オカルト伝説は事実である

砂に埋れ、誰にも気づかれずにいる世界の真実を見つけ出すブログです。

世界はファティマ第3の予言どおりに終末に近づいている

2024-09-04 10:31:31 | 超能力/怪奇現象

 
✳️【実現する兆候すらない終末】
 そもそも真の第3の予言は終末論だとする立場に立つと、その予言は100年近くも前にされていながら、いまだに実現する兆候すらないということになってしまう。
 
 さらにルチアは、第3の予言を「1960年まで」秘密にするよう要請した理由について、「そのとき、すべてがより明らかになるからです」と語っていた。ところが、実際には予言と一致するようなことはなにも起きていない。
 
 最初の予言から100年近く、ルチアの期限設定から50年以上。どうやら真の予言が終末論だとしても、その実現にはずいぶんと長い時間がかかるようである。(本城達也) ASIOS〈検証 予言はどこまで当たるのか〉より
 
 
✔️【逆デバンキング〈世界は着々と終末に近づいている〉】
 2度の世界大戦、ロシア革命、イスラエル建国など、世界は第3次世界大戦に向かって着々とフリーメーソンの黒い教皇、アルバート・パイクの計画どおりに進んでいるのですが……。
 

ルシアは公開されたファティマ第3の予言に怒りの声をあげている

2024-09-04 10:29:10 | 超能力/怪奇現象

 
✳️【ルチア(ルシア)の証言】
 関係者の証言はどうか。よくいわれるのはファティマのベナンシオ司教のものである。これは第3の予言が記された手紙をベナンシオ司教が一時的に預かった際、手紙が入った封筒を光にかざし、中身を透かして見たというものだ。
 
 司教の話によれば、このとき入っていた手紙は1枚で、そこには20行から25行ほどの文が書かれていたという。ところが、2000年に公開された手紙は4枚で60行以上あったため、矛盾が生じるということのようだ。    
 
 しかしベナンシオ司教は別のところでは、ようやく何行か見えただけで、文字を読み取ることはできなかったとも語っている。そのため透かし見の話の信憑性には疑問符をつけざるをえない。
 
 筆跡のほうは、ルチアが第3の予言の内容を書いたとして公開された手紙の筆跡と、彼女が1930年代や1980年代に書いた手紙の筆跡が少し異なるため、本物の手紙はほかにあるとする見方もある。
 
 しかし筆跡はDNAや指紋のように生涯変化しないとは限らず、年代や書いた当時の状況によって変わる場合もある。たとえばイギリスの科学者として有名なアイザック・ニュートンは、幅広い年代にわたって多くの手稿を残しているが、年代によって筆跡が異なるため、筆跡の違いによる手稿の時代区分法があるほどである。
 
 よってルチアの手紙の筆跡も、年代によって少し違いがあるからといって、それだけで捏造であるなどとはいいがたい。
 
 もともとルチアは、第3の予言が公開される前の2000年4月27日、教皇の名代としてルチアのもとを訪れた教理省秘書のタルチジオ・ベルトーネ大司教、並びにレイリア・ファティマ教区のセラフィン・デ・シルバ司教と会談し、その場で第3の予言が書かれた手紙を確認している。
 
 彼女は実際に手紙に触れ、「これは私の手紙です」と言い、手紙の中身を読むと、「私の字です」とはっきり認めている。また、「ほかに(第3の予言の)文書がありますか」との問いには、「いいえ、これよりほかに書いたものはありません」と明言している。
 
 にもかかわらず、陰謀論を主張する人たちはこの事実を無視するばかりである。そんなに終末論的な内容を期待しているのだろうか。(本城達也) ASIOS/菊池聡/山津寿丸〈検証 予言はどこまで当たるのか〉より
 
 
✔️【逆デバンキング〈ルシアは反論している〉】
 ところが人気ユーチューバー、ナオキマンの調べによると……

 ●ルシアは公開された第3の予言に対して「そんな内容ではない!」と怒りの声をあげ、法王庁を提訴した。

 ●第1、第2の予言にはルシアのサインがあったが、第3の予言にだけサインがなかった。

 ……といった話もあるそうなのです。

【第2、第3の予言は関連している】

 そもそもルシアは生前、「2つ目と3つ目の予言は互いに深く関係している」と述べており、ルシアの甥であるヴァリニョ神父もイタリアのテレビ番組〈エニグマ〉の中で「秘密の第3部は第2部と密接に関連している」と語りました。

【福音書と黙示録】

 また、ファティマ研究家のフレール・サント・ミッシェルは著書の中で「福音書と黙示録の中にあります。それらを読んでください!」とルシアが言ったと書いています。

 ほかの記事で説明したように、第2の予言は第一次世界大戦の勃発を予言しました。それと深く関連する上、ハルマゲドン(世界最終戦争)のことが書かれているとされるヨハネの黙示録も関係してくるとなると、第3の予言の内容は必然的に終末論的なものが想像されるのではないでしょうか?

 しかし公開された第3の予言にそのようなニュアンスはありません。

 このような理由からASIOSが挙げた「ルシアは自分の字であると認めた」「ルシアはほかに書いたものはないと言った」といったエピソードは、捏造か無理やり言わされたものと思われます。

【まとめ】

 ●ルシアはバチカンが公開した第三の予言に怒りの声をあげている。

 ●否定派は都合のいいことした言っていない。

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ファティマ第3の予言のあまりの恐ろしさに卒倒したパウロ6世

2024-09-04 10:26:36 | 超能力/怪奇現象

 
✳️【陰謀論者の言う「真の第3の予言は未公開」説に妥当性はあるか】
 陰謀論を主張する人たちによると、第3の予言は第1と第2の世界大戦に触れた予言に比べてスケールが小さく、教会、関係者の証言や手紙の筆跡などにも矛盾が見られたため、(終末論的な内容だと期待される)真の第3の予言は未だ公開されていないはずだという。
 
 本当だろうか。先述のとおり、第3の予言が教皇の暗殺未遂事件を示していたというのは後付けの神学的解釈にすぎない。そういった解釈を入れず、もとの予言の中身だけを見比べれば、実は3つの予言とも、その空想的な描写では大差がないことがわかる。(本城達也) ASIOS/菊池聡/山津寿丸〈検証 予言はどこまで当たるのか〉より
 
 
✔️【逆デバンキング〈パウロ6世の有名エピソードに触れられていない〉】    
 ASIOSは今回も触れないとおかしいことにまったく触れていないのですが、ファティマ第3の予言を読んだ当時の教皇パウロ6世が、その内容のあまりの恐ろしさに卒倒したことはあまりにも有名。

 意識を取り戻したあとパウロ6世は「これはぜったいに人の目に触れさせてはいけない。私が墓の中まで持っていく」と語ったと伝えられています。

 教皇の暗殺だの空想的描写だの、その程度の予言でパウロ6世が卒倒して予言の公開を禁じるはずがありません。

 よって陰謀論者側の考えが正しいと言えると思います。

【まとめ】

 ●教皇の暗殺程度の内容でパウロ6世が卒倒するとは考えにくい。

 ●そもそもASIOSはパウロ6世の卒倒エピソードにすら触れていない。

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第1次世界大戦を予言的中!ファティマ予言に神学的解釈など必要ない

2024-09-04 10:23:33 | 超能力/怪奇現象

 
✳️【第3の予言は神学的解釈】
 さて、そんな第1と第2の予言は1942年に公開されたものの、最後の第3の予言は同時には公開されなかった。
 
 ルチアによれば、第3の予言はまだ秘密にするよう啓示を受けたのだという。のちに「1960年まで」という期限を設けたが、その期限を過ぎても実際に公開されることはなく、結局、公開が決まったのは2000年になってからだった。この年の5月3日にファティマでおこなわれた盛大な式典にて告知があり、同年6月26日、ついに正式に公開されたのである。
 
 公開された第3の予言は、1944年1月3日に、ルチアが手紙に書いていたものだった。その中では教皇の暗殺が予言され、実際に1981年に起きたヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件によって、予言は現実のものになったとされる。
 
 しかし、本当にそのようなことが予言されていたのだろうか。ここでは実際に第3の予言は引用してみたい(『ファティマ 第3の秘密 教皇庁発表によるファティマ「第3の秘密」に関する最終公文書』教皇庁、教理省、カトリック中央協議会)。
 
 わたしたちは、マリアの左側の少し高いところに、火の剣を左手に持った1人の天使を見ました。この剣は、まるで世界を火で焼きつくさんばかりに、火花を散らして光り輝いていました。しかしその炎は、マリアが天使に向かって差し伸べておられた右手から発する輝かしい光に触れると消えるのでした。天使は、右手で地を指しながら大声で叫びました。
 
 「悔い改め、悔い改め、悔い改め」
 
 それからわたしたちには、はかりしれない光─それは神です─の中に、「なにか鏡の前を人が通り過ぎるときにその鏡に映って見えるような感じで」白い衣をまとった1人の司教が見えました。「それは教皇だという感じでした」。
 
 そのほかに幾人もの司教と司祭、修道士と修道女が、険しい山を登っていました。その頂上には、樹皮のついたコルクの木のような粗末な丸太の大十字架が立っていました。
 
 教皇は、そこに到着なさる前に、半ば廃墟と化した大きな町を、苦痛と悲しみにあえぎながら震える足取りでお通りになり、通りすがりに出会う死者の魂のために祈っておられました。
 
 それから教皇は山の頂上に到着し、大十字架の前にひざまづいてひれ伏されたときに、一段の兵士たちによって殺されました。彼らは教皇に向かって何発もの銃弾を発射し、矢を放ちました。同様に、他の司教、司祭、修道士、修道女、さらに様々な地位や立場にある多くの信徒たちが、次々に殺されていきました。十字架の両腕の下には2人の天使がいて、おのおの手にした水晶の聖水入れに殉教者たちの血を集め、神に向かって歩んでくる霊魂にそれを注ぐのでした。(トゥイにて1944年1月3日)
 
 一読してわかるとおり、予言では教皇のほかに、司教、司祭、修道士、修道女、さらに多くの信徒たちが殺されることになっている。
 
 ひるがえって1981年に起きた教皇暗殺未遂事件はどうだったか。ヨハネ・パウロ2世と女性2人がケガを負ったものの、矢を射られるようなこともなければ、死者も出なかった。その他に書かれている内容も一致していない。よって、これを的中とみなすのはかなり苦しい。
 
 ところが教皇庁によれば、予言というものは出来事が起きたあとに「神学的解釈」なるものをほどこして初めて意味があるのだという。公開当時、教理省長官だったヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿(現・教皇ベネディクト16世)は、予言の神学的解釈について次のように説明している。
 
 「(予言で示される)ビジョンの多くの部分は、振り返ってみて初めて解読できるものである」
 
 もしそうならば、ファティマの予言というものは、事前にはなんら具体的に事件の中身や時期を明らかにできなかったことを示している。なにか事件が起きてから、あれは予言されていたのだ、と解釈しているにすぎない。
 
 結局、ファティマの予言による的中事例とは、事後予言と神学的解釈によって生み出されたものだったのである。(本城達也) ASIOS〈検証 予言はどこまで当たるのか〉より
 
 
✔️【逆デバンキング〈聖母マリアの第2の予言に触れられていない〉】
 「私があなたがたに言っていることがなされるならば、多くの霊魂が救われ、平和が来るでしょう、戦争は終わるでしょう。しかし、人々が神に背くことをやめないならば、ピオ11世の御代の間にもっとひどい戦争が起こるでしょう。未知の光によって照らされる夜を見るとき、これが神によってあなたがたに与えられる大きなしるしであるということを知りなさい。神は戦争、飢饉、教会と教皇の迫害によって世界をその罪のために罰しようとしておられるのです」

 

【ピオ11世】
 前述の文はルシアが聖母マリアから授かった第2の予言の一部なのですが、一読してわかるように「ピオ11世」という人物名が明確に書かれています。

 ピオ11世の教皇在任期間は1922年~1939年。ドイツがポーランドに侵攻して第2次世界大戦が起きたのが1939年であり、聖母マリアの予言は見事に的中しています。

【まとめ】

 ●聖母マリアは第一次世界大戦を完璧に予言的中させた。

 ●ファティマの予言に神学的解釈など必要ない。

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ファティマの奇跡は「聖母」「太陽の舞踏」「予言」の3つでワンセットである

2024-09-04 10:20:20 | 超能力/怪奇現象

✳️【伝説】
 1917年5月から10月までの毎月13日、ポルトガルの小村ファティマにて、聖母マリアが出現するという事件が起きた。世にいう「ファティマの奇跡」である。
 
 聖母マリアを目撃したのは、ファティマに住む羊飼いの子供、ルチア・ドス・サントスと、いとこのフランシスコ・マルト、それに妹のヤシンタの3人。
 
 彼女らは聖母マリアから3つの予言を託されたという。第1の予言は、当時勃発していた第1次世界大戦が間もなく終結するというもの。第2の予言は、新たな第2次世界大戦の勃発とロシアの脅威について。そして第3の予言は教皇が暗殺されるというものだ。
 
 恐るべきことに、これら3つの予言はすべて的中した。ファティマの予言は現実のものとなったのである。
 
【真相】
 ファティマで聖母マリアが出現したという、その奇跡の検証については、本稿で取り上げるには長すぎるため、別の機会に譲りたい。ここでは本書のテーマである予言に絞って取り上げる。
 
【第1と第2の予言は事後予言】
 ファティマの予言は、ルチアたちによると聖母マリアに秘密にするように言われたとされ、すぐに公開されることはなかった。
 
 ところが秘密にしていた間に、予言を託されたとされる3人のうち、マルトとヤシンタは1919年と1920年にそれぞれ死去。予言の中身を知る人物はルチアだけしかいないという事態になってしまった。この時点で客観性は大いに欠けることになってしまった。
 
 そうした中、事件から24年も経った1941年8月31日、ルチアはようやくレイリアー・ファティマ教区あての手紙の中で、第1と第2の予言を記し、1942年に公開。それは実に事件から4半世紀も経ってからのことだった。
 
 しかしこの頃にはすでに、予言で言及のあった出来事は起きていた。つまり、第1と第2の予言は事後予言なのである。これで的中したと言われても、「事後ですからね」としか答えようがない。(本城達也) ASIOS〈検証 予言はどこまで当たるのか〉より
 
 
✔️【逆デバンキング〈太陽の舞踏〉に触れられていない】
 
 
 ASIOSがどういうわけか、まったく触れていない1つの事実があります。それこそ「太陽の舞踏」です。

 ファティマに現れた聖母マリアの姿は子供たちにしか見えなかったため、子供たちは周りの大人たちから「噓を言っているのではないか?」と疑われました。

 そこで聖母マリアは誰もが認めざるをえない奇跡を起こすことを約束し、約束の日である1913年10月13日にヨーロッパ中から集まった7万人の群衆の前で「太陽の舞踏」を見せたのです。

 実際にその奇跡を目撃したコインブラ大学のアルメイダ・ガレッタ博士の言葉を紹介します。

 「猛烈に雨が降っていました。そして、雨は皆の衣服にしたたり落ちました。突然、太陽はそれを覆っていた濃い雲を透かして差し込みました。皆は指示されたほうを見ました。それは非常に明確な輪郭のディスクに似ていました。それはまぶしいことをありませんでした。誰かがあとでファティマで言ったように私は、曇った銀色ディスクのようなものだと思いません。いいえ。それには、明確で、変化している明るさがむしろありました(それは、真珠と比較することができました)。これは詩的なことではありません。私の目はそれを見たのです。この明確な形をしているディスクは突然ターンしはじめました。それは加速するとともに回転しました。突然、群衆は苦悩で泣きはじめました。太陽は、絶えず回転して、血のように赤い状態で地球に向かって降下をはじめました。燃えたつ火のような重さで皆を押しつぶす恐怖を与えながら」

【3つでワンセット】 
 オカルト史に残る大事件「太陽の舞踏」は当時の新聞にも載り、本当にあったことがわかってもらえたと思います。

 そしてファティマの予言とは……

 ●聖母マリアの出現

 ●太陽の舞踏

 ●予言

 ……この3つでワンセットと考えるべきものであり、たとえ事後であろうと、これほどの大奇跡とセットになっている予言の信憑性が低いはずがありません。

【まとめ】

 ●ファティマの奇跡は聖母の出現、太陽の舞踏、予言の3つでワンセットと考えるべき。

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