オカルト伝説は事実である

砂に埋れ、誰にも気づかれずにいる世界の真実を見つけ出すブログです。

竹内文書の謎の国「ミヨイ」こそがムー大陸の正体だった

2024-02-03 05:14:00 | 超古代文明

 

【竹内文書】

 〈日本に蘇る失われたムー文明の刻印〉の著者、鈴木旭は「ムーの正体は超古代の日本だった」という説を唱えています。

 

 根拠となっているのが古史古伝の竹内文書。そこに描かれている日本とムーがうりふたつだというのです。

 

 たしかに竹内文書の中の日本もムーも世界の中心であり、太陽を象徴にしています。

 

【謎の国「ミヨイ」】

 

 また、鈴木旭は触れていないのですが、実は竹内文書の古代地図には「ミヨイ」という謎の国が描かれているのです。

 

 そしてミヨイを漢字にすると「姆」となり、〈裏社会暴露ブログ〉というブログによると、この漢字はなんと「むう」と読むのだそうです。

 

 半分こじつけのような印象を受け、また半分は真実のような話です。

 

【謎の国「タミアラ」】

 が──チャーチワードが推定したムー大陸があったとされる場所には、ミヨイではなくもう1つの謎の国「タミアラ」が描かれています。

 

 しかしタミアラは「雷姆利亜」、すなわちレムリア大陸のことだと考えられています。

 

 が、レムリアがあったとされているのは太平洋ではなくインド洋……。

 

 ちょっと話がごちゃついてきましたが、竹内文書とは無数の年月にわたって無数の人々が書き写して伝えてきたため、その過程の中でミヨイやタミアラの位置を誤記してしまった人々もいたと思います。

 

 そもそも重要なのは「超古代に今はなき大陸が存在した」ということであり、名前はそれほど重要なことではないと思います。

 

【ムーは世界の中心ではなかった】

 しかし、ミヨイ=ムー説はたぶん正しいと思いますが、ムーが世界の中心だったという話は事実に反していると思います。

 

 なぜなら竹内文書には「日本の天皇がミヨイの王を任命した」という記述があるからです。

 

 これでわかるように、世界の中心だったのはムーではなく日本であり、日本とムーはそれぞれ別の国だったというわけです。

 

【日本とムー】

 竹内文書とトロアノ絵文書には、ムーは2度海中に沈んだと書かれています。

 

 ムーは世界の長である日本の指導のもとにはじめは正しい道を歩んでいたのですが、文化と技術が発展を遂げるうちに驕り高ぶり、世界の支配に乗り出したのだと思われます。

 

 それに怒った日本と天の神が天誅を下し、ムーが海中に没してしまった……。

 

 資料があまりにも不足しているのでまだまだ憶測にすぎませんが、これから世に出てくると思われる資料をもとに、ムーの本当の真実に迫れたらいいと思っています。

 

【ムー大陸は本当に存在したのか?伝説の真相に迫る!】終わり

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「超古代文明ムーの実在はきわめて低い」の嘘

2024-02-02 06:06:01 | 超古代文明

 

✳️【超古代文明ムー実在の可能性はきわめて低い】

 さて、こうしてみると、チャーチワードが実在の根拠とした古文書はどれも信憑性の低いものばかりであることがわかる。これでは残念ながら、彼が主張するような超古代文明ムーの実在の可能性もきわめて低いと結論せざるをえないようである。(本城達也) ASIOS〈謎解き古代文明〉より

 

 

✔️【逆デバンキング〈そっくりそのままお返しします】

 さて、こうしてみると、懐疑論者の根拠はどれも説得力のないものばかりであることがわかる。これでは残念ながら、懐疑論者が主張するような超古代文明ムーが実在しなかった可能性もきわめて低いと結論せざるをえない(笑)。

 

【まとめ】

 ●超古代文明ムーはまぎれもなく実在した。

 

 ●懐疑論者は極度の視野狭窄である。

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東京大学名誉教授も支持するムー大陸実在の決定的証拠「ムー文化圏説」

2024-02-02 06:00:08 | 超古代文明

 

【太平洋の巨大文明】

 懐疑論者たちは都合の悪いことは一切口にしないため知らない方が大半なのですが、かつて太平洋になんらかの巨大文明が存在していたことは疑いようのない事実なのです。

 

 まず、1万8000年以上前に存在していたことが判明している沖縄人のルーツ、港川人。そのDNA配列とインドネシア人やマレーシア人のDNA配列が一致したのです。

 

 また、大昔の日本の風習である歌垣、妻どい婚、漁師が海難除けに入れる龍の入れ墨などが、東南アジアや南太平洋の国々にも存在するのです

 

【日本語とマオリ族の言葉】

 極めつけが日本語と、遠く離れたニュージーランドの原住民、マオリ族の言葉の共通性。

 

 牧草農業研究家の川瀬勇が、マオリ族の村長の家を訪ねたときでした。なんと中から「ハエレマエ」という言葉が聞こえてきたそうなのです。

 

 「ハエレマエ」とはマオリ語で「入りたまえ」という意味で、川瀬勇の友人の言語学者によると日本にも「入りなさい」を「ハエレマエ」という土地が存在するそうです。

 

 そのほかも……

 

 アリカ━━ありか

 

 アヒ━━火

 
 アミ━━あみ

 アナ━━穴

 イノイ━━祈り

 カム━━噛む

 マイマイ━━舞

 ワカレレ━━別れる

 ……など、日本語と酷似する言葉が多く存在することが明らかになりました。

 さらに人名もナクラ、タマイ、ハナ、アワモト、イナハ、カイパラ、カワイ、タカタ、タカマツアなど、日本の人名とよく似たものが多くありました。

【超古代日本人と太平洋の人々の交流】

 これらの謎は、「かつて太平洋になんらかの巨大大陸、または巨大文明が存在していて、日本人と太平洋の人々が交流を持っていた」と考えなければ説明がつかないのです。

 また、太平洋には大小1万もの島がありますが、ほかの大洋にはこんな膨大な数の島など存在しないそうです。

 ちなみにこの「ムー文化圏説」は、東京大学名誉教授で地球物理学者の竹内均も支持しているのですが、懐疑論者側の反対意見は今のところ1つも聞きません。

【まとめ】

 ●日本の文化と太平洋の国々の文化には共通点がある。

 ●かつて太平洋になんらかの巨大文明が存在していたことは間違いない。

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ムー大陸実在の決定的証拠!パウル・シュリーマンの「ラサ記録」

2024-02-01 05:17:56 | 超古代文明

 

✳️【ラサ記録】

 一方、「ラサ記録」のほうは、1912年の『ニューヨーク・アメリカン紙』に載ったパウル・シュリーマンの記事をもとにしたものである。

 

 記事によれば、トロイア遺跡の発掘で有名なハインリッヒ・シュリーマンの孫パウルが、チベットのラサにある寺院で4000年前に記されたという古文書を発見。そこには「トロアノ古写本」の記述と一致する謎古代文明ムーに関する話が記されていたという。

 

 ……はて?「トロアノ古写本」の記述と一致?そう、すでに見たように「トロアノ古写本」に記されていたというムーの話は誤りだったことがわかっている。そのためラサの寺院で記述が一致するような古文書が発見されるはずがない。では記事に載っている話はいったいなんなのか。実はこの話、大衆の失われた古代文明に対する強い関心を利用する目的で書かれたニセ記事だったことが判明している。ジャーナリストがパウル・シュリーマンの名を騙ってでっちあげたものだった。よって「ラサ記録」なるものは実在しない。(本城達也) ASIOS〈謎解き古代文明〉より

 

 

✔️【逆デバンキング〈ラサ記録批判のほうが怪しい〉】

 実在していたナーカル碑文、非常に怪しいブラッスール批判、ル・プロンジョン批判……これらの例から「ラサ記録などでっちあげだ」という話こそがでっちあげの可能性が高いと判断せざるをえません。

 

【まとめ】

 ●様々な状況証拠から、ラサ記録批判のほうが明らかに怪しい。

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コリン・ウィルソンも高評価したムー大陸研究家ル・プロンジョン

2024-02-01 05:11:34 | 超古代文明

 

✳️【ル・プロンジョンの新解釈】

 世の中は実に面白い。シャルル・ブラスールがとんでもない自己流解釈を施して『トロアノ絵文書』の翻訳本を発表すると、好奇心を刺激された人々はますますエスカレートする。わずかばかりのスパイスでは我慢できなくなってくるのである。

 

 ユカタン半島におけるマヤ遺跡に詳しいフランス人の内科医で、考古学者でもあるオーギスト・ル・プロンジョンが、シャルル・ブラスールの創作的な翻訳に独自の新解釈(?)を加え、おもしろい読み物にした。

 

 南山宏氏は言う。

 

 「彼(ル・プロンジョン)は同じ絵文書に独自の新解釈を加えて訳文を洗練させ、こんな具合に生々しく“翻訳”してみせた。

 

 『ムーは2回大きく押し上げられたあと、噴火の力に絶え間なく揺さぶられながら、一夜のうちに消滅した……10の国は大地を引き裂かれ、6400万の住民もろとも海中に沈んだ。この文書が記される8000と60年前のことである……』」

 

 南山氏が語るとおり、ル・プロンジョンは、わずかばかりの与えられたヒントを元にしてイメージを膨らませ、独自の解釈とアイデアを加えて生々しい物語に仕上げたのであった。たいした才能である。

 

 ル・プロンジョンのペンはとどまるところを知らない。今度は「チチェンイツァー遺跡(階段式ピラミッド)の壁面に彫られたレリーフを解読した」というふれこみで、ムー王朝の最後を彩る悲劇の物語を書き上げた。(中略)

 

 ここまでくれば、察しのよい人は気づくだろう。 

 

 「なんだ。チャーチワードが書いた『失われたムー大陸』の文脈は、ほとんどがル・プロンジョンが創作した物語と同じじゃないか」

 

 そのとおりである。

 

 チャーチワードは「フランスの古代マヤ研究家ル・プロンジョン博士が云々」という言い方でル・プロンジョンを頻繁に紹介し、彼が翻訳した『トロアノ絵文書』をそっくりそのまま引用しているのである。 鈴木旭〈日本に蘇る失われたムー文明の刻印〉より 

 

 

✔️【逆デバンキング〈コリン・ウィルソンの高評価〉】

 オカルト界の世界的権威にコリン・ウィルソンという人がいます。

 彼の著作〈アトランティスの遺産〉から引用します。

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 ル・プロンジェオンは、年齢150歳というインディオから、マヤの象形文字の読み方を学んだ。学者たちは、ル・プロンジェオンによるこれらの象形文字の解読に疑問を呈するのだが、彼の能力は、チチェン・イツァの地下8メートルに埋まっていた石像の発見によって証明されている。ある壁に彫られていたマヤ語の銘文の中にその位置が書かれていたのを彼が見つけたのだ。(中略)

 しかし、ル・プロンジェオンの著作の中で最も論議を呼んだのは、ブラスールが最初に研究した『トロアナ法典』からの翻訳である。ここにアトランティスを破壊した天変地異のことが書かれているという点については、彼もブラスールと同意見だったが、ル・プロンジェオンが解読できる範囲では、マヤ人はアトランティスを「ムー」とよんでいるとしていた。この文書では、13チュエン(日?)のあいだ続いたひどい地震のことを語り、それは大地を何度も隆起させたり陥没させたりしたのち、ばらばらに引き裂いたのだという。法典であげられているこの地震の日付、「カン暦6年、第11番目のムラック」というのは、(ブラスール、ル・プロンジェオンの両方によると)紀元前9500年だという。ル・プロンジェオンは、のちにウスマルの南方にある遺跡、カバーで、やはりこの日付をあげている壁画を発見し、ソチカロではさらにもうひとつ、この異変について述べている銘文を発見したと言明している。

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【コリン・ウィルソンのエドガー・ケイシー批判】

 次に、再び〈アトランティスの遺産〉から引用します。

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 ケイシーの伝記作家ジェス・スターンは、ケイシーの「予言の的中率は信じられないほど高く、ほとんど100%に近い」と述べているが、これは事実と相当に食い違っている。彼がトランス状態で語ったことのいくつかは、たしかに不気味なほど正確であることがわかっている。たとえば、ナイル川がかつて西に向かって流れていたということ(地質学の研究によると、現在のナイル川と大西洋との中間点にあるチャド湖に注いでいたことがわかっている)、死海の近くにエッセネ派として知られていたコミュニティーがあったこと(彼の死の2年後に発見された死海文書によって立証されている)、そして2人のアメリカ大統領が、その任期途中で死を迎えること(ルーズヴェルトとケネディーがそうだった)などだ。だが、批判的な向きは、彼の予言の多くが曖昧模糊としていること、それにとにかく当たらなかったものも多いことを指摘する。1942年から44年の間にアメリカが関わる戦争があるかどうかを1938年の時点で訊ねられた彼は、それは平和への望みがあるかどうかによると答えるにとどまり、自分の予言の信憑性を証明する黄金の機会を逃している。

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 ……このようにコリン・ウィルソンとは、認めるべきところは認め、怪しいところはしっかり指摘するフェアな人物であることがわかります。

 そのウィルソンがル・プロンジョンの能力を高く評価しているのです。

 ナーカル碑文の実在やブラッスール批判の例もあり、ル・プロンジョンの解釈も間違いではなかったと思います。

【まとめ】

 ●ル・プロンジョン批判もブラッスール批判同様、捏造の可能性が高い。

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