オカルト伝説は事実である【対話篇】

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「たつき諒はフレディーの死を予言したとは言えない」の真相

2024-08-21 10:17:19 | 超能力/怪奇現象

 
✳️【フレディ・マーキュリーの予言】
 この予言は表紙ではなく、『私が見た未来』初版本に収録されている同じタイトルの漫画「私が見た未来」に出てくる。
 
 同書によれば、イギリスの音楽グループ・クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーが亡くなる、もしくはそれを暗示する夢を2度、たつき氏が見たという。
 
 1度目は1976年11月。友人とテレビを見ていたら、フレディ・マーキュリーが亡くなったというニュースが流れる。フレディの大ファンだった友人は号泣。
 
 2度目は1986年11月28日。最初はテレビを見ている、たつき氏。するといつの間にか映画か何かのメイキング場面になっていて、なぜか自分も出演者に。そこにはクイーンのボーカルを除くメンバー3人の銅像があったものの、フレディの銅像はなかった。
そして、そこからさらに5年後の1991年11月24日。フレディ・マーキュリーが病で死去。たつき氏は同年11月28日に、新聞を読んでフレディの死を知ったのだという。
 
 これが、フレディ・マーキュリーの死を予言していたといわれるものである。
 
 しかし、やはりここでも疑問が浮かぶ。15年や5年のズレはOKなのか? 日付けのズレも、これまでこじつけられていた5の倍数ですらない。
 
 疑問は他にもある。たつき氏は初版本の183ページで、フレディの死を知った日は新聞を読んだ「11月28日」だったとしている。
 
 ところが同じ初版本の177ページでは、当時友人と11月26日からイギリスへ旅行に行く予定があり、その出発二日前の11月24日に友人から電話がかかってきて、テレビをつけろと言うので見たら、当日に亡くなったフレディの死を知ったと書いている。
 
 そしてイギリスへ旅行中は連日、現地でフレディの死が報道されていたというから、たつき氏が実際にフレディの死を知ったのは11月24日なのだろう。
 
 しかしそうなると、新聞で知ったという11月28日は何だったのか、ということになってしまう。初版本の178ページと180ページでは、11月28日付けの新聞を紹介したり、2度目の予知夢の日付けと並べたりしている。
 
 要は、日付けがピッタリ一致しているでしょう、ということらしい。
 
 けれども、11月28日はフレディが亡くなった日ではなく、日本で最初にその死が報道された日でもない。さらに、たつき氏がフレディの死を知った日でもない。(後略) ウェブサイト〈超常現象の謎解き〉より
 
✔️【逆デバンキング〈重箱の隅つつきにすぎない〉】
 「28日ではなく本当は24日だった」だの、これは重箱の隅をつつきであり、的の外れた反論と言わざるをえないと思います。
 
 たつき諒が初めてフレディーの死の予知夢を見たのは1976年。当時フレディーは30歳。
 
 2回目の予知夢を見たのは1986年。当時フレディーは40歳。
 
 フレディーがこんな若い年齢で流行り病で死ぬ夢を2回見た人が、果たして世界に何人いたのでしょうか?
 
 それも予知夢を見たのは2回とも、フレディーが亡くなった月と同じ11月です。
 
 これが偶然だと言うのなら、なぜそう言えるのか?誰もが納得いくデバンキングをおこなうのが懐疑論者の役目だと思うのですが?
 
【新生クイーンの予知】
 ちなみにたつき諒は2回目の夢の中で、「フレディーではない、知らない男の銅像がクイーンの一員として建てられていた」というものを見ています。
 
 クイーンはフレディーの他界後、アダム・ランバートという新ボーカリストを迎えて再始動したのですが、フジテレビ〈奇跡体験!アンビリバボー〉で「アダム・ランバートこそが知らない男の銅像の正体だったのでは?」ときかれたたつき諒は「そういう解釈もできるかもしれませんね」と語っていました。
 
 たつき諒はアダム・ランバートを新ボーカリストとして迎えた新生クイーンまでも予知していたというわけなのです。
 
【まとめ】
 ●〈超常現象の謎解き〉のデバンキングは的が外れている。
 
 ●たつき諒はアダム・ランバートを迎えた新生クイーンをも予知していた。
 


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