オカルト伝説は事実である

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ムー大陸最初の提唱者シャルル・ブラッスールは知の巨人である

2024-01-31 06:12:40 | 超古代文明

 

✳️【空想の産物だった(?)ムーの語源】  

 まず、ムー大陸を最初に言い出したのは、チャーチワードではなかったこと──彼よりも早く、ムー大陸があり、太平洋に沈んだ大陸があったと主張した人がいた。

 

 フランスの神父、シャルルーエティアン・ブラスール・ドブールブールという長たらしい名前の人物である。略してシャルル・ブラスールが、19世紀半ば、スペインのマドリードにある歴史学協会図書館において、古代マヤ文化について書かれた『ユカタン事物記』と『トロアノ絵文書』という2冊の本とめぐり会った。

 

 前者の『ユカタン事物記』は、『ユカタン事情概説』と訳されているものもあるが、とにかく、スペイン王国の全盛時代、カトリックの総本山であるバチカンからメキシコのユカタン半島に宣教師として派遣された司教ディエゴ・デ・ランダによって書かれたメキシコ見聞録である。

 

 司教デ・ランダは、ユカタン半島に残されていた膨大なマヤ文書を“邪教の産物”として焚書に処した張本人であるが、後日になって悔やみ、深く反省するところがあって、マヤ語の言語体系を解明=復元するのに生涯を費やした人として知られている。


 そして、「マヤ語アルファベット」を編纂するのに成功するのであるが、これがマドリードでシャルル・ブラスールの目に留まったとき、「海に沈んだ大陸=ムー伝説」が誕生するのである。


 つまり、シャルル・ブラスールが、その「マヤ語アルファベット」を翻訳コードとして用い、マヤ語で書かれた『トロアノ絵文書』をフランス語に翻訳していたとき、どうしても解釈できない文字に出合ってしまったのだ。


 解釈できない文字は、司教デ・ランダが編纂した「マヤ語アルファベット」では“M”と“U”に相当する絵文字と似ているように見えた。そう、見えたのである。重要なことは「見えた」ということであり、そうであるか否か、この際、問題ではない。


 とにかく、“M”と“U”に相当する絵文字と似ているように見えたのである。


 そのとき、なにが起きたのか?南山宏氏は言う。その編著『海底のオーパーツ』において、彼は証言している──「そこで空想力豊かなブラスールは両者を合わせて1語とみなし、沈んだ陸地の名前に使ったのだ──これが“ムー”のはじまりだったのである

 

 拍子抜けしてしまいそうになる。(中略)

 

 しかし、マヤ独特の象形文字の解読研究が進み、現在の段階では発見された文字のうち半分近くが解明されており、デ・ランダの「マヤ語アルファベット」は完全な誤訳であったことが判明している。

 

 マヤ独特の象形文字は、アルファベットなどではなく、宇宙天文学に通じたマヤ族の偏執狂的なまでの占星術の知識体系をまとめたものであった。まったくの的外れだったわけである。 鈴木旭〈日本に蘇る失われたムー文明の刻印〉より

 

 

✔️【逆デバンキング〈的外れの一言で終わらせるのはおかしい〉】

 鈴木旭も南山宏もビリーバー系の人たちなのですが、デ・ランダとブラッスールの解釈に関しては、完全否定の立場をとっているようです。

 それにしても鈴木旭と南山宏の言い方では、まるでブラッスールが「ただのバカ」のようではないですか……。

 実在が明らかになっているナーカル碑文とメキシコの石板、そして後述する数々の強力な証拠がある以上、「マヤ独特の象形文字はアルファベットではなく占星術の知識体系であり、デ・ランダとブラッスールの解釈は的外れなものだった」で終わらせられるものではないと私は思います。

 そもそも否定派のそうした主張も本当に正しいのか、専門家ではない一般庶民は知るよしもありません。

【偉大な人物は狂人のレッテルを貼られる】

 実は偉大な経歴、偉大な実績、偉大な能力を持つ偉大な人物を、強引に「ただのバカ」に仕立て上げ、歴史から消し去ろうとする奸計は多く存在するのです。

 たとえばイタリア人医師のトゥリオ・シモンチーニ。

 NATROMという日本の医師は「重曹でがんが治る」と主張するシモンチーニのことを「まったくの論外」「医学の基本的知識さえ持っていない」と、著書の中でボロクソに言っています。

 が、シモンチーニはイタリアの最高学府ローマ大学を卒業した元外科医で、3大療法であまたのがん治療をおこなった過去を持つ人なのです。

 そんな人間を学歴も実績も格下と思われる人間が「ただのバカ」扱いしているのです。

 ちなみにシモンチーニのもとには、今も多くのがん患者が足を運び続けています。

【知の巨人ブラッスール】

 ところで懐疑論者たちはまったく触れていないのですが、ブラッスールという人物はキチェ族というインディオの聖書〈ポポル・ヴー〉をフランス語に翻訳して出版したことがあります。

 つまりブラッスールはキチェ族の言葉がわかる人だということなのです。

 また、メキシコシティーのサン・グレゴリオ大学でナホァトル語というもので書かれた文書を見つけ、そこに「紀元前1万500年に大規模な異変が起きたと書かれている」と主張しました。

 その主張は長らく嘲笑の的になったのですが、のちにアインシュタインも絶賛した人物であるチャールズ・ハプグッド(米キーン州立大学教授)の著書〈古代海洋王国の地図〉で、正しかったことが立証されました。

 また、ブラッスールの著書に全4巻からなる〈メキシコと中米文明の歴史〉というものがあるのですが、この本はこのテーマに関する金字塔的作品と言われています。

 これでわかるようにブラッスールとは、そんじょそこらの研究家が小バカにするとはおこがましい、桁違いの知性人なのです。

 よって「トロアノ絵文書のブラッスールの解釈はとんでもない勘違いだった」という話は、歴史の真実が世に広まると困る勢力による捏造だと見ています。

【まとめ】

 ●ムーの名付け親のブラッスールは知の巨人である。

 ●ブラッスールを貶める話は捏造の可能性が高い。

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ムー大陸実在の決定的証拠「メキシコの石板」

2024-01-31 06:05:57 | 超古代文明

 
✳️【メキシコの石板】
 それではもうひとつの最重要文書とされる「メキシコの石板」のほうはどうだろうか。こちらはアメリカの鉱物学者ウィリアム・ニーベンがメキシコで集めた総数2600点ほどの石板である。チャーチワードは、前述の「ナーカル碑文」を補足する文書を探すため世界を旅していた際、メキシコでこの石板と出会ったのだという。彼の著書にはその写真が掲載されている。またニーベンも実在の人物であることがたしかめられている。そのため「ナーカル碑文」とは違って、「メキシコの石板」についてはたしかに存在するもののようである。
 
 しかし問題は、その石板は存在しても、そこに記されている内容を解読したというチャーチワードの話の信憑性である。実は、「メキシコの石板」からムーの伝説を“解読”できたと主張しているのはチャーチワードただ1人。そもそもニーベンの「メキシコの石板」は、正規の考古学的発掘品としては認められていない。つまり実在はするものの、その信憑性には大きな疑問符が付くというのが妥当な結論のようである。(本城達也) ASIOS〈謎解き古代文明〉より
 
 
✔️【逆デバンキング〈ナーカル碑文の文字と酷似していれば事足りる〉】
 これはいたって簡単な話。
 
 ナーカル碑文の文字とメキシコの石板の文字を比較して、両者が酷似したものだったら、チャーチワードが嘘を言っていないことが確定します。
 
 ナーカル碑文は見つかっているわけですから、容易に比較はできるはずです。
 
【まとめ】
 ●メキシコの石版の文字とナーカル碑文の文字を見比べれば事足りる。
 

ムー大陸実在の決定的証拠「ナーカル碑文の写真」

2024-01-30 06:41:15 | 超古代文明

 
✳️【伝説】
 悠遠の太古、太平洋には「ムー」という大陸が存在した。この大陸は東西8000キロ、南北5000キロにおよぶ広大な陸地で、そこには約6400万人もの人々が平和に暮らし、現代文明をも遥かに上回る高度な文明を築いていた。
 
 このムーを統治していたのは宇宙創造神の地上代理人である賢者の王ラ・ムーである。国民はラ・ムーのもと、優秀な学問と文化、建築、航海の術を発達させていた。そして太陽の象徴を旗印に、世界をその支配下に置いていたという。
 
 しかし今から約1万2000年前、突然悲劇が訪れる。不気味な地鳴りとともに湧き起こった大地震が大陸を襲い、それにともなって発生した大津波に飲み込まれ、わずか一夜にしてすべてが崩壊してしまったのである。
 
【真相】
 日本ではアトランティスと双璧をなすムーの登場である。アトランティスはさかのぼっていくと古代ギリシャのプラトンの著書にたどり着くが、ムーはイギリスのジェームズ・チャーチワードの著書にたどり着く。ここではそのチャーチワードの著書をもとにムー実在の可能性を探っていこう。
 
 まずチャーチワードの著書を読んでみると、その意外な新しさに気づく。

 原書のシリーズが出版されたのは1930年前後なのである。まだ100年もたっていない。アトランティスのプラトンの著書が2000年以上前に記されたことを考えれば、相当に新しい。


 しかしチャーチワードによれば、彼が記したムーの伝説は「ナーカル碑文」と「メキシコの石板」という2種類の古文書をもとにしているという。これらはムーの聖典「聖なる霊感の書」をもとに記されたもので、ムー伝説を知る上での最重要文献という位置づけになるようだ。


 それではこの2種類の古文書は、いったいどういった経緯でチャーチワードに伝わったのだろうか。チャーチワードの著書『失われたムー大陸』によると、「ナーカル碑文」のほうは彼がイギリスの軍人として1862年にインドに配属されていた頃にさかのぼるという。当時、チャーチワードがいた土地にはヒンズー教の古い僧院があり、彼は救済活動や古代文字の研究活動なとを通じて、その僧院の院である高僧と個人的に親しくなっていった。


 そんなある日のこと。高僧は、古くから伝わる貴重な粘土板が僧院の秘密の穴倉にたくさん眠っていることを打ち明けた。チャーチワードはこの話を聞くと大変興味を示し、破損を防ぐためにも倉から出して保存状態をあらためるべきだと何度も説得を重ねた。しかし高僧は首を縦に振らない。だがチャーチワードもあきらめない。折にふれては説得を続けた結果、高僧も度重なる説得に折れ、ついに半年後のある晩、秘密の粘土板を眠っていた穴倉から出してくれたという。


 それこそが「ナーカル碑文」である。チャーチワードと高僧は2年の歳月をかけてこの「ナーカル碑文」を解読し、そこに記されていたムーの歴史を読み取ったとされる。


 以上が「ナーカル碑文」にまつわる経緯だ。経緯がわかったところで、問題はこの話がどこまで本当なのか、という点に移る。実は、チャーチワードは碑文が発見されたという僧院の名前や場所を一切明らかにしていない。理由は序文で「僧院の希望による」と簡単に書いているのみだ。


 またチャーチワードは著書の中で、「ナーカル碑文」の写真も一切掲載していない。

 

 つまり、僧院の名前や場所もわからず、肝心の「ナーカル碑文」の写真もまったくないという状況なのである。あるのはチャーチワードの話のみだ。話の内容が大変突飛であることを考えれば、それを支えるだけの強力で客観的な証拠は必要不可欠である。しかし、その客観的な証拠は皆無に等しい。これでは残念ながら信用に値しない。(本城達也) ASIOS〈謎解き古代文明〉より

 

 

✔️【逆デバンキング〈ナーカル碑文の写真は存在する〉】

 正気でこんなことを言っているのでしょうか?

 

 たしかにチャーチワードはナーカル碑文の写真を公開しないままこの世を去りましたが、ナーカル碑文が実在することはASIOSが〈謎解き古代文明 再編集版〉を出版した2018年より20年も前の1998年にすでに明らかになっています。

 

【チャーチワードの正体】

 

 まず、チャーチワードというのは旧日本軍のエージェントで、イギリス軍人ではありませんでした。

 

 そして欧米人の源郷が大西洋のアトランティスであるように、太平洋のムーを想定することで、大東亜共栄圏の正当性を主張しようとした旧日本軍によって動かされていたのです。

 

【ナーカル碑文の資料】

 戦後にこの事実が判明し、GHQが市ヶ谷の陸軍省参謀本部に踏み込んだときでした。

 

 アメリカに機密情報が渡ることを恐れた旧日本軍は書類を焼き払ったのですが、その中に偶然にも消失を免れた資料があったのです。

 

 それには南耀、すなわちナーカルと書かれており、ナーカル碑文に関する資料であることが判明します。

 アメリカ軍はその資料をもとに調査をおこない、チャーチワードが著書の中で語っていたインドの古代寺院を特定。1998年3月に考古学者たちと編成チームを組んで現地調査をおこないました。

 そしてアメリカ軍は軍事衛星によるレーダースキャンによって秘密の部屋を発見し、そこからナーカル碑文の現物を入手することに成功したのです。

 証拠となる写真は2009年に発売されたムー〈スーパーミステリーファイル[特集]オーパーツ〉の31Pにも掲載されました。

 そこに描かれている絵文字は、チャーチワードが著書の中で紹介したものとまったく同じものでした(3本の長い線が〇を支えているようなやつです)。

 かくしてムー伝説最大根拠「ナーカル碑文」が実在したことが明らかになったのです。

 というお話しでございます。

 ところでヤフー知恵袋で「ムー大陸の存在は、オカルト雑誌のムーですら否定していますから」という回答を見かけたことがあるのですが、何年の何月号のムーにそのような文が載ったのでしょうか?詳しく教えてほしいものです。

【まとめ】

 ●懐疑派は「ナーカル碑文の写真は存在しない」などと言っているが、雑誌のムーなどでとっくに発表されている。

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ムー大陸は本当に存在したのか?伝説の真相に迫る!目次

2024-01-30 06:34:54 | 超古代文明

 
 「ムー大陸って本当に存在したの?」
 
 「いろんな意見があるみたいだけど、本当のところが知りたい」
 
 ……この記事はこのような方たちのために書かれたものです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【参考資料】

 ムー〈スーパーミステリーファイル「特集」オーパーツ〉

 

 平川陽一〈超古代大陸文明の謎〉

 超科学研究会編〈失われたムー大陸の謎〉

 竹内均〈ムー大陸から来た日本人〉

 鈴木旭〈日本に蘇る失われたムー文明の刻印〉

 高坂和導〈超図解 竹内文書〉

 竹内康裕〈古代の叡智「竹内文書」と神秘秘伝の術時〉
 
 コリン・ウィルソン〈アトランティスの遺産〉

 ウェブサイト〈裏社会暴露ブログ〉

 と学会〈トンデモ超常現象99の真相〉

 ASIOS〈謎解き古代文明〉

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