脱原発・放射能

利権によって動かない組織、我々の力で変えて行こう

(速報)岩国の三井化学大竹工場には劣化ウラン弾の秘密工場があった!イラク攻撃で使用されている疑い!

2012-05-14 13:08:25 | 原発・放射能

(速報)岩国の三井化学大竹工場には劣化ウラン弾の秘密工場があった!イラク攻撃で使用されている疑い。 

現在、劣化ウラン弾を製造しているのは、グアム島の米軍基地内と、岩国の三井化学大竹工場の二箇所。米国本土には存在していない。三井化学大竹工場は劣化ウラン弾の秘密工場だった。

日本で製造→アメリカに提供→イラク攻撃 の流れで使用されているのではないか?

http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/859741febbb07a74f8f93b23b9b3429f より一部

 この情報源はここから恐ろしい日本の暗部について語り始めます。それは、三井化学大竹工場内に、

 1)アイソトープ爆弾の弾頭工場、
 2)炸裂弾の小弾頭(炸裂弾に詰め込まれている中身)工場

の二種類の工場が存在し、ここで造られた爆弾弾頭は全て、近くにある米軍の岩国基地に供給している

 米軍が保有しているの劣化ウラン弾を製造しているのは、グアム島の米軍基地内と、岩国の三井化学大竹工場の二箇所だけであり、アメリカ本土には存在していない。つまり、三井化学大竹工場こそは、劣化ウラン弾の2大生産拠点の1つだったと言うものです。


■岩国基地の地下に眠る核兵器

以上に加えて、岩国基地の地下に保管されている核兵器群についても詳細なレポートが届いています。それを以下に記述します。

 (1)原子爆弾完成品 72本 (2m×50cm)
   ---長崎級の30倍程度の威力
 (2)アイソトープ弾頭 580個 (40cm×40cmの円柱)
 (3)炸裂弾頭 330個 (40cm×30cmの卵形)
   ---弾頭当りの炸裂小弾数150個

この内、(2)(3)の劣化ウラン弾頭については、どちらも三井化学大竹工場内で生産されたものであるとのことです。また、原子爆弾についてはアメリカ本土から輸送されてきた物であるとのことです。

 

Twitterより

太郎-脱原発に一票チーム(大阪府第4区) ‏ @taromtber
#橋下イラネ アメリカの劣化ウラン弾によってアフガニスタンの子供たちは地獄の苦しみを味わっている。たとえば生まれつき 肛門、生殖器、目がない等、放射能の影響はたとえようもないほど不気味である。瓦礫をうけいれれば大阪にも同じことが起こる。@t_ishin 5月5日

大橋弘忠bot ‏ @t_oohashi_bot
劣化ウラン弾を知ってますか?本来なら100万年保存管理しなければならない原発のゴミ、高濃度放射性廃棄物を弾頭に詰込んで、兵器として売り捌きカネにするという画期的なアイディアww凄い名案でしょ?(爆笑) 劣化ウラン弾を落とされた国の人は今も被爆で体がボロボロwこれもまた原発の功績w 5月4日

mimio ‏ @mimio8214
沖縄県鳥島米軍射撃場ってどこ?地図では久米島に鳥島って場所があるけど 1998劣化ウラン弾実弾射撃訓練してる打ち込まれた量、放射性原子の数で比較すると広島原爆の25倍、長崎原爆の190倍。白血病の原因って水道水以前にこれじゃないの?鳥島ってどこ?? 5月4日

 

 

 劣化ウランの対米譲渡は原子力基本法・武器輸出三原則・憲法違反
イラク攻撃で使用されている劣化ウラン弾に
日本の電力会社の劣化ウランが使われている強い疑惑
http://www.jca.apc.org/mihama/d_uran/japanese_du030409.htm

 

http://asahisakura.nobody.jp/rettukauran.htm より

劣化ウラン弾の悲劇

 悪逆非道の劣化ウラン弾を使用する米軍を糾弾しよう。

 今もなお劣化ウラン弾で苦しみ亡くなる人たちの映画をみました。「ヒバクシャ」です。子供たちがどんどん白血病になり苦しんで死んでいきます。現代の出来事です。腹が立って仕方がありません。この憤りのやりばがないのが残念です。

 アメリカやイギリスそして日本までが人類の存亡をも儲けの対象にしているようです。このような資本主義社会は変える以外に人間らしく生きることができないと思うようになりました。私は劣化ウラン弾の危険性には無頓着だったのです。深く反省しています。

 黒部のコラーレで富山県氷見出身の鎌仲ひとみ監督の映画「ヒバクシャ=世界の終わりに」をみました。イラクの子供たちが劣化ウラン弾により体内被曝し、白血病などの病気になり多くが死亡していく現実。劣化ウラン弾が爆発し粉塵となり国土自体が汚染してしまっていること。そして経済制裁を受け白血病の治療薬すら大量破壊兵器の開発につながるとして輸入できないこと。アメリカのワシントン州のプルトニウムを製造するハンフォード工場で原発施設のある風下でほとんどの住民が癌などで死亡していること。そして飲料水が汚染されるのは数十年先に必ず起きること。アメリカ政府はやはり因果関係を否定していること。現地の農夫はそこでとれたジャガイモを日本に大量に輸出していることなどです。

 1996年には北海道、東北そして日本全域で子宮癌の発生が大幅に増えたこと。これはその約10年前のチェルノブイリによる影響の可能性が否定できないとのこと。放射能の大気汚染が進んでいることなど無関心でいられなくなりました。怖いのは原発だけではなかったのです。イラクに派遣された自衛隊員も被害に合う可能性は非常に高い。原発に何故煙突が必要なのかに対して、微弱な放射能汚染物を撒き散らしているとのこと。10年後20年後はどうなるのか地球全体が汚染され人がすめなくなるのではと心配になりました。

 アメリカブッシュ大統領はまず世界中にばら撒いた劣化ウラン弾と粉塵を回収する義務があります。アメリカは広島長崎の原爆投下とその後の被害の調査を生かすどころか悪用し地球を破滅に追いやろうとしている。広島長崎は人体実験だったことを否定できる証拠がアメリカにあるのだろうか。

 アメリカは科学の先進国です。しかしどんな立派な科学もそれを使う人たちにより全く違った結果になります。依然としてワシントン州の風下にある住民の皆さんの被害に関しては「因果関係」が証明できないとの理由で責任を放棄しているのが実態です。私の意見はブツシュが劣化ウラン弾の粉塵を吸い込み10年後に体に異常がないということを自ら証明すべきだと思います。(アメリカは人体実験の盛んな国で多くの人たちが材料に使われています。訴訟も起こっています。)

詳細は下記のページでうそと真実を見極めてください。

 劣化ウラン弾は日本の沖縄県鳥島にも存在し、どこにあるかわからないチリを吸っただけで人体が放射能に汚染され白血病や各種癌に侵されるのです。子々孫々までもが利益の対象になり犠牲になるのです。政府と米軍は時々調査をしているそうです。
 イラクでは今特に子供たちが犠牲者です。なんら罪がない子供たちが犠牲になり、劣化ウラン弾を使ったアメリカを支持している小泉内閣に本当に腹が立ちます。イタリアやフランスなど軍隊を派遣した各国にも被害が出始めています。
 このような事態の前には、日常的な強盗や殺人などは小さいものに思えます。人類滅亡の危険があるからです。

 

http://www9.plala.or.jp/rescue/07.html より

■07:アメリカの戦争と劣化ウラン弾■

アメリカは90年代以降の戦争において、常に劣化ウラン弾を使用し続けてきた。

『劣化ウラン弾』

  • 1991年:湾岸戦争
  • 1993年:ソマリア・PKO(国連平和維持活動)
  • 1995年:ボスニア・ヘルツェゴビナ軍事介入
  • 1999年:旧ユーゴスラビア空爆
  • 2001年:対アフガニスタン戦争
  • 2003年:イラク戦争
劣化ウラン弾は、45億年の半減期を持つ強い放射性物質であり、環境に対する影響は極めて広範囲であり長期間持続する。
アメリカがイラクで使用した劣化ウランだけで、1000万人以上を死亡させる能力を持つと言われている。
1999年1月以降だけでも、アメリカ陸軍兵士とアメリカ海兵隊員の「100万人以上が被曝」している。
2002年の時点で、湾岸戦争(1991年)のアメリカ帰還兵の約半数が、何らかの症状を訴えていた。
戦争後に退役し、アメリカ復員軍人局の給付の有資格者となっている約51万人の内、約27万人以上のアメリカ帰還兵が、体調の異変を訴え、アメリカ政府・アメリカ復員軍人局に医療を要求している。約19万人が、病気や障害にる就労などの不能に対する補償を要求している。アメリカ帰還兵の約半数が、何らかの健康被害を訴え、すでに「2万人以上のアメリカ帰還兵が死亡」している。
湾岸戦争後に生まれた子供達は、眼・鼻・耳・舌・性器の変形や欠損など先天性の奇形・異常・ガン・白血病という極めて深刻な被害に襲われている。
戦場に近いイラク南部のバスラを中心とした諸都市では、ガン・白血病の割合が「5倍~10倍以上」に増加している。
イラク市民の生活は破壊され、衛生状態は悪化し、医薬品と医療器具は慢性的に不足している状況で、1991年から2005年現在までに、「100万人以上の何の罪もない子供達が死亡」している。
それにもかかわらず、アメリカ政府・軍・原子力擁護の学者共や日本政府は、劣化ウランによる人体と環境への影響はないとうその発表を繰り返しており、本当の情報はひたすら隠し続けて、決して認めようとはしない。
アメリカ政府は「劣化ウラン弾で、味方に誤射された場合や破壊された戦車に入った場合のアメリカ兵だけが被曝する可能性がある」という、全くデタラメな説明を繰り返している。そして、アメリカ帰還兵に必要とされる「同位体検査」を行わず、兵士のほとんどを異常はないと追い返している。その中には、我々の友人であるアメリカ海兵隊員数名も含まれていた。
劣化ウランの汚染調査は、本来、国際機関による本格的な調査が必要であるにもかかわらず、「戦争終結宣言」から2年後の2003年になっても、「UNICEF」などは本格的な調査を行っていない。時間の経過と共に尿からのウラン検出が、難しくなることを知っていながらである。「UNEP」に関しては、アフガニスタン戦後調査の時にも、ウラン使用についての本格的な放射能調査を意図的に避けたという情報もある。
これまでと同様に、アメリカに圧殺された国際機関や奴隷国(占領国や植民地などの表現は生温い)である日本などは、常に事態の隠ぺいに全力を尽くしている。これが国際連合国や国際機関の「実態」であり、奴隷国の日本などと同様に「アメリカの所有物」の1つなのである。
しかしながら、「UMRC(ウラニウム医療研究センター)」の博士や様々な国の帰還兵支援団体・反核団体・核物質研究団体が、アメリカ政府の圧力に負けることなく現地調査を続けて、膨大で貴重な調査結果を得ると共に、アメリカを始めとする退役軍人やそのほかの情報筋により、アメリカ政府のうそを裏付ける様々な軍事報告書や内部機密文書の存在が公表されている。

『ジュネーブ条約もハーグ条約も上辺だけ』

ジュネーブ条約の基本的な精神として、「戦争において『過度の障害を与える・自然環境に深刻な障害を与える・民間人に大きな犠牲を与える』という手段を講じてはいけない」と明記されている。
1996年:国連人権小委員会で、劣化ウラン弾はクラスター爆弾・気化爆弾・生物兵器と並んで、賛成15、反対1、棄権8で、非人道無差別殺傷兵器・大量破壊兵器と決議され採択された。
2002年:国連人権小委員会で、劣化ウランを含む兵器の使用は、過剰な殺傷能力を発揮し、不必要な苦痛を与える非人道無差別殺傷兵器・大量破壊兵器とされている。
しかしながら、唯一「反対したのはアメリカ」であり、唯一の被爆国である「日本は棄権」した。劣化ウラン弾の使用は、ジュネーブ条約及びハーグ条約に違反しているにもかかわらず、「なぜ日本は棄権したのか」その理由さえ述べてはいない。
自国の法律も国際決定も無視して、「非人道無差別殺傷兵器・大量破壊兵器」をイラクの民衆や子供達に対して、無差別にばらまくアメリカを支持することは、「無差別大量殺りく」に加担している以外の何ものでもない。この「不条理」を無視し続ける政治家や官僚共は、もはや人間ではない。
イラク戦で使われている劣化ウラン弾に、日本の電力会社の劣化ウランが使用されているという情報がある。
実は、日本の電力会社が「劣化ウラン弾」の主成分である「ウラン238」の約80パーセントをアメリカに提供しているからである。平和利用に限るという「原子力基本法」や「武器輸出三原則」にも違反しているが、そもそも1975年に日米間で核の持ち込みが合意され、それ以降核を積んだアメリカ艦船が繰り返し入港している。

『実際に使用されている、非人道無差別殺傷兵器・大量破壊兵器』

「ピンポイント爆撃」や「精密誘導爆撃」と言われているため、一般的には「被害範囲」が錯覚されたまま認識されている爆撃方法だけでも、半径300メートルから1000メートルにも及ぶ。
  • 『劣化ウラン弾』:10ポンドの対戦車砲弾は大部分がウラン238で、プルトニウム、ネプツニウム、アメリシウムが含まれている。自然発火性があり、着弾すると高熱を発し、比重が重いので戦車の装甲を貫通する。車両や建物内部で被弾した場合は、すさまじい火傷や裂傷で死亡、または深刻な内部被曝を受ける。
  • 『普通の爆弾』:大小様々な鉄の破片が、散弾のように広角に飛び散る。被弾した場合は、至近距離からショットガンで撃たれたように、身体がズタズタに引き裂かれた状態になる。
  • 『バンカー・バスター』:一発2トンの重量があり、先端部分は地面に突き刺さった瞬間に吹き飛び、直後に直径33センチの砲弾部分が、地下30メートルまで到達する。1997年から現在まで、改良を続けられてきたバンカー・バスターGBU28・GBU37などが量産されている。「幅10メートルの強化コンクリート」や「地下100メートルに達する地下施設」などが攻撃目標とされる。これらを製造したアメリカのレイセオン社など軍事産業は、アメリカ特許庁に対して、貫通体(地下に突き刺さる部分)を「劣化ウラン、またはタングステン」として特許申請をしている。タングステンは、3000度くらいが融点であり、加工する工程で非常に労力を使うために費用が高い。劣化ウランは、核兵器や原子燃料の副残物でタダ同然のため、アメリカ・エネルギー省は、軍事産業に無料で払い下げている。
  • 『MOAB爆弾』:半径600メートル前後の範囲にいる人間が被弾した場合は、全員即死する。
  • 『サーモ・バリック爆弾/デージーカッター』:非常に強力な熱と爆風を引きをおこす。中心温度が、約3000度に達する高温燃焼材を使い、非常に大きな爆風を発生させる。その圧力は、100メートル離れても数十気圧になるため、その距離で被弾した場合でも、内臓破裂で死亡する。直撃を免れた場合でも、高温燃焼によって周辺地域の酸素が一瞬にして奪われるために、酸欠で死亡する。
  • 『クラスター爆弾』:半径3キロメートルもの広範囲に、200個の小型爆弾をまき散らす。
これらの非人道無差別殺傷兵器・大量破壊兵器を「住宅地で使用した」ことが明らかになっている。

「大量破壊兵器」「テロ国家」「悪の枢軸」などのデタラメなプロパガンダ戦略。

『核:Atomic』「生物:Biological」「化学:Chemical」

「各国の核兵器保有量」:公表されているものであり、絶対的な数字ではない。
  • アメリカ/約11000発(この数字は、特に信用できない)
  • ロシア/約8500発(いまだに2万~3万発を保有しているとの情報もある)
  • 中国/約450発(この数字も全く信用できない)
  • フランス/約300発
  • イギリス/約250発
  • イスラエル/約200発
  • パキスタン/約50発
  • インド/約40発
  • イラク/0発
国際機関である「IAEA(国際原子力機関)」の役員のほとんどは、アメリカの多国籍企業トップが占めており、不公平かつ独裁的で、自国(アメリカ)や友好国に対しては優位な対応ができるようになっている。「IAEA」の力は、「WHO」に圧力をかけられるほどに強大という報告もある。
1940年代:アメリカが劣化ウランの兵器利用に関する研究を開始する。
1960年代:アメリカバーモント州イーサン・アレン射爆場で、2万発の対戦車劣化ウラン砲弾の発射演習。
1991年2月26日:アメリカの「ターキー・ショット」(完全包囲からの無差別殲滅攻撃)作戦が遂行される。クウェート国境から「撤退」している7マイルに及ぶイラク軍戦車部隊に、アメリカ空軍が連続爆撃を加えた。その隊列には、クウェートから多数の避難民が含まれていたにもかかわらず、容赦なく無差別に殺りくされた。
アメリカは湾岸戦争だけでも、劣化ウランの使用総量は800トンを超える。これはアメリカによって広島に落とされた原爆の約3万6千倍の放射能に相当する。また、使用弾種によって劣化ウランの含有量にも違いがあると同時に、それらの弾種すべてが政府機関及び軍から公表されている訳ではない。
1993年:アメリカミシシッピ州在住の湾岸帰還兵、約260家族を州全域に渡って調査をした。その結果、戦争後に妊娠・出生した約300人の子供の内の約70パーセントが、失明・無眼球・無耳・指が融合している状態であることが判明する。
1995年:アメリカ政府とNATOが、劣化ウランの影響を真っ向から否定する見解を強行に始める。「劣化ウラン弾は、精製ウランよりも放射能が低く、健康に全く影響のない安全で合法的な武器である」という偽善の表明を始める。
1995年8月:ボスニア・ヘルツェゴビナの戦争が激化し、アメリカ軍を主力とするNATO軍がセルビア人勢力に対する空爆を開始した。アメリカ軍A-10攻撃機は4000回をこえて出撃、約1万発(約3トン)の劣化ウラン弾を発射した。
1995年12月及び1月:沖縄県のアメリカ軍鳥島射爆場で、アメリカ海兵隊が、訓練中に約1600発の25mm劣化ウラン弾を「誤射する事件」が発生した。持ち込みも射撃も許されてはいない日本の法律を無視した挙げ句に、回収された劣化ウラン弾は、わずか全体の約16パーセントだけである。そして、この事実は2年間隠されていた上に、在日アメリカの空軍と陸軍の所有については報告さえされていない。
その後:アメリカ空軍の25mm劣化ウラン砲弾、約500発分の薬莢が発見された。在沖縄アメリカ空軍司令官は、嘉手納弾薬庫に劣化ウラン弾を保管していると発表した。これらの事実から、アメリカ陸軍も所有していることは確実と考えられる。
1998年:アメリカ国防総省とランド社が、劣化ウランの影響を真っ向から否定するうその研究結果を立続けに発表する。
「ランド社」:1948年に設立されたアメリカ国内保守派を代表するシンクタンク。国家安全保障戦略、重要科学技術政策の形成などに重要な役割を果たしてきた。
1999年3月:コソボで紛争が開始される。NATOは開戦時から介入。2カ月半に渡りユーゴスラビアへの空爆が行われた。アメリカ軍は約3万1千発(約8トン)の30ミリ劣化ウラン弾を発射した。アメリカ軍は、湾岸戦争に続いて2つのユーゴ戦争でも、劣化ウラン弾の威力で敵戦車を簡単に粉砕して圧勝した。
1999年5月:プエルトリコのビエケス島射爆場で、アメリカ海兵隊のハリアー機が約300発の劣化ウラン弾を「誤射する事件」が発生した。アメリカの誤射事件は鳥島事件に続いて2回目であるが、そのほかにも同じような事件が「多数」存在するとの報告がある。

『帰還兵に関する病状の一部やそのほかの被害』

頭痛・めまい・のどの痛み・吐き気・関節痛が始まる。
  • 全身の皮膚に黒いシミができる。
  • 膀胱と腸のコントロール機能に異状が発生する。
  • おしめとカテーテルが一生はずせない状態になる。
  • 全身の筋肉が急激に衰える。
  • 脳腫瘍で長期と短期の記憶欠落になる。
  • 皮膚がケロイド状になって広がる。
湾岸戦争帰還後、アメリカ本土で生まれた子供達の中には、出生時に胆のうに腫瘍があったり、甲状腺がないという深刻な報告が増え続けている。この子供達に関しても、アメリカ政府と軍は、因果関係を強行に認めていない。
ケンタッキー州パドゥカのアメリカエネルギー省研究施設(ウラン235の製造工場)やそのほかの製造工場など、製造にかかわる従業員に、白血病/前立腺ガン/肺ガン/腎臓ガン/肝臓ガン/唾腺ガン/ホジキン病などの発生率が急激に高くなっている。テネシー州の劣化ウラン弾生産工場エアロジェット社では、労動者の抗議行動が起きている。
「毒物による慢性の脳腫瘍、免疫システムの過剰反応異状、自己免疫システムの抑制、抗体進行、化学物質による中毒症」などの検査の結果として、「劣化ウラン弾の被曝が原因」と診断される。それでもアメリカ政府と軍は、この「劣化ウラン陽性」という検査結果を強行に認めていない。
しかし、第一次湾岸戦争の時に「劣化ウランは実験的なものである」と言いながら、帰還兵に関する健康被害の一部を認めているため、これは明らかに「ニュルンベルク規約」違反の証拠でもある。

『破壊され汚染された地域』

人々は戦場となったイラクなどの地域で、劣化ウラン弾が建物に撃ち込まれたままの状態で、除去されることもなく修繕され再入居している。
子供達は汚染された戦車や車両の中で遊び、そして劣化ウランの弾丸部分や薬莢部分・そのほかの武器などは、主に子供達によって集められて加工された後に再利用される。

『匿名を条件に暴露』

イラクで「ある作戦」に関与したアメリカ軍特殊部隊の大佐の1人が匿名を条件に、アメリカとイギリスはイラクに500トン以上の劣化ウラン弾を使用したことを認めている。それから、アメリカ国防総省が何年も前から劣化ウランの健康への危険を認識していたことを認めている。その後の各非政府調査機関などのネットワークによる発表では「2000トン以上に達した」とされている。 

『むしばまれる身体』 

日本の自衛隊が駐屯しているサマワに滞在していたアメリカのニューヨーク州兵は、帰国後、全身に発疹が出て、後頭部には腫瘍、顔の腫れ、頭痛、排尿時の痛み、血尿、下痢などの症状に苦しんでいる。アメリカ軍の検査で尿から劣化ウランが見つかり、現在はアメリカ軍の病院が支給する約20種類の薬を服用しているが、一向に痛みが取れない状態である。


原発から約10kmの「浪江町」に残る人物 「起きたら鼻血で血まみれ」

2012-05-13 22:13:40 | 原発・放射能
原発から約10kmの「浪江町」に残る人物 「起きたら鼻血で血まみれ」
 
1:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/04/03(日) 01:27:28.61 ID:wyDsJyx10
浪江町は、放射能の影響を受ける可能性がある地域として避難指示が出ている20〜30キロ圏内にあり、そこで生活しているとなれば非常に心配である。以下は、この人物が2ちゃんねるに書き込みをした、浪江町での生活の一部始終である。

・自称 浪江町に残っている人物の書き込み
「ずっとダッシュ村のある浪江にいますよ。最近酷い頭痛と起きたら鼻血で血まみれになりました。中々死なないもんですね…。食事はお米だけ。バイクで検問回避して食料確保してる。貯金は350万ほど、あと5月から失業者だから失業保険でしばらく暮らす。貯金が底つくのが先か、俺の身体が動かなくなるのが先か…」
「ドコモとauは死んでる。こいつのおかげでいままで生きてる。iPhoneマジ神アイテム」
「元々結婚するつもりも無いので、このまま消えるさ。東電は憎いね。やっと手に入れた自由を踏みにじられた。仕事も起動に乗ってたのにさ! やられたよ」
「お風呂は川の水沸かして、お米は給水のタンクの水で炊いてる。飲み水はジュース買って飲んでる」
「まあ、死ぬ気です。浪江の空気ヤバいよw ジョギングしたら気を失うレベル」
「避難も考えたけど、家を失ってまで生きる気力が無いので…自分の人生さ好きにしていいだろ? 悲しむ人間もいないさ」
「そういや、お母さん生きてたわ」
「泥棒いるねー。不審なトラックいっぱい来てる」
「住所は死ぬ前に晒すよ。まだ会社の契約残ってるから迷惑かかるので。とにかく頭が痛い。おでこの中あたり?」
「ごめん会社とTwitterでは普通に避難した事にしてる」
(引用ここまで)

……と、浪江町での生活を書き込みしている。本当にこの人物が浪江町で生活を続けているのかどうか不明だが、他のインターネットユーザーらはこの人物の健康を心配している。安全といわれている地域まで避難してほしいものだが……。
http://rocketnews24.com/?p=84812

 

163:pw126214190190.40.tik.panda-world.ne.jp(catv?):2011/04/03(日) 10:41:29.72 ID:XfPmQC3I0
やあ、まだダッシュ村のある浪江にいますよ
ニュースになってて笑ったわ
お前らが嘘だと騒いでも
俺がここにいる事実は変わらないけどね
いうほど酷い環境では無いぞ?

昨日町内の水道が復活してたから水が豊富に使えるぜ
最近は泥棒もひと段落ついたのか不審なトラックは少なくなった
けど、ある会社から色々持ち出してる業者のトラックは沢山来てるね

 

203:名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/04/03(日) 11:27:06.78 ID:qcwvGc8M0
ジョギングしてたら気を失うってどう言うこと?
放射線ってそういう感じで影響を感じられるの?

 

210:pw126214190190.40.tik.panda-world.ne.jp(catv?):2011/04/03(日) 11:32:38.48 ID:XfPmQC3I0
>>203
空気が違うね
どう表現していいかわからないけど
匂いあるね
ジョギングする人間なんだけど
肉体の充実感がなく疲れる
俺の体力が低下してるからなのかもしれないけど

 

215:名無しさん@涙目です。(北海道):2011/04/03(日) 11:36:38.09 ID:jmnLd1NU0
>>210
証拠に表に出て浪江の住所表示板(何町何丁目とかの)を写してうp

 

240:pw126214190190.40.tik.panda-world.ne.jp(catv?):2011/04/03(日) 11:56:49.14 ID:XfPmQC3I0
これを住所のある電柱に貼れば良い?


http://beebee2see.appspot.com/i/azuY5qzmAww.jpg

 

256:pw126214190190.40.tik.panda-world.ne.jp(catv?):2011/04/03(日) 12:04:10.47 ID:XfPmQC3I0
これでいいか?


http://beebee2see.appspot.com/i/azuY6azmAww.jpg

 

307:pw126227086252.33.tss.panda-world.ne.jp(catv?):2011/04/03(日) 12:12:54.86 ID:vIxJpaBt0
これも


http://beebee2see.appspot.com/i/azuY7KzmAww.jpg

 

330:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/04/03(日) 12:15:26.29 ID:ddJ12XNP0
>>307
もう誰も疑ってないから
現地の写真どんどんうpして
レポートしてくれ

 

282:pw126248010156.8.tss.panda-world.ne.jp(catv?):2011/04/03(日) 12:09:02.70 ID:P44PYEdDi
サンプラザ


http://beebee2see.appspot.com/i/azuY6rTmAww.jpg

 

313:名無しさん@涙目です。(北海道):2011/04/03(日) 12:13:30.36 ID:G8AJgyZgO
>>282
閑散としてますなぁ・・・

 

304:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/04/03(日) 12:12:35.71 ID:sLtRVLAz0
>>282
車で暴走したら楽しそうだな

 

322:pw126227086252.33.tss.panda-world.ne.jp(catv?):2011/04/03(日) 12:14:58.06 ID:vIxJpaBt0
今ここ


http://beebee2see.appspot.com/i/azuYqqXmAww.jpg



※原発から9kmの地点…(管理人調べ)
http://www.benricho.org/map_straightdistance/

http://blog-imgs-34.fc2.com/n/e/w/news020/Screenshot_5_20110403193725.jpg

 

380:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/04/03(日) 12:20:55.53 ID:vE92hOMi0
屋内退避なのに外出ちゃっていいの?

 

400:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/04/03(日) 12:23:29.06 ID:rHt74Bi70
>>380
屋内退避どころか10km圏内だぞ

 

387:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/04/03(日) 12:21:40.75 ID:bLJ8blKW0
この人いるところ原発から滅茶苦茶近いじゃん・・・
全然20キロから30?の屋内退避の区間じゃない

 

328:名無しさん@涙目です。(北海道):2011/04/03(日) 12:15:16.60 ID:IUYgVQPb0
なんでID変わった?
347:pw126227086252.33.tss.panda-world.ne.jp(catv?):2011/04/03(日) 12:17:25.58 ID:vIxJpaBt0
電波悪く時々圏外になるんでID変わる
それは申し訳ない
352:名無しさん@涙目です。(関西地方):2011/04/03(日) 12:17:49.77 ID:45g/ezcI0
早く避難しなよ!!!

 

363:pw126227086252.33.tss.panda-world.ne.jp(catv?):2011/04/03(日) 12:18:36.28 ID:vIxJpaBt0
寒いから帰るね

 

370:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/04/03(日) 12:19:39.38 ID:xcqxGC+10
>>363
いや寒いとかじゃなしに…お疲れ

 

375:名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/04/03(日) 12:20:23.92 ID:FWemjNIc0
>>363
おつかれさん
風邪ひくなよ

 

368:名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/04/03(日) 12:19:34.95 ID:yDabEAEr0
>>363
貴重なのでこれからもレポートお願い

 

413:pw126232092075.18.tss.panda-world.ne.jp(catv?):2011/04/03(日) 12:25:21.34 ID:n7PCCirai
犬が集まって来た


http://beebee2see.appspot.com/i/azuYi_7lAww.jpg

http://beebee2see.appspot.com/i/azuYuJ3mAww.jpg

 

422:名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/04/03(日) 12:26:23.02 ID:FWemjNIc0
>>413
水、食い物が無いんだろ
ちょっと探してやってくれよ
人がいなくて寂しいんだろうな...

 

448:名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/04/03(日) 12:28:13.14 ID:C6UsydOCO
>>413
人恋しいんだね

 

423:名無しさん@涙目です。(群馬県):2011/04/03(日) 12:26:23.55 ID:vB4iKdkf0
>>413
みんな鎖から解放状態なんだな

 

441:名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/04/03(日) 12:27:31.86 ID:FWemjNIc0
>>423
警察、消防、自衛隊が繋がってる犬は全部放したって記事何処かで読んだぞ?

2ヶ月の被曝で糖尿病になる

2012-05-13 21:59:42 | 原発・放射能

2ヶ月の被曝で糖尿病になる

核分裂生成物のひとつにイットリウム90がありますが、これが体内に入るとすい臓に集中します。すい臓は糖尿をおさえるホルモン・インスリンを分泌しており、この機能が被曝することで異常をきたすのです。2ヶ月の被曝で糖尿病になることは、すでに動物実験で確認されています。

専門家は糖尿病と放射能との関連性については1980年代から知っていましたが、データを公開しませんでした。私は糖尿病の発症率を地域ごとにマッピングしました。結果、糖尿病の発症地域と放射性降下物の分布地域とがぴったり一致したのです。

http://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/kibo/note/naibuhibaku/naibuhibaku8.htm 


ドイツZDF フクシマのうそ

2012-05-13 08:30:44 | 原発・放射能

ドイツZDF フクシマのうそ

http://kingo999.blog.fc2.com/blog-entry-546.html より

我々は放射能から身を守り、警察から外人と見破られないよう
防護服を着こんだ。
汚染され、破壊した原発が立っているのは立ち入り禁止区域だ。
そこに連れて行ってくれることになっている男性と落ち合った。
なにが本当にそこで起きているか、彼に見せてもらうためだ。
ナカ・ユキテル氏は原子力分野のエンジニア会社の社長で
もう何十年間も原発サイトに出向いて働いてきた。
フクシマでも、だ。
私たちは見破られず、無事チェックポイントを通過した。
作業員たちが作業を終え、原発から戻ってきたところだった。
3月11日に起こったことは、これから日本が遭遇するかもしれぬことの
前兆に過ぎないのかもしれないことが次第にわかってきた。
そしてその危険を理解するには、過去を理解することが必要だ。
(タイトル) フクシマの嘘
(監督) ヨハネス・ハノ
私たちは立ち入り禁止区域の中、事故の起きた原発から約7キロ離れたところにいる。
ナカ氏はここで生活をし
福島第一とフクシマノ第二の間を股にかけて仕事をしてきた。
ナカ氏と彼の部下は、何年も前から原発の安全性における重大な欠陥について注意を喚起してきた。
しかし、誰も耳を貸そうとしなかった。

(ナカ氏)
私の話を聞いてくれた人はほんのわずかな有識者だけで
その人たちの言うことなど誰も本気にしません。
日本ではその影響力の強いグループを呼ぶ名前があります。
原子力ムラ、というのです。
彼らの哲学は、経済性優先です。
この原子力ムラは東電、政府、そして
大学の学者たちでできています。
彼らが重要な決定をすべて下すのです。

私たちは東京で菅直人と独占インタビューした。
彼は事故当時首相で、第二次世界大戦以来
初の危機に遭遇した日本をリードしなければならなかった。
彼は唖然とするような内容を次々に語った、たとえば
首相の彼にさえ事実を知らせなかったネットワークが存在することを。
マスメディアでは彼に対する嘘がばらまかれ
彼は辞任に追い込まれた。
彼が原子力ムラに対抗しようとしたからである。

(菅前首相)
最大の問題点は、3月11日が起こるずっと前にしておかなければ
いけないものがあったのに、何もしなかったことです。
原発事故を起こした引き金は津波だったかもしれないが
当然しておくべき対策をしなかったことが問題なのです。
この過失は責任者にあります。
つまり、必要であったことをしなかった、という責任です。

では原発事故の原因は地震と津波ではなかったのか?
原子力ムラの足跡を辿っていくと、
嘘、仲間意識と犯罪的エネルギーの網の目に遭遇する。
調査は2つの大陸にまたがった。
まずカリフォルニアに飛んだ。
目的地はサン・フランシスコである。
私たちはある男性と話を聞く約束をしていた。
彼は長年原子炉のメンテナンスの仕事で
フクシマにも何度も来ており
かなり深刻なミスや事故を東電が隠蔽するのに遭遇した。
フクシマの第1号原子炉は70年代初めに
アメリカのジェネラルエレクトリック社が建設し
それ以来アメリカのエンジニアが点検を行ってきた。
そしてフクシマでは何度も問題があった。

(ハーノ記者)
東電は、点検後、なにをあなたに求めたのですか?

(スガオカ氏)
亀裂を発見した後、彼らが私に言いたかったことは簡単です。
つまり、黙れ、ですよ。
何も話すな、黙ってろ、というわけです。

問題があるなど許されない
日本の原発に問題など想定されていない
アメリカのエンジニア、ケイ・スガオカ氏も
それを変えようとすることは許されなかった。

(スガオカ氏)
1989年のことです、蒸気乾燥機でビデオ点検をしていて
そこで今まで見たこともないほど大きい亀裂を発見しました。

スガオカ氏と同僚が発見したのは、それだけではない。

(スガオカ氏)
原子炉を点検している同僚の目がみるみる大きくなったと思うと
彼がこう言いました
蒸気乾燥機の向きが反対に取り付けられているぞ、と。
もともとこの原発の中心部材には重大な欠陥があったのだ。
スガオカ氏は点検の主任だったので
正しく点検を行い処理をする責任があったのだが
彼の報告は、東電の気に入らなかった。
私たちは点検で亀裂を発見しましたが、東電は
私たちにビデオでその部分を消すよう注文しました。
報告書も書くな、と言うのです。
私はサインしかさせてもらえませんでした。
私が報告書を書けば、180度反対に付けられている蒸気乾燥機のことも
報告するに決まっていると知っていたからです。

(ハーノ記者)
では、嘘の文書を書くよう求めたわけですか?

(スガオカ氏)
そうです、彼らは我々に文書の改ざんを要求しました。

スガオカ氏は仕事を失うのを怖れて、10年間黙秘した。
GE社に解雇されて初めて彼は沈黙を破り
日本の担当官庁に告発した。
ところが不思議なことに、告発後何年間もなにも起こらなかった。
日本の原発監督官庁はそれをもみ消そうとしたのだ。
2001年になってやっと、スガオカ氏は「同士」を見つけた。
それも日本のフクシマで、である。
18年間福島県知事を務めた佐藤栄佐久氏は
当時の日本の与党、保守的な自民党所属だ。
佐藤氏は古典的政治家で
皇太子夫妻の旅に随行したこともある。
始めは彼も、原発は住民になんの危険ももたらさないと確信していた。
それから、その信頼をどんどん失っていった。

(佐藤前知事)
福島県の原発で働く情報提供者から約20通ファックスが届き
その中にはスガオカ氏の告発も入っていました。
経産省は、その内部告発の内容を確かめずに
これら密告者の名を東電に明かしました。
それからわかったことは、私も初めは信じられませんでした。
東電は、報告書を改ざんしていたというのです。
それで私は新聞に記事を書きました。
そんなことをしていると、この先必ず大事故が起きる、と。

それでやっと官僚たちもなにもしないわけにはいかなくなり
17基の原発が一時停止に追い込まれた。
調査委員会は、東電が何十年も前から重大な事故を隠蔽し
安全点検報告でデータを改ざんしてきたことを明らかにした。
それどころか、フクシマでは30年も臨界事故を隠してきたという。
社長・幹部は辞任に追い込まれ、社員は懲戒を受けたが
皆新しいポストをもらい、誰も起訴されなかった。
一番の責任者であった勝俣恒久氏は代表取締役に任命された。
彼らは佐藤氏に報告書の改ざんに対し謝罪したが
佐藤氏は安心できず、原発がどんどん建設されることを懸念した。
そこで佐藤氏は日本の原発政策という
「暗黙のルール」に違反してしまった。
2004年に復讐が始まった。

(佐藤前知事)
12月に不正な土地取引の疑いがあるという記事が新聞に載りました。
この記事を書いたのは本来は原発政策担当の記者でした。
この疑惑は、完全にでっち上げでした。
弟が逮捕され
首相官邸担当の検察官が一時的に福島に送られて検事を務めていた。
彼の名はノリモトという名で
遅かれ早かれ、お前の兄の知事を抹殺してやる、と弟に言ったそうです。
事態は更に進み、県庁で働く200人の職員に
圧力がかかり始めました。
少し私の悪口を言うだけでいいから、と。
中には2、3人、圧力に耐え切れずに
自殺をする者さえ出ました。
私の下で働いていたある部長は、いまだ意識不明のままです。

それで、同僚や友人を守るため、佐藤氏は辞任した。
裁判で彼の無罪は確定されるが
しかし沈黙を破ろうとした「邪魔者」はこうして消された。
これが、日本の社会を牛耳る大きなグループの復讐だった。
そしてこれこそ、日本で原子力ムラと呼ばれるグループである。

(菅前首相)
ここ10~20年の間、ことに原子力の危険を訴える人間に対する
あらゆる形での圧力が非常に増えています。
大学の研究者が原発には危険が伴うなどとでも言おうものなら
出世のチャンスは絶対に回ってきません。
政治家はあらゆる援助を電力会社などから受けています。
しかし、彼らが原発の危険性などを問題にすれば、
そうした援助はすぐに受けられなくなります。
反対に、原発を推進すれば、多額の献金が入り込みます。
それは文化に関しても同じで
スポーツやマスコミも含みます。
このように網の目が細かく張りめぐらされて
原発に対する批判がまったくなされない環境が作り上げられてしまいました。
ですから原子力ムラというのは決して小さい領域ではなくて
国全体にはびこる問題なのです。
誰もが、この原子力ムラに閉じ込められているのです。

東電から献金を受け取っている
100人以上の議員に菅首相は立ち向かった。
その中には前の首相もいる。やはり彼と同じ政党所属だ。
ネットワークは思う以上に大きい。
多くの官僚は定年退職すると、電事業関連の会社に再就職する。
1962年以来東電の副社長のポストは
原発の監査を行うエネルギー庁のトップ官僚の指定席だ。
これを日本では天下り、と呼んでいる。
しかし反対の例もある。
東電副社長だった加納時男氏は当時与党だった自民党に入党し
12年間、日本のエネルギー政策を担当し
それからまた東電に戻った。
このネットワークについて衆議院議員の河野太郎氏と話した。
河野氏の家族は代々政治家で
彼の父も外相を務めた。
彼は、第二次世界大戦後日本を約60年間に渡り
支配した自民党に所属している。
原発をあれだけ政策として推進してきたのは自民党である。

(河野議員)
誰も、日本で原発事故など起こるはずがない、と言い続けてきました。
だから、万が一のことがあったらどうすべきか、という準備も
一切してこなかったのです。
それだけでなく、原発を立地する地方の行政にも
危険に対する情報をなにひとつ与えてこなかった。
いつでも、お前たちはなにも心配しなくていい
万が一のことなど起こるはずがないのだから、と。
彼らはずっとこの幻想をばらまき事実を歪曲してきた
そして今やっと、すべて嘘だったことを認めざるを得なくなったのです。

この雰囲気が2011年3月11日に壊れた。
日本がこれまでに遭遇したことのない大事故が起きてからだ。
14時46分に日本をこれまで最大規模の地震が襲った。
マグニチュード9だった。
しかし、地震は太平洋沖で始まったその後の
ホラーの引き金に過ぎなかった。
時速数百キロという激しい波が津波となって
日本の東部沿岸を襲った。
津波は場所によっては30メートルの高さがあり
町や村をのみこみ消滅させてしまった。
約2万人の人がこの津波で命を失った。
そして福島第一にも津波が押し寄せた。
ここの防波堤は6メートルしかなかった。
津波の警告を本気にせず
処置を取らなかった東電や原発を監査する当局は
警告を無視しただけでなく、立地場所すら変更していたのだ。

(菅前首相)
もともとは、原発は35mの高さに建てられる予定でした。
しかし標高10mの位置で掘削整地し
そこに原発を建設したのです、低いところの方が
冷却に必要な海水をくみ上げやすいという理由で。
東電がはっきり、この方が経済的に効率が高いと書いています。

巨大な津波が、地震で損傷を受けた福島第一を完全ノックアウトした。
まず電源が切れ、それから
非常用発電機が津波で流されてしまった。
あまりに低い場所に置いてあったからである。
電気がなければ原子炉冷却はできない。

(菅前首相)
法律ではどの原発もオフサイトサンターを用意することが義務付けられています。
福島第一ではその電源センターが原発から5キロ離れたところにあります。
これは津波の後、1分と機能しなかった。
それは職員が地震があったために、そこにすぐたどりつけなかったからです。
それで電源は失われたままでした。
こうして送電に必要な器具はすべて作動しませんでした。
つまりオフサイトサンターは、本当の非常時になんの機能も果たさなかったということです。
法律では原発事故と地震が同時に起こるということすら想定していなかったのです。

菅直人はこの時、原発で起こりつつある
非常事態について、ほとんど情報を得ていなかった。
首相である彼は、テレビの報道で初めて、
福島第一で爆発があったことを知ることになる。

(菅前首相)
東電からは、その事故の報道があって1時間以上経っても
なにが原因でどういう爆発があったのかという説明が一切なかった。
あの状況では確かに詳しく究明することは難しかったのかもしれないが
それでも東電は状況を判断し、それを説明しなければいけなかったはずです。
しかし、それを彼らは充分に努力しませんでした。

2011年3月15日、災害から4日経ってもまだ
東電と保安院は事故の危険を過小評価し続けていた。
しかし東電は菅首相に内密で会い、
職員を福島第一から撤退させてもいいか打診した。
今撤退させなければ、全員死ぬことになる、というのだ。

(菅前首相)
それで私はまず東電の社長に来てもらい
撤退はぜったい認められない、と伝えた。
誰もいなくなればメルトダウンが起き
そうすれば莫大な量の放射能が大気に出ることになってしまう。
そうなってしまえば広大な土地が住めない状態になってしまいます。

菅は初めから東電を信用できず
自分の目で確かめるためヘリコプターで視察した。
しかし首相である彼にも当時伝えられていなかったことは
フクシマの3つの原子炉ですでにメルトダウンが起きていたということだ。
それも災害の起きた3月11日の夜にすでに。

(菅前首相)
東電の報告にも、東電を監査していた保安院の報告にも
燃料棒が損傷しているとか
メルトダウンに至ったなどということは一言も書かれていなかった。
3月15日には、そのような状況にはまだ至っていないという報告が私に上がっていました。

事故からほぼ1年が経った東京。
世界中であらゆる専門家が予想していたメルトダウンの事実を
東電が認めるまでなぜ2ヶ月も要したのか、私たちは聞こうと思った。
自然災害が起きてからすぐにこの原発の大事故は起きていたのである。

(ハーノ記者)
「原子炉1号機、2号機そして3号機でメルトダウンになったことを、東電はいつ知ったのですか」

(東電・松本氏)
「私どもは目で見るわけにはいきませんが
上がってきましたデータをもとに自体を推定し
燃料棒が溶けおそらく圧力容器の底に溜まっているだろう
という認識に達したのは5月の初めでした。」

膨大なデータに身を隠そうとする態度は今日も変わらない。
東電は、毎日行う記者会見でこれらのデータを見せながら、事態はコントロール下にあると言い続けている。
しかしこれらのデータの中には、本当に責任者たちは
なにをしているのかわかっているか、疑いたくなるような情報がある。
たとえばスポークスマンはついでのことのように
放射能で汚染された冷却水が「消えてしまった」と説明した。 
理由は、原発施設ではびこる雑草でホースが穴だらけになっているという。

(ハーノ記者)
「放射能で汚染された水を運ぶホースが
雑草で穴が開くような材料でできているというのですか?」

(東電・松本氏)
「草地に配管するのは私たちも初めてのことですが
穴があくなどのことについては知見が不十分だったと思っています。」

しかし原発の廃墟をさらに危険にしているのは
雑草だけではない。
私たちは富岡町に向かった。
ゴーストタウンだ。
原発廃墟の福島第一から7キロのところにある。
私たちはナカ氏に便乗した。
彼のような住民は、個人的なものをとりに行くためだけに
短時間だけ帰ることが許されている。
彼は、地震に見舞われた状態のまま放り出された会社を見せてくれた。
今では放射能のため、ここに暮らすことはできない。

(ナカ氏)
この木造の建物はとても快適でした。
とても静かで、夏は涼しく、冬は暖かかった。
私たちは皆ここで幸せに暮らしていました。

80人の原発専門のエンジニアが彼のもとで働いており
原発事故後も、事故をできるだけ早く収束しようと努力している。
ナカ氏と彼の社員は、原発廃墟で今本当になにが起きているのか知っている。

(ナカ氏)
私たちの最大の不安は、近い将来、
廃墟の原発で働いてくれる専門家がいなくなってしまうことです。
あそこで働く者は誰でも、大量の放射能を浴びています。
どこから充分な数の専門家を集めればいいか、わかりません。

しかし、まだ被爆していない原発の専門家を集めなければ
事故を収束するのは不可能だ。
例えこれから40年間、充分な専門家を集められたとしても
日本も世界も変えてしまうことになるかもしれない一つの問題が残る

(ハーノ記者)
今原発は安全なのですか?

(ナカ氏)
そう東電と政府は言っていますが
働いている職員はそんなことは思っていません。とても危険な状態です。
私が一番心配しているのは4号機です。
この建物は地震でかなり損傷しているだけでなく
この4階にある使用済み燃料プールには
約1300の使用済み燃料が冷却されています。
その上の階には新しい燃料棒が保管されていて
非常に重い機械類が置いてあります。
なにもかもとても重いのです。もう一度大地震が来れば
建物は崩壊してしまうはずです。
そういうことになれば、また新たな臨界が起こるでしょう。

このような臨界が青空の下で起これば
日本にとって致命的なものとなるだろう。
放射能はすぐに致死量に達し、原発サイトで働くことは不可能となる。
そうすれば高い確率で
第1、2、3、 5、 6号機もすべてが抑制できなくなり
まさにこの世の終わりとなってしまうだろう。
東京で著名な地震学者の島村英紀氏に会った。
2月に東大地震研が地震予知を発表したが
それによれば75%の確率で4年以内に
首都を直下型地震が襲うと予測されている。

(ハーノ記者)
このような地震があった場合に原発が壊滅して
確率はどのくらいだとお考えですか?

(島村教授)
-はい、とても確率は高いです。

(ハーノ記者) 
-どうしてですか?

(島村教授)
計測している地震揺れ速度が、これまでの予測よりずっと速まってきています。
私たちはここ数年千以上の特別測定器を配置して調査してきましたが
それで想像以上に地震波が強まり、速度も増していることがわかったのです。

これは日本の建築物にとって大変な意味を持つだけでなく
原発にとっても重大な問題となることを島村氏は説明する。

(島村教授)
これが原発の設計計算です。
将来加速度300~450ガルの地震が来ることを想定しています。
そして高確率で発生しないだろう地震として600ガルまでを想定していますが
この大きさに耐えられる設計は原子炉の格納容器だけで
原発のほかの構造はそれだけの耐震設計がされていないのです。
しかし私たちの調査では、最近の地震の加速度がなんと
4000ガルまで達したことがわかっています。
想定されている値よりずっと高いのです。

(ハーノ記者) 
電気会社は、それを知って増強をしなかったのですか?

(島村教授)
今のところ何もしていません、不十分であることは確かです。
これだけの地震に耐えられるだけの設計をしようなどというのは
ほとんど不可能でしょう。

ここは原発廃墟から60キロ離れた場所だ。
フクシマ災害対策本部では東電、保安院、福島県庁が共同で
原発の地獄の炎を鎮火するための闘いの調整をはかっている。
私たちは東電の災害対策部責任者にインタビューした。
ことに彼に訊きたいのはどうやって今後
これだけ損傷している原発を大地震から守るつもりなのか、ということだ。
ことに、危ぶまれている4号機について訊いた。

(東電・白井氏)
4号機の使用済み燃料プールには夥しい量の使用済み燃料が入っています。
これをすべて安全に保つためには、燃料プールの増強が必要です
燃料プールのある階の真下に、新しい梁をつけました。

(ハーノ記者) 
原発はほとんど破壊したといってもいいわけですが
原発が健在だった1年前ですら大地震に耐えられなかった構造で
どうやって次の地震に備えるつもりなのでしょうか?

(東電・白井氏)
我々は耐震調査を4号機に限らず全体で行いました。
その結果、問題ないという判断が出ています。

(ハーノ記者) 
でも地震学者たちは4000ガルまでの地震加速度が測定されていて
これだけの地震に耐えられるだけの原発構造はないと言っています。
半壊状態のフクシマの原発の真下でそのような地震が来ても
全壊することはないと、なぜ確信がもてるのですか?

(東電・白井氏)
その4000ガルという計算は別の調査ではないでしょうか
それに関しては、私は何とも言いかねます。

(ハーノ記者) 
原発を日本で稼動させるだけの心構えが、東電にできているとお考えですか?

(東電・白井氏)
それは答えるのが難しいですね。

(ナカ氏)
これがやってきたことの結果です。
この結果を人類はちゃんと知るべきだと思います。
一緒に未来の政策をつくっていくことができるように



あなたの動画チャンネルに、このビデオを掲載してください。
あなたのブログに、書き起こし文を掲載してください、
日本中の人が目にするまで、拡散してください。


チェルノブイリの真実(1)

2012-05-12 13:35:10 | 原発・放射能

チェルノブイリの真実(1)

緊急事態を収束する上で政府が優先したのは、
情報操作と政治的なダメージへの対処であった。

周辺の住民たちや60マイル(96km)離れた人口260万人のキエフの街に
住む人々のパニックを避けるために、
事故後10日間のニュースの報道規制を行った。

ほとんど情報のない中で、
多くの人々は自分たちを守るすべを知らなかった。

事故後4日目の1986年のメーデーの祝日には、
市の職員たちは健康被害については否定し、
いつものようにパレードや屋外のイベントを遂行するように命じた。

政府の安全アピールのために、発育期の子供たちの多くがその日に被曝した。
マスクをしていた市民は警察官にそれを外すように言われた。

日本でもまったく同じことが行われいる。

福島第一原発に近い場所で被爆を余儀なくされてしまった
井戸川克隆・双葉町長。国・東電への怒りは相当なものだ。

  私は野田首相に『双葉郡民は国民だと思っていますか?』と聞いたけど、
  国はアメリカにSPEEDIのデータを先に知らせて、
  国民にはSPEEDIのデータを提供しなかった。
  今もって、双葉町は、SPEEDIのデータは来ていません。
  あの情報が入っていたら、仙台方面に逃げていますよ。
  あるいは、ベントの連絡もなかった。
  それから国、東電は、止める、冷やす、閉じ込めると言い張って、
  絶対安全だと言ってきた結果がこれで、我々は住む所も追われてしまった。
  放射能のために学校も病院も職場も全て奪われ崩壊しているのです。
  私は脱毛していますし、毎日鼻血が出ています。
  この前、東京のある病院に被曝しているので
    血液検査をしてもらえますかとお願いしたら、
  いや、調べられないと断られましたよ。
  我々は、被曝までさせられて、その対策もないし、
    明確な検査もない。


チェルノブイリ事故を伝える情報は、数多くあるが
真実を捻じ曲げられた情報もある。

この情報により、本当の真実はなんだったのか、
史上最悪の原発事故が起きた日本で、
私たちにおころうとしていることはどんなことなのか、
考えるきっかけになればと思う。 (何回かにわけて連載)

 

過酷な任務・ある女性のチェルノブイリでの体験

Natalia Manzurova and Cathie SuIlivan
ナタリア・マンズロヴァとキャシー・サリヴァン
翻訳:後藤健太郎・大羽正律・大羽比早子 

事故発生三日後のチェルノブイリからの放射性物質の雲の分布

上図はヨーロッパ1525マイル(約2400kim)地図で、その上空を放射性の雲が覆っている。明度によって明るいほうから毎時0.1R以下、毎時0.1R、毎時0.1R以上で塗り分けてある。胸部へのX線が一回で7.5mremなので被曝量でいうと、X線の12回弱から120回分に相当する。下図はアメリカ合衆国の地図と比べたもの。

 

チェルノブイリのリクィデーター(訳注: 清算人 / 除染作業員)たちに捧ぐ

彼らの健康や命が犠牲になり、人類はより悲惨な悲劇を回避することができたのである。

 

HARD

DUTY

A WOMAN'S

EXPERIENCE AT CHERNOBYL

過酷な任務
ある女性のチェルノブイリでの体験(日本語版)
Natalia Manzurova and Cathie Sullivan
ナタリア・マンズロヴァとキャシー・サリヴァン
翻訳:後藤健太郎・大羽正律・大羽比早子

 

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  冷戦が終結して11年目の2002年、核技術を応用した核兵器や原子力の安全性を危惧するロシアと米国女性たちの、合衆国政府基金によるプログラムで、私はナタリア・ボリソヴナ・マンズロヴァとパートナーでした。

  ユーラシア社会変革行動協会(The Institute for Social Renewal and Action in Eurasia (ISAR))が2002年と2003年に私たちのスポンサーになり、ナタリアと私はロシアで出会いました。 その時はチェルノブイリの事故や、ウラル山脈にあるナタリアの故郷のマヤークにある冷戦当時には秘密だったプルトニウムの生産工場で、健康障害を起こした労働者たちに会いました。旅の後半では、米国で核兵器生産に従事してやはり健康障害を起こした労働者たちとも会いました。米国の映画会社ビジョナリーズが、米国の公共テレビのために私たちの共同プロジェクトをミニ・ドキュメンタリーにしました。

  さらに2004年には、チェルノブイリから60マイルのウクライナのキエフでナタリアと再会し、事故に関連して社会的、医学的に深刻な打撃を受けた各地のコミュニティーに、国連によって設けられたウクライナ・コミュニティー・センターをサポートする団体、FOCCUS(Friends of Chernobyl Centers, United States )と一緒に旅をしました。

FOCCUSとの旅の途上でナタリアは、チェルノブイリの核災害を軽減するために戦った何万というソビエト市民(リクィデーター)の一人としての経験を私たちに語ってくれました。

キャシー・サリヴァン 2006年ニューメキシコ州テスケにて
Cathie Sullivan, Tesuque, New Mexico, February, 2006

©Copyright, 2006 Natalia Borisovna Manzurova & Cathie L. Sullivan

  

リクィデーターとは?

  1986年のチェルノブイリ原子力発電所の事故に関心のある人たちによく訊かれるのは、なぜ60万人から75万人のソ連の兵士や除染作業をした市民たちを「リクィデーター(訳注:清算人 / 除染作業員)」と呼ぶのかということだ。私の友人のナタリア・ボリソヴナ・マンズロヴァがそれについて詳しく答えてくれる。彼女は4年半、ソ連政府の命令で「事故による重大事を清算」した数十万人の一人である。その作業は言いかえれば、「恥ずべき証拠を隠滅」するためだったので「リクィデーター(清算人 / 除染作業員)」と呼ばれるようになったのだ。

  チェルノブイリ事故による病気や、それに続く1990年から1991年のソ連邦崩壊による試練は、数十万人のリクィデーターたちに共通する経験である。ナタリアの声は彼女がチェルノブイリで友達になった人々の声を反映している。その中には若くして亡くなった人や、彼女のように病気を抱えて生きている人もいる。

  ナタリアはジョセフ・スターリンの独裁時代に生まれ、現在はロシア連邦内のチェリャビンスク地域にある、モスクワから1000マイル(1600キロ)東にあるウラル山脈の中で育った。彼女の生まれ故郷のオザースクとそこにあったプルトニウムの生産工場マヤークは、1991年に政府がその存在を認め地図に工場と町が表示されるまで、極秘のソ連核兵器複合体の一部であった。

 ソ連時代のプロパガンダを最近になって絵葉書にしたもの。上:「愛すべきスターリン– 国家的幸福」(1934)下:「さあ、持ち上げましょう!」(1944)

 ナタリアと彼女の両親はマヤークで働いていた。1940年代にスターリンの命令によって秘密の原子爆弾の工場を建てるために、モスクワの東1000マイルにあるウラル山脈の中で松の森林を伐採する仕事が、彼女の親たちの仕事だった。その工場は米国が日本で原子爆弾を使用したことに対抗して、スターリンによって計画されたものだった。*

左から右に:ナタリア、彼女の母親(Zoya Ivanova)、妹

*多くの歴史家の見解によれば、スターリンの恐れには確たる理由があった。米国が広島と長崎に原子爆弾を落とした主な動機は、ヨーロッパの分割についての戦後交渉の前に、スターリンを威嚇するためだったと言われている。

 

ドイツのロシア侵略のさい、ナチスはロシアのレジスタンス戦士をこの木につるした。チェルノブイリからの被曝によりまわりの松の森林が枯れてしまった時、森林は伐採された。この木だけが追悼記念のために残された。残念ながら後に倒れてしまった。

 

パート1:チェルノブイリの事故

  1986年に爆発した原子炉は、現在のウクライナ国内にあるチェルノブイリ原子力発電所にある4基の発電機のひとつである。計画されていたあと2基の原子炉が建設されていれば、チェルノブイリはヨーロッパで最大の原子力発電所になっていただろう。しかしチェルノブイリの約束された未来は1986年4月26日午前1時23分に終了した。その時、不安定で危険な状態になっていた原子炉をシャットダウンするための「スクラム」ボタンを、4号炉のコントロール・ルーム・エンジニアが押し遅れたのだ。その後4秒間でパワーが原子炉の稼動最大値の100倍になり、温度が摂氏7000度に上がった。一分以内に1200トンの溶融した核燃料と他の物質が混ざったものが形成された。*

  それに続く二つの爆発で原子炉の巨大な1000トンの「生態系保護」のカバーが吹き上げられ、原子炉内にある1661本の銅製冷却用水パイプが外れた。基部が怒った犬の逆毛のように突き出した。放射性燃料は空に飛び散り、原子炉からはイオン化した放射性物質が環境に放出された。燃え続けるガスによる50フィートの炎が放射性物質の拡散を悪化させ、その後10日間にわたりチェルノブイリからの放射性物質は北半球の全ての国に到達し、全ヨーロッパの3分の2を少なからず汚染した。

 

*工場の責任者たちは、原子炉は爆発しないようにできていると信じていて、マニュアルには低い出力時における不安定さについては書かれていなかった。最終的に人が原子炉のある部屋に送られ、実際に原子炉が爆発したことが確認された。送られた人たちは「放射線熱傷」を起こし、すぐに病気になった。そして数日後に急性放射性障害で死亡した。 

  隣接した建物の屋根は爆発で飛んできたものに引火して火事になった。消防士たちは高濃度の放射線の中で1、2分しか働けなかった。後に彼らの多くはこの被曝によって死亡した。

  政府の対応はあまりに貧弱で遅く、批判に対する恐れから機能不全になっていた。事件直後10日間のニュース規制により、多くの人々が被曝から身を守るために必要な情報を手にすることができなかった。しかし平常であることを印象づけるため、海外の科学者の忠告を無視して、政府は1986年11月に残り3基の原子炉の稼働を再開した。1997年の火事でそのうちの1基は停止を余儀なくされ、残りの2基も国際的な圧力により2000年には停止された。

  しかしチェルノブイリの問題は1986年にはもちろんのこと、事故に関連して保障を受け取った人の数が(2000年の時点で)700万人にものぼったという見積もりを国連が発表した2002年になっても片付いてはいなかった。

 

前線のリクィデーターたち
(ナタリア・マンズロヴァの話)

消防士たち 原子炉が大気にさらされた、事故の最初の10日間に作業した多くの消防士たちやヘリコプターのパイロットたちは、死亡したり病気になったりしました。多くの場合、致命的な被曝は、高濃度の放射線領域から離れるよう警告する計器がなかったために起こりました。消防士たちは原子炉から飛び散った、燃える黒鉛や核燃料で火のついた近くの3号炉によじ登りました。とてつもなく高濃度の被曝環境で、燃えているものをシャベルですくったのです。彼らは数週間または数ヶ月以内に苦痛に喘ぎながら亡くなりました。ある消防士の死体は燃えている物に挟まれて、2度と取り出すことができませんでした。また鉛の棺桶に入れられてモスクワのミティノ墓地に埋葬された消防士たちもいます。彼らもチェルノブイリの最も栄誉あるヒーローたちです。*

 

ヘリコプターのパイロットたち

  数十人のヘリコプターのパイロットたちが、被曝から身を守ると信じてウォッカを飲みながら、コンクリート、鉛、砂や他の物質5000トンを落としましたが、原子炉の炉心の場所を間違えました。これにより熱がこもり、砂と鉛を放射能汚染し、2度目の爆発を誘発し、霧状になった鉛と砂を含む放射性の雲は上空に舞い上がり、5月1日と2日に恒例のメーデーを祝っていたキエフ市に降り注ぎました。事故当時には、パイロットたちが炉心を遮蔽するのに成功したと思われていました。恐ろしい間違いが判ったのは、しばらくたってからでした。

*2マイル(約3km)しか離れていないプリピャチからの消防士たちは、チェルノブイリでの防火訓練を一度も行ったことがなかった。

 

このヘリコプターはクレーンに羽根がひっかかり墜落した。ヘリコプターはパイロットを被曝から守るために鉛の板が運転席の下に置かれ、さらに鉛や砂、コンクリートを運んでいたため、それらの重さで降下していた。

  数百回に及ぶヘリコプターの飛行中に、一台は燃えている原子炉の中に落ち、一台が近くに墜落しました。ガンマ線による被曝からパイロットを守るため運転席の下には鉛の板が敷かれ、それが余分な重量を与えていたのです。ヘリコプターの乗員のための記念碑が墜落場所に建てられ、モスクワにはチェルノブイリのパイロットのために英雄的な銅像や記念碑がつくられました。ほとんどのパイロットたちは急性放射性障害によって亡くなりました。

 

モスクワにあるチェルノブイリのパイロットのための記念碑

 

鉱夫たち

  事故後の緊迫した数日間では、残りの炉心が建物のコンクリートの床を溶かして地下水にいたる、「チャイナシンドローム」が危惧されていました。建物の基礎を安定させるためのコンクリートを流せるようにするため、ウクライナの鉱夫たちは主にハンドツールだけで原子炉の地下にトンネルを掘りました。すでに爆発や上空から落とされた多量の鉛や砂によって損傷している構造物を壊さないようにするため、地面を揺らす恐れのあるような機器は使用できなかったのです。多くの鉱夫たちは放射線防護が不適切だったため死亡しましたが、その犠牲によりチェルノブイリは「チャイナシンドローム」を避けることができたのだと思います。

 

囚人たち

  一時期、特別な鉱夫たちのグループが住んでいるホステルの近くに、私は住んでいたことがあります。彼らは囚人たちで、危険の高い放射線地区で働けば罪を軽減すると言われていました。科学者たちは原子炉のある部屋の状態をモニターするために、原子炉と蒸気タービン室の間の壁に穴を開けたかったのです。彼らは囚人たちにその作業を頼みました。

  私が彼らに線量計を付けようとしたら、そんなものは大事ではないと言われ、放射能の危険性についても彼らには言うなと言われました。それでも私は言いましたが。

  熱爆発を避けるため、ドリルを冷やす水の代わりに化学的な冷却材が使われました。その化学物質には毒性があり、放射能と同時に浴びるといっそうひどくなるというものでした。ドリルの操作員を見ると様子がおかしく、中枢神経に支障を起こしているのではないかと心配でした。

 

兵隊たち*

  兵隊たちは、原子炉建屋に隣接するホールに破壊され散乱している放射性物質に汚染された蒸気タービンを片付けるように言われました。原子炉の中を巡回する水が、核分裂の熱で温められて発生した蒸気によってタービンは回されます。この機器は非常に放射能が高く、兵士たちはタービンのある部屋に一分づつしか入れず、数秒間働いて出てこなければなりませんでした。

*1986年5月に到着した予備兵たちのことは、見過ごされてきた。彼らの任務に関する記録がなかったため、彼らの病状がチェルノブイリに関係するということを明示することができなかったのだ。米国政府が核兵器生産に携わる労働者たちの健康データに対して行ったように、ゴルバチョフ大統領は全てのチェルノブイリの健康データを極秘扱いにした。(CS)

 

政府の失敗 (キャシー)

  緊急事態を収束する上で政府が優先したのは、情報操作と政治的なダメージへの対処であった。周辺の住民たちや60マイル(96km)離れた人口260万人のキエフの街に住む人々のパニックを避けるために、10日間のニュースのブラックアウトは必要だったのだ、と後に弁解している。ほとんど情報のない中で、多くの人々は自分たちを守るすべを知らなかった。2マイル(3km)離れたプリピャチでは50万人が、そして最も被害の大きかったベラルーシの27の街と2697の村では、1990年までに合計200万人が放射能に曝された。**

  ニュースのブラックアウトにより、初期の段階で放射性ヨウ素の危険性について認識していた人はほとんどおらず、それが子供たちの健康被害に影響を与えた。4年以内に甲状腺ガンにかかる子供たちがウクライナ、ベラルーシ、西ロシアで急激に増加し、20年後の今日も新たに増え続けている。

  1986年のメーデーの祝日は事後発生後4日目にあたっていた。そのころにはキエフの人々はチェルノブイリの発電所が爆発した、という噂を聞いていた。しかし市の職員たちは健康被害については否定し、

** David R. Marples, 'Chernobyl's Lengthening Shadow', Bulletin of the Atomic Scientists, (Sept. 1993) pp.38-43

いつものようにパレードや屋外のイベントを遂行するように命じた。発育期にあってより敏感な子供たちの多くがその日に被曝した。マスクをしていた市民は警察官にそれを外すように言われた。

(続く)


原発建設における特殊な活断層評価――変動地形学の視点から

2012-05-02 08:20:35 | 原発・放射能

『原子力資料情報室通信』403号(2008/1/1)より

連載 地震と原発 8

原発建設における特殊な活断層評価
――変動地形学の視点から

渡辺満久
(東洋大学社会学部)


まさか・・・

 電力の確保や地球温暖化への配慮を考えれば、原子力発電所の建設は必要であると思ってきた。また、より安価に建設することも必要であるから、敷地の健全性に関しては多少(許される範囲で)のごまかしはあるだろうとも思ってきた。しかし、現実は、私の予想をはるかに超えるものであった。
 2006年の春、広島工業大学の中田高先生より、「島根原発付近の鹿島断層(宍道断層)の調査を一緒にやらないか?」とのお誘いを受けた。軽い気持ちでお引き受けし、まず空中写真判読を行なって、地形図上に活断層をマッピングした。結果は、中田先生が判読されたものとほとんど同じであった。極めて明瞭な右横ずれの変位地形を確認し、一部は断層変位を受けてから間もないと思われるものも見出した。ここで、少々疑問が出たのである。島根に限らず、原発周辺にこのような活動的な活断層はないと聞かされていたからである。これは、おかしい。まさか?という思いを胸に、夏から現地調査に入った。

島根原発から柏崎刈羽原発へ

 中国電力が作成した鹿島(宍道)断層の分布図を見て、愕然とした。そこには、短い直線がポツポツと描かれており、中田先生が認定した活断層トレース(佐藤・中田、2002)とは、全く異なるものがあった。中電の図と中田先生の図は同時に提示され、国の審査機関はそれらを比較し、中電側に軍配を上げたと聞き、開いた口が塞がらなかった。「断層露頭がないから否定する」という論調が読み取れた。これは大変なことが起こっていると、即座に理解した。
 2006年の夏、中電と国が「絶対に活断層はない」と断言し、我々が変動地形学的に活断層を認定した地点において、トレンチ調査を実施した。その結果、高角の右横ずれ断層をトレンチ壁面で確認し、鹿島断層の高い活動性を明らかにすることができた。この成果は、同年秋の地震学会(名古屋)にて発表し、これまでの評価が完全に誤っていることを示した(渡辺ほか、2006)。同時に、原子力発電所審査における活断層評価の問題点を整理した(中田ほか、2006)。地元などでは、「特殊な活断層評価」はある程度認識されることになったと思う。しかし、残念ながら、誤りを糺す決定打とはならなかった。それは、東京などではマスコミがほとんど取り上げなかったことが一因である。「特殊な活断層評価」に潜む根本的な問題があるためでもある。
 我々の調査結果を受けて「研究が進めば、新知見が出るのは当然」といった反論もあったようである。しかし、それは全く的外れな反論である。なぜならば、上記したように、中田見解は中電見解と同時に提示されているからである。我々は、中田見解を露頭で確認したに過ぎない。
 私の中で、不安は一挙に拡がり、早急に原発周辺の活断層を見直したい衝動に駆られた。まず、以前から漠然とした不安を抱いていた敦賀原発周辺を対象とした。写真の判読結果では、敦賀原発の敷地を横切る浦底断層は、紛れもない活断層であることを確認した。はっきりと、「証拠」を突き付けられて、暗澹たる気持となるばかりであった。この判読結果は、なるべく早期に公表する予定である。
 2007年3月25日、能登半島地震(M6.9)が発生し、志賀原発をめぐる問題が明らかになってきた。この地震の前、すでに邑知潟断層帯に関わる判決が出されており、「想定される地震規模」が小さすぎる疑いが濃厚であった。能登半島地震も、「想定外」の場所から「想定外」の大きさで発生したらしい。
 能登半島地震を引き起こした海底活断層は、3つに分断されている(片川ほか、2005)。全体では30kmの長さを有する活断層を3つに分断し、個々の長さを10km以下程度としているのである。ひとつながりの断層を3つに分断した理由には、全く同意できない。たとえ、ある場所で新しい変位が「確認できなかった」としても、それは断層活動を否定する証拠とはなりえないのである。「確認できなった」ことは「なかった」ということと同意ではない。断層の長さを無理やり短くしたとしか考えられない。
 柏崎はどうなのか? 実は、私の故郷は隣の上越である。「生まれ故郷が絡んでから心配になったのか」とお叱りを受けるかもしれないが、そのご批判は甘んじてお受けすることにしたい。

柏崎刈羽原発

 刈羽村を守る会の武本和幸さんとは、中越地震(2004.10.23)直後からのお付き合いである。武本さんのお話を伺って、「そういえば、誰も柏崎の変動地形をまともに見ていないぞ」ということに気が付いていた。まさか、電力会社もそれほどひどいまちがいはしていないだろう、真面目に調査しているだろうと思っていたため、注意していなかったのである。
 日々の仕事に翻弄されていたため、上記の流れの中で本年(2007)ようやく、柏崎の写真判読を行なうこととなった。その結果、旧柏崎市街地南縁は撓曲崖(断層崖)の可能性があること、原発は活背斜の上に立地している可能性が高いという結論となった。ほとんど、武本さんのご指摘のとおりであった。この判読が終了したのは、2007年6月末であった。現地を見たいと思っているうちに、中越沖地震が発生してしまった。
 柏崎市街地や原発の立地地点における、地震時の地殻変動に関しては、渡辺ほか(2007)で報告したとおりである。推定される断層を境に10cm程度のずれがあり、原発を乗せる活背斜構造も10cm程度成長した。これらの活構造が見逃されてきたことも大きな問題であるが、詳細は別稿に譲りたい。以下では、海底の活断層に焦点を当てて、柏崎刈羽原発周辺における活断層評価の問題点を指摘する。
 地震発生直後から、海底活断層が震源断層であることは明らかであった。前述の中田さんと名古屋大学の鈴木さんは、すぐに東電の資料を取り寄せ、私も交えて海底活断層の検討を始めた。結果はすぐに出た。柏崎沖には長さ20km以上の活断層が複数存在することが確認できたのである(図1)。しかし東電と国は、同じ海域でほとんど活断層を認定してない。我々は、東電が実施した音波探査記録を見て、私も何の迷いもなく活断層を認定したのであるが、同じデータを見ながら、一方ではほとんど活断層は認定されていないのである。これは、どういうことであろうか? 
 我々は、明瞭な断層構造だけでなく、地層の褶曲や変動地形の連続性から活断層を認定してきた。しかし、報道によると、東電の主張は、褶曲と断層運動との関係は2000年になって初めて明らかになったことであり、1980年当時にはそのような知見はなかったという。だから、当時は、活断層を見出せなかったというのである。活断層の認定は、最近の知見に基づけば変更の余地はあるが、当時の判断としてはまちがっていないと主張している。国の審査機関も、それを完全に認めている。しかし、それは大変おかしなことである。
 褶曲構造は断層運動と関係があるという認識は、1980年当時には常識となっていた。活断層研究会(1980)にも、そのことは、断層認定の基準として示されているし、我々が学生時代から慣れ親しんできた判定基準であり、それに基づく数多くの学術論文が執筆されてきた。我々は変動地形研究の専門家であり、長年にわたって活断層の認定や活動性評価をリードしてきたという自負もある。電力業界だけが「特殊な活断層評価」を続けてきたのであり、国がそれを容認してきたのである。
 もし本当に、我々の常識を知らなかったとすれば、怠慢としか言いようがない。100歩譲って、電力側の調査では、不勉強が通用したのかもしれない。しかし、国の審査機関の中には、我々の調査手法をよくご存じの方がおられたはずである。その方々は、何と弁明されるのであろうか? その責任は極めて重大であろう。少なくとも、褶曲と断層の関係が否定できないことくらいは、十分に認識されていたはずである。関係があるかもしれないが、断定できないから「活断層はない」という論理が正しいはずがない。「最近になってわかった」というスタンスは、責任をなんとか回避しようという意思の表れのようにも思えてくる。
 2007年12月5日に、東電より、海底活断層調査の暫定評価が報告された(東京電力、2007)。これによると、「新たな知見」に基づき褶曲構造をも考慮して、F-B断層の長さなどを見直し、長さ約23kmの活断層であることを認めた。しかし、この「新たな知見」は1980年当時から我々の間では常識であったことは、上に述べた通りである。どうしても、認めたくないようである。なお、F-B断層の延長についても、我々の見解とはまだ異なっている。断層長はまだ短すぎる。

断層長の値切りとずさんな審査

 申請時および2007.12.5の、柏崎沖の海底活断層評価に対して、私は以下のコメントを述べた。1.新たな調査をしなくても、23kmを超える活断層は容易に認定できる。少なくとも23kmに限定する理由は見当たらない。2. F-A~F-D以外にも活断層はある。3.褶曲構造と断層構造を対応させることは、1980年にすでに常識であった。原子力業界だけが特殊な考え方をしてきたのである。4.新しい調査をするのは結構なことであるが、その前にやるべきことがある。
 これまでの活断層評価で見えてくるのは、なるべく断層は認めたくない、断層を否定できない場合はなるべく断層長を短くしたいという「意思」である。活断層が存在する可能性がある以上、原発建設は、「活断層はある」という前提で進めるべきではないのか? 可能性だけならば活断層の存在を否定するという論理は、どこの世界で許されるのか、ご教示いただきたい。
 想定地震をなるべく小さくして、安価に建設したいという気持ちは「よく理解できる」。しかし、断層長を値切って、人工的に地震を小さくすることは許されるはずがない。「安く作れば低価格で電力を提供できますが、次の地震が来たら壊れるかもしれません。それでよろしいですか?」と国民に問うべきである。
 「当時の知見では正しい判断である」とは、責任回避の論理である。新しい調査を実施して初めてわかった、と言いたいのであろうが、そうはいかないのである。鹿島断層、能登半島や柏崎沖の海底活断層の評価は、新たな調査で変わったわけではない。巨額を投じて新たな調査を実施することも結構であるが、その前にやるべきことがある。全国の原発に関わる活断層評価を、既存資料をもとにやり直すことが先決である。
 電力会社が経済的な面を重視し、「まちがった調査結果」を提示する可能性を否定してはならない。最大の問題は、国の審査があまりにずさんであることだ。「専門家」が、どうして「値切り」を見抜けないのであろうか。断層長の値切りの現場には、どうやら「専門家」もおられるらしい。もしかしたら、意識的に見逃しておられるのではないかと疑いたくもなる。
 経産省大臣が、電力会社の社長を呼び出して厳重注意をした光景は、大変申し訳ないが、非常にこっけいである。最終的な責任は国にあるのではないのか? 不適切な例えかもしれないが、悪代官が仲間の悪徳商人を叱りつけているようなものである。責任を回避するようなシステムができ上がっていることが最大の問題かもしれない。申請当時のまちがった判断を正当化しようしているかのごとき論理展開にも、責任回避の構造があるように思われてならない。

図1
図1 柏崎沖の活構造(逆断層トレース)
東京電力(1996)の地形図に、断層トレース・文字・水深値などを加筆した。海底の断層トレースは東京電力(1996)による音波探査記録(測線は番号付きの細実線)に、陸上の断層トレースは写真判読に基づき、発表者らの見解として示した。東電側は、F-A~F-Dの部分のみを断層としている。



引用文献・参考文献
・活断層研究会,1980,『日本の活断層』,東京大学出版会.
・東京電力,1996,柏崎刈羽原子力発電所原子炉設置変更許可申請書(6号及び7号炉完本)本文および添付書類.
・佐藤高行・中田 高,2002,鹿島断層の変位地形-一括活動型活断層のモデルとして-,活断層研究,21.
・片川秀基ほか,2005,能登半島西方海域の新第三紀~第四紀地質構造形成,地学雑誌,vol.114
・渡辺満久ほか,2006,鹿島断層(島根半島)東部におけるトレンチ調査,日本地震学会秋季大会,B20.
・中田高ほか,2006,原子力発電所審査における活断層評価の問題点,日本地震学会秋季大会,B21.
・渡辺満久,2007,2007年新潟県中越沖地震と活構造,2007年第四紀学会講演要旨
http://www.soc.nii.ac.jp/qr/meeting/2007/kinkyu/watanabefinal1.pdf
・東京電力,2007,新潟県中越沖地震に対する柏崎刈羽原子力発電所の耐震安全性の検討状況について.
・明石昇二郎,2007,『原発崩壊』,(株)金曜日
・朝日新聞取材班,2007,『「震度6強」が原発を襲った』,朝日新聞社.

 

転載元:http://cnic.jp/modules/news/article.php?storyid=594


地震予知『4号機建屋が支柱から折れ傾き崩壊。半径270キロ圏内に命の危険。関東の大部分に死の灰降る』

2012-05-01 19:45:16 | 原発・放射能

<地震予知>

4号機建屋が支柱から折れ傾き崩壊。半径270キロ圏内に命の危険。

関東の大部分に死の灰降る

http://jishin.b5note.com/xn-0kqv4szr2a29z/4923/ より転載

掲示板に書き込まれた地震予知情報によりますと、
5/11に千葉県南東沖M9.2
7/11に東京湾北部M7.2
2013/6/11に高知県沖M9.4
の地震が発生するとのこと。

 

No.159560 ななな 投稿者:名無しさん@涙目です。 投稿日:2012/04/30(Mon) 18:23

5月11日
千葉県南東沖(八丈島東方沖)M9.2
最大震度6強
関東の広い範囲で震度6を記録
大津波を記録し、離島はほぼ沈没状態
関東沿岸部で18メートルの大津波を記録
その後もM7~8級の巨大余震が連発し、首都圏はほぼ壊滅状態に陥る

7月11日
東京湾北部M7.2
最大震度7
多くの建物が崩壊、数万人が生き埋め状態に陥る
液状化現象が顕著になる
通信機関が崩壊する
数十万人が飢餓に陥る

2013年
6月11日
高知県沖M9.4
最大震度7
太平洋一帯に大津波が襲う
東海・近畿・四国・九州の広い範囲で震度7~6強
高知県で最大41メートルの大津波
またインドネシアでも最大23メートルの大津波
離島、沖縄はほぼ沈没状態

(転載終わり)

 

No.159599 批判を受けるのを覚悟して予測します。 投稿者:暗黒 東西@神奈川 投稿日:2012/05/01(Tue) 18:36

関東の地震活動は、一段と活発化します。
房総半島南端~東京湾奥で、固着の弱い岩盤が浅いところでも壊れ始めている様です。
あとは、いつ固着部分が破壊されるかという事を予測するだけです。
遅くても、年内には、このことを皆さんが否定できない状況になる可能性は非常に高いと考えます。

皆さん、覚えておいて下さい。
そして、注意、備えを万全に。

このことを最大のテーマに投稿を継続させて頂きたいと思います。

余談ですが、今日の東京湾沿岸の海の色が東京湾とは思えないほど海らしい色をしていました。(深緑)

http://www.progoo.com/rental/normal_bbs/bbs.php?pid=11087

 

本日4/29 19時28分、 投稿者:代表・怒り心頭・整体師  投稿日:2012年 4月30日(月)02時29分56秒   
千葉県北東部にて震度5弱の地震があり、さらに硫黄島の火山の活発化、
その後、関東東北でM4~5の地震が頻発していますが、
先ほどの地震は前震であり早ければ連休中、
遅くとも6月上旬までに本震(震度6弱)がやってくると診なければなりません。
4号機のみ、要注意!

それにしても、知る人ぞ知る、サイトの書き込みが思い出されます。

そのサイトの書き込み2011/2/26には
「日本の太平洋沿岸に巨大な津波が押し寄せる。
(高さは10~25メートル程)某遊園地から
その付近数十キロ~数百キロに及ぶ」

と書かれており、某遊園地とは、東京ディズニーランドを表していると
思われます。そのサイトが、2012年3月24 日に、以下の書き込みをしました。
その人は、ヴィジョンに見えるものを書き込んだものです。

(1)まず千葉県東方沖で震度3~4程度の地震が最初に起こります。

この地震は短い時間ですが一瞬強く大きく揺れる気持ちの悪い地震で、
それで福島第一原発のライブ映像がニュースで流れはじめます。時間は夜間です。
このときはまだ異常はありません。

(2)そして次に起こる地震は朝~昼間で、震源が内陸部でした。
揺れの大きさは震度3~5弱で、東京の広い範囲でやや強く揺れます。
(4号機を含め原発にまだ異常はありません)

(3)二度目の地震からしばらくして、同日中の午後15時33分?
(確かこの時間でした)に、三度目のかなり大きな地震が起きました。
この地震は、震源が福島(内陸部だったと思います)で震度は5強~7、
東京でも5弱程度の揺れが来ました。
この直後、テレビで地震の緊急ニュース番組が流れ始めます。
(真っ先にNHKが福島第一原発のライブ映像を放送します)

地震の揺れが収まって2分程で、傾いていた4号機建屋の1~2階部分の負荷が
かかっていた側の支柱が真ん中から破断し、一気に建物が傾く感じで崩れ落ちました。
(前面に崩れる感じです)
同時に核燃料プールの水が一気に抜け大部分を流失してしまいます。

この日は晴天で、雲も少なく、ポカポカした暑くも寒くもない心地の良い風が
吹いていました。
この瞬間、私たちの運命が決まった!と思いました。

映像が現実に起こるとするならば、
福島第一原発から半径270キロメートル以内にいる方は身に迫る危機を
常に覚悟しておいて下さい。助かる命の保障はありません。

そしてこの大惨事によって日本は大きく真っ二つに切り分かれてしまいます。
北(北海道)への避難、または西日本(九州地方)への避難すること。
海外へ避難できればそれに越した事はありません。

それは、まさに大きな三度目の地震が起きた直後、
福島第一原子力発電所の4号機のコンクリート建屋が支柱から折れて
斜めに傾き崩壊し、燃料プールの中の水が流れ出て流失してゆく光景でした。

そしてそこから「半径270km以内にいる方は全員死亡、
または重篤患者として命の危険がある」ということを強く警告されました!
残されたタイムリミットは事故後約2時間だったと記憶しています。 

2時間で放射能が拡散し始め、やがて関東の大部分に死の灰が降ると…

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