脱原発・放射能

利権によって動かない組織、我々の力で変えて行こう

福島原発事故、3月12日未明の出来事|東電を激しく非難していた報道人がひき逃げで亡くなっていた

2011-11-12 14:06:32 | 原発・放射能
福島原発事故、3月12日未明の出来事と、
東電を激しく非難していた報道人がひき逃げで亡くなっていた話

63:転載(埼玉県):2011/06/10(金) 20:51:07.16 ID:6MADBNgL0
半径20キロに根拠はない。エイヤッ、と決めた数字だった
1 :ぽキール星人φ ★:2011/06/10(金) 14:56:35.54 0
◇「本当に20キロですか?」

3月11日の東日本大震災発生後、首相官邸地下の危機管理センター別室に詰めていた
菅直人首相は海江田万里経済産業相らと協議し、午後9時23分、第1原発から半径3キロ圏内に
避難指示を出した。12日未明には、1号機の格納容器内の圧力を下げるため、弁を開けて
放射性物質を含む水蒸気を逃がす「ベント」実施の必要性が生じるが、午前3時、これを発表した
枝野幸男官房長官は記者会見で「(半径3キロの)避難指示の内容に変更はありません」と2度繰り返した。

ところが直後に事態は急変する。午前5時、仮眠中の枝野長官は海江田経産相の「ベントを
まだやっていない」という叫び声で起こされた。「格納容器が破裂する恐れがある」という班目春樹・
内閣府原子力安全委員長の助言を受け、範囲をいきなり「半径10キロ」まで拡大する方針を決め、
午前5時44分に発表した。

官邸での鳩首(きゅうしゅ)協議では「住民がパニックになる」との声も上がったが、「やり過ぎても
いいから避難させよう」という枝野長官らが押し切った。

12日午前6時前。福島県大熊町役場に泊まり込んでいた渡辺利綱町長に、細野豪志・首相補佐官から
電話が入った。町には第1原発がある。「総理から原発の10キロ圏内に避難指示が出されました」。
原発はどんな状況なのか。渡辺町長は細野補佐官に聞きたかったが、説明はなかった。「いろいろあるでしょうが、
安全確保のために協力してください」。細野補佐官はそう言って短い電話を切った。

大熊町など原発周辺自治体は、事故を想定した訓練を毎年実施している。「原発の注水ポンプが故障して
格納容器の圧力が高まり、放射性物質が漏れる」とも想定していたが、町内の体育館へ集合して訓練は終わる。
原発が爆発したり、町民が町外に逃げ出さなければならない事態は「想定外」だった。

12日朝、福島県内だけでなく茨城県や東京都のバス会社から避難用バスが続々と町へ到着した。
国土交通省旅客課は、最初の避難指示より1時間以上も前に官邸から「当座100台のバス確保」を
命じられていた。混乱はあったものの、自主避難を除いた約8000人が県内約30カ所の避難所に向け出発した。

最後の1台が出たのは12日午後2時ごろ。町役場に残った鈴木久友総務課長は、北東約4キロにある
原発から「パーン」という爆発音を聞いた。午後3時36分、1号機での最初の水素爆発だった。

「ああーっ」。爆発の映像が官邸のモニターで流れた瞬間、班目委員長が頭を抱えてうずくまった。
衝撃を受けた官邸は午後6時25分、避難指示の範囲を「半径20キロ圏内」に拡大した。

原子力安全委の防災対策指針は「防災対策を重点的に充実すべき地域の範囲」(EPZ)の目安を
「原発から半径8~10キロ以内」と規定。これ以遠では「避難や屋内退避などの防護措置は必要ない」と
いうことだ。「半径20キロに根拠はない。エイヤッ、と決めた数字だった」と、決定過程に関わった
文部科学省幹部は振り返った。

全文はソース元で
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110610ddm010040004000c.html
64:転載(埼玉県):2011/06/10(金) 21:05:31.66 ID:6MADBNgL0
kibakoichi 木葉功一
by huromu@
もしかしてユースト中継で東電を激しく追求し、
司会から発言を止められた方でしょうか?
RT @yamacquiesce @thoton @huromu: 6/4
深夜国会議事堂近く、顔面出血で見付かった読売新聞広報宮地さん。
病院死亡。東電の記者会見によく出てた人。見せしめが始まったか?


警視庁麹町署によると、
死亡したのは読売新聞広告局、宮地正弘さん(28)=杉並区高円寺南。


 同署は現場や遺体の傷の況などから、ひき逃げ事件とみて
調べている。
 同署によると、現場は国会議事堂から数百メートルの片側4車線の
直線道路。宮地さんは中央分離帯近くにスーツ姿で倒れているところを
発見された。
現場に目立ったブレーキ痕や車の破損部品はなかったという。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110604/crm11060410470001-n1.htm

「捨てられた日本国民」 政府は本当のことは教えない。 国民がパニックになるから、だって

2011-11-12 13:41:19 | 原発・放射能

政府がまだ、以下のような「重大情報」を隠しているのをご存知だろうか。

●食道ガン、肺ガン、肝臓ガン、非ホジキンリンパ腫、多発性骨髄腫は、放射線の累積線量とともに有意に増加する傾向が認められ、その増加は累積10~20mSvから現れている。

●全悪性新生物(ガン)の死亡率は、累積線量とともに有意に増加する傾向を示し、死亡率の増加は累積10mSvから認められ、累積20mSvからは、さらに高まっている。

 これは、医師と弁護士双方の資格を持つ自民党の古川俊治参院議員が、『原子力発電施設等放射線業務従事者等に係る疫学的調査』と題する研究報告書の内容をまとめたものだ。

 この報告書は文科省が管轄下の財団法人・放射線影響協会に調査を委託し、原発作業員らの健康状況や死亡要因を追跡調査し、昨年3月にまとめていたもの。簡単に言えば、「累積の被曝線量が10mSvを超えるとガンになる人が増える」ことを示している。

 つまり文科省は、こうしたデータがあるのを知りながら、大人も子供も区別なく、「年間の被曝許容量20mSv」に引き上げてしまったということだ。

「政府や文科省が決めた、『年間20mSvまで』という被曝の許容量は、何の科学的根拠もない異常な数値だということです。特に、成長期にある子どもたちの放射線感受性は成人の2~3倍になります。一刻も早く、許容量を年間1mSv以下に戻さねばなりません」(古川参院議員)

 他にもこんなデータがある。放射線医学総合研究所が、原発事故後の3月25日に出していた、「甲状腺等価線量評価のための参考資料」と題するペーパーだ。

これは、ヨウ素やセシウムなどの放射性物質を体内に取り込んでおきる「内部被曝」についての資料で、「3月12日から23日までの12日間、甲状腺に0・2μSv(マイクロ=1000分の1ミリ)/時の内部被曝をした場合」(甲状腺等価線量)、どうなるかを示している。

 そのデータは、恐るべきものだった。

「1歳児(1~3歳未満)→108mSvの被曝」
「5歳児(3~8歳未満)→64mSvの被曝」
「成人(18歳以上)→16mSvの被曝」

 なんと、たった0・2μSvの内部被曝をしただけで、乳幼児は100mSv超に相当する、大量被曝をしたことになるという。

「このデータは3月25日には報告されていたものですが、何度も強く要請することで、最近になってようやく政府機関が出してきた。1~3歳児にとって、甲状腺への内部被曝は外部被曝の数万倍以上の影響があると考えなければならない。とんでもない数字ですよ」(民主党衆院科学技術特別委員長・川内博史氏)

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/7191?page=4


福島原発内部告発者の東電トラブル隠し事件 Kei Sugaoka GE/Tepco Whistleblower

2011-11-12 12:33:39 | 原発・放射能

内部告発『東電トラブル隠し』

アメリカ人技術者独占インタビュー

http://www.youtube.com/watch?v=fBjiLaVOsI4 約9分動画

(書き起こし)

去年発覚した、東京電力のトラブル隠し。

-今年4月 福島、新潟の東京電力の17機の原発すべてが停止するという、

前代未聞の事態にまで発展しました。

そのきっかけとなったのは、一人の技術者の内部告発でした。

スガオカ・ケイ氏、日系アメリカ人の彼は、

1976年から1998年まで、アメリカ最大手の電気メーカー、

GE(ゼネラル・エレクトリック)社 原子力エネルギー部に所属しました。

スガオカ氏は、アメリカ、日本、イタリアなどにある原子力発電所で、

原子炉の保守点検作業にあたってきました。

日本の原発(福島第一、第二原発など)についても、およそ20年間にわたり

点検作業の実績があります。

 

トラブル発見

スガオカ氏らの89年の11月、福島第一原発1号機の保守点検作業を

しているとき、蒸気乾燥機が180度、間違って取り付けられているのを

発見しました。

蒸気乾燥機からは、多くのひび割れが見つかりました。

 

(スガオカ氏)

「今ままで、多くの蒸気乾燥機を見てきましたが、

あんな蒸気乾燥機のひび割れは見たことがありません。

私はデータシートにサインしました。しかし、

蒸気乾燥機が180度位置が間違っていたの記述は

削除しました。

私はサインしただけで、内容の記述は行いませんでした。」

 

点検作業を請け負っていたGE社は、当時、間違いの削除を求める

東京電力の指示には、逆らえなかったといいます。

 

(スガオカ氏)

「要求には従いましたが、不満でした。

そうした要求があったことを上司に報告しました。

しかし、上司は気にかけませんでした。

日本人は変わっている、と言って一笑に付されました。」

 

八方塞がり

スガオカ氏らは、ひび割れの様子をビデオに録画していました。

しかし、東京電力は、それをもみ消すよう指示したのです。

その後の原子力保安員の調査でも、ビデオ改ざんが確認されています。

 

(スガオカ氏)

「東京電力の担当者が自ら、ひび割れ映像の消去を確認しました。

排水管のひびが移っている映像を消去すると、

(東京電力の人は)喜んでいました。」

 

アメリカのGE社の上司に問題提起しても、まったく取り合ってもらえません。

逆に「われわれは、日本が望むことなら何でもする」

と言われたといいます。

 

(スガオカ氏)

「GE社の指導員に説明したら、

そんなことをアメリカで犯せば、犯罪だと、言われました。

その後は二度とやらないことを決心しました。」

 

会社の対応に疑問を持ちながら、スガオカ氏は

その後も、原発で現場の保守点検作業を続けました。

しかし、1998年、コスト削減などの理由で、突然、

GE社を解雇させられました。

 

(スガオカ氏)

「GE社は不誠実です。私の解雇についても、誠実さにかけます。」

 

解雇された理由に納得できないスガオカ氏は、

2000年6月28日 ついに、日本の原発の監督官庁である、

旧通産省、資源エネルギー庁への内部告発にふみきりました。

 

内部告発

これが、福島と新潟にある東京電力のすべての原発を止めるきっかけとなった

手紙です。

----手紙の内容の一部(ここから)----

この点検で、GE社はわざと書類に記載をせず、

契約先の東京電力に報告しませんでした。

私たちは、東京電力が通産省に提出するための映像を録画しました。

これについては、東京電力の指示で、ひび割れの録画を消去しました。

----(ここまで)----

内部告発から、およそ1年にわたって、スガオカ氏と通産省の間には、

事実確認のやりとりがありました。

その後、通産省からの連絡が途絶えます。

そして、内部告発から2年後の去年8月、東京電力はトラブルを認めました。

スガオカ氏が内部告発したのは2件のトラブルでした。

それが調査の結果、福島と新潟にある東京電力の原発で、

あわせて29件ものトラブル隠しが判明したのです。

スガオカ氏の内部告発がすべてのきっかけでした。

 

(スガオカ氏)

「あれほど多くの隠蔽があるとは思いませんでした。

GE関連会社の幹部から、

『街中でも駅でもレストランでも、しゃべってはいけない』といわれました。

東京電力の社員がいるかもしれないからです。

東京電力の問題点・・・

公表しないことですね。何でも秘密にしてしまいますから。」

 

調査結果が発表された後も安心はできませんでした。

命を狙われるかもしれない、そう恐れるほど、

ゼネラル・エレクトリック社から、スガオカ氏に圧力がかかったといいます。

 

(スガオカ氏)

「東京電力がリークしたので、早いうちに私のことが知れ渡り、

GEの中では「気をつけたほうがよい、頭に銃弾打ち込まれるぞ」

という話があったようです。」

 

なぜ、スガオカ氏の名前が漏れたのか?

実は告発文を受け取った通産省(原子力安全保安員)は、

スガオカ氏の実名が書かれた資料を東電サイドに渡していました。

 

(書き起こし終わり)

 

 【関連記事】

 東京電力の点検データ改ざん事件(1)
http://blog.goo.ne.jp/jpnx02/e/9de4e3c0e3eeedaaa96e2d54ef2ded72

東京電力の点検データ改ざん事件(2)
http://blog.goo.ne.jp/jpnx02/e/23704ac846433d53bbca962cd15c0e7b

東京電力の点検データ改ざん事件(3)
http://blog.goo.ne.jp/jpnx02/e/1289836a20bd11dd990d41c45c947033

東京電力の点検データ改ざん事件(4)
http://blog.goo.ne.jp/jpnx02/e/23edd251572aeb2fc3b84bd95c600acd

東京電力の点検データ改ざん事件(5)
http://blog.goo.ne.jp/jpnx02/e/4e2362b859551d6fd1b28bfc61abfc1f

 


NHK「チェルノブイリ原発事故その10年後」ネステレンコ教授パート書き起こし

2011-11-12 11:55:08 | 原発・放射能

 NHK「チェルノブイリ原発事故その10年後」ネステレンコ教授パート書き起こし

驚くべきデータが語られる。  原子力物理学者ワシーリー・ネステレンコ教授

http://famasaki.com/japan/20110401010746/

(原子力物理学者ワシーリー・ネステレンコ@ベラルーシ)
原発を保有している国々は、チェルノブイリの事故から何の教訓も得なかったように思えます。ベラルーシ共和国の人口はおよそ1000万。その四分の一はチェルノブイリの周辺地域に住んでいます。しかも子どもが50万人もいるんです。事故からもう10年以上経つのに、そういう人々の安全はいまだに確保されていません。そんなテクノロジーが存在していいものでしょうか。
あの事故の後、私は西側諸国の原発を見学しました。しかし彼らは、「あなたの国の原発と違って、我が国の施設は極めて安全です」と言うばかりでした。そして万が一のときの安全対策も、半径20、30キロの距離でしか考えられていませんでした。200キロ以上離れていてもまだ危険だというのに。

(ナレーション)
ネステレンコ教授はチェルノブイリ事故の直後から被害の拡大を少しでも抑えようと努力してきました。そして1990年から93年にかけてベラルーシ、ウクライナ、ロシアの三ヶ国にまたがる専門家独立委員会を組織しました。独立委員会は独自に調査を進め人々の受けた被害が国際原子力機関の公式発表より大きなものであることを訴えています。

(ネステレンコ)
チェルノブイリに隣接した地域から取れる作物は今後数十年間汚染されたままでしょう。ベラルーシには甲状腺ガンに侵された子どもが驚くほどたくさんいます。事故から10年以上もの間、放射線に汚染された食べ物を摂り続けているせいで、住民の免疫力は著しく低下しています。さまざまな感染症に対し、とても弱い状態になっているんです。私はそれを核によるエイズと呼んでいます。

(ナレーション)
ネステレンコは最も汚染のひどい地域にいくつもの食料放射線管理センターを設置。地元の医師や教師たちに専門知識を伝え、特に子どもたちの身を汚染から守るよう働きかけてきました。しかしそのような施設の多くは財政的な事情から閉鎖に追い込まれました。わずかに存続しているものもヨーロッパのNGOから受けている資金援助が頼りです。アイルランドから寄贈された救急車に乗り、放射線の量を測定する機器をたずさえて、ネステレンコは汚染地域を巡回しています。人体の汚染状況を調査し、改善するためです。

(ネステレンコ)
残念なことに多くの子どもたちの身体が今も放射能にむしばまれています。例えば事故現場から200キロ以上離れた村でも、子どもたちのうち23パーセントが白内障にかかったり、失明したりしています。その村では84パーセント以上の子どもたちに不整脈が見られました。まるで心筋梗塞の予備軍です。というより、すでに多くの若者が心筋梗塞にかかっているような状況です。
およそ80パーセントの子どもが、胃炎や潰瘍を患っています。特にひどいのは12歳から15歳の子どもたちです。胃の粘膜が萎縮し、まるで70過ぎの老人のようになっています。つまり放射線の影響を受けた子どもたちは、命の炎を急速に燃やし尽くし、将来病気になることが確定しているんです。
私自身、同じような状況にあります。体内でいくつかの酵素を作る能力が失われてしまったので、食べられるものがごく僅かしかありません。もう慣れてしまいましたけどねえ。科学者の放射線被曝許容量は、一般市民の十倍とされています。いろいろな自衛手段を知っているためです。普通の人より健康で、放射線に強いからじゃありません。

(画面が切り替わり診療所のような場所)
ネ「魚は調べたんですか?」
父「他の人に食べてもいいと言われましたけど…」
ネ「子どもは1キロあたり37ベクレル以上の放射能を含んだものを食べてはいけません。これは70ベクレルもありますよ。あなたは釣りを?」
父「はい。趣味で」
ネ「なるほど、それで合点がいきました。とにかく子どもに与えてはダメです」
父「子どもたちはそんなにたくさん食べてませんよ。ただ私が食べていると、ねだるのでちょっと味見させているだけです」

(ネステレンコ)
私たちはペクチンをベースにした新しい薬(※ビタペクト2(Vitapect-2)のことか?)を見つけました。ウクライナで製造されているものです。水に溶ける錠剤で、大人でも子どもでも、これを一ヶ月間服用すれば、30%から40%の放射性元素を体外に排出できると言われています。

ネ「以前の数値はどれくらいだった? 1キロ当たり471ベクレルもあったんだね。マリーナ、錠剤はちゃんと飲んでる?」
娘「はい」
ネ「どのぐらい?」
娘「あと3錠しか残ってません」
ネ「ちゃんと飲んでるようだね。私のポケットの中に少しあるから、それを持っていきなさい。ずっと飲み続けるんだよ。それにしてもなぜこんなに数値が高いんだろう。最近、森に生えているキノコを食べたりしなかった?」
娘「食べてません」
ネ「じゃあ、干しキノコのスープを食べたことは?」
娘「もう干しキノコはありません」
ネ「他に何か野生のものを食べたことは? 例えば野ウサギとか」
娘「食べてません」
助手「前にあった干しキノコを全部食べたんでは?」
ネ「前は干しキノコが?」
娘「ありました」
ネ「沢山あったんだね。それをいつ食べた?」
娘「四月ごろです」
ネ「四月に。そのせいか。マリーナ、君は今15歳、それとも16かな?」
娘「16です」
ネ「いいかい、マリーナ。君の歳だと、四月に食べたキノコの放射能を半分排出するのに八月の末までかかるんだよ。半分排出するだけで、三ヶ月以上かかるんだ。安全なレベルに達するには、この先ずっと汚染されてないものだけ食べ続けても一年はかかる。このまま放射性物質を体内に蓄積していると、健康に取り返しのつかない悪影響に及ぼすことになるよ」
助「現在のマリーナの数値ですが、セシウムが301ベクレル。ですから170ポイントも下がっています」
ネ「それは素晴らしい。あと三ヶ月下がってくれればいいんだが。さあ、今日はこれで終わりだ。健康には十分、気をつけてね」

(マリーナが去った後にネステレンコの呟き)
あの子は、家族に何か問題があるようだね。気をつけた方がいい。

(ネステレンコ)
子どもたちに錠剤を出し始めてから、二十日が過ぎました。一日に二回ずつ飲んでもらっています。多くの子どもが放射性物質を30%以上排出しました。一人だけですが完全に輩出してしまった子さえいます。子どもたちは最低でも年に一回は検査を受けるべきです。そして汚染地域に住んでいる子どもたちには年に三、四回この薬を与える必要があります。その場合の費用は、一人年間で28ドルになります。

(ナレーション)
一人の子どもを救うのに必要な費用は、一年にわずか28ドル。しかしそれを必要とする子は、ベラルーシだけでも50万人います。結果的には大きな金額となってしまうため、ネステレンコの計画が実現する目処はまだ立っていません。

 


1号機周辺で毎時4000ミリ・シーベルト

2011-11-12 11:52:24 | 原発・放射能

1号機周辺で毎時4000ミリ・シーベルト

 東京電力は4日、福島第一原子力発電所1号機の原子炉建屋1階の床を貫通する配管の周辺のすきまから湯気が出ているのを、
調査に入った米国製ロボット「パックボット」で確認、撮影したと発表した。

 地下にある「圧力抑制室」から漏出した約50度の汚染水から出る湯気が1階に噴き出していると見られる。

 蒸気が噴出している周辺の放射線量も、最高で毎時4000ミリ・シーベルトと極めて高く、東電は「継続して監視する」としている。

(2011年6月4日12時00分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110604-OYT1T00372.htm

東電pdf
http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/images/handouts_110604_01-j.pdf


周辺住民の急性放射線障害とさまざまな情報「これらの記録は,かつてどこにも発表されたことがない」

2011-11-12 11:14:58 | 原発・放射能

周辺住民の急性放射線障害とさまざまな情報

アラ・ヤロシンスカヤ

ヤロシンスカヤ・チャリティ基金(ロシア)

http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/saigai/Yr96A-J.html

 チェルノブイリ原発事故がもたらした人間への健康影響を研究している世界の科学者たちは,しばしば和解不能なまでの対立を示す2つのグループに分かれている.第1のグループの代表は,ソ連時代またその崩壊後を通じて政府の見解を代弁してきた医療専門家たちである.彼らは,何年間もソ連と世界の人々から真実を隠蔽してきた.このグループの一致した見解によると,事故の際に死亡した消防士と一部の原発スタッフを除いて,チェルノブイリ事故は人間の健康に実質的に何の影響もおよぼさなかったし,将来もそのような影響をおよぼすことはないであろう.第2のグループは,政府から独立した立場の科学者たちで構成されている.彼らは,チェルノブイリ原発事故によって周辺住民が浴びた放射線被曝量が隠蔽されてきたことに心を痛めており,同時に低線量被曝が人々の健康におよぼす影響を憂慮している.第2グループの学者たちは,チェルノブイリ事故直後の数日間から数カ月間に住民の浴びた放射線が,これまでも,またこれからも何年にもわたって,人々に著しく否定的な影響をもたらし,健康を悪化させるだろうと確信している.人々の被曝量データは,政府当局によって,被災者にも国民全体にも知られないよう注意深く隠されてきた.この事実はウクライナの検察当局によっても確認されている.

 

 これから紹介する,筆者の私的なチェルノブイリ事故資料は,公式なもの非公式なものを含め,チェルノブイリ事故の放射線学的影響に関して2つのグループがどのように関わってきたかを示している.これらの記録は,かつてどこにも発表されたことがないことを強調しておきたい.

 チェルノブイリ原発周辺住民の急性放射線症状についての問題を追求しながら,記録に示された事実に基づいて,2つのグループの見解,議論,および結論を比較してみよう.

放射線の危険性に関する政府の公式見解

 チェルノブイリ原発事故の規模と影響に関するソ連の指導者たちの公式見解は,共産党機関紙によって周知となっている.その主たる結論は,次のとおりであった.すなわち,住民の健康状態にはなんら変化はなく,これからもないであろうというものである.この政治的な診断は,全体主義と民主主義のイデオロギー闘争を考慮してなされたものであった.その中には,真実のかけらもなかった.放射能汚染地域に関する真実の情報は,事故から3年間,第1回ソ連人民代議員大会まで完全に隠蔽し続けられた.ゴルバチョフ時代の選挙によって汚染地帯から選出された代議員たちのスピーチ,また「チェルノブイリ原発事故とその人間の健康と環境に対する影響」についての議会公聴会によって,当局と医療専門家のウソが初めて暴露された.

 私が持っている政府医療機関の公式文書を見れば,“生涯35レム”という,汚染地域住民が“安全に生活する”ための悪名高い被曝基準が,“権威者たち”によってどのようにして生み出されたのか,容易に追跡することができる.簡単にいえば,この考え方の底にあるのは1人当り70年間で35レムを浴びても健康に害はないという信念である.事故の1カ月後,その「上限」は70年間70レムに引き上げられ,数カ月後には70年間50レム,そして35レムへと引き下げられた.ここで指摘しておきたいのは,チェルノブイリ事故前には,L・A・イリイン,E・I・チャゾフおよびA・K・グスコワといった政府の御用学者たちは,その著書の中で,生涯のしきい値被曝量は25レムであるとはっきり述べていることである.このことだけからも,上記のような公式見解の「科学的」性格がどのようなものであるか結論できよう.

 チェルノブイリ事故の影響について最初に公表された文書は,1989年3月21日から23日にモスクワで開かれたソ連医学アカデミー総会に,アカデミー会員L・A・イリインが提出した「チェルノブイリ原発事故による放射能汚染パターンとその健康への影響の可能性」と題する(70ページの)報告書であった1.注目すべきことは,この文書が公開されたのが,第1回ソ連人民代議員大会(会議は1989年5月25日に始まった.)の直前だったことである.政府は明らかに,人民代議員大会でこの問題が追求されるだろうと予測し,あらかじめその追求かわそうと決めたのであった.

 その報告書を作成したのはL・A・イリインであるが,ロシア,ウクライナ,ベラルーシの23人の政府医療機関の権威者たちがこれに署名している.ソ連では常に責任は集団にあり,個人の責任ということはなかった.この方がより便利であったし,安全だったのだ.事故から11年経た今でも,上記の科学者の多くはまだ重要な地位にあり,チェルノブイリ事故が住民の健康に与えた影響について明白に実証された事実を否認し続けている.

 上記報告書の「住民の放射線被曝の特徴,および晩発性障害の予測に関する理論的基礎」という章では,次のように述べられている.すなわち,「甲状腺へのヨウ素の蓄積は比較的短期間,すなわち事故後2~3カ月間であった.・・・事故直後,ソ連保健省は以前から定められていた緊急規制値,牛乳中のヨウ素131の最大許容量(1リットル当り3700ベクレル)を採用した.それは子供の甲状腺の場合0.3シーベルト(30レム)の被曝にあたる.予備的な評価に基づくと,初期の段階で住民の被曝を防ぐためソ連保健省によってとられた一連の措置,とりわけヨウ素の体内への摂取を抑えるための措置によって,・・・おそらく被曝量は,その予防措置を採らなかった場合に比べ平均約50%,場所によっては80%少なかった.」報告書の作成者らは,「事故後2060年までの高レベル汚染地域住民の被曝量を,人体への放射能の蓄積量も含め,コンピューターを用いて計算した」と述べている.彼らは特に,“人間の健康への放射線被曝の影響にしきい値はない”という広く受け入れられている説は,「晩発性障害の危険性を実際より過大に見積もっている」にもかかわらず,「その方法の限界と,得られる結果の慎重な解釈の必要性を認識しながら」しきい値なし説を採用した,と強調している.それでは,報告書作成者たちが言う「方法の限界」とは何なのだろうか? 彼らは報告書の中ではっきりと「(しきい値がないという学説の)主要な欠陥は,ひとつには被曝のリスク係数,つまり単位被曝量当りの影響の発現確率は,事実上高線量被曝および高被曝率の観察結果から推定されている」と述べ,さらに続けて「低線量被曝によっては,身体的あるいは遺伝的な影響はこれまで観察されていない」と述べている.彼らの言説は,J・ゴフマン,R・バーテル,R・グレイブ,A・ペトコなど世界的に知られた科学者たちによる,低線量被曝の健康影響に関する優れた研究結果が当時すでに公表されていたことを考えると,放射線生物学の素人から見ても奇妙である.また,国連放射線影響科学委員会も,「低レベル放射線被曝の健康影響にはしきい値がない」という理論を採択していた,それは科学的な結論に従ったのであって,意図的な評価に基づくものではない.

 上記報告書の「チェルノブイリ原発事故による甲状腺被曝にともなうソ連住民諸グループへの確率的影響の予測」という章では,汚染地域をそのレベルによって3つに分け,彼らの方法(しきい値なし説)に基づいて,事故当時0~7歳だった子供たちとその他の人々への影響を予測している.3つの汚染地域は,①比較的汚染レベルの大きい9つの州の39地区(総人口約150万人,うち子供は15万8000人),②それらの州の全住民(1560万人,子供は166万6000人),③ソ連ヨーロッパ地域の全住民(7500万人,そのうち0~7歳の子供は800万人)となっている.チェルノブイリ事故後初めてデータが公表されたのであった.この報告書が作られたのは1989年,つまり事故から3年後であったということを,心に留め置くべきであろう.

 では,政府の公式な予測結果は,どのようなものであったか.「・・・しきい値なし説に従えば,0~7歳の子供の甲状腺ガンは,事故後30年間で約90件と予測され,そのうち10件は致死的と考えられる.これらの地区の全住民(150万人)に対して30年間で200件の甲状腺ガンが予測される.ただし,この数字は,しきい値説に修正を加えない場合である」

 「比較的汚染の大きな9州,すなわちキエフ,ゴメリ,ブリャンスク,ジトーミルといった各州の全住民の甲状腺への被曝影響を調査した結果,甲状腺ガンの発生は330件に上る可能性があり,そのうち30件は治癒不能であろう.」そして,ウクライナ,ベラルーシ,モルダビアの各共和国全土,およびロシア連邦のいくつかの中心的な州を含むソ連ヨーロッパ部の住民人口7500万人(うち0~7歳の子供800万人)への影響予測は次のとおりである.「事故後30年間の甲状腺ガンは,治癒不能な子供20件,全人口では50件にのぼると予測される.治癒可能な良性腫瘍は,それぞれ170件と400件と予測される」

この報告書の「チェルノブイリ事故によるソ連住民諸グループの全身被曝にともなう晩発性障害の予測」という章では,住民の被曝量の評価が示されている.ここでは,ソ連保健省の35レムという考え方が現れている.特に,厳重管理ゾーンの住民について「晩発性の影響は,事故後4年間の実際の被曝量と,2060年までの予測被曝量に基づくもので,将来の予測値は,厳重管理ゾーンでの農業制限は解除されるという仮定で計算された」と述べている.まず2つの単純な疑問が生じる.第1に,この報告書が作成されたのは事故から3年後であり,4年後ではない.もしこの間違いが作成者のミスだとすると,その意味するところは象徴的である.第2の疑問は,住民が事故後2~3カ月間に浴びた実際の被曝量を誰が何時評価したのかである.私は,ジトーミル州ナロージチ地区の役人が,事故初期の実際の被曝量データを抹消しようとしたことを熟知している.そのかわりに,医療スタッフは実際より低い被曝量を記録するよう命じられたのである.記録に残っている「実際の」被曝量は信頼するに足るものだろうか.私が持っている,ソ連医学アカデミーの秘密文書によると,ジトーミル州の厳重管理ゾーンでは,子供も含めて事故後死亡した人々の解剖は行なわれなかった.

 報告書作成者たちが自分たちの見解に確信をもっているならば,なぜこれらの「実際の」被曝量を人々が入手できなかったのか.そしていまだに,一般の人々だけでなく,これらの問題に関心をもつ医療や放射線生物学の専門家たちも入手できないのだろうか.

 厳重管理ゾーンの住民の将来予測に関して,報告書作成者たちによって導き出された結論は驚くべきものだった.すなわち,「ソ連全土のデータでは自然発生のガン発生率および死亡率の増加傾向が認められるにもかかわらず,われわれの計算では,これらの指標は予測対象の70年間を通じて変化がないと仮定している.このことは,チェルノブイリ事故による,自然発生レベルを越える致死的ガンの増加割合は,その値が小さくなる方向へ修正されるだろうことを示している」というものである.この考え方は,全体の結論でも繰り返されている.それは,「本報告書のデータは,チェルノブイリ原発事故による被曝影響の大きさは,厳重管理ゾーンの大多数の住民を含め,該当する症状の自然発生レベルからのバラツキの範囲内にとどまることを示している」というものである.言い換えると,報告書作成者たちは,住民,とりわけチェルノブイリ事故以来,毎日放射線を浴びている厳重管理ゾーンの住民の放射線誘発ガンによる死亡ケースは,他の国民に比べて問題にならないと言っているのだ.甲状腺ガンに関する彼らの結論は「被曝にともなうこの組織のガンの増加は注目すべきかも知れない」というものである.簡単に言えば,それは注目すべきかもしれないし,そうでないかも知れないということになる.現在,チェルノブイリ事故から30年ではなく,ようやく11年たったばかりであるが,これらソビエト専門家集団の予測というものが,どれほどの価値をもっているかは明らかである.

 1年後の議会において,当のアカデミー会員L・A・イリインは議員たちにこう語った.「160万人の子供たちが浴びた放射線の量は憂慮すべきものだ.したがって,われわれは,これから何をなすべきか決断しなければならない.」1990年のソ連最高会議において,チェルノブイリ原発事故の汚染除去作業に関する政府委員会のV・Ch・ドグジエフ議長は述べている2.「・・・検査を受けた住民の62%は,1~5レムの放射線量を浴びていた.ヨウ素による汚染がもっともひどかった地域の16万人の子供を含む150万人の住民のうち,大人の87%,子供の48%の甲状腺被曝は30レム以下であった.子供の17%は被曝量が100レムに達していた.」

被曝量についての政府専門家の説明

 チェルノブイリ事故に関するさまざまな資料を整理していたとき,たまたま私はセンセーションを巻き起こすに値する,非常に興味深い文書を見つけた.チェルノブイリ事故から11年以上経ち,これまで秘密にされてきたさまざまな公式文書が(私によっても)公表されてきた.しかしながら,このようなものは見たことがなかった.これまで明らかでなった,チェルノブイリ事故後の数カ月間に住民が浴びた被曝量について,初めて具体的な値が問題とされているのだ.

 1987年5月26日,ウクライナ共和国の保健大臣A・E・ロマネンコは「1987年4月13日のソ連保健省法令第527号の実施について」という書簡No.428をソ連保健大臣E・I・チャゾフにあてて報告している3.「機密」,「公開禁止」というソ連共産党中央委員会のスタンプが押されたその文書には,次のように書かれている.「7万4600人の子供を含む21万5000人がキエフ,ジトーミルおよびチェルニゴフ各州の放射能汚染地区に居住している.・・・従来把握されていなかった病人が,3万9600人もいることが判明した.さまざまな病状を抱えている患者に対し,観察,入院,外来治療を継続する必要がある.この1年間に入院した患者の総数は2万200人で,そのうち子供は6000人であった.」そして,次の一節に注意されたい.「チェルノブイリ事故から最初の数カ月間に,すべての子供について甲状腺被曝量の測定が実施された.2600人(3.4%)の子供たちに放射性ヨウ素による500レム以上の被曝が認められた.」先述の報告書に署名した,イリインをはじめとするソビエトの専門家たちが,これらのまやかしでない恐るべき事実を知らなかったはずがない.だとすれば,ソ連医学アカデミーへの70ページにおよぶ報告書に書かれた被曝量評価とその影響に関する予測が,どうして科学的であるなどと言えよう.

 500レム以下の被曝をした子供の数は,いまだに公表されていない.チャゾフ保健大臣は,1987年11月16日のソ連共産党中央委員会あての,「秘密」「公開禁止」のスタンプが押された覚書4の中で,次のように報告している.「1987年9月30日までに,62万16人が病院の診察を受け,5213人が精密検査と診断ために入院したが,それらは放射線被曝には関係なかった」というものである.保健大臣が, 500レム以上の甲状腺被曝をした2600人のウクライナ汚染ゾーンの子供たちをこの5213人に含めているかどうかは不明である.もし,その子供たちの数を計算に入れているなら,一体どうして彼は,子供たちだけでなく大人に対しても,信じがたいほど大きな被曝の影響が関係なかったなどと言えたのであるろうか.もっとも考えられる説明は,共産党中央委員会が自分たちに都合の良い“真実”のみを聞きたがり,そして保健大臣は,その期待に応えたということである.

 1990年12月28日,ソ連共産党中央委員会書記長V・A・イワシコは,ソ連共産党第28回大会決議「チェルノブイリ大惨事とその影響の解決」の実施に関する共産党中央委員会指令草案の中で次のように述べている5.「事故の影響は出生率と平均寿命に現れ続けている.この4年間に,ベラルーシ共和国の出生率は10パーセント減少した.ガンによる死亡率が増加し,モギリョフ州とゴメリ州では,19パーセント以上増加している.」こうした共産党中央委員会の結論と,その1年前の,23人のソ連医学アカデミー会員によって署名された先の報告書にある楽観的な結論との間にはいかなる共通点もない.

 以上のことから,次のような現実が明らかになる.それは,事故から11年経った今でもチェルノブイリ事故から2~3カ月間の実際の被曝量は,一般の人々に知らされていないということである.

 ソ連医学アカデミー会員であり全ソ血液学センター所長のA・I・ボロビヨフ教授によって,実際の被曝量の隠蔽と歪曲がいくぶん明らかとなった.彼は,1991年8月18日付けのモスクワニュース紙に「なぜソ連の放射線はもっとも安全なのか」という論文記事を書いた6.ボロビヨフ教授のいうところでは,「事故地域には専門家がひとりもいなかったので,ウクライナでは事故直後の数日間に1万5000人が誤って入院させられた.」しかしながら,1986年5月2日に急性放射線障害についての診断マニュアルが通達され,誤診によって入院させられていた人々はすべて退院させられた.」この退院の事実から,ある出来事が思い起こされる.著書「チェルノブイリ:極秘7」の中で私は,ソ連共産党中央委員会政治局に設置されたチェルノブイリ事故対策作業グループの40の秘密議事録を暴露した.その議事録には,政治局が大慌てで最大許容量を修正し,それを数回にわたって引き上げていたことが示されている.それと同時に,すべての入院患者,議事録によると1万5000人の入院患者が,突然健康であると診断され退院させられている.ボロビヨフ教授が言っているのはこのことであろうか.であれば,彼の告白は逆に,事故後数週間,および数カ月間に約1万5000人が急性放射線障害にかかったということ,そして政治局と御用医師たちが一緒になって実施した基準値の恣意的な操作によって,ソ連政府の事実隠蔽工作を助けただけでなく,被災者の入院を拒んだことを,間接的に認めるものとなっている.

 さらに,教授の論文は矛盾するような見解を述べている.「調査されたチェルノブイリ州の住民の40%には,被曝は全く認められなかった.50%が50ラドの被曝,そして5%以上が50~80ラドの被曝をしていた.最後のグループにはガンの著しい増加が予想される.汚染地帯の住民の2%は・・・100ラド以上の被曝をした.事故処理作業者には,この量の被曝をした人々はさらに多い.」ボロビヨフ教授はさらに,論文の中で次のように述べている.「ゴメリ州とブリャンスク州の住民の中には,非常に高レベルの被曝影響を示唆する細胞変化を示す人々があった.全身被曝量が30~50ラドなのに,その一方,個々の細胞では1000ラドかそれ以上の被曝をしている,という明らかに矛盾する現象が認められている.」教授は,この事実を保健省とソ連医学アカデミーに報告したが,彼の科学的仮説に対して何の反応も得られなかった.

 1989年に,モスクワニュース紙は筆者を含む数名の人民代議員を招いてチェルノブイリ原発事故の影響に関する円卓会議を開催した8.ベラルーシの代議員であった故アレス・アダモビッチは,次のような報告を行なった.「・・・他の疾患,たとえば虚血性心疾患などで死亡した患者の解剖結果によると,これはE・ペトリャエフ教授のデータであるが,彼らの肺にはいわゆる“ホット・パーティクル”が大量に発見された.そのホット・パーティクルは1万5000個にものぼるという! そのようなホット・パーティクルは2000個でガンを誘発するのに十分だ.」旧ソ連の核物理学者セルゲイ・ティトキンがイスラエルから私のところに送ってきた原稿9によると,そのような固体粒子による発ガンなどの影響は,ずっと以前から知られていた.たとえば,タバコの煙,炭塵,シリカ(大量に吸入すると珪肺の原因となる)である.チェルノブイリ事故の場合,原子炉内にあった燃料粒子が肺に入って,肺組織に密着すると考えられる.

 1986年8月25-29日にウィーンで開かれたIAEA事故検討専門家会議に提出された「チェルノブイリ原発事故とその影響10」という,ソ連政府原子力利用国家委員会の報告の中に,被災者の体内から放出される放射線のガンマ・スペクトロメーターによる分析結果が示されている.そこでは,「事実上,すべての患者に,急性放射線障害の存在,あるいはその症状との関係は明白ではないものの,主としてヨウ素,セシウム,ジルコニウム,ニオブ,ルテニウムなどの放射性核種の混合物が検出された.」と述べられている.放射性核種の吸収について別のところでは,「チェルノブイリ事故による被曝によってもたらされる死亡率の増加は,住民の自然発生によるガン死の2%以下であろう.・・・現段階では,放射能汚染地域での,吸入による放射性核種の取り込みにともなう住民の被曝量は無視できる程度である.」この報告書ではまた,事故後,急性放射線障害で死亡した人々の肺から,さまざまな放射性核種が検出されたと記されている.

 核燃料のチリが実際にどれぐらい危険なものかを評価するための特別な研究がなされるべきである.筆者自身が,事故直後および事故後の数カ月間に汚染ゾーンにいた数100人の住民を調査あるいはインタビューした経験では,事故の規模はあまりにも甚大であり,すべての人が放射能のチリ,ひりひりするのどの痛み,気密性のないトラクターなどについて語った.人々は,地面に沈着した放射能がチリとして舞い上がり体内に吸収されると考え,それを“放射能のチリ”と呼んでいた.ただし,体内に深く入り込み,時には人を死に至らしめる,いわゆるホット・パーティクルの危険性について,誰ひとり考えもしなかった.これもまた,放射能汚染がチェルノブイリの周辺住民にもたらした問題の1つである.

失われたチェルノブイリの教訓

 核物理学の専門家で,以前キエフに住み,今は西側の国に住んでいるイーゴリ・ゲラシェンコが私に「失われたチェルノブイリの教訓11」という彼の原稿を送ってくれた.(この原稿が最終的に出版されたかどうかは不明.)信じがたいほどの偶然と言うべきか,この原稿にはまったく興味深い事実が書かれている.論点を明確にするために,いささか長い引用をする.

「それでは,被災地域住民の被曝量はどうだったのだろうか.確かなことはだれにもわかっていない.被災地の放射線量を測る手段がほとんどなかったのだ.私の知人の一人が,内務省の大尉であったが,被災地で1週間を過ごした.彼は放射能の測定器をもたず,自分がどれぐらい被曝したのかもわからなかった.住民の避難にあたった運転手たちも,やはり測定器をもっていなかった.これは偶然だったのだろうか.そんなはずはない! その方が,自国の国民や,疑うことを知らない世界の人たちにウソをつくには簡単だったのだ.

 出所不明のデータによるとプリピャチ(チェルノブイリ原発から最も近い町)での放射線レベルは1時間当り1~10レントゲンであったという.(ヤロシンスカヤ注:筆者が確認できたデータでは,ジトーミル州ナロジチの放射線レベルは,チェルノブイリ原発から80kmも離れていたにもかかわらず,最初の数日間,1時間当り3レントゲンであった.)放射線レベルと爆発点からの距離の関係は,非常に複雑である(風向き,放射能の雲から降った雨,その他さまざまな要因が大きく作用する).しかしながら,平均放射線レベルは,距離の2乗に反比例すると仮定できる.つまり,(爆発地点からの)距離が2倍になると,放射線レベルは4分の1になるのである.

 1986年5月の終わりに私がキエフで個人的に測定した最大放射線値は1時間当り0.0018レントゲンであった.測定に使用したのは,民間防衛隊の倉庫からもってきた軍隊用の測定器であった.キエフでの知人による5月始めの測定値は1時間当り0.003レントゲンであった.爆発地点からキエフまでの距離は約130kmで,プリピャチまでは約5kmである.

 したがって,プリピャチの町の平均放射線レベルは(130÷5)の2乗で,その676倍,つまり1時間当り2レントゲンということになる.1時間当り1から10レントゲンという先の数字は,プリピャチによくあてはまりそうだ.

 プリピャチでは爆発から36時間もたってからようやく避難が始まった.そのことから推測すると,プリピャチ住民は36から360レントゲンを浴びたということになる.4月26日の人口は4万5000人であった.そのうち,何人が今も生存しているのか私は知らない. (ヤロシンスカヤ注:この原稿の日付は1987年5月である.)夜ごとにキエフの病院に運び込まれた患者のうち約1万5000人が死亡したことを私は知っている.・・・私に言えるのは次のことである.すなわち,私はパニックのうわさを集めていたのではない.この原稿の中の情報はすべて,周辺地域やその他各地からきていた事故処理作業者,運転手,病院のスタッフ,兵士たちから直接聞いたものである.

 キエフに運ばれた人々への治療はまったく行なわれなかった.そのような可能性はまったくなかったのだ.何1000人もの被災者の輸血や骨髄移植のための血液を確保することは不可能だった.これらの患者たちは放射線科だけでなく,あちこちの病棟や廊下や,病院の地下にも横たわっていた.ある病院では,死体安置所の一部さえもがこの目的のために使われた.

 これら1万5000人は,急性放射線障害で死んでいった.

 別の資料に,これと驚くべき一致が見られる.共産党中央委員会事故対策作業グループの秘密議事録によると,最初の週に約1万5000人が病院に収容されたとある.アカデミー会員A・I・ボロビヨフはその論文記事に,1万5000人が誤診によって入院させられ,医療スタッフが急性放射線障害に関するマニュアルを受け取った後に,患者たちは退院させられたと書いていた.物理学者I・ゲラシェンコもまたこの数字を証言している.ゲラシェンコはただひとつ,これらの人々は死んだのだ,という恐るべき修正を加えた.

ゲラシェンコは,さらに興味深い論を展開する.

「読者が注意深く読むならば,そのような数字は驚くにあたらない.広島では約7万人が死んでおり(爆発の直接の影響で死んだ人はほんのわずかで,大多数の人々は放射線による被曝で亡くなったのだ),われわれの場合,その何1000倍もの放射能が放出されたのに,死者はたったの1万5000人だ.間違いなく,実際の犠牲者の数はもっと多いはずだ.なぜなら,第1に私が語っているのは,入手したデータに示されている死者の数だけである.第2に,放射線の影響は長期にわたって続く.さらに何万,何10万もの人々が放射線によるガンで死んでいくことになるだろうが,それが現れるのは後のことだ.潜伏期は何年間も続くのであるから.」

 死亡した1万5000人についてI・ゲラシェンコは,ニューヨーク・トリビューン紙のインタビューと,チェルノブイリ事故とその影響に関するアメリカ議会の公聴会で証言した.彼は,事故の被災者たちは「急性放射線障害」という診断ではなく「自律神経失調症」とか「血管失調症」などの診断が下されたと語った.この事実はすでに証明されている.死亡した人々の医療記録には「一連の治療を受けた」とか「これ以上治療の必要なし」などの言葉が書かれている.

被災地住民の健康状態

 放射能汚染地域での生活に関する新たな概念がロシア連邦政府によって入念に作成された.これと関連して,ロシア環境省とロシア労働省は,事故で汚染されたロシア連邦の16の州の健康問題を詳しく調査中である.自分たちが危険な汚染ゾーンに居住していることを,この地域の大多数の住民は事故から7年たってようやく知らされた,という事実がそこでは考慮されている.労働省と環境省の専門家レポートの中で,M・S・マリコフとO.Yu・ズィッツァー12は,チェルノブイリ事故は138の行政地区,15の州管轄市,7700以上の居住区に住んでいる270万の人々に影響を与えたと記している.1995年4月のデータによると,チェルノブイリ事故の事故処理作業に携わって死亡したロシア国民の数はおよそ7000人にのぼる.この事故のために生活水準が低下したり,この事故のために障害疾病者となった国民はおよそ2万人にのぼる.

 労働省と環境省の専門家レポートの中で,思いがけず,ウクライナ保健大臣A・E・ロマネンコからソ連保健大臣E・I・チャゾフにあてた先述の秘密書簡で述べられていた,ウクライナの子供の甲状腺への大量被曝に関する事実を確認することができる.専門家レポートによると,14歳以下の子供50万人を含め,ウクライナでは現在240万人がチェルノブイリ事故で汚染された地域に居住している.もっとも注意を払うべきことは,15万人が許容量の何10倍,何100倍もの放射線を甲状腺に浴びたという事実である.とりわけ5700人の子供たちが200ラドの線量を浴びており,7800人の大人が500ラド以上浴びている13.一方,許容量は5ラドと定められている.この被災住民の集団で,小児の甲状腺ガンが,1991年だけで12件記録されている.

 同じレポートは,ウクライナの汚染地域における子供の疾病の中で,呼吸器官,消化器官,内分泌系および循環器系の疾患が極めて多いことを指摘している.また,腫瘍の発生も増加していることも記されている.

キエフの小学校1年生583人の子供たちを検査したところ,1982年に比べて1992年には身体の発育が著しく遅れていることがわかった.発育不全は女子の方により多く見られた.

 レポートはまた,1980-1985年と1986-1991年の期間におけるチェルノブイリ原発ゾーンに隣接するウクライナ住民のガン死率を分析し,乳腺,泌尿器系および前立腺ガンによる死亡が明らかに増加していることを確認している.

 ベラルーシ住民のストロンチウム90の体内蓄積量に関する評価によると,赤色骨髄の被曝線量は事故前に比べて2.5~3倍大きくなっている.調査対象者の3パーセントでは平均値に比べその被曝量は4~8倍であった.

 ロシアの専門家たちは,ベラルーシのある州では安定ヨウ素の欠乏による(チェルノブイリ事故によって放出された放射性核種を含め,ある種の微量元素濃度が異常な値を示す地域がある)風土病として知られている甲状腺腫が,放射線被曝という要因と複合して甲状腺の異常を最大にしたと述べている.このことが,被曝量と甲状腺障害の関係についての従来の知見に基づく予測を越えて,多くの甲状腺の異常が現われた理由かも知れない.

 ゴメリ州における住民の毛髪へのプルトニウム蓄積量は,ミンスク州の値より1桁多かった.

 ゴメリ州ブラーギン,ホイニキ,およびナローヴリャの各地区における902人の子供たちの検査では,218人が貧血症と診断された.貧血の子供たちのうち,第1度の甲状腺腫が女子の68.3%と男子の52.6%,第2度の甲状腺腫がそれぞれ24%と18.2%,第3度が子供全体の1.4%に認められた.汚染管理地域の子供たちには,血液と造血器,内分泌系,呼吸器系,消化器系の疾患,および腫瘍の増加が見られた.

 ウクライナのキエフ,ジトーミル,チェルカッシ,およびロブノの各州の汚染管理ゾーンに住む子供たちにも同様の健康状態が観察されている.

 ロシアの専門家たちが心配しているもう1つのことは,チェルノブイリ事故後,放射線リスクが上昇している地域に居住する女性の妊娠・出産と新生児死亡率である.新生児死亡率は増加傾向にあり,正常分娩の割合は著しく低下している.新生児の先天性障害も増えつつある.(ウクライナのジトーミル市にはある研究所では,チェルノブイリ事故後ジトーミル州内で障害を持って生まれた人間と動物の新生児がアルコール保存されている.)事故前の出産異常の割合は,妊娠100件当り9.6件であった.それが事故後には13.4件に増加した.この割合と女性の受けた放射線被曝量の間には,極めて密接な関係が見いだされている.事故以来6年の間に,放射線レベルの増加といった,環境条件への新生児の適応力が実質的に低下したことに注目すべきである.

 ここで,1991年イングランドで私が受け取った,キエフから移住したロシア人物理学者,イーゴリ・ゲラシェンコによる原稿「失われたチェルノブイリの教訓」に戻るのが適切であろう.彼もまた,この問題について次のように語っている.「チェルノブイリ事故には,ほかにも被害者がいる.それはすなわち,一度もこの世を見なかった者たちだ.生まれる前に殺された子供たちだ.爆発後,医師たちは妊娠中の女性に中絶を勧めた.妊娠6カ月以内の女性に,医師たちの手で正式に中絶が強制された例をいくつか私は知っている.