生活環境

身の周りの生活環境は情報や知識・経験でどうにでも変化します。心の豊かさを求めて・・・

2012-10-08 20:19:57 | 徒然
サンパウロ州近郊で、今のところ無事に過ごしている。
在伯1年を過ぎて、やっと、生活にも慣れてきた。
生活の見通しもつき、最近は、毎月旅に出ている。
7月はキロンボ温泉に1泊して温泉と田舎を楽しんだ。バスで片道約450kmの旅。
中旬はサンタカタリーナ州フロリアノポリスに空の旅。4泊5日の海岸の豪華なホテル。
8月はリオプレット温泉に1泊。バスで片道600kmの旅。沿道にはトヨタなど散見。
月末には、イツやソロカバ、前田ホテルに2泊し、USP農学部の学長室訪問。
9月はプエルトイグアスに空の旅。3泊4日。ブラジル側とアルゼンチン側から滝観光。
10月は首都ブラジリア・マラニョン州サンルイス市・ゴイアス州アナポリスに空の旅。
レンソイス・マラニェンセス国立公園にはバスで片道250kmの旅。白い砂漠ツアーはジープで40分。ゆったりした川下りで大自然を満喫。
何しろブラジルは広い。日本の23倍の広さ。サンパウロ州だけで日本の国土と同じ。
あと、半年で、ブラジル国内のどこまで旅ができるか。
11月はアルゼンチン、ブエノスアイレスに日本語学校訪問。
12月はアルゼンチン、パタゴニアで氷河ツアーを予定している。


お手伝いさん

2011-11-23 21:17:29 | 徒然
お手伝いのマリアさんが月に一度、100坪くらいの家中を隈なく大掃除してくれる。
主寝室(12畳位)と洗面室とジャグジーバスルームとウオーキングクローゼット(8畳)
3ベッドルーム+トイレシャワー・居間(20畳以上)・書斎=食堂(12畳位)
台所・洗濯室(6畳)・アイロン室=女中室(4畳位)
ただし、家具がないことと2人だけの生活なので、ほとんどの部屋は使用していない。
広すぎて1日がかりの掃除になるが、ピカピカに磨く。
木の床やタイルの床も全て洗濯用の粉石けんで磨くのがびっくり。全て水で洗浄する。
タオルモップで、さっとふき取る技術がすごい!
家の周りも、水道の蛇口に付けたホースですべて洗う。
1回100R$[5000円位)を支払う。毎週と言われたが、支払い能力が私達にはないので月1回にしてもらう。
国民の平均賃金が月7万円位か?最低賃金が500R$(25000円位)
この家の家賃で国民平均給料分が出てしまうのが痛手。
地方都市なので、防犯上、これくらいの構えでないと危険なのでしかたがない。
最近、地方の日系人村で、頻繁に強盗に襲われて、ピストルで自己防衛した60代の日系男性が強盗に射殺された。
村人は「被害にあっても警察は助けてくれない」と新聞記事にあった。
マリアさんも、この敷地で郵便局の職員を騙った強盗に昨年襲われて、けがをしている。
敷地内の2軒の金品の被害で済んだ。命は助かった。
その後は、制服を着ている人でも絶対に門を開けないで。扉越しに応対をしている。
24時間の防犯ビデオと高圧線と高い塀と、各自の緊張が命を守っている。

任地について4か月

2011-11-23 20:17:47 | 徒然
地球の裏側についてから5か月弱、任地には4か月、無事に過ごしている。
サンパウロから40kmの田舎で、日系の方々のお世話になりながら生活している。
今日は夫の巡回指導の中間発表の講演が午後行われる。60名の会員が参加予定。

朝、お弁当を詰めながら、皆さんのおかげで生活ができると心から感謝。
お米は弥勒米という(日本のあきたこまち)ウルグァイ産の極上米、サンパウロでお隣の奥さんが買ってきてくれた。
いりびたしの菊じしゃはお隣のご主人が、昨日、自分の畑から採ってきてくれた。炊飯飲料の井戸水も運んでくれる。
梅干しは、任地の世話役の顧問が、夫が熱を出した時に届けてくれたもの。
韓国のりは、私が発熱時、副会長が米国旅行の直前にも関わらず1日がかりで病院送迎してくれ、その帰国後のお土産。
ミニトマトは、職場の技師(ブラジル人)が昨日「無農薬だから」と夫にくれたもの。
ピーマンの肉詰めは、ひき肉(モイーダ)という2度引きの牛肉の買い方をお隣の奥さんから教えてもらっって買えた。

食生活は充実し、日本の放射能汚染の心配で、新鮮野菜が手に入れにくい娘たちに、近ければ分けてあげたいほどの豊富な、贅沢な毎日を送っている。

感謝・感謝

ブラジルの洗濯機

2011-09-21 21:57:45 | 徒然
豪邸に入居して1か月間、洗濯は洗濯室ですべて手洗いの、結構大変な生活をしていた。
見かねたお隣さんが、シーツなど大きな洗濯物は、お手伝いさんが来る月1回の時、洗濯機を使うように言ってくれた。
任地先の世話人が「50年前なら手洗いもしかたがないが、今は使用人でも皆、洗濯機を持っている
2年間の任期なので我慢しているのなら、事務所で購入して任期後は事務所で使おう」ということになった。
9月1日に洗濯機(continental)が届いた。設置はその分の料金を払っていないので自分で行う。
この地での洗濯機は初めてなのでパンフレットとメモを片手に洗濯開始。
2回すすぎの75分コースを選びスタート。
すざまじい轟音と踊る洗濯機!半端ではない!6畳ほどの洗濯室をおさえないと移動しそう。
3分洗い8分つけ置きを4回繰り返し、20分脱水と排水を繰り返す。
確かに、注水から脱水までの内容は75分。
しかし、しかし、途中の作業に移る時間が半端ではない。
何十分も待機時間があり、洗濯完了までに4時間かかる。
心配になり、花祭りの会場やご近所の日系人に確認すると3~4時間はかかるので故障ではないらしい。
ネットでも調べると「ブラジルの洗濯機は踊る!轟音すざまじい」とあった。
長い間、伯国は国内の製品を守るために、他国の製品を入れず、競争がないため品質粗悪品なのである。
今は、洗濯・すすぎは再び手洗いで、脱水のみに使用中である。
パナソニックの洗濯機が伯国に上陸というが高いらしい。日本なら50分あれば充分で、静かなのに。
「ご厚意で、これを買ってもらったので我慢」
2年後に事務所で使用するときは大変だろう・・・・

ミス プリマベーラ コンテスト

2011-09-09 07:29:15 | 徒然
第20回アルジャの花祭りが
8月中旬から9月初旬まで開かれた。
年に1度週末のみの開催で3万人が入場した。サンパウロ州の花の3大祭りという。
初日の2日間は、氷雨・豪雨・気温は6度前後とさんざんだった。
日本から持参したホッカイロをコートのポケットに忍ばせてガタガタと震えていた。
「春の女王コンテスト」会場のなんと審査委員席へ!
今回主催者の特別の配慮で著名人6人と一緒に審査委員を拝命した。
日系3世4世の16歳から20歳代までの出場者たちはビキニの水着で舞台に立つ。
テレビ&ラジオや満員の観客の前で、堂々と若者は審査委員席を見つめる。
採点は容姿端麗・知的な会話・気品、やファッションセンスなど項目があり、10点満点。
ダントツで生物学専攻希望の16歳の学生がグランプリとなる。
医学専攻の16歳とモデルと秘書の3名が入賞した。
驚いたのは臍ピアスや肩や腰に入れ墨のある子供も入賞する。
さすがに女王はそのようなことはなく、品格のある女性であった。
審査委員は皆、ガタガタ震え、ボールペンは指がかじかんで動かない。
しかし、彼女たちは動じない。若さ万歳。
夫は花の審査委員をやはり、数名の専門家とオープニングで行っていた。
国会議員や市長、地元の有力者や著名人が一堂に集まり、一人一人に挨拶をしたが名前は・・・
滞在1か月とわずかの間に、貴重な楽しい体験であった。



任地に到着

2011-08-12 21:53:07 | 徒然
7月末にサンパウロから40km弱の任地に到着しました。
住居は、町を見渡せる高台。
高い塀に高圧線と4台の監視カメラと24時間のセキュリティーシステム。
窓のすべてにセンサー着きの4ベッドルーム。すべてトイレシャワー付き。
主寝室には太陽熱のバスルーム完備。20畳くらいの居間と書斎のような部屋。
キッチンと洗濯室。広くて毎日掃除が大変。しかし、ほとんど家具はない・・・
庭にはブーゲンビリアやカトレア・デンドロ・オンシジュームが咲いている。
昨日より、ガレージの前に藤の花が咲き始めた。気温は14度から25度位。
風はすがすがしく日差しは強い。標高700mで空気はきれい。
急坂[30度)の悪路だが車の往来は少なく、いろいろな鳥がさえずる。
新鮮な葉物野菜の差し入れや、豪華なシンビジューム大鉢の差し入れがある。
申し込みから2週間で電話が入り、SKYTVが1昨日入った。
肝心のインターネットは1か月かかるとのこと。今はVIVOを借りて投稿している。
ブラジル日系社会の人々はとても親切です。感謝

地球のうらがわ

2011-07-14 02:47:13 | 徒然
今朝は暑い。21度ある。コートではなくジャケットにする。
毎朝、サンパウロ新聞をネットで見ながら一日の天気を知る。
今日は最低気温13度最高気温28度。何日か前には霜害で穀物の被害があったそうだ。
こちらに来て、8日が過ぎ、日本総領事館や連邦警察へと忙しい。

昨日は身分証明取得のため、7時50分に連邦警察の受付をチェックインした。
同時に受付した夫は3時間後の11時に指紋採取や顔写真撮影など手続きが完了する。
その後、業務が停滞し始めた。
フロアーには何百人と人があふれている。
私は待つこと10時間半後の18時30分過ぎに手続きが完了した。

これがブラジル時間である。だれも悪びれない。
オペレーションズリサーチなどあったものではない。
受付したパスポートを、順番にせずに、サイン執行職員数名のところへ山ずみする。
途中で職員が席を何時間か離れてしまう。その中に朝一番から並んだ列が巻き込まれる。
席に戻った職員は18時半であったのか、私の後ろはわずか50人程度になったが・・・。
朝の受付時は6番位であったから、数百名が私の前に手続きを終え帰ったことになる。
それでも、まだましで、書類や顔写真が他人とまちがえて渡された人も後回しで残されていた。

呪文のように「Quanto tempo leva ?」=「あとどれだけ待つのですか?」を唱え、
入室と同時にサイン執行者に 「eu esperard dez horas」と文法はおかまいなしにつぶやいた。
彼は 「え~ 10時間も~」とポルトガル語で言った。

時間にルーズなBRASILは、サッカーやオリンピックなど国際大会は大丈夫なのか?

寿

2011-06-24 19:49:11 | 徒然
6月はおめでたいことが続いた。
我が家では娘が結婚し、亡き義兄の忘れ形見の甥も続いて結婚した。
今風の結婚で、地味婚ではあるが、お互いを大切に思いやり、寄り添っている姿はほほえましい。
幸多かれと心から祈っている。
悲しい出来事、不安な出来事が多い中で、とても嬉しい。

渡航の為の予防接種

2011-05-12 23:46:02 | 徒然
4月にB型肝炎と破傷風、A型肝炎と狂犬病の第1回接種を1週間あけて行った。
4週間あけて5月にB型肝炎と破傷風、A型肝炎と狂犬病の第2回接種を行う。
そして黄熱病の予防接種の予定もある。
こんなに続けて接種して身体が大丈夫かと心配している。
お腹が弱いので下痢が続き、少しダイエットに効果がでている。
最近、腰と右足の痛みが再発している。
移動距離が長いためか?不安の為か。
注射のために千葉駅から東京駅八重洲口まで痛勤する。
夫の海外赴任に随伴予定。
治安が悪いので無事に帰ってこれるか心配。



被災

2011-04-09 10:45:23 | 徒然
3月に大変な災害が起こりました。
毎日TVを見ながら涙があふれます。
私が鉄門講堂で医学部長からの修了証をいただいた数日後の震災。
夫は病院地下の歯科で抜歯直後の止血中のできごと。
長女は東京で帰宅難民。ビルの壁にクラークが入った。翌日祖父の家に帰宅する。
次女は茨城で帰宅難民、往復4時間かけて迎えに行ってくれた婚約者。
彼は東海村近くの病院に1年間派遣されている研修医。
震災後から毎日小さなおにぎり2個と1本のペットボトルを2人で分け、彼は連日連夜、病院で医療に従事していた。
地域は水道も電気もガスもストップ。ガソリンもない。食料も店の棚から消えた。
余震と原発の報道の続く茨城で次女はひとりで心細く留守番をしていた。
携帯がやっと繋がり「お風呂にはいれない。水や食べ物がない。ガソリンがなく帰れない」と。
震災5日目に、夫はやっと代車にガソリンの満タンを確認して茨城に向かった。
炊いたばかりのご飯をおにぎりにして、彼の好物のコロッケをラップで個包装して、水を袋に入れて家にある食料を車に積んで土浦まで行った。
彼は当直明けなのに、やっとガソリンを調達して土浦まで娘を送ってくれた。
何時間もかけて、眠いのに、危険な中を夫と婚約者は娘を保護してくれた。
「当直している医者なのだから病院のお風呂に入らせてもらえば?」「給食をもっともらえば?」などという母親のエゴにたいして「みんな大変な思いをしているから」「患者さんが主だからそんなわけにはいかない」「若いうちに体験できて今後の医療に役立つとお互いに話していた」と娘は淡々と言う。
心配していたが、二人は今後の医療者としての姿勢は大丈夫と確信した。
彼は茨城の研修任期を終え、この4月からは御茶ノ水に戻った。