急性骨髄性白血病の闘病日記

急性骨髄性白血病と戦う妻の日記です

6月20日(移植日)

2007-06-20 23:16:26 | Weblog
今日はいよいよ移植日。
午前中から病院へ。
(この日の予定)
お姉さん(ドナー)
9時頃~点滴開始。

13時~手術室にて骨髄液採取

術後~ベッドで病室に移動後
19時までベッド上にて絶対安静。

19時~酸素吸入取り外し等

妻(患者)
~11時まで無菌病棟廊下への外出OK

11時~薬風呂

15時~移植準備

16時頃~移植

~21時頃移植終了

という流れでした。
病院到着後、先にお姉さんのところに行きました。
すでに手術に向けて準備中。でしたが特にあまり準備といってもないのですが
「紙パンツと手術服の用意をしてください。」と言われて・・・・。
本当は事前に説明していただけると助かるのですが、いきなり言われてもねぇ。
まぁ、何とか揃えて待つのみ。
ベッドにはなにやらプレートが。
絶食注意!!
骨髄液移植手術の為19日21時から20日19時まで
こんなプレートはじめてみました。

ただ、お姉さんは夜寝れなかったみたいで・・・。
睡眠薬もらえばよかったのに。
手術2時間前から睡魔が襲ってきて少し寝てました

私はお姉さんのほうが落ち着いたら妻と移植前の最後の外での面会。
こちらは昨日はぐっすり寝たみたいで体調は万全でした。
とにかくここまできたから、「頑張ろう」と励まして、病室の中へ入り
「薬風呂」へ。ここで、妻の体を薬で外についている菌を落とすそうです。
その間、私は病棟の面会室で待っていたのですが、
普段入浴中にお部屋の掃除をします。
そのお掃除をちょっと拝見。
部屋に置いてある荷物を全てどけて、掃除。
ベッドのシーツ交換とベッドパッド・掛け布団も交換するんですね。
だから入院費用がかかるのね。納得。
トイレとか流しもきれいにして掃除は終了。
掃除が終了して妻が風呂から帰ってきて、少しリラックス。
ここから出れたらラーメンが食べたいとか話しながら、徐々にお姉さんの手術時間が近づいてきたので一旦、妻とはお別れ。
12時過ぎにお姉さんのお部屋に戻り、手術の準備。
まずは圧迫をかける靴下。
(これは全身麻酔時に体を動かさないので硬直しない為に履くそうです。)
次に手術服に着替えて待機。
時間となり、手術室までは歩いて移動。
(この時、昨日は大部屋でしたが、この日は個室に部屋が移動になりました)
少し、待っていると緊張からか、トイレに。
トイレ言っている時に、「○○さん。どうぞ。」と言われ、
隣で待っている方に「○○さんですよね」と言われて「トイレに入ってます」と。
しばらくして出てきて、お姉さんは手術室の中へ。
履物を履き替えて中に入っていきました。

私たちはお姉さんの手術中、待合室で待機。
おおよそ2時間くらいで終了。
予定より早かったそうです。
手術室からベッドで運ばれてきたお姉さんはまだ、麻酔が効いている模様でしたが少しだけ切れてきている模様。
喉が少し痛そうでしたが、酸素吸入器をつけて点滴も落としながらお姉さんの病室へ戻りました。(タバコを吸っている人のほうが喉が少し絡むみたいです)

最初の採取量は700mlの予定でしたがお姉さんの骨髄液の成分がとてもよかったらしく650mlの採取量。その後、前回(5月25日)の検診の際に自己血を採った400mlを自分の体に戻しました。
お姉さんの血は-250ml。まぁ、1回献血をしたくらいなので特に問題はないと。

徐々に麻酔も切れてくるでしょう。
そして、病室で待っている妻に無事終わったと報告。
昼過ぎ、ちょっと戻していたみたいです。

お姉さんのほうが一段落して、妻のほうへ。
妻のほうでは、骨髄液を受け入れる準備。
今までは「ポチ」を連れ添っていましたが(外にも出れるので)
これからは部屋の外での処置となります。
(感染予防のため)
全て軌道を確保して、先生が注射用のメモリーをつけるときに
「あ、失敗!」って・・・・
その後、きちんとはめていただき。後はお姉さんからもらった血液を
輸血のように徐々に妻の体に入れています。

そのペースも最初はゆっくり、問題なければ少し骨髄液を入れる時間を少し早く。
これもあまり早くしすぎると心臓に負担がかかるらしいです。
で、途中、先生が骨髄液の入った袋を「もみもみ」してました。
これは何をしているかというと、骨髄液の中に入っている成分が分離して偏ってしまうそうなんです。それを防ぐ為に「もみもみ」しているそうです。
ゆっくり、ゆっくりと骨髄液が入っていくのをじっと見届けていました。
まだ、途中の段階で、妻が
「まだ帰らなくていいの?面会時間終了だよ。」って
「今日は移植中でしょ?」というと、
「あ、そうか。」って・・・。
本人は輸血をしている感覚なので、痛いとか辛いという感覚ではないようです。
移植中・移植後は体重も量るんです。

移植開始から約4時間半後、無事に終了しました
途中、先生とお話もしましたが、これからが本当の治療の開始です。
ともあれ、無事に終了してよかったです。
16時13分移植開始。20時35分移植終了。

(おまけ)
お姉さんが手術後、ベッドで寝たまま出てきた時。
最初に発した言葉。
「花がドライフラワーになっちゃう」
それを聞いていた、私とお姉さんの子供たち・・・・
大丈夫だな・・・・。



6月19日

2007-06-19 23:25:10 | Weblog
今日は朝から病院に。
午前中は主にドナーのお姉さんの入院手続きの手伝いをしました。
時間より早く到着した為、妻と少しの時間だけ面会。
ちょうど、入浴中だった為、廊下で面会できました。
「お互い頑張ろう!」と励ましあい、それぞれの部屋へ。
私はお姉さんの入院する一般病棟に案内しました。
ま、看護士さんもいるのですが、なかなか自分の病室を覚えられなくて。どうやらすぐ道を忘れるみたいです。
約3ヶ月ぶりに一般病棟に来た私は「なんかすごい格差だ・・・。」と思いつつ、お部屋に。
無菌病棟がきれいすぎる為にそう思うのでしょうね。
午前中は採血をし、問診表を提出。
その後は、特にやることもなく、じっ~としているだけ。
これも結構退屈なんです。

その後、昼食を採った後、午後から主治医のお話を聞き、
看護士からの入院でのオリエンテーション。
ドナーさんは手術前日21時以降は絶飲食だそうです。
食べるのはだめなんですが飲むのも全てダメ。
水も飲んではいけないそうです。
厳しいな~。(これははじめて知りました。)
手術当日午前中に点滴を入れて、手術服に着替えて
午後手術室へ。その時に圧迫した靴下を履くそうです。
要は血が固まらない為に、だそうです。

手術後、寝たまま病室に戻り19時頃までは病室で絶対安静。
その後は食事もとることが出来ます。
翌日、午前中に採血と検尿、背中の傷の手当て。
ここで、何もなければ翌日退院だそうです。
手術当日と翌日は入浴及びシャワーも禁止。
これも意外でした。妻は「いつもきれいに」というのを心がけていたので
「そういうのでいいんだ~。」と。
退院してから一度だけ2~3週間後に一度通院してもらい、手術した傷跡を検査。
それで何もなければドナーさんの検査は全て終了です。


そして説明を受けた後は特に予定もないので夕食の時間までは外出もOKでしたので
気分転換に外出。(病院に届けが必要なのですが、理由を気分転換、と書いてはダメなんだとか。その為。買い物に行く、と伝えました)
夕食の時間に戻り、その後は病室でゆっくり休んでいると思います。

お姉さんが夕食を食べている時に、私は妻の病室へ。
妻の病室に向かう途中、ナースステーションでは先生たちが明日の移植に向けた最終の話し合いをしていたのではないかと思われます。
で、妻の病室に行き、午前中までは具合が悪かったのですが、夕方くらいには少し持ち直してきました。
昨日は本当にしゃべるのも辛そうでしたが少しずつ抗がん剤が抜けてきているようです。ただ、長時間話したり動いたりすると疲れるそうなのであまり無理はさせられません。
今日は久しぶりにヤクルトを1本飲んだのですが、その後、熱が出て、アイスノンで冷やしてよるには36.8度に。
水も少し飲めるようになってきました。
で、明日は午前11時までは廊下に出ることも可能ですが、それ以降は個室病棟のみでの生活に。明日のみ、「薬入浴」を行い、体の菌を全て落とします。
それ以降は室内での入浴となり、カーテンがつけられました。

いよいよ、明日。
移植日です。
無事に終わることを祈って・・・




6月18日

2007-06-18 23:29:36 | Weblog
今日はお昼に面会してきました。
朝、メールが来るのですが、「重体だ!!」と
昨日の夜中から吐き気が止まらないそうです。
メールするのも面倒くさそうです。

面会時にも話すのも辛そうでしたのでただガラス越しから見てるだけ。
そんな中今日の検査の結果を見せていただきました。
白血球の数値が100まで下がりほぼ0の状態。
もちろんがん細胞もほぼ0の状態に持っていきました。
今日は午後から血小板の輸血をしました。

午後からお姉さんを迎えに病院を出ようとした時に
以前、妻と仲良くしていただいた少年の姿が・・・。
「どうしたの?」と聞くと「がんが再発したんです・・・」と
また一からやり直しだそうです。
思わず一緒に泣いちゃいました
妻もその話を知っていたらしく、「自分も再発したらどうしよう・・・。」と
部屋で泣いていました

実は今日、私たち夫婦の結婚記念日なのですが何もすることが出来ないのです。
本来ならば食事行ったりとかデートしたりとかするんですがそういうことも叶いません。ただ、病室をガラス越しから見届けるしかありません。

そして、私はお姉さんを迎えに行ったのですが、なんと昨日、自宅でボヤ。お姉さんの家にお父さんが来て話していたら油が・・・・火が・・・。
しかも、その油の火を水かけちゃったからもう大変。
なんとか火を消し止めましたが
ここまできて、お姉さんが燃えちゃったら私の妻は助からないから。
本当、しゃれにもならないですよ

まぁ、怪我なくてよかったです。
明日、お姉さんの入院です。

妻は抗がん剤治療は明日の朝で終了です。





6月17日

2007-06-17 22:45:03 | Weblog
今日は朝から面会してきました。
昨日で「キロサイト」という抗がん剤治療が終わりました。
昨日と違い、昼くらいにはだいぶ体調もよくなり廊下に出てきて話す元気も出てきました。
昼にヤクルトを一本飲んだそうです(65ml)
水は薬を飲む時に飲む程度。

1時間くらいは面会室で一緒に話したりしてました。
平井君と山口さんから頂いたお守りを渡して、最後の神頼み
抗がん剤も「そんなきつくないよ。キロサイトのほうがきつかったかも?。」と話しておりましたが、今日からの抗がん剤「エンドキサン」。
実は後から効きだすそうで・・・・
だんだんと頻繁にトイレに行くようになり、やがて体調も優れないので
病室に戻りました
あまり、無理させちゃうと悪いから・・・。
このエンドキサン、なんと一日に4リットルくらいの尿が出るそうです。
それと、吐き気・熱・しゃっくり・だるさなどが出るそうです。
夕方くらいからはまた病室内で吐いて苦しそうでした
わかってはいるんだけどね、こればっかりは自分は何にも出来ないからな。

そうはいっても、あと1日抗がん剤治療をすれば抗がん剤治療は終了。
後は移植を待つのみです。

6月16日

2007-06-16 23:39:28 | Weblog
今日は午前中に面会してきました。
昨日に引き続き抗がん剤治療です。
昨日、下剤をもらってから少しおなかの調子はよくなりましたが
口からと下剤で戻している状態が続いております

途中、いくらか調子がよくなって少しだけ話すことは出来ても長くは続きません。
ずっ~と洗面台で吐いてます。
食べていない状態なので出るのは胃液のみ。
起き上がるのもやっとの状態です。
電話で話すのも辛そうなのでメールでやり取りしながら、色々必要なものがほしいと。
本当にそんな状態が続いておりますが、
後2日間は違うタイプの抗がん剤を入れるそうです。
今度は吐き気+頻尿になるそうです。
1日に4リットルくらいだとか。

あと2日間の抗がん剤、そして移植まであと4日。

今日は気分転換にFAIZでフットサルの大会に出ました。
山口(浩)さん夫妻、平井君お守りありがとうございます
そして声をかけてくださった方々にもありがとうございます
明日、妻のほうにも報告入れておきます。




6月15日

2007-06-15 19:04:10 | Weblog
今日から抗がん剤治療に入りました。

でも、その前に。
昨日の夕方にすいかを食べたのですが、やはり気持ち悪くて全て吐いてしまったそうです
朝から気分が悪く、ベッドで横になっていてもダメで、朝の抗がん剤でさらに吐いてしまいました
そんな中、採血の結果が出ました。
白血球が300まで低下。ヘモグロビンも8.0まで低下。がん細胞は3%までに下がりました。今日は夕方から赤血球の輸血を行いました。

今日と明日は朝10時位からと夜22時位からの2回。
日曜から2日間はずっと。
この4日間が一番辛いかな。特に後半2日間が一番辛いそうです。
昼間、途中具合が少し良くなった時に外に出てきましたが、歩くのもやっと。5分位で辛くなり、病室に戻りました。風呂もやっとの思いで入ってます。
そんな中、お腹が調子が悪くて診てもらいましたが、胆石・すい臓の調子があまりよくないそうです。
トイレでなかなか出ないのが原因らしい・・・。一応下剤をもらいました。

でも、私は外泊の時にビールを飲み過ぎたんじゃないか、と疑っております。先生も疑っておりますが


それと肛門が痛い、と先生に相談した所、「それは関係ないでしょう」と笑われました
とにかく頑張れ!としかいいようがありません。後3日、きついかもしれませんがなんとか乗り切って欲しいです。

病院から帰る際、ロビーにて先日まで一緒の病室だった人と会いました。
(もう、移植終了して一般病棟に移りました)
とにかく、今が一番辛いかもしれませんね、と。
やはり、移植前と移植後は色々と症状が出るみたいなので過酷だ、と話していました。
でも、最初は歩くのも困難だった人が普通に歩ける様になったのを妻も目の当たりにしているので頑張るでしょう。同じ病気の人からの励ましは勇気をもらえるはずです。


6月14日

2007-06-14 23:14:26 | Weblog
今日も午前と午後の2回に分けて放射線治療を行いました。
大分、容態は辛そうですが、何とか無事に終了。
最初がかなり気分が悪かったそうですが、最後のほうは何とか持ちこたえました。
昨日よりは寝た分だけ、吐き気とかは少なかったように思えます。
ただ、脳を刺激されるのでふらふらする、と言っておりました。
食事は今日から断り、栄養剤を点滴にて。

終わった後に先生と今現在の状況説明を受けました。
放射線終了してとりあえず、ここまでは予定通りです、との事。
明日、採血をした後に抗がん剤を入れ始めます。明日、明後日は1日2回に分けて。
3日目、4日目は1日中入れるそうです。
おそらく辛くなるのは日曜日から月曜日あたり。
火曜日の夜から抗がん剤が体から抜け始め、移植日の水曜日には少し元気になるでしょう、との事でした。

それと、先生にドナーのお姉さんの検査は移植終了後1回あるそうです。
終わってから2~3週間後に1回採血と骨髄液を採取した場所を診察で見るそうです。
それで何もなければお姉さんは終了、だそうです。

食事は取れませんがりんごジュースが飲みたい、と言っていたので
りんごジュースだけ飲んでいました。
その後、今日は月に2回だけの「フルーツの日」と言うのがありまして
「スイカ」を食べました。もちろん、消毒済みのです。

放射線治療後、少しアイスノンで体を冷やし、
ちょっとだけ外へ。
でも、やはり頭がくらくらするそうで・・・・。
少したってから病室に戻しました。
ただ、廊下のソファから病室の入り口までの10メートルを歩くのもなんとか歩けるくらいで、ドアも開けるのも辛そう・・・・。結局私が開けましたが。

昨日よりは話す元気もありましたので少しほっとしています。

午前中の治療終了後に「だめだ・・・・。」と弱音を吐いていました
午後の放射線の照射の時に自作のCD-Rを看護士に渡して音楽をかけてもらいました。
妻はサザンと郷ひろみが好きなので
ちょうどいい歌を発見。
GOLDFINGER'99
放射線治療は「あ・ち・ち」らしいです。
治療中は体は固定されてい手動けないそうですが思わず踊りそうになったとか!?
でも、きちんとコブクロサザンも入れておきましたよ。
コブクロは特に「永遠にともに
私はこの歌の歌詞がすごくグッと来ますね。

(前略)
全てを君と乗り越えてゆくと決めた
始まりの鐘の音をいつまでも忘れない

共に歩き 共に探し 共に笑い 共に誓い
共に感じ 共に選び 共に泣き 共に背負い
共に抱き 共に迷い 共に築き 共に願い
そんな日々を描きながら・・

偶然という名の運命 そんな出逢いだからこそ
何気ない瞬間を 今日からは かけがえのない瞬間に

共に歩き 共に探し 共に笑い 共に誓い
共に感じ 共に選び 共に泣き 共に背負い
共に抱き 共に迷い 共に築き 共に願い
(後略)

ホロホロきちゃいますね・・・

サザンは「茅ヶ崎ライブ」や「THE 無人島 Fes.2006」に行ったりしていまして。その思い出の歌でも。

郷ひろみ・・・・昔からのファンなので・・・・。

でした。

*放射線治療は位置決め15分治療50分くらい。
休憩して体を逆にしてまた50分くらい。
合計2時間30分くらいでした。



6月13日

2007-06-13 23:08:23 | Weblog
今日から移植に向けた本格的な治療「前処置」が始まりました。
その前に、昨日私が帰った後、妻は緊張のあまり、腹痛となかなか寝付かったそうです。
朝、8時30分に1回目の放射線治療。
この時間は面会時間外のため私は行けないのです・・・・
午前中はまだ何とか大丈夫だったみたいです・・・。
ただ、めまいがするらしいです・・・・。
食事は気分が悪く、摂取出来ない状態。
昼間に入浴を済ませるそうです。
私は昼過ぎに病院に到着したときは、まだ気分が悪かったそうですが
吐いたら気分がよくなったそうです。
午後の治療までの時間があったので少し話はしましたが
「気分が優れない。気持ち悪い。」と。
まだ、このときは声に少しだけ元気がありました。
午後の放射線は移動の際、付き添いました。
移動の際は、一般病棟を通る為、感染予防のために白いシーツを完全に被せての移動。
そして、移動の際、エレベーターも貸切。
で、乗せたときに先生が手を離したときに車椅子が止まらなくて・・・・。
危ない危ない。今、ほんのちょっとぶつかっただけで致命傷になりかねませんので

そして、移動して放射線科へ。
私は外で待機。
治療中はCDを持ち込んで音楽を聴きながらただただジーとしてるだけ。
1時間やって休憩してまた1時間。合計2時間。
途中の休憩時間にトイレに行ったり、吐いたりしていたそうです。

午後の2回目終了後、ガラス越しから様子を見ていましたが
相当つらそうでした
やっとの思いでインターホンで話をすると、「自分でも立ち上がれない。頭がくらくらする。」と。声も元気がありませんでした
放射線治療後は熱が出るらしいのでアイスノンで冷やしていました。
また、その後吐いていました。

その後は横になったまま、寝てしまったのでそのまま帰りました。

今まで、順調なくらいに来ていたので、今日の突然の容態の変化にはびっくりでした。昨日は自分で歩いたり、話したり、食べていたのに・・・・。
おそらくこの病気になってから一番辛い所を見ちゃったかな?

また、明日も午前と午後と放射線治療です。

ところで、今までいろんな白血病の闘病記をPCから閲覧していましたがほとんどが患者様自身が書いていたものでした。
移植前後の様子が「気持ち悪くてそれどころじゃない」というのが今日初めて分かった気がします。

6月12日

2007-06-12 23:20:17 | Weblog
今日は夕方から面会してきました。
明日から、移植の前処置1週間前になりまして
まずは明日と明後日が放射線治療になります。
朝8時30分と午後3時頃の2回。
これを2日間やります。

これによる副作用は
発熱・倦怠感・皮膚の発火・熱感・ひりひり感・吐き気・頭痛・口内炎
などがあるそうです。

放射線室は別名(コバルト室)と呼ばれております。
そこまでに行くにあたって一般病棟を通るので
車椅子での移動、そして、感染予防のためマスク・靴下を履いて
全身を清潔な白いシーツで覆って行きます。
そして、到着したら照射用のベットに移動し姿勢を整え、白内障予防の為めがねの装着をします。
左右半身を約1時間ずつ行います。

このときに姿勢が乱れると(足を組んだりとか動いたりとか)
駄目だそうです。
帰るときはまたシーツで体を覆って帰ってきます。
その後、アイスノンで首を冷やすそうです。

一方でドナーのお姉さんの体調も気になるところですが
至って順調だそうです。
増血剤のおかげで体調もいいみたいです。

明日からいよいよ移植に向けた本格的な治療の始まりです。

6月11日

2007-06-11 20:21:31 | Weblog
今日は病室の移動があった為、午前中から病院に。
夜は仕事なので昼ご飯持参で。
昨日、妻から「移動は9時頃するみたい。」と言われ
病院に到着したら「もう終わったよ。」って・・・・
朝8時30分に終了したそうです。
その後妻は風呂に入り(無菌処置の場合は強制的に1番風呂だそうです)
病室内で準備。
私は外の窓ガラス越しから覗いておりました
今回のお部屋はさらに厳しいチェックが・・・。
なんとですね、持ち物全て消毒するんです
例えば、本とか携帯の充電器などありとあらゆる物を殺菌していました。
とにかく埃を入れない、という趣旨です。
その後、部屋の使用方法について再確認。
窓にはブラインドがついておりますがこれがなんと自動で閉まるのです。
さらに、インターホンで話をする練習や薬の投入方法など
細かい指導でした。
ざっと、1時間くらいは説明を聞いていたでしょうか。
終わってから一緒に荷物の整理。
病室に持ち込めるものが制限されるので、余分なものは自宅へ。
病室には小さい冷蔵庫(その冷蔵庫も500mlの水が4本くらいしか入らないそうです)
と身の回りのものだけしか持ち込めません。
着替えなどは外のロッカーに。
終了後、主治医の先生から
今週の予定を妻と共に聞きました。
水曜日・木曜日に放射線。
金曜日・土曜日に抗がん剤。(キロサイト3000ml)
日曜日・月曜日に抗がん剤(エンドキサン3100ml)
火曜日は無し。
水曜日夕方から移植。
その説明を受けた後、妻は血小板の輸血を行いました。

その間、私は昼食を取り、その後荷物整理。
ここでですね、荷物をどれだけ運んだか紙に記入しなくてはいけないそうで。
これが大変
水が16本。
寝巻き上下が5セット。
半そでのみ3枚・・・・。
などとまるで棚卸状態・・・。
終わってまだ妻が治療中で廊下で待っていると個室病棟から女性が・・。
でも、何で髪が伸びているんだ
と、ちょっと暇そうだったので声をかけると

私:元気そうなのになんで個室入ってるの?
女性:大部屋が空いていなかったんですよ・・・・。
私:あ、そう。見た目若いけどいくつなの?
女性:高校3年生の18歳です。
私:えぇ~!!!
女性:急に病気が判明して入院することになったんです・・・。
私:そうか。がんばってね。

と。

18歳なんて、一番人生で大事な時間なのに・・・。
可哀想だな。でも、頑張ってほしいな。
この病棟に入ると他の人まで励ましてあげたくなります。

で、話を戻すと、病棟に戻ると昼食中。
今日はカレーでした。
まだ、食欲はあります。
全部食べてました。
その後、また廊下に出てきて話をして午後は骨髄検査とカテーテル挿入をしました。

朝からいろいろやる事があって気持ちが張り詰めていたせいか、夜はベッドで泣いていたそうです。
いよいよ、移植日まで9日です。