オカルト伝説は事実である【対話篇】

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「『ファラオの墓に触れる者には死が訪れる』という碑文などない」の真相

2024-09-23 10:12:08 | 超能力/怪奇現象

 

【伝説】

 1922年、ハワード・カーターの指揮する考古学調査隊は、エジプトのルクソール市の西にある「王家の谷」で、古代エジプト第18王朝のファラオ、ツタンカーメン(トゥト・アンク・アメン)の墓を発掘した。墓の中からは、有名な黄金のマスクをはじめとして数多くの貴重な副葬品が発見され、考古学に大きな進歩をもたらした。

 

 だが、不吉なことに、封印されていた墓の入り口には、「ファラオの墓に触れる者には、死が翼に乗って素早く訪れる」という呪いの碑文が刻まれていたのである。その呪いはすぐに現実のものとなった。調査隊のスポンサーであり、墓の開封にも立ち会ったカーナヴォン卿が、翌年の4月に急死したのだ。その5ヶ月後には、カーナヴォン卿の弟のオーブリ・ハーバートも死んだ。その5年後にはカーターの片腕であったアーサー・C・メイスも病死した。犠牲者はさらに広がった。発掘に関係した者や、その家族、発掘された墓を訪れた者などが、次から次へ奇怪な死を遂げたのである。その数は20人以上にものぼった。

 

 新たな犠牲者が出るたびに、「ツタンカーメンの呪い」はマスコミで取り上げられ、人々を恐怖させた。有名な作家のコナン・ドイルは、これを墓に残留する超自然的な力のせいであるとした。 

 

 1960年頃には、連続死の原因を「微生物のせいではないか」とする説も唱えられた。墓室の中に封じ込められて活動を停止していた古代の微生物が、カーナヴォン卿やその他の者たちに感染し、異常な死を引き起こしたというのである。

 

【真相】

 そもそも、「ファラオの墓に触れる者には、死が翼に乗って素早く訪れる」などという碑文は、ツタンカーメンの墓にはなかった。それは当時のマスコミがでっちあげたものなのである。

 

 当時、カーナヴォン卿はロンドンのタイムズ社と独占契約を結んでおり、タイムズ社以外の報道機関に一切ニュースを流さなかった。そのために世界中のマスコミから非難が集中した。かくして、カーナヴォン卿が急死した直後、彼を恨む記者たちによって、「ツタンカーメンの呪い」という物語が創作され、新聞を賑わすことになったわけである。(山本弘) と学会〈トンデモ超常現象99の真相〉より

 

 

✔️【逆デバンキング〈ハルクフーフの墓の碑文〉】

 ところが第6王朝(紀元前2423~2263年)のアスワンのハルクフーフの墓には、次のような碑文が刻まれているそうです。

 

 「この墓に1度たりとも足を踏み入れる者は、余がまるで鳥を襲うようにその者に襲いかかるだろう。そして偉大な神がその者を罰するであろう」

 

【ウルスの死の彫像の碑文】

 また、ハルクフーフが生きた時代の1000年後の人物にウルスという大富豪がおり、彼が自分のために作らせた彫像には次のような碑文が書かれているそうです。

 

 「余の財産に手を触れる者、余の墓の神聖さを冒す者、あるいは余のミイラを引きずる者は太陽の神によって罰せられるがよい。その者は子供に財産を残すことがなく、人生にいかなる楽しみもなく墓の中で喉の渇きに苦しみ、魂は永遠に打ち砕かれるだろう」

 

【ツタンカーメンの墓にも威嚇めいた碑文があったのでは?】

 このような例があるため、古代エジプトの偉大な人物の墓などには、なんらかの威嚇めいた碑文が書かれていたと思われます。

 

 よってツタンカーメンの墓にも「ファラオの墓に触れる者には……」という伝説どおりの碑文ではなかったとしても、なんらかの威嚇めいた碑文が書かれていたのではないでしょうか?  

 

【まとめ】
 ●ツタンカーメンの墓にも、なんらかの碑文が書かれていた可能性はある。

 

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