急性骨髄性白血病の闘病日記

急性骨髄性白血病と戦う妻の日記です

2009.4.16~5.11

2009-05-11 21:10:01 | Weblog
妻が亡くなってから間もなく一カ月が経ちます。

なんか、あっという間に時間が流れているみたいです。
最後は多分、意識もなかったでしょう。目も見えていたかどうかわかりません。
手も握っていましたが力強さもなかったです。
16日の夜に妻が亡くなってから最初に行ったのが葬儀屋の選定。
その後に近親者で主治医からの説明を聞いて。
その間に妻は死化粧。
病室の片付けと連絡としていました。

最後に病院の慰安室に行き、寝台車に妻を乗せて先生が見送りするために
玄関まで。
その時に先生と少しだけ会話をして玄関に。
自宅に無言の帰宅。
そして、仮の祭壇を作って安置しました。
葬儀の日時を決め、数日間は連絡と挨拶と弔問客への対応。
ここ数年、ろくに片付けもしていなかったので、どこに何があるのかもわからず
葬儀の日。
マンションから遺体を運び、(エレベーターの中に隠し扉があるの知ってました?私は初めて知りました)斎場へ。お花も沢山頂き、喜んだでしょう。
実は妻から「葬儀は密葬でいい。」と言われていたのですが、やらないわけにもいかず、色々考えて行うことにしました。
実は葬儀で泣くのはやめようと思っていたのですが、告別式の挨拶でやっぱり駄目でした。なんか感情がこみあげてきちゃって。
そして、収骨。
以外と骨はしっかりとしていました。
正直もっとボロボロになっているんじゃないかと思いましたが。
ただ、頭部のアスペルギルスの菌のところだけ骨が緑色になっていました。
これが、ずっと痛かったんじゃないだろうか、と。
骨までにしみた痛みは相当な痛みなんじゃないだろうか?

葬儀も終わって翌日から挨拶回りや銀行や役所回り。
自宅の片付けもしました。さすがに2年も片付けていないと大変です。
特に妻は荷物の量が半端なく多い!!
どうやって片付けるんだよ~
ということで両親を読んで一緒に片付けました
GWはいろんなところが休みになるのですが私は仕事!!
でも、仕事が終わって空いた時間に気分転換にサッカーででリフレッシュ。
(していいのか?て言う話ですが。最後に普通に会話していたのがサッカーの話だったので。)
でも、じめじめしているのは妻の性分に合わないと思うのであえてやりました。でも最初は亡くなった病院のそばでね。

GWを挟んで病院にも挨拶をしました。
本当は早く行かないといけないのにね
2つの病院に行きましたが、やはり最初の病院でも気にして下さったみたいで・・。
本当にありがたいことです
でも、先生や看護士に話すとやっぱり涙が出てくる・・・

ようやく、法事の用意もほぼ出来てきました。
お墓も当時は「無縁仏で」と言われていましたがそれじゃあまりにも可哀相なので探しております。もうちょっと時間がかかりそうです。
そして、今日はお寺に行きました。
どんな場所にあるのかなぁ~。って。
地図を参考に行くとどうもそれらしき建物がない・・・・
でも、確かここだよな~。
不安なので電話
「うちは民家を借りてやっております。どうぞお入りください。」
「えっ
そうだよな~。どうみても民家だよな
でも中はきちんとしておりました。
お線香もあげてきました。
手土産は持っていきませんでしたが。
(実は場所を確認するために行ったのですが、本当に分からなかったので、お寺に直接電話してしまいました。すいません)

以上近況です。

2009.4.16

2009-04-18 07:16:04 | Weblog
午前中に一度自宅に戻り、片付けをして、「さあ、寝るぞ。」と布団に入って時に自宅に電話。
それは病院からでした。
「呼吸が変わってきたので病院になるべく早く戻ってきてください。」と。
慌てて、友人を呼び、病院に戻りました。
そして、主治医の先生から説明が。
頭の傷は「アスペルギルス」菌が血流にのって脳に転移したそうです
肺の治療で菌は無くなっていたのですが、抵抗力がなくなっているため感染しやすい。
そしてその菌が脳の血管を詰まらせて、脳梗塞を起こしてしまったと。
MRIの検査を見せてもらいました。
で、脳梗塞は片方の目が見えなくなり、言語障害、しびれ、そして呼吸神経を侵す。
そうなると、数日の命です、と宣告されました。
治療もできないと。
再度、先生から延命措置について聞かれました。

私の想像と一緒でした。
「仮に延命措置をとったとしても、脳に障害が残りもとに戻ることはないでしょう。仮にとったとしても数日くらいしか持ちこたえることしかできません。」と・・・・。

家族等にご連絡はしてください。との事でした。
一度、夕食をしに外に出て病院から帰ってきたら父から電話。
「呼吸が乱れてきた。」と。
酸素マスクと心電図をつけました。
そして、再度、下に用事があって戻る際に病院から放送が。
駆けつけると、呼吸過多になっていました。
妻の手を握り、呼びかけました。
でも、呼びかけには応じず・・・。





20時50分 永眠しました・・・

まずは、今までこのブログをご覧いただいた皆様に。
本当にたくさんの方に励ましてもらいありがとうございました。
本当に急な出来事で・・・。
死因は出血性脳梗塞です。
後日改めて書き込みますが、
原因は1月の抗がん剤治療でアスペルギルス肺炎をおこし、
肺炎を薬を投与して治療しました。
3月には肺も治り、一時退院もできました。
ところが、アスペルギルスの菌は血液中に入り込み脳の皮膚に住み着いたそうです。
それから脳の血液に梗塞を起こし、不眠、言語障害、呼吸困難になりました。
アスペルギルス菌が発見できたのは16日の午前中でした。
ただ、発見時には手の打ちようがなかったのです・・・。
この事実を書くのはとても辛い。
特に、闘病中の方々には不安を増大させるかもしれません。
でも、最後まで生きようとした妻の姿を皆さんに知ってもらいのです。


妻と結婚して6月18日で丸9年。
骨髄異形性症候群を2003年に発病し、2007年3月に白血病化し本日に至りました。
実に白血病になってから2年1か月の戦いでした。(骨髄異型性症候群を含めると6年の戦い)




最後に
私は他の白血病患者さんが一人でも多く治癒することを心から願っております。

また落ち着いたら詳細をUPします。


2009.4.15

2009-04-18 07:14:57 | Weblog
あさ、看護師さんが出勤してきてから一度帰宅しました。
午後、友人と共に病院へ戻りました。
症状は悪化をたどる一方。
先生からも病状の説明を受けました。
血液検査で白血球とLDHの増加が規定地を大幅に超えていました。
昨日の髄液検査で髄液が頭に集中して脳を圧迫しているそうです。
これを薬で散らして脳の圧迫をとる治療を再度開始しました。

友人が来ても左手は反応するが、言葉は出ない。
自分が話すとそれはわかるみたい。
ただ、返す力がない。
昼には突然暑いから服を脱ぎだしたり、どこかへ行こうとしたり、
トイレがどこなのかもわからず。

夕方に一度友人を家まで送り再度病院へ。
この日も一日中看護しました。
昨日よりは少し静かになりましたが、ただ、ところどころでは
言葉をはっしていました。
その中で今でも鮮明に残っているのは
「痛い」「いくの」「もう無理」「もういや」
この4つの言葉が私の頭の中から離れません・・・。
この時には、ある程度覚悟を決めました。
私の心の中で
「もう、闘わなくていいよ。十分に頑張ったから。苦しまないで。」
って。
一度主治医の先生に、
「もし、心肺停止状態になったらどうしますか?」
と言われた際に、
「助けてください」とすぐに私は返事しました。
ただ、この妻の状態を見た途端、考えは変わりました。
そういえば、妻は事あるごとに「私は楽に死にたい。延命措置はしないで。」
と言われていました。
実際に、妻の苦しんでいる姿を見るに耐えられない。
楽に逝ってもらおうという思いになりました。
私は朝までこの日も病院に泊まりました。

2009.4.14

2009-04-15 13:23:18 | Weblog
今日は午後に面会しました。
朝からずっと横になっています。
今日は同じ病気で通院している方が何人か面会に来たのですが、挨拶もできず。
昨日よりも症状は悪化。
酸素が足りないので、酸素吸入し、痛み止めの点滴をして、
心電図をしたりしました。
ただ、この原因がわかってきました。
おそらく髄膜炎の可能性があるとのことです。
症状としても一致するみたいです。
この日に改めて髄液検査をしました。

呼びかけに対しても、自分の名前と私の名前しかわからず
数字もわかりました。ただ、看護婦の名前と場所、月日は分からず。

で、後は「痛い、熱い、寒い」と「う~ん。」と「う~~ん。」の返事のみ。
ちょっと心配なので今日は急遽仕事を休んで看病することにしました。
今までの中で一番つらそうだったから
夜中は看護婦も少ないので万が一のことが起きたら大変だから。
でも、朝方には少し目も開いてきました。

2009.4.13

2009-04-13 22:35:29 | Weblog
きょうは仕事が休みでしたので、午後から面会。
今日は主治医と現在の治療と今後の見通しについて話しました。
まず、頭部の傷の件。
原因は不明。
一番疑ったのはアスペルギルス肺炎が脳に転移したことが疑われたが
これは完治しているので違うとのこと。
次にムコール症の疑い。
これもまだ確定ができておりません。
さらに疑いがあるのが肺カンジタ症

さらに敗血症疑いもあるそうです。

さらに原因を突き止めるには全身のMRIが必要とのこと。
頭の後頭部は神経がたくさんあるところなのであらゆる症状が出るそうです。それだけに原因をつい止めにくいそうです。

で、次にもとの病気である白血病は
今日の血液検査で30%~40%位まで芽球が増加。
本来ならば、これを食い止めるべく抗がん剤治療をするのですが
頭の治療が完治しないと抵抗力が下がるので出来ないとのこと。

で、本来ならば臍帯血移植を行う予定でしたが、
実際は細胞の数が優秀なものがなく断念しました。
今の状態で行えば生死にかかわるそうなので
で、一方、骨髄バンクのほうは一時ドナーが保留していたのですが
ようやく日程調整の段階まで来ました。

今は現治療が完治するのが先か、白血病細胞が増加するのが先か?
という状態です。
あまりにも白血病細胞が上がってくれば抗がん剤治療もやむなし。です。

何とか再移植できるところまで行ってほしい。
妻も必死です。ベッドから洗面台に行くにしてもトイレに行くにしても
なんとか行ける。
ただ、それ以上は無理
でも、食事をフルーツ食に変更してから完食しました。
後はベッドで横になってテレビを見ながら寝ています。

そして最後に、先生から
「万が一の事もあります。」と言われました。
でも、これだけは妻に言えなかった・・・
生きれる可能性がある限りは・・・。




2009.4.12

2009-04-12 22:49:17 | Weblog
今日も面会に行くと、いつもどおりに手を洗って面会カードに記入後、
お部屋に・・・・、ってあれっ?
うちのがいない・・・・
最初は違う人がいたにもかかわらず、坊主になったか?
とか、日曜日だから誰か面会にでも来たのか?なんて思っていたのですが
違う人だし。

ナースステーションに戻ると
今日からナースステーション内にある病室へ移動。
何でも右目が50センチ以上先が見えない
そして目の視点もあってない。
話をしても会話がかみ合っていない。
頭がぼっーとしていて何もできない状態。
でも、私が何かしていると「じっとしていなさい」と。
トイレだけは自力で行くのですがその他は全て要看護。
何をするのでも付き添わないといけません。
目が見えないから転倒防止の為だそうです。

もちろん食欲もなく、出された食事は一切食べない。
ただ、バナナは食べてる。けど、吐いちゃう
何もできず、ただ座って妻の顔を見ているだけ。
でも、つらそうな顔を見ていると涙が出る
私にはいろいろ文句を言ったり、当たったりしています。

妻も自分で日記を書いているみたいですが、
書く気力もない。目が見えないし、だるいし。

他の方の白血病患者のブログをたまに閲覧していますが、
本人のブログが書けなくなるんですよね。
末期症状になると、どうなっていくのか、不安もあるはず。
「死」という現実を2人でどう向き合っていくのだろうか?
今週がある意味、山場かも・・・・
明日の血液検査が非常に気になります。

本当、こんなにひどくなるなんて、正直信じられません・・・・
だから、急性白血病というのね。


今日も寝れなさそう・・・。

2009.4.7~11

2009-04-11 21:30:29 | Weblog
一日ごとに状態は悪化をたどる一方です。
頭が痛いのと枕に頭をつけられず睡眠も出来ず。
今週初めは普通に歩いていましたが、今日は起き上がるのもやっと。
食事もだんだんと食べれなくなり、今は一日に一回、バナナとアイス。
点滴で痛み止めをしていますが、薬が切れると痛みが出て・・。
いろんな薬を投与しています・・・・。
で、血液検査で芽球も32%まで上がり、CRPも25%以上になっていました。
2日に1回血小板輸血。
水曜日に点滴の種類を変えたら、薬が合わず、動悸と嘔吐。
それから食欲減退、寝不足・・・・。
木曜日にモルヒネを投与しますが、これも合わず、一日で止めました。
金曜日にも違う薬を入れました。
そして、脳の腫瘍を木曜日に採取。
金曜日にMRI。
結果は来週中旬にわかるそうです。

先生のお話によると、「真菌の可能性もある」との事。


2009.4.6

2009-04-06 23:02:59 | Weblog
再入院。
本来ならば、抗がん剤治療。と行きたいところですが、
頭の傷が思った以上に深刻で・・
先に皮膚科に見てもらうことに。
で、MRIをやることにしました。
傷が良性か悪性か?
切開するのかそれとも薬剤投与するのか?
ちょっと考えるそうです。
一時帰宅の際に特に頭を打ったこともないし転んだ記憶もない。
頭をひっかいただけでね・・・。

金曜日には1センチの傷が5センチくらいになってしまいました。
自然治癒力がなくなっているみたいです。
入院計画も入院期間も???です。

とにかく今は頭部の怪我を治すことです。


2009.3.21~2009.4.5

2009-04-06 22:55:38 | Weblog
状態も落ち着いたので一時退院することになりました。
期間は3週間の予定でしたが、最初の週の検査で芽球が増加してきていることもあり、再入院が早まりました。
で、臍帯血移植に向けて準備をしていたのですが、
「ドクターストップ」がかかってしまいました。
細胞が1つ合わないことが判明。

と言う事らしいです。

で、気分転換に温泉旅行に連れて行きました。
ちょうど桜の花が咲いている時期でした。

で、偶然なのかどうなのか知りませんが、
頭を洗っている際に、頭をかいたそうです。
次の日が診察で外来の日でしたので診てもらったのですが、
塗り薬をして対処したのですが、日に日に傷が大きくなり、痛くて寝れなかったそうです。

2009.3.2~3.20

2009-04-06 22:53:46 | Weblog
特にこの期間は何も起こらず毎週金曜日輸血。
週2回の血液検査とレントゲン。
特に異状もなく・・・。
3月21日に一時退院。