言うのは、全職員であなたぐらいよ!」と言う。
このままでは身体と心が持たないと思い、授業の始まる前に私も職場に別れを告げた。。