オカルト伝説は事実である

砂に埋れ、誰にも気づかれずにいる世界の真実を見つけ出すブログです。

「たつき諒の予言は『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』にすぎない」の真相

2024-08-21 10:35:58 | 超能力/怪奇現象

 
✳️【東日本大震災の予言】
 最後は最も有名な東日本大震災の予言。この予言は『私が見た未来』初版本の表紙に書かれている。
 
 これを見れば当たっているように見える。しかし、情報が少なすぎる。本編の漫画ではどう描かれているだろうか……と思って確認してみると……
 
 何もなかった。冗談ではなく、この東日本大震災の予言とされるものは本編に一切登場せず、表紙にある11文字だけしかなかった。
 
 『私が見た未来』完全版の解説によれば、「2011年3月」という年月は『私が見た未来』初版本の締め切りの日に、たつき氏が夢で見たものだという。それを急遽、表紙に載せたのだという。
 
 けれども時間があったら漫画にできるような予知夢だったのかというと、そうではないらしく、初版本の22年後に出た完全版の方でも東日本大震災の予言についての漫画や、それのもとになった夢日記は掲載されていない。
 
 これでは情報が少なすぎて、ただのまぐれ当たりの可能性が捨てきれない。
 
 松原照子氏の予言と同じく「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の可能性も高い。というのも『私が見た未来』完全版では1985年から2004年にかけての夢の記録がノート2冊、厚さにして10センチはありそうなものが紹介されているからだ。それだけの数の記録がありながら当たったとされるものを少数しか出せていないということは、外れているもののほうが圧倒的に多いということだろう。 ウェブサイト〈超常現象の謎解き〉より
 
✔️【逆デバンキング〈たつき諒は的中率の低さを認めている〉】
 まず、たつき諒はフジテレビ〈奇跡体験!アンビリバボー〉で「自分の予知夢の的中率は10%くらいにすぎない」と述べていました。
 
 〈超常現象の謎解き〉の運営者・本城達也はASIOSの〈検証 予言はどこまで当たるのか〉の中で、自称・予言的中率85%のアメリカの予言者、ジーン・ディクソンを懐疑的に検証し、「本当の的中率は10.4%にすぎなかった」と言っています。
 
 よって予言的中率10%は、懐疑界では極めて低い数字だというわけです。
 
 たつき諒は自分の予知夢の的中率が極めて低いものであることを、はっきり認めているわけなのです。
 
【「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」は実はすごいこと】
 次に「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるにすぎない」という批判なのですが、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」というのはすごいことだと思います。
 
 なぜなら全人類の99.9%以上が、下手な鉄砲を数撃っても当たらないからです。
 
 しかもディクソンの場合、的中した10.4%の予言は二分の一の確率の予言や、だいたい予想できそうな事件ばかりだそうですが、たつき諒の場合は明らかに違います。
 
 3.11も、ダイアナ妃の8月31日の死も、フレディーの若い年齢での流行り病での死も、二分の一の確率の予言でもなければ、誰でもだいたい予想できそうな事件でもありません。
 
 これでたつき諒とほかの予言者が、明らかに違うことがわかると思います。  
 
【重要なのは的中率ではなく意外性】
 ところで、懐疑論者はなにかと的中率というものにこだわりますが、重要なのは的中率ではなく、的中させた事件の意外性だと思います。
 
 二分の一の確率で当たるものや、誰でもだいたい予想できそうなものばかりを100個予言して的中率95%のAさんと、誰にも予想できないようなものばかりを予言して、的中率5%のBさん。
 
 Bさんのほうが明らかにすごいことは言うまでもないと思います。
 
 予言者で重要なのは的中率ではなく、的中させた事件の意外性なのです。
 
 たつき諒はこの定義に、当てはまる予言者であると言えると思います。
 
 (ただ、私がこのようなことを言うと、「私は的中率は低いが、意外な事件を当ててみせたぞ。すげーだろ!」という感じの卑劣な輩がわんさと出てくると思うので、偽物には充分注意が必要です)。
 
【まとめ】
 ●「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」は実はすごいことである。
 
 ●予言者として重要なのは的中率ではなく意外性である。
 

「たつき諒は富士山大噴火の予言を外した」の真相

2024-08-21 10:19:31 | 超能力/怪奇現象

 
✳️【外れた富士山大噴火の予言】
 (前略)『私が見た未来』初版本の表紙で最も目立つ予言は富士山の噴火を描いたものである。
 
 表紙には、「1991年8月20日に見た夢」「絵はがきみたいなきれいな富士山」「すごい急いで雲がぐるぐる周りながらふきだした」「雲がぶあ~と吹きだしてきたと思ったら富士山が噴火したものすごい音」「ドーン」と書かれている。
 
 しかし、ご存知のように富士山は噴火していない。つまり、この予言は外れている。
 
 1991年から30年後の2021年8月には、この富士山の噴火予言が30年のズレを経て的中するのではないかと騒がれたが、結局外れた。また『私が見た未来』完全版の作者解説によると、夢診断なるもので「噴火」は「世界恐慌」や「パンデミック」とも解釈できるという。そんな超絶解釈がOKならもう何でもありかもしれない。
 
 ただし表紙でメインになっているこの富士山の噴火予言は本編の漫画には登場せず、代わりに本編でメインの扱いになっているのは、1981年に見たという津波の夢である。(後略) ウェブサイト〈超常現象の謎解き〉より
 
✔️【逆デバンキング〈たつき諒は富士山の夢を3回見ている〉】
 これは的の外れた反論と言わざるをえません。
 
 たつき諒は富士山に関する夢を3回見ており、そのうち富士山が噴火するのは1991年に見た1回目だけなのです。 
 
 2002年に見た2回目の富士山の夢では、「富士山が見える梅畑がある場所にホームステイをした」というなごやかなものです。
 
 2005年に見た3回目の富士山の夢は、セスナ機に乗って富士山の火口を真上から見て「きれいな死火山だな」と思うものです。
 
 もしもたつき諒が富士山の大噴火を予知していたなら、富士山の夢は2回目以降からどんどん恐ろしいものになっていき、噴火の規模も大きくなっていくはずです。
 
 が、実際はそのようにはならず、富士山が噴火をしたのは1回目の夢のときだけだったのです。 
 
 よって富士山が噴火する絵を表紙に載せはしたものの、富士山が大噴火する予言はしていないというわけなのです。
 
 また〈超常現象の謎解き〉は「〈私が見た未来〉の表紙に富士山噴火の絵が1番大きく使われている。だから富士山の噴火の予言がメインなのだ」などと言っていますが、この意見も的の外れたものであることは説明不要だと思います。
 
 ちなみにたつき諒によると、溶岩が少し漏れるような噴火はあるかもしれないが、東京が壊滅するような大噴火はないそうです。
 
【まとめ】
 ●たつき諒は富士山が大噴火する予言などしていない。
 

「たつき諒はフレディーの死を予言したとは言えない」の真相

2024-08-21 10:17:19 | 超能力/怪奇現象

 
✳️【フレディ・マーキュリーの予言】
 この予言は表紙ではなく、『私が見た未来』初版本に収録されている同じタイトルの漫画「私が見た未来」に出てくる。
 
 同書によれば、イギリスの音楽グループ・クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーが亡くなる、もしくはそれを暗示する夢を2度、たつき氏が見たという。
 
 1度目は1976年11月。友人とテレビを見ていたら、フレディ・マーキュリーが亡くなったというニュースが流れる。フレディの大ファンだった友人は号泣。
 
 2度目は1986年11月28日。最初はテレビを見ている、たつき氏。するといつの間にか映画か何かのメイキング場面になっていて、なぜか自分も出演者に。そこにはクイーンのボーカルを除くメンバー3人の銅像があったものの、フレディの銅像はなかった。
そして、そこからさらに5年後の1991年11月24日。フレディ・マーキュリーが病で死去。たつき氏は同年11月28日に、新聞を読んでフレディの死を知ったのだという。
 
 これが、フレディ・マーキュリーの死を予言していたといわれるものである。
 
 しかし、やはりここでも疑問が浮かぶ。15年や5年のズレはOKなのか? 日付けのズレも、これまでこじつけられていた5の倍数ですらない。
 
 疑問は他にもある。たつき氏は初版本の183ページで、フレディの死を知った日は新聞を読んだ「11月28日」だったとしている。
 
 ところが同じ初版本の177ページでは、当時友人と11月26日からイギリスへ旅行に行く予定があり、その出発二日前の11月24日に友人から電話がかかってきて、テレビをつけろと言うので見たら、当日に亡くなったフレディの死を知ったと書いている。
 
 そしてイギリスへ旅行中は連日、現地でフレディの死が報道されていたというから、たつき氏が実際にフレディの死を知ったのは11月24日なのだろう。
 
 しかしそうなると、新聞で知ったという11月28日は何だったのか、ということになってしまう。初版本の178ページと180ページでは、11月28日付けの新聞を紹介したり、2度目の予知夢の日付けと並べたりしている。
 
 要は、日付けがピッタリ一致しているでしょう、ということらしい。
 
 けれども、11月28日はフレディが亡くなった日ではなく、日本で最初にその死が報道された日でもない。さらに、たつき氏がフレディの死を知った日でもない。(後略) ウェブサイト〈超常現象の謎解き〉より
 
✔️【逆デバンキング〈重箱の隅つつきにすぎない〉】
 「28日ではなく本当は24日だった」だの、これは重箱の隅をつつきであり、的の外れた反論と言わざるをえないと思います。
 
 たつき諒が初めてフレディーの死の予知夢を見たのは1976年。当時フレディーは30歳。
 
 2回目の予知夢を見たのは1986年。当時フレディーは40歳。
 
 フレディーがこんな若い年齢で流行り病で死ぬ夢を2回見た人が、果たして世界に何人いたのでしょうか?
 
 それも予知夢を見たのは2回とも、フレディーが亡くなった月と同じ11月です。
 
 これが偶然だと言うのなら、なぜそう言えるのか?誰もが納得いくデバンキングをおこなうのが懐疑論者の役目だと思うのですが?
 
【新生クイーンの予知】
 ちなみにたつき諒は2回目の夢の中で、「フレディーではない、知らない男の銅像がクイーンの一員として建てられていた」というものを見ています。
 
 クイーンはフレディーの他界後、アダム・ランバートという新ボーカリストを迎えて再始動したのですが、フジテレビ〈奇跡体験!アンビリバボー〉で「アダム・ランバートこそが知らない男の銅像の正体だったのでは?」ときかれたたつき諒は「そういう解釈もできるかもしれませんね」と語っていました。
 
 たつき諒はアダム・ランバートを新ボーカリストとして迎えた新生クイーンまでも予知していたというわけなのです。
 
【まとめ】
 ●〈超常現象の謎解き〉のデバンキングは的が外れている。
 
 ●たつき諒はアダム・ランバートを迎えた新生クイーンをも予知していた。
 

「たつき諒はダイアナ妃の死を予言したとは言えない」の真相

2024-08-21 10:15:01 | 超能力/怪奇現象

 
【ダイアナ元妃の予言】
 それでは、ダイアナ元妃の死を予言したと言われている方はどうだろうか。これも表紙の以下の部分が予言になっているという。
 
 イギリスのダイアナ元妃(正しいスペルはDiana)が亡くなったのは1997年8月31日。
 
 表紙には、「1992年8月31日に見た夢 ダイアナ?」という文字のほかに、赤ちゃんを抱く女性の絵と「DIANNA」という文字が書かれている。
 
 そこから「ダイアナ」と「8月31日」が合っているので、彼女の死を予言していたものとみなせるという。
 
 だが、またまた待ってほしい。5年もずれているのはOKなのだろうか? そもそも死を連想する部分が皆無なのだが、それもOKなのだろうか?
 
 もしこれが許されるならば、ダイアナに関係する出来事が8月か9月に起きれば、当たりとしてこじつけられてしまう。
 
 たとえば、1997年当時はダイアナの再婚問題が大きな注目を集めていた。もし彼女が8月か9月に再婚していたら?
 
 ほかにも再婚後に3人目の子どもを産んでいたらどうだろう。子どもを抱いている絵は、まさにこの出来事を示していたのだ、と騒がれたのは目に見えている。
 
 要するに解釈の幅が広ければ、その人物にまつわる出来事をいろいろ関連づけることができてしまうのである。
 
 作者のたつき諒氏は『私が見た未来』完全版にて、このときの夢ではダイアナが亡くなるというイメージはまったくなかったと書いている。 ウェブサイト〈超常現象の謎解き〉より
 
✔️【逆デバンキング〈「5年のずれ」など重要ではない〉】
 まず「5年のずれ」なのですが、ほかの記事で説明した「5回3失点」の考え方でいけば、5年のずれなどほとんど問題にはならないでしょう。
 
 重要なのは……
 
 「ダイアナ妃の身に8月31日になんらかの事件が起きる」
 
 ……という夢を見た人間が、世界に何人いたのか?という点です。
 
 そのような人間は私の知る限り、たつき諒以外にいません。
 
 こうした点を評価しないとフェアとは言えないと思います。
 
【無意識のイメージ】
 また……
 
 「作者のたつき諒氏は『私が見た未来』完全版にて、このときの夢ではダイアナが亡くなるというイメージはまったくなかったと書いている」
 
 ……という意見なのですが、ほかの記事で紹介した「スマホの予知絵」の例でわかるように、たつき諒は予知を無意識におこなうことがあります。
 
 たとえダイアナ妃が亡くなるイメージを意識できなかったとしても、無意識下ではダイアナ妃が亡くなるイメージを抱いていた可能性はあると思います。
 
【まとめ】
 ●「ダイアナ」と「8月31日」というワードを予知しただけでもすごい。
 

懐疑論者が触れないたつき諒の「スマホの予知絵」

2024-08-21 10:12:33 | 超能力/怪奇現象

 
【スマホの予知絵】
 本城達也、岡田斗司夫、占い師けんけんなど、たつき諒の予知夢漫画に懐疑的……いや、はっきり言って全否定する人は多くいるのですが、そんな懐疑論者たちが全員そろって無視をしているとある事実があるのです。
 
 占い師けんけんは藤子不二雄Aが漫画の中でニートの出現を予言し、望月峯太郎が漫画の中でストーカーの出現を予言したエピソードを紹介しているのですが、実はたつき諒にも似たようなエピソードがあるのです。
 
 たつき諒の〈私が見た未来 完全版〉は「第Ⅰ部 予知夢編」と「第Ⅱ部 ミステリー漫画編」と2部構成になっています。
 
 そして第Ⅱ部のほうに〈ちいさなカラの中〉という作品が収録されているのですが、なんとその中にスマホらしきものが描かれているのです。
 
 なぜ「なんと」なのかといいますと、〈ちいさなカラの中〉が発表されたのはスマホなど影も形もない1983年のことな上、作品の舞台設定が2016年なのです!
 
 これは〈私が見た未来 完全版〉の135ページと136ページに載っています。初めて見る方はさぞや驚かれることでしょう。
 
 (ちなみに〈ちいさなカラの中〉はストーリーがすばらしいので、いきなり135ページからではなく、最初から読むようにしてください)。
 
 この「スマホの予知絵」は人気You Tube、コヤッキースタジオでも紹介された大変有名なエピソードなのですが、懐疑論者たちはことごとく無視を貫いています……。
 
【たつき諒はスマホの絵を無意識に描いた】
 ところで、たつき諒はこの「スマホの予知絵」について、一切言及していません。
 
 コヤッキースタジオなどでとりあげられておそらく知っているとは思われますが、3.11の予言同様、人に言われて初めて気づいたと思われます。
 
 きっとたつき諒は2016年のスマホを無意識に予知し、無意識に漫画の中に描いたのだと思われます。
 
 ウソのようなホントの話です。
 
【ニートもストーカーも大昔から存在した】
 最後に余談を1つ。
 
 占い師けんけんは「藤子不二雄Aはニートを、望月峯太郎はストーカーを漫画の中で予言していた!」などと言っていますが、ニートやストーカーという言葉自体がなかっただけで、ニートやストーカーのような人間は大昔から普通に存在したと思われます。
 
 藤子不二雄Aと望月峯太郎は、そうした人たちを参考にして漫画にしただけなのではないでしょうか……?
 
【まとめ】
 ●たつき諒はスマホの登場を予知していた。
 
 ●これは有名な話なのだが、なぜか懐疑論者たちは触れようとしない。