生活環境

身の周りの生活環境は情報や知識・経験でどうにでも変化します。心の豊かさを求めて・・・

感謝

2009-03-29 13:14:18 | 医療介護福祉
一昨日、特養側から夫に今後の対応について主治医と相談してほしいと言われた。
急遽、後3日で定年退職の勤務を休み、主治医と施設側看護師と医療相談をした。
このまま衰弱すれば胃婁造設になる。しかし、胃婁でも療養型施設に入る医療行為は必要としないと言われた。
経口摂取ができれば、尊厳のある生命維持ができる。
休日に、昼夜付き添っている夫も疲労が溜まっている。
今日は、三越まで、義母の為に両口屋の和菓子を買いに行き昼食介助に遅れた。
先程メールで「昼食を完食した」と連絡があった。
体調に波はあるが、介護スタッフのお世話で食事が摂れたとのこと。
メールを見ながら涙がでた。
ありがとうございます。

昨日放映されていた放送大学の「技術者の倫理」の項目を思いだしながら・・・


保育

2009-03-27 12:37:29 | 医療介護福祉
25年前の保育所のこと。
長女を産休明けに職場保育所に預けた。
乳児院出身の保母さんがチーフで、他の職員は無資格であった。
勤務を終えて保育所に迎えに行くと「大匙3杯白湯を飲んで後は寝ていました」
7月の夏日、脱水を起こしたら大変、帰宅して顔を見るとミルクが耳の中で固まっている。
保育所の職員は、ミルクの飲みが悪いので、バスタオルを丸めて4か月の長女の口に哺乳瓶を立てかけて寝かせていた。
私は勤務の後、夜中に長女を抱っこひもで支えながら授乳やミルクを日中の分を飲ませていた。
柱に寄りかかりながら立ち続けたり、壁に寄りかかりながら赤子の相手をしていた。数か月で白髪がめだつようになった。
職を辞めて育児に専念しようと考えたが、職場では私を必要としてくれた。
職場の女性の労働組合委員長が職場組織に掛け合って有資格者の保母さんを定数化してくれた。
その時採用された保母責任者は、公的保育所で働いていた優秀な女性であった。
その後からは、保母さんが乳児を抱っこしてミルクを飲ませるようになった。
住んでいた世帯寮の上階とお向かいと下階の乳児3人が、その年に1歳までに亡くなっていた。
3人とも出産直後や誕生日前後に亡くなって、保育所とは無関係であるが、同じ階8世帯で5人中2人しか生存しなかった。
保護者として、子育てに、おおらかな気持ちにはなれない。
手のかかる子は手のかかるように時間をかける。常に気にかける。
主任の保母さんの高度な知識と保育技術で娘は生き延びた。
あれから25年経っても年賀状の挨拶は欠かさない。こころから感謝している。
施設内は密室であり、プロとしての倫理観が必要である。

1月に東大で特養老人ホームのセンター長の医師が講演で言った。
モンスターペイシェント家族と思っていた人の言葉にハッとさせられた。
「私達しか、この人を守ってあげれないのです!」
それからは、職員が意識を変え、当事者の為にはと常に情報共有に努めた。
亡くなられて施設を去る時、家族から「ありがとうございました」と挨拶をされたとき、とても重みのある挨拶だったと。
医師はその家族に、自分が運営責任者としてとても感謝しているとも言った。
トップの姿勢で中身がかわる。
赤子も、高齢者も、弱者が最優先に保護されるべきなのだ。



人の手

2009-03-26 22:31:05 | 医療介護福祉
特養ホームで摂食しないと言われるが義母を放置すると生命維持ができない。
昨日は義母の介助に二女が行った。
いつもは、父親の車に同乗して行っていたが、初めて電車で向かった。
不便な所に施設はあるが、夜は、父親が自分の送別会で娘を迎えに行けない。
駅に着いたら、タクシー利用を勧めていたが徒歩で行くと言っていた。
体調の悪い長女が、妹が無事に着いたか、帰ってこれるかしきりに心配している。
何かあってもいけないので、二女が無事に帰れるように夕方6時に迎えに行った。
二女は昼食もとらず、夜8時すぎまで特養ホームで祖母の為に、経口摂食介助や、口腔衛生、座位保持などをしてくれた。
帰りのタクシーで娘に様子を聞くと、駅から施設まで徒歩で向かったが、道なき道を歩いたようだ。
その時の、踏み切りのない線路を渡った怖さや、藪道を地図を頼りに、やっとたどり着いたと語っていた。
義母の様子は、昼に持参したスティックチーズ3本エンシュア250を200CC飲んだ。午後の入浴の為か、夜はショートケーキ1/経口摂取がやっとだった。
歯学部で口腔衛生を学んである二女は、祖母の口を開け、上手に義歯や口腔内の保清をしていた。
私はもっぱら、耳垢や眼脂の清拭に専念した。

マンションに帰ると、長女はグラタンや鶏の水炊きなどを用意していた。
長女は熱があり、身体の痛みもあり、扁桃腺やリンパに炎症も起こしていたが、体調を我慢して調理をしていた。
父親と同様に、我が身より、常に妹を気遣う姉である。

今日は私が義母の所に昼の介助に行った。タクシーがなかなか来なかったので15分遅れた。
食膳を前にして、ひとり車椅子上で上体を屈曲してうつむいていた。傍には職員はいなかった。
朝にポカリと味噌汁を飲み、昼前にエンシュア250を看護師が飲ませてくれたとの説明があった。
車椅子を後方に傾けながら、上体を反らし、紫色になった手指をマッサージしたら起きた。
持参したカスタードプリン・クリームチーズケーキ・ジョアで430Kcal分美味しそうに食べた。
給食の人参ゼリー小鉢全部とポタージュスープ6割とブロッコリー入りペースト3さじを食べた。
薬も飲んだ。紅茶を含んだ。タイミングがあえば沢山食べられる。
女性介護職員が、途中から座位保持を手伝ってくれた。
口腔衛生をしてくれた時、うがいの水を3回とも飲んでしまったが水分補充になった。
その際義歯を洗浄している女性スタッフの後足に義母は指先でちょっかいをかけていた。
CDで童謡を皆と一緒に聞いて楽しんだ。一度、口の中で歌っているようであった。
排泄介助の際を、室内に入り、そっと見学した。
女性スタッフにおとなしく体幹をまかせていた。
靴を履かせたままベッドに移乗させたのは意外であった。腰の右に縦に5cm位の遠目にも見える茶色い傷跡があった。
雨雲がでてきたので3時に暇を取り廊下に出たが、エレベーターまで歩くことができず、長椅子で横たわった。
座ると腰が揺れて、下肢の冷感と歩行障害で帰路はとても厳しかった。

夜は夫の介助で義母は副食を食べ、水分補充もできたと聞き、嬉しかった。
人手があれば経口摂取は可能で、放置すれば生命維持が脅かされる。
皆さんのお陰で、基礎代謝に必要な栄養が経口で摂れて、尊厳のある生命維持ができる。


長女の誕生日

2009-03-24 09:59:32 | 食生活
昨夕は、夫が義母の様子を見に行った。今日は二女が行く予定。
高栄養ドリンクを200cc飲んだとの事。傾眠が続く。
二女は、一昨日の介助の際、祖母がニコッと笑って「こんなにしてくれて・・・」と口ごもっていた。と言う。
家族が共有する愛を感じる。長女も自分の体調が悪い事を忘れて祖母の心配をしている。
夫が帰宅した夜8時半すぎにマンションで長女の誕生日を祝った。
東京に行けず、センシティビル「海燕亭」を予約してあったがキャンセルしていた。
長女の健康回復を祈って赤飯となだ万の料理と東京会館のケーキを用意した。
赤飯はもち米と白米2対1の割合で、ささげの代わりにあずきを固めに煮て炊飯器で炊いた。
今回も上手に炊けて夫が「美味しい」と言ってくれた。
なだ万の料理は30種(?)のオードブル。卵焼きと鰯の煮付と鴨のローストが美味であった。
一流と言われる料亭の味を、娘たちに知ってもらいたかったので購入したが、自宅の味のほうが美味かな?
温かい汁物や冷蔵庫に残っていた里芋とさつま揚げを煮たり、野菜サラダも用意した。
ケーキはホールを購入せず、4種を味わい、どれも美味しかった。
二女が4分割したので物足りなかったがメタボの親には最良の選択と思う。

4月に落ち着いたら、夫の定年退職の慰労会を外食でしようと思う。



WBC観戦

2009-03-23 09:35:50 | 芸術鑑賞娯楽
外は突風。
今日は義母の食事介助に向かう予定であったが風が強い。
昨晩は、夫と二女が介助についてくれた。和菓子とお茶と味噌汁を食べたとの事。
しかたがないが、瞬間強風に恐れをなして自宅で過ごすことにする。
TVで日本対米国の野球観戦か、文献整理にあてるか。することは山ほどある。
夫にもうしわけないが、タクシー乗降までの間、風に押されて転倒などと思うと屋外歩行の自信がない。
私は、たよりにも、あてにもならない奥さんである。

東京マラソン2009

2009-03-22 14:08:27 | 医療介護福祉
明け方に、右足の付け根が痛くて目が覚めた。歩くとふくらはぎが張る。
義母の経口摂取介助に夫と一緒に行く予定であったが今日は諦めた。
義母は、昨日の昼食も眠っていたが、定期入浴を実行してもらい、さっぱりした。
夕食は、夫の介助で、副食の肉料理やポカリスエットの飲食を経口ですることが再度可能になった。
母親を思う夫の気持ちが通じたのか。今日はどうであろうか?

TVで「東京マラソン2009」を中継していた。
10年前に私の左膝内腫瘍摘出術をしてくれた整形外科医が参加しているはず!
今年の年賀状に、ホノルルマラソンや東京マラソンにチャレンジと書いてあった。
物凄い参加人数で、日本の3本指に入る関節内視鏡のスポーツDrの姿は分からない。
「先生がんばれ!」「中高年がんばれ!」心の中で頑張っている人達を応援している。

お彼岸だけど。

2009-03-21 14:23:38 | 医療介護福祉
毎年お彼岸には、夫が実家の墓参りに連れて行ってくれる。
今回は義母の様子が心配で千葉を離れられない。
私が食事介助に通っていた後は、摂食が可能となり安心していたが、
今週、送別会などで夫が面会に行けなかった2日間後から食事を経口しないと言う。
一昨日は、夫と二女がつきっきりだったが車椅子上で眠ったままと言う。
口をくいしばり、手や腕は固くこわばっていて寝ているはずが弛緩はしていない。
恐怖心が強く、手がかかるので、放置させられることも多いとのこと。
今週は妹の来日や、兄の墓参り、東京の家で長女の誕生日祝いなども予定していた。
すべてキャンセルとなった。
せめてもと、あずきをてんさい糖で煮て、もち米と米を3対1の割合で炊き、ぼたもちを作った。
自分で言うのも変だが、あんの味も品よく、餅ごはんがとても美味しくできた。
沢山作ったが、食べる家族は閉口のようだ。
義父は餡物が好物なのだが東京に持参できない。
平日は義母の様子を私が見に行く予定だが、まだ体調に自信がない。
夫は定年まであと10日。何とか無事に仕事を終えてほしい。
中高年の私達は、まだまだ頑張らねば!

ワークショップ

2009-03-15 18:48:47 | 医療介護福祉
東大グローバルCOE「死生学の展開と組織化」主催の「生殖と死の生命倫理」のワークショップに昨日は参加した。
体調は最悪であったが、夫が会場の法文1号館まで車で送ってくれた。
私の過去23年間の仕事と、現在の研究課題である周産期医療の生命医療倫理に関する興味あるワークショップである。
島薗東大大学院人文社会系研究科教授の開会の辞があった。
第一セッションは「子づくりをめぐる文化と倫理」と題していのちの始まりの倫理を考える。
①「血縁をめぐる歴史ー柳田國男の思想から」日本政治思想史石川特任研究員
②「周産期医療における遺伝病問題興隆の歴史」社会学土屋特任研究員
③「代理母懐胎をめぐるメディア分析」社会学柳原特任研究員
コメンテーター東大大学院人文社会系研究科赤川学准教授
司会は社会学山崎浩司特任講師
第二セッションは「ドナー側からみた脳死・臓器移植問題」と題していのちの終わりの倫理を考える。
①「脳死の二重基準の臨床上の意味」医療社会学医療倫理学会田薫子特任研究員
②「ドネーションの史的背景」医療史・医療社会学香西豊子特任研究員
③「患者/家族の領分、専門家の領分、国家機関の領分」弁護士で東大大学院医学系研究科児玉安司客員教授
コメンテーター臨床死生学・倫理学清水哲郎教授
司会は法学土屋裕子特任研究員
総合司会は東大大学院人文社会系研究科社会学佐藤健二教授であった。

家族とは何か=親しい人の幸せを願う。
優性とは何か=階級的な不安・効果論?
なぜ子供がほしいか?自己存在の根源として不安を和らげるものなのでは。
生殖の倫理は一人称では成り立たない。死生学は一人称の倫理で考える。
先祖・子孫と言う幻想。4代前後には忘れ去られる。誰でも皆 only one
脳死二重基準と延命治療は1月に医学系研究科生命医療倫理の研修でも話し合った内容だ。
科学技術の公共性を問う。
どの研究も参考になり、多角的に考えることができた。
特に児玉教授の、信頼とは、情報のデスクロージャー。
健全な専門家集団の知識を一元化し、情報格差を無くし信頼に繋げる。
我が意を得たりの感であった!

5時間以上長時間の研究会で、右下肢は痙攣し、足を延ばしたりさすったりと大変であった。
隣席の化学技術戦略が専門と言う、熱心な男性の独り言で眠くはならなかった。
いつも和服姿の松戸市立病院の救急専門医や,CBEL同期の女性麻酔科医も参加していた。
夫は東大構内で辛抱強く待ち、帰路も助けてくれた。心から感謝している。

確定申告の時期

2009-03-13 20:59:54 | 医療介護福祉
1週間の室内安静でずいぶん体調は良くなった。
雨が降る前にと久しぶりに郵便局とマーケットに出かけた。
リハビリ訓練と思い、徒歩で向かったが、足が重く腰に来る。まだ厳しい。
広い空間は車椅子でないと移動ができないが、せめて近所は自分の足で移動したい。

義母の医療介護費が高額の為、集計をして確定申告の準備をしてあった。
電話で、義父の企業年金額が変更になったと聞き、その額をパソコン入力した。
今日やっと源泉徴収票を郵送してもらい確認すると変更はなかった。
電話でなんども確認したが「今年は減った」と言う。
じかに葉書を見てもらったが「確かだ」と言う。
電話で聞いた額を入力して印刷をしてあった。
結局、今日の葉書を見て申告書の訂正をしなければならない。
義父に言うと「ははぁ、そうだったかね~」と答え、こちらも「はぁ~」と言う。

娘は今週は2度も専門病院を受診している。
細胞やMRIの診断結果が二転三転している医師の言葉を娘は不信に思っている。
今日は、夫が娘と一緒に、医師の説明を聞いている。
昨年暮れに専門病院に入院し、研修医が摂った細胞が診断材料にならなかったらしい。
細胞を取る時、非常に痛くてずいぶん出血をしたことは娘から聞いている。
確かな技術で、早く確定診断をして安心させてほしい。

年度末は実母の有料老人ホームの保証人更新手続きの時機である。
身元引受保証人を8年間私がしていたが、これからは弟にしてほしいと伝えた。
実家の弟が社会通念上、身元引受人になるのは当たり前の事と思う。
実母の部屋には孫(弟の子供)の写真だけがたくさん飾ってある。
母親の事は気になるが、役割分担もしかたがない。
嫁に行った立場の私は高齢の舅・姑・娘の保護責任がある。
60歳を過ぎた夫は、兄弟がいないので、なお辛い。

FMでバリトン歌手チェ・ヒョンスさんが石川啄木の「初恋」を歌っている。
のびやかな歌声に、とても穏やかな気持ちになる。







昼夜逆転現象

2009-03-06 11:50:46 | 医療介護福祉
昨日まで3日間下肢腰痛が続き、2日間は安静にしていた。
夫から義母が、昨日も朝食昼食を摂らず夕食は食べたと連絡が入った。
昨日も、腰痛が酷く辛かったが、タクシーで特養ホームに向かった。
義母は車椅子上で寝ていた。朝も食べなかったと言われた。
昼夜逆転現象で、昼食時に起こすが眠くて仕方がないようだ。
持参したプチダノンやヨーグルトを5さじ程度とみかん缶のシロップやスープを飲むだけで眠ってしまう。

日中、ベッドにいつまでも寝かせたままの状態も多い事を、夫から聞いている。
ベッドに寝かせて胃婁造設していれば介護する側は確かに楽になるであろう。
靴を逆に履かせられたり、介護放置されても、最後まで口で食べる楽しみだけは奪われたくない。
手が掛かるから要介護5。手を掛けてもらえない辛い叫びが奇声なのだ。

今日の男性介護者は、責任者らしく忙しそうに人一倍働いているベテラン。
各居室の掃除もこなしている。施設側は、彼の時間を全体の介護把握にあててほしい。
彼は、率先して大変な仕事をこなし、よく働く。
できたら、洗面所や流しの汚れや居室の埃は他の専従にさせたい。
介護福祉士には、本来の介護に専念させたい。
夕食から皆と同じテーブルで義母は摂ることになった。
「よかったね、みんなと一緒で!」と言いながら食事介助をした。
機嫌よく、硬いサバの副食と軟ごはんは5割、小鉢2鉢は9割程食。味噌汁100cc水分も200cc以上摂った。薬も飲む。
席を替え、補うようにプチダノンと和菓子もすべて美味しそうに食べた。
義母は摂食ができることを確認した。
昼夜逆転は環境整備で解決できる。
認知症でも感情はある。介護努力でしかない。

迎えにきた夫とホームを出る時、さすがに私は腰痛下肢痛で移動ができないほどの状態であった。
なんとか踏ん張らねば。
今日は夫が義母の様子を見に行く。私は何日かは動けない。