オカルト伝説は事実である

砂に埋れ、誰にも気づかれずにいる世界の真実を見つけ出すブログです。

おまけ「たつき諒の2025年7月大災難の予言は当たるのか?」

2024-08-22 19:02:54 | 超能力/怪奇現象

 
✳️【5年、15年、30年とずらせるたつき諒の予言】
 ちなみに『私が見た未来』初版本の表紙には、これまで取り上げたものの他に、以下の日付けも書かれている。
 
 1994年7月2日
 1995年6月12日
 1995年11月26日
 1999年8月2日
 年不詳7月15日
 
 幸い、これらの日付けに大災害などは起きていない。しかし、これらも今までのように年や日付けをずらすこともできる。
 
 たとえば年の場合は5年、15年、30年ずれてもOKだし、日付けは4日や15日ずれてもOKだとされている。
 
 すると上記の日付けも次のように範囲が広がる。
 
 1994年7月2日
 1994年7月6日
 1994年7月17日
 1999年7月2日
 1999年7月6日
 1999年7月17日
 2009年7月2日
 2009年7月6日
 2009年7月17日
 2024年7月2日
 2024年7月6日
 2024年7月17日
 1995年6月12日
 1995年6月16日
 1995年6月27日
 2000年6月12日
 2000年6月16日
 2000年6月27日
 2010年6月12日
 2010年6月16日
 2010年6月27日
 2025年6月12日
 2025年6月16日
 2025年6月27日
 1995年11月26日
 1995年11月30日
 1995年12月11日
 2000年11月26日
 2000年11月30日
 2000年12月11日
 2010年11月26日
 2010年11月30日
 2010年12月11日
 2025年11月26日
 2025年11月30日
 2025年12月11日
 1999年8月2日
 1999年8月6日
 1999年8月17日
 2004年8月2日
 2004年8月6日
 2004年8月17日
 2014年8月2日
 2014年8月6日
 2014年8月17日
 2029年8月2日
 2029年8月6日
 2029年8月17日
 すべての年の7月15日
 すべての年の7月19日
 すべての年の7月30日
 
 ……書いているだけで疲れたので、どんな出来事とこじつけられるかは各自がやってください。
 
 それと『私が見た未来』の完全版によれば、たつき氏の最新警告予言は2025年7月に起きるとされる海底噴火にともなう大津波だという。
 
 とはいえ、これも5年、15年、30年とズラせるのだから……
 
 そのたびに、たつき氏の警告に耳を傾k…………って、もういいよね? おなかいっぱいです。本当にありがとうございました。 ウェブサイト〈超常現象の謎解き〉より
 
✔️【逆デバンキング〈本城達也のずれたデバンキング〉】
 占い師けんけん同様、〈超常現象の謎解き〉の運営者・本城達也も頭がいい人だとは思うのですが、デバンキングが微妙にずれていることに気づけていないところが泣けてきます……。
 
 まず、たつき諒は〈私が見た未来 完全版〉の中で2025年の大災難の予言について……
 
 「5年ずれて2030年に、15年ずれて2040年に、30年ずれて2055年になるかもしれません」
 
 ……なんてことは一言も言っていません。
 
 また、これまでの彼女の発言を見る限り、「何年ずれて何年になるかも」といった卑怯な予防線を張るような人間とは思えません。
 
 2025年になにも起きなかったら、たつき諒は素直に謝罪すると思います。
 
【大災難がターニングポイントになる】
 では、〈私が見た未来 完全版〉の最大の目玉である2025年7月の大災難の予言は当たるのか?当たらないのか?
 
 今までの記事で説明してきたように、たつき諒は従来のほかの予言者とは明らかに違うタイプの予言者であり、かつ、大変謙虚な性格の人です。
 
 そのたつき諒がここまで明言するということは、よほどの確信があるのだと思われます。
 
 よって私はたつき諒の2025年7月の大災難の予言は、おそらく当たるのではないかと見ています。
 
 しかし、安心してください。たつき諒によると事前の対策によって多くの人が助かり、さらに「ものすごく輝かしい未来」が見えるそうなのです。
 
 2025年の大災難をターニングポイントに、人類は大きく生まれ変わるのかもしれません。
 
【大災難は7月何日に起きるのか?】
 最後に──。
 
 大災難が起こるのは2025年7月の何日になるのか?
 
 もしもカバールによる地震兵器によるものならば、悪魔の数字666(18)に従って「2025年7月2日」ということになるのですが、果たして……。
 

終わりに「たつき諒はほかの予言者とは明らかに違う」

2024-08-22 18:58:52 | 超能力/怪奇現象
 

【たつき諒をこきおろす占い師けんけん】

 
 動画を見ればわかることなのですが、占い師けんけんはたつき諒のことをボロクソに、ボロカスに、ケチョンケチョンにこきおろしまくっています。
 
 これは占い師けんけんが、たつき諒という人間をよくご存知ないからだと思われます。
 
【たつき諒はほかの予言者とは違う】
 「たつき諒=予知夢漫画家」というイメージが独り歩きしていますが、作品の大多数がラブコメディー、少女漫画、ホラー・ミステリー系の普通の漫画家であり、予言者としての顔などほぼなかった人なのです。
 
 〈私が見た未来〉の表紙の「大災害は2011年3月」という記述もネット上で勝手に話題になっただけであり、たつき諒は宣伝活動など一切していませんし、自分の昔の作品が話題になっていることもつい数年前まで知らなかったほどなのです。 
 
 さらに自分の予知夢の的中率が極めて低いことも認めており、たつき諒が従来のほかの予言者たちとは明らかに違うタイプの予言者であることがわかると思います。
 
【占い師けんけんは優秀な人ではあるのだが……】
 占い師けんけんは細木数子や江原啓之のペテンを暴いたり、林真須美の冤罪を暴いたり、評価できるところもたくさんある人ではあるのですが、たつき諒のデバンキングに関しては大変おそまつかつ残念な内容と言わざるをえません……。
 
【たつき諒の『私が見た未来』は嘘か?本当か?伝説の真相に迫る!】終わり
 

「たつき諒の予言は『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』にすぎない」の真相

2024-08-21 10:35:58 | 超能力/怪奇現象

 
✳️【東日本大震災の予言】
 最後は最も有名な東日本大震災の予言。この予言は『私が見た未来』初版本の表紙に書かれている。
 
 これを見れば当たっているように見える。しかし、情報が少なすぎる。本編の漫画ではどう描かれているだろうか……と思って確認してみると……
 
 何もなかった。冗談ではなく、この東日本大震災の予言とされるものは本編に一切登場せず、表紙にある11文字だけしかなかった。
 
 『私が見た未来』完全版の解説によれば、「2011年3月」という年月は『私が見た未来』初版本の締め切りの日に、たつき氏が夢で見たものだという。それを急遽、表紙に載せたのだという。
 
 けれども時間があったら漫画にできるような予知夢だったのかというと、そうではないらしく、初版本の22年後に出た完全版の方でも東日本大震災の予言についての漫画や、それのもとになった夢日記は掲載されていない。
 
 これでは情報が少なすぎて、ただのまぐれ当たりの可能性が捨てきれない。
 
 松原照子氏の予言と同じく「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の可能性も高い。というのも『私が見た未来』完全版では1985年から2004年にかけての夢の記録がノート2冊、厚さにして10センチはありそうなものが紹介されているからだ。それだけの数の記録がありながら当たったとされるものを少数しか出せていないということは、外れているもののほうが圧倒的に多いということだろう。 ウェブサイト〈超常現象の謎解き〉より
 
✔️【逆デバンキング〈たつき諒は的中率の低さを認めている〉】
 まず、たつき諒はフジテレビ〈奇跡体験!アンビリバボー〉で「自分の予知夢の的中率は10%くらいにすぎない」と述べていました。
 
 〈超常現象の謎解き〉の運営者・本城達也はASIOSの〈検証 予言はどこまで当たるのか〉の中で、自称・予言的中率85%のアメリカの予言者、ジーン・ディクソンを懐疑的に検証し、「本当の的中率は10.4%にすぎなかった」と言っています。
 
 よって予言的中率10%は、懐疑界では極めて低い数字だというわけです。
 
 たつき諒は自分の予知夢の的中率が極めて低いものであることを、はっきり認めているわけなのです。
 
【「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」は実はすごいこと】
 次に「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるにすぎない」という批判なのですが、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」というのはすごいことだと思います。
 
 なぜなら全人類の99.9%以上が、下手な鉄砲を数撃っても当たらないからです。
 
 しかもディクソンの場合、的中した10.4%の予言は二分の一の確率の予言や、だいたい予想できそうな事件ばかりだそうですが、たつき諒の場合は明らかに違います。
 
 3.11も、ダイアナ妃の8月31日の死も、フレディーの若い年齢での流行り病での死も、二分の一の確率の予言でもなければ、誰でもだいたい予想できそうな事件でもありません。
 
 これでたつき諒とほかの予言者が、明らかに違うことがわかると思います。  
 
【重要なのは的中率ではなく意外性】
 ところで、懐疑論者はなにかと的中率というものにこだわりますが、重要なのは的中率ではなく、的中させた事件の意外性だと思います。
 
 二分の一の確率で当たるものや、誰でもだいたい予想できそうなものばかりを100個予言して的中率95%のAさんと、誰にも予想できないようなものばかりを予言して、的中率5%のBさん。
 
 Bさんのほうが明らかにすごいことは言うまでもないと思います。
 
 予言者で重要なのは的中率ではなく、的中させた事件の意外性なのです。
 
 たつき諒はこの定義に、当てはまる予言者であると言えると思います。
 
 (ただ、私がこのようなことを言うと、「私は的中率は低いが、意外な事件を当ててみせたぞ。すげーだろ!」という感じの卑劣な輩がわんさと出てくると思うので、偽物には充分注意が必要です)。
 
【まとめ】
 ●「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」は実はすごいことである。
 
 ●予言者として重要なのは的中率ではなく意外性である。
 

「たつき諒は富士山大噴火の予言を外した」の真相

2024-08-21 10:19:31 | 超能力/怪奇現象

 
✳️【外れた富士山大噴火の予言】
 (前略)『私が見た未来』初版本の表紙で最も目立つ予言は富士山の噴火を描いたものである。
 
 表紙には、「1991年8月20日に見た夢」「絵はがきみたいなきれいな富士山」「すごい急いで雲がぐるぐる周りながらふきだした」「雲がぶあ~と吹きだしてきたと思ったら富士山が噴火したものすごい音」「ドーン」と書かれている。
 
 しかし、ご存知のように富士山は噴火していない。つまり、この予言は外れている。
 
 1991年から30年後の2021年8月には、この富士山の噴火予言が30年のズレを経て的中するのではないかと騒がれたが、結局外れた。また『私が見た未来』完全版の作者解説によると、夢診断なるもので「噴火」は「世界恐慌」や「パンデミック」とも解釈できるという。そんな超絶解釈がOKならもう何でもありかもしれない。
 
 ただし表紙でメインになっているこの富士山の噴火予言は本編の漫画には登場せず、代わりに本編でメインの扱いになっているのは、1981年に見たという津波の夢である。(後略) ウェブサイト〈超常現象の謎解き〉より
 
✔️【逆デバンキング〈たつき諒は富士山の夢を3回見ている〉】
 これは的の外れた反論と言わざるをえません。
 
 たつき諒は富士山に関する夢を3回見ており、そのうち富士山が噴火するのは1991年に見た1回目だけなのです。 
 
 2002年に見た2回目の富士山の夢では、「富士山が見える梅畑がある場所にホームステイをした」というなごやかなものです。
 
 2005年に見た3回目の富士山の夢は、セスナ機に乗って富士山の火口を真上から見て「きれいな死火山だな」と思うものです。
 
 もしもたつき諒が富士山の大噴火を予知していたなら、富士山の夢は2回目以降からどんどん恐ろしいものになっていき、噴火の規模も大きくなっていくはずです。
 
 が、実際はそのようにはならず、富士山が噴火をしたのは1回目の夢のときだけだったのです。 
 
 よって富士山が噴火する絵を表紙に載せはしたものの、富士山が大噴火する予言はしていないというわけなのです。
 
 また〈超常現象の謎解き〉は「〈私が見た未来〉の表紙に富士山噴火の絵が1番大きく使われている。だから富士山の噴火の予言がメインなのだ」などと言っていますが、この意見も的の外れたものであることは説明不要だと思います。
 
 ちなみにたつき諒によると、溶岩が少し漏れるような噴火はあるかもしれないが、東京が壊滅するような大噴火はないそうです。
 
【まとめ】
 ●たつき諒は富士山が大噴火する予言などしていない。
 

「たつき諒はフレディーの死を予言したとは言えない」の真相

2024-08-21 10:17:19 | 超能力/怪奇現象

 
✳️【フレディ・マーキュリーの予言】
 この予言は表紙ではなく、『私が見た未来』初版本に収録されている同じタイトルの漫画「私が見た未来」に出てくる。
 
 同書によれば、イギリスの音楽グループ・クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーが亡くなる、もしくはそれを暗示する夢を2度、たつき氏が見たという。
 
 1度目は1976年11月。友人とテレビを見ていたら、フレディ・マーキュリーが亡くなったというニュースが流れる。フレディの大ファンだった友人は号泣。
 
 2度目は1986年11月28日。最初はテレビを見ている、たつき氏。するといつの間にか映画か何かのメイキング場面になっていて、なぜか自分も出演者に。そこにはクイーンのボーカルを除くメンバー3人の銅像があったものの、フレディの銅像はなかった。
そして、そこからさらに5年後の1991年11月24日。フレディ・マーキュリーが病で死去。たつき氏は同年11月28日に、新聞を読んでフレディの死を知ったのだという。
 
 これが、フレディ・マーキュリーの死を予言していたといわれるものである。
 
 しかし、やはりここでも疑問が浮かぶ。15年や5年のズレはOKなのか? 日付けのズレも、これまでこじつけられていた5の倍数ですらない。
 
 疑問は他にもある。たつき氏は初版本の183ページで、フレディの死を知った日は新聞を読んだ「11月28日」だったとしている。
 
 ところが同じ初版本の177ページでは、当時友人と11月26日からイギリスへ旅行に行く予定があり、その出発二日前の11月24日に友人から電話がかかってきて、テレビをつけろと言うので見たら、当日に亡くなったフレディの死を知ったと書いている。
 
 そしてイギリスへ旅行中は連日、現地でフレディの死が報道されていたというから、たつき氏が実際にフレディの死を知ったのは11月24日なのだろう。
 
 しかしそうなると、新聞で知ったという11月28日は何だったのか、ということになってしまう。初版本の178ページと180ページでは、11月28日付けの新聞を紹介したり、2度目の予知夢の日付けと並べたりしている。
 
 要は、日付けがピッタリ一致しているでしょう、ということらしい。
 
 けれども、11月28日はフレディが亡くなった日ではなく、日本で最初にその死が報道された日でもない。さらに、たつき氏がフレディの死を知った日でもない。(後略) ウェブサイト〈超常現象の謎解き〉より
 
✔️【逆デバンキング〈重箱の隅つつきにすぎない〉】
 「28日ではなく本当は24日だった」だの、これは重箱の隅をつつきであり、的の外れた反論と言わざるをえないと思います。
 
 たつき諒が初めてフレディーの死の予知夢を見たのは1976年。当時フレディーは30歳。
 
 2回目の予知夢を見たのは1986年。当時フレディーは40歳。
 
 フレディーがこんな若い年齢で流行り病で死ぬ夢を2回見た人が、果たして世界に何人いたのでしょうか?
 
 それも予知夢を見たのは2回とも、フレディーが亡くなった月と同じ11月です。
 
 これが偶然だと言うのなら、なぜそう言えるのか?誰もが納得いくデバンキングをおこなうのが懐疑論者の役目だと思うのですが?
 
【新生クイーンの予知】
 ちなみにたつき諒は2回目の夢の中で、「フレディーではない、知らない男の銅像がクイーンの一員として建てられていた」というものを見ています。
 
 クイーンはフレディーの他界後、アダム・ランバートという新ボーカリストを迎えて再始動したのですが、フジテレビ〈奇跡体験!アンビリバボー〉で「アダム・ランバートこそが知らない男の銅像の正体だったのでは?」ときかれたたつき諒は「そういう解釈もできるかもしれませんね」と語っていました。
 
 たつき諒はアダム・ランバートを新ボーカリストとして迎えた新生クイーンまでも予知していたというわけなのです。
 
【まとめ】
 ●〈超常現象の謎解き〉のデバンキングは的が外れている。
 
 ●たつき諒はアダム・ランバートを迎えた新生クイーンをも予知していた。