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脱原発・放射能

利権によって動かない組織、我々の力で変えて行こう

調査報告/原子力発電所における秘密「チェレンコフの光、原発奴隷・原発ジプシー」

2011-12-04 20:18:29 | 原発・放射能

04. 中川隆 2011年3月15日 17:18:45: 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q

チェレンコフの光、原発奴隷・原発ジプシー


【世界で一番美しい光】という声もあるらしい。

バケツを使って彼らは作業していた。

当時、原発を知ることには全く興味がなく ただただ浪費するだけの私にも強烈な印象を残した。 東海村臨界事故。 今一度この件を調べてみる。


大内久さん 35歳。
篠原理人さん 40歳。


お2人の姿は当時マスコミがこぞって、人型を使って、現場の様子をシュミレーションしていたな。JOCの決死隊がマスクをし、大げさな(ように見える。)装備で建物に入るのを現実感がない四角の箱の世界のことだと感じていた。

この臨界事故は手作業でウラン処理にあたり、許容量オーバーのために連鎖的な核分裂がおこった状態なのだという。 その作業にあたっていたのが大内さんと篠原さん。 そして彼らは臨海の際に放つ光。。『チェレンコフの光』を肉眼で見てしまった。

バケツでウランを流す際にロウトを支える担当だった大内さん。チェレンコフの光が体を突き抜けた後、更衣室に逃げ込み、嘔吐した、意識を失った。その被爆量は20svだという。

IAEAの発表によると8sv以上浴びれば死亡率100%。20svは一般人が1年間で浴びる限度とされる量の2万倍なのだそうだ。

大内さんは元スポーツ選手というだけあって大型のがっちりした体型。 入院当初、外見はすこし赤くなってたものの意識はしっかりし、看護士たちに冗談を言っていたという。 明るい大内さんという印象だったようだ。 しかし容態は日増しに悪くなっていく。

血液中の酸素濃度は下がり、リンパ球は減っていき、バラバラに砕けた染色体。。 タオルで体を拭くと皮膚はこすれてめくれ器具を固定するための医療テープを剥がすとそこの皮膚は再生しなくなった。

明るくまわりを気使っていた大内さんは、こう言うになった。

『もうイヤだ。』
『やめてくれ。』
『茨城に帰りたい。』
『おふくろ。』
『一人にしないで。』
『おれはモルモットじゃない。』

 

呼吸の状態が悪くなり、ノドのチューブを入れることになる。 それは会話ができなくなることを意味していた。中性子線に貫かれた体を悪化し続け、眠らせておく時間が長くなった。

天文学的数値のモルヒネ、剥がれ落ちる皮膚、蒸発する水分、血液、むき出しの体を守るために、毎日2時間かけて包帯を替えることが治療の大半をしめるようになる。

83日目、大内さんはこの世を去る。

翌年4月大内さんの死を聞かされ 『おれもあんなふうになるのかな』
と泣いた篠原さんもこの世をさる。

ある看護士はどんな状態の患者さんだって生きたい 死にたくないと思ってることを大内さんから教わった。という。

 

現在、原発に関わる人は年間5万~6万だという。

うち原発会社の社員は約5千名。 彼らは実際に作業にあたることはほとんどない。

子会社、孫会社になるほど被爆量は増すのだそうだ。

 


原発奴隷。原発ジプシー。 この言葉があるのを知ってるだろうか?

彼らの被爆なしには原発が動かない。 我々は電気にありつけない。
原発メーカーと家電機器のメーカーが同じである以上、『セット売り』という事実から逃れられない。

この悪魔の連鎖を作ったのは誰だろうか?

 

“原子力に頼る、世界で唯一の被爆国・日本。

放射線被爆が人体に何をもたらすか、その国民こそきちんと知っておかなければならないのではないだろうか?”

http://senmaya.at.webry.info/200807/article_9.html


転載元:http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/363.html


調査報告/原子力発電所における秘密「下請けの命であがなう原子力発電」

2011-12-04 20:07:14 | 原発・放射能

03. 中川隆 2011年3月14日 17:00:19: 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q

下請けの命であがなう原子力発電
 

2007年8月6日 読売新聞  

   柏崎原発で作業員に放射能の水かかる、3週間たって公表


 新潟県中越沖地震発生時に柏崎刈羽原子力発電所の使用済み核燃料プールの水があふれた問題で、東京電力は6日、当時、1号機のプールの近くにいた作業員2人が放射能を帯びたプールの水を浴びていたと発表した。

 水で足元をぬらした作業員も1号機と6号機に数人いたという。

 東電は「全員、健康への影響はない」としている。公表が3週間後と遅れたことについて、東電は「協力(下請け)企業を通してのヒアリングに時間がかかった」と釈明している。

 東電によると、1号機で水を浴びた2人は下請け企業の男性作業員。プール脇のフロアで作業中、水が上半身や下半身にかかった。2人とも防水服と頭部を覆うマスクを着用していたという。水は床を伝って、少し離れた場所にいた数人の靴や靴下をぬらし、肌に触れた人もいたという。

 6号機でも、水で靴をぬらした作業員が数人いた。

 水を浴びた2人を含め全員が管理区域退出時の検査で、放射能が安全基準値(1平方センチあたり4ベクレル)を下回ったという。その後、体調を崩したり、病院で診察を受けたりした作業員はいないという。

 東電は地震発生時の作業員の動向について、7月26日から聞き取りを実施。発生時に放射線管理区域内にいたのは817人で、大半が下請け企業の作業員だった。うち52人は原子炉建屋内にいた。

 

 

■上の写真は 2007年7月25日の新聞のものを拡大。

「使用済み燃料貯蔵プールわきの床から放射性物質をぬぐう作業員」というキャプションがついている。ただし掲載の写真は読売新聞のではなく、朝日か毎日の方だったと思う。

25日に地震後初めて柏崎刈羽原子力発電所6号機の作業フロアが公開され、写真のように作業員たちが床にこぼれた放射能を帯びた水をぬぐう姿が映っていた。

これはおそらく正規の社員ではないだろう、放射能被曝が問題だと思って写真を保存しておいたのだが、案の定多数の下請け作業員らが地震のさいも水を浴び、その後の清掃作業も行っていたことが明らかになった。

 

藤田祐幸『知られざる原発被曝労働』(岩波ブックレット№390)の中に、
「下請け労働に依存する原子力発電」という章がある。


再び増えだした被曝労働者

日本が本格的な原子力時代に入ったのが1970年。

原発施設で働く労働者の総被曝線量(人シーベルト)の推移を見ると、70年代当初はずざんな管理が横行し労働者被曝が急増した。

そして79年にアメリカのスリーマイル島原発で重大事故が発生、労働者被曝の問題もクローズアップされ、80年代は企業側の努力もあって総被曝線量も減少傾向になった。

ところが90年代に入ると原発施設の老朽化に伴い、再び総被曝線量が増加するようになってきた。(著書は1996年刊)

 

 また累積被曝線量もついに2000人シーベルトをこえ、被曝労働を体験したした人は少なくとも30万人をこえている。これら被曝労働の経験者の多くは、日々の健康の不調に悩み、将来起こるであろう様々な障害に対する不安の中で暮らしている。

 さらに寿命を終えた原発の解体撤去が日程にのぼるようになり、ここでも新たな被曝労働者の群れが産みだされることを、憂慮しなければならない時代にさしかかっている。そして、原子力時代が始まって20年以上が経過し、初期の被曝労働者がガン年齢に達し始めており、今後は被曝労働者の発ガンの問題が深刻化することも考えておかねばならない。

 


被曝労働を強いられる下請け労働者


原発で働く労働者のうち、電力会社の社員の被曝は全体の被曝者の5%程度。95%の被曝が下請け労働者ということになる。

そしてその下請けにも、構造というか格差が現存するのだ。

1つは原発の制御系や保安系の維持と管理をするグループ。
長期的に繰り返し被曝するリスクの大きな職種。

2つ目はメーカーが派遣する部品の保守管理をする下請けグループ。
定期検査の時にだけ派遣され、短期間の被曝作業に従事。

3つ目は専門性は求められない、高度汚染区域の清掃作業などを行うグループ。
出稼ぎ労働者や都市のホームレスなどが従事する。

 

闇の中の被曝労働


こうした労働者の実態は外部からうかがい知ることができず、記録も5年経つと廃棄処分にされる。
さらに立場の悪い下請け業者は、仕事をもらうために率先して悪条件の現場に労働者を送り込み、現場では放射線測定のアラームメーターをはずして作業をすることもまれではない。

 

祝島の元被曝労働者


著者は被曝労働のさらなる実態を知るために山口県の祝島に渡る。
語ってくれた4人は70年代末に各地の原発で季節労働者として働いた経験を持つ。(この当時で皆70歳を超えている)


――仕事が終わって作業着を全部脱いで、パンツ一つになってハンドフットモニターに手や足を当てるんですよ。するとアラームが鳴って掌に汚染があるというのです。水をかけてたわしでゴシゴシこすって、また行列の最後について順番を待つんです。

冬の福島でしょ。寒いんですよ。でも暖房なんてありませんからね。身体がガタガタ震えるのを我慢して、またモニターに手と足を当てると、また鳴るんです。ゴシゴシ洗っても汚染の位置がちょっと動いただけだったんです。また流しに行ってゴシゴシ洗って、何十人もの行列の最後に並ぶんです。あんな惨めなことはありませんでした。


――ひどい現場でね、腰に縄つけて入るんです。放管(現場監督)がストップウォッチ持ってて時間がくるとそれをグッと引くんです。そしたらすぐに出てこなければならない。3分とか5分といったもんでしたね。すると待機していた次の人が腰に縄をつけて出て行くんです。待機場所でポケット線量計の針を見てるとそこでもドンドン動いていくんですよ。


――深い穴の中で作業しているのを見たことがありますが、アラームがなると大勢で腰の縄をひっぱって引きずり上げるんです。梯子はあるんですが間に合わないんでしょうね。


――1日あたり90から100(ミリレム、0.9~1.0ミりシーベルトに相当)のセットをしたアラーム持って入るんですよ。でも、1日のうち実際働くのは3分とか5分というとこでしょ。中には、怖くなって逃げ帰ってしまう人もいたらしいですよ。この島にも下請け業者が逃げた人を探しに来たことがありました。


――なにしろ1日5分も働けばあとは待機でしょ。楽といえば楽な仕事です。だからって、何人が集団になって、あちこちの原発を渡り歩いている若い人たちに会いましたよ。あの人たち、今はもう死んじゃってるんだろうな。


――他の現場と比べてですか。賃金は原発でも他の現場でも同じでしたよ。親方がごっそり持っていったんでしょうね。


――毎朝朝礼があってね、そこで毎日聞かされましたよ。ここのことは絶対外に行ってしゃべってはいけないってね。恐ろしい所だってことになれば誰も来なくなるからかね、なんて仲間と話していましたがね。

http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-entry-366.html

転載元:http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/363.html


調査報告/原子力発電所における秘密「近代的コントロールルームの裏で」

2011-12-04 20:04:59 | 原発・放射能

03. 中川隆 2011年3月14日 17:00:19: 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q

近代的コントロールルームの裏で


原発の見学会、学校に配布される教材、パンフレット、電力館等で見る原発は、近代的な中央制御室をはじめとして現代科学技術の最先端を行く表の部分だけです。これだけを見ていると原発はコンピューターだけで動いているスマートな施設のように見えます。しかし、そうではない部分が原発を支えていることは一般に知られていません。

原発の裏では、たくさんの人が放射線を浴びながら危険な仕事に携わっています。どんなに機械が近代化されても、この裏方の仕事なしには原子力発電所は動きません。しかし、その仕事はそう簡単には外部の人間には見せてもらえませんし、ましてや教材には全く触れられていません。

定期点検という言葉は新聞などでも馴染みになりました。原発は一年に一度発電を止め、発電機を含めた周辺の機器の総点検を行わなければならないと決められています。このときその作業に従事する労働者はどのような環境下でどのような仕事をしているのでしょうか。

この章は、その実態を知るために自ら原発労働者となり、3つの原発で働いた経験をまとめた「原発ジプシー」(堀江邦夫著)、原発被ばくにより癌におかされたり、いろいろな病気に苦しんでいる人々に丹念なインタビューを続け、被ばく労働者の実態をよく描き出している「闇に消される原発被曝者」(樋口健二著)を主に参考にしてます。これらの本からは、原発で働く人々の労働環境、放射線管理のずさんさ、被ばくの実態、不安や本音が聞こえてきます。

 

放射能汚染区域と非汚染区域の作業


原子力発電所は放射能汚染区域(管理区域)と非汚染区域(非管理区域)に分かれています。非汚染区域での仕事は被ばくの危険性はほとんどないのですが、狭いところでの熱と金属のホコリとに苦しめられながらの作業、取水口での吐き気を催すような悪臭の中でのヘドロのかきだし作業、タービンのさび取り等々劣悪な作業環境下でおこなわれます。

放射能汚染区域は汚染の程度により低汚染区域、高汚染区域等に分けられています。高汚染区域では、放射能を吸い込まないように全面マスクをつけ(図1)体に放射能がつかないように手袋や靴下は3枚も重ね、全身を覆う防護服を着、長靴を履きます(図2)。

 

図1 全面マスク(原発ジプシーより)


マスクを付けると大変息苦しく、その上作業場は暑くて汗が滝のように流れ、マスクはすぐに曇ってしまいます。「暑くて苦しくてよー、マスクなんかしてられないよ」と息苦しさと作業能率のために危険を知りながらもマスクをとってしまう人もいます。

首には一定量の放射線を浴びると警報ブザーが鳴るアラームメーターをかけ、被ばく線量を測るポケット線量計(図3)を身につけます。

 

汚染区域に入るためにはこのように厳重な装備を付けます。高汚染区域ではすぐにアラームメーターがなるために長い時間作業することはできません。図4は原発炉心部への入り口で順番を待つ労働者です。被曝線量が多いため数分刻みで交代し、1日に1000人以上の下請け労働者による人海戦術で作業を行います。これが意味することは、被ばくをおおくの労働者に分散させるということです。作業現場によってはアラームが鳴ってすぐに交代したのでは効率が悪いため、これを無視して作業を続ける場合もあります。或いはポケット線量計をどこか他の所において仕事をする人も出てきます。ですから、報告された被ばく線量と実際に受けた線量は違う場合もしばしばです。

 

完全防護服を着ていても汚染することはあります。放射線管理区域を出るときには服をすべて脱いだ後、モニターで汚染検査をします(図5)。汚染が発見されると、シャワーで落ちるまで洗い流します。トイレに行きたくてもこの検査が通るまでは管理区域の外に出ることが されません。洗ってもこすっても汚染が落ちない場合には不安にさいなまれ、苦しい思いをします。

 


下請け労働者

 
原発で働く労働者は下請け、孫請け・・・と8代も下の会社に雇われている場合も少なくありません。そのため劣悪な労働条件下、安い賃金で働かされます。

例えば電力会社から労働者一人当たり1日15,000 円支払われたとしても、中間にいる親方がピンハネするために、実際に労働者が受け取る賃金はそれよりずっと少なくなってしまいます。

さらに、被ばくしたり、ケガをした場合は下請け業者が、上の業者や電力会社に気兼ねして握りつぶしてしまい、表に出さないことが通常です。被ばく労働の実態が社会に知られていない原因がここにあります。

 

図7は1971年5月福井県敦賀市にある日本原子力発電敦賀発電所内で被ばくした岩佐嘉寿幸氏です。被ばく後、体調を崩しチョットした仕事にも疲れやすく、仕事を継続できなくなりました。外見は健康そうに見えるため、人からは「原発ぶらぶら病」などと陰口をきかれました。写真は岩佐氏の厳しい生活環境を良く現しています。それでも、病体にむち打ち、日本ではじめての「原発被曝裁判」をおこし、17年間にわたって裁判を闘いました。しかし裁判所、行政の壁は厚く、ついに被ばくによる労働災害は認められないままなくなりました。

このような下請け労働者の数は電力会社の正社員の数よりもずっと多いことは図8でもよく分かります。


原発は事故がなくても、仕事の中で被ばくをしいられている労働者がいなければ絶対に動かないことをよく理解しておく必要があります。

http://www.nuketext.org/roudousha.html

 


日本において原子力発電所(以下「原発」という)の定期点検時には、原発を運転する電力会社の社員ではなく、関電プラントなど原発の保全業務を担当する会社の下請け企業に一時的に雇用された労働者が、点検業務にあたる。


給与のピンハネ

1人の労働者に対し元請け企業から日当15,000円が下請け企業に支払われていると推定されるものの、労働者自身には5,500円しか渡らず、9,500円を下請けがピンハネしていると考えられる[1]事例が紹介される。

 

労働災害

電力会社が労働災害を嫌う事例が紹介されている。筆者が作業中に3週間の怪我を負った際には、雇用した下請け会社の安全管理者より、治療費を会社で負担し休養中の給与も補償するとの申し出を受けている[2]。 また、労働者が会社に労災を認めさせたものの、会社から原発構内以外の場所で負傷したことにするよう求められた事例が紹介される[3]。


労働者の被曝 [編集]労働者の放射線被曝を防ぐ意識が低かった頃は、人手が足りなければ放射線管理教育もせずに放射線管理区域に労働者を入れて被曝させた例があった[4]とされる。


労働者の中には、自分の被曝が原因となって生まれてくる子供が障害を持つことを心配する人もいる[5]。 原発で働く前に生まれた子供は健常であったが原発就労後に生まれた子供に指がなかったため転職した事例が紹介される。

就労者の子供が奇形をもって生まれた例を見聞きしたことも紹介される。ただしこれらが放射線障害に起因した現象とは限らない[6]とされる。

 

外国人労働者との格差 [編集]なお、ゼネラル・エレクトリックの労働者が日本に来て福島原発の修理をしたり、敦賀原発など他の原発でも就労している事例が紹介される。

こうした外国人労働者には日本人労働者より高い数値にセットしたアラームを与えられ、1日に700ミリレムを被曝するものの数日で交代する例もあった。給料は非常に高額であったが、彼らの出身はスラム街であったり、刑務所を出た者であったりしたとされる。計画線量が日本人労働者の10倍の1,000ミリレムであった事例もあった[7]。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%82%B8%E3%83%97%E3%82%B7%E3%83%BC

 

 

正社員は放射能が恐ろしくて、下下請けが仕事をしているかどうかを点検しない。連絡ミスというが、正社員の下請けイジメが原因。
むかついて、下請けが故意に連絡しなかったということだ。

こういう理由で、途上国の原発で大事故は必ず起きる。!!!

http://plaza.rakuten.co.jp/kosituu/diary/201005010000/

 

 

転載元:http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/363.html 


[2004年8月美浜原発3号死傷事故]140度の蒸気 一気 肌ただれ「痛い、痛い」床一面に高温の湯

2011-11-30 19:29:45 | 原発・放射能

 

2004年8月 美浜原発3号死傷事故

140度の蒸気 一気 肌ただれ「痛い、痛い」床一面に高温の湯

― 二次系配管損傷による蒸気噴出で十一人もの死傷者を出した、国内最悪の原発事故 ―

 

高温、高圧の蒸気を浴びて肌や服がただれた作業員

配管を内側からめくり上げるように噴き出した蒸気は、タービン建屋内を映し出すモニター画面を一瞬のうちに”真っ白”にするほどの勢いだった。高温、高圧の蒸気を浴びて肌や服がただれたようになった作業員を必死に助けようとする原発職員。意識がある負傷者は医師らに「痛い、痛い」とうめき声で訴えた。

 「やけどをした人がいる。氷をくれ!」。原発内の食堂に勤務する女性従業員(65)は、原発職員が食堂に走りこんできた様子を語った。「ありったけの氷をボウルに入れて渡した。二十四年間ここで働いて、こんなことは初めて」
 午後三時半ごろ。建屋二階にいた作業員の頭上、直径五十六センチの配管から約百四十度の蒸気が突然噴き出した。床一面にあふれた高温の湯も作業員の足元を襲う。
 敦賀美方消防組合の隊員(31)は「原発職員らが『頑張れ』『もうすぐ助けがくる』と声を掛けながら負傷者にホースやバケツで水をかけていた。負傷者は顔をしかめ、痛みをこらえていた」と直後の惨状を明かした。

4人の作業員は心肺停止、作業服が黒く焦げていた

 八人が運ばれ、うち四人が死亡した福井県敦賀市の市立敦賀病院。到着時、四人の心肺はすでに停止し作業服が黒く焦げていた。
 午後六時ごろ駆け付けてきた遺族の控室からは男性の泣き叫ぶ声が聞こえ、廊下に座り込む女性の姿もあった。
 三人の負傷者が運び込まれた国立病院機構福井病院では、全身やけどの重傷を負った岡田真一さん(43)が、親族に対し「すぐに水で体を冷やした」と当時の様子を説明しながら、現場にいた部下を「子供が生まれたばかりなのに」と思いやった。
 同病院の川端義雄事務部長は「搬送されたうち一人は搬送後に呼吸不全に陥り、ヘリで転送した。ここには皮膚科の専門医がおらず、別の病院に医師の派遣を要請した」と力なく語った。

惨劇の跡が生々しく、あちこちに血のりが 突入の消防署員「とんでもない事故」

 「扉を開けた瞬間、尋常でない熱気が押し寄せた―」。タービン建屋内に突入した消防隊員は、事故直後の現場のすさまじさに圧倒された。配管が破裂したとみられる二階部分には、アルミ破片や建材の一部が散乱し、あちこちに血のりが付着。惨劇の跡が生々しく残されていた。
 敦賀消防署の小保博幸・消防司令補が現場に到着したのは午後四時ごろ。被害者は既に、原発の従事者らに建屋内から救出され順次、救急車で搬送されていた。小保消防司令補はちょうど、たんかで運ばれる二人の被害者を見た。一人は顔中に包帯を巻かれ、もう一人からは「うぅ、うぅ」と苦しそうなうめき声が聞こえた。
 午後四時二十分、建屋内部に侵入可能な室温になったとの判断が下りた。小保消防司令補らは耐熱服、酸素マスクを身につけ、建屋内の検索に先陣を切って突入した。緊張感を漂わせながら三階の扉を開けると「四、五十度はあったと思う」という熱気。ただ視界も普通で惨劇を示すものはなかった。同五時十七分、同署の須藤慶一消防司令らが事故現場の二階に入った。ここも重装備を素通しするような熱さ。フロアや階段部分などに散乱したアルミ片やあちこちに残る血のりを見て「とんでもない事故とあらためて思った」という。

「息子は」「弟は」号泣 医師囲み騒然 市立敦賀病院

「何が起きたかさっぱり分からない」「うちの家族はどうなってるんですか」―。九日、美浜原発の事故で死傷者八人が救急車で運び込まれた市立敦賀病院では、一報を聞きつけた家族や知人、報道陣が次々と駆けつけ、一時騒然とした。けが人が誰なのかすら分からない。心配そうな表情でいら立つ家族らはテレビの速報をにらみ、看護師や医師を囲んだ。                        

 午後六時前、けが人が運ばれた救急処置室前の廊下には、駆けつけた家族ら十四、五人が待ち続けた。「弟なんですけど、どんな容体ですか」と看護師に詰め寄る男性。「お父さんに電話した?」と病院内を往来する母子。運ばれた負傷者の親類だという男性は「今だれが処置されているのかも分からない」と廊下に立ちつくしたまま。関電関連会社の男性社員は「何が起きたのか、だれがどうなっているか僕も分からないんです」としゃがみ込み、病院側の説明を待った。
 応急処置が終わり家族に説明があったのは午後六時十五分すぎ。四階会議室に設けられた家族控室で、医師から作業員の氏名と容体などが説明された。亡くなった作業員の家族とみられる女性は、目を真っ赤にはらし泣き崩れるのを抑えるように重い足取りで安置室に向かった。午後七時すぎに訪れた女性二人は、病院側から訃報を伝えられたのか、がっくりと肩を落として泣き崩れていた。

全身の水分が一瞬にして蒸発 「初めてみる症状」医師会見 

4人は全身に極度の熱傷を受け即死、3人は体表の50%以上にやけど

 こんな症状は今まで見たことがない―顔面は真っ白で全く血の気がない。全身の水分が一瞬にして蒸発したらしい。市立敦賀病院の医師は、亡くなった四人の姿に驚きを隠せなかった。
 中川原儀三院長らの会見によると、関電からは午後三時半に「管理区域外で労災事故が発生。やけどの作業員がいる」との連絡が入った。同四時十分から同五時十分すぎまで順次運び込まれ、医師や看護師、放射線技師ら計三十六人体制で対応した。
 杉浦良啓・救急担当診療部長によると、運ばれた八人全員がヘルメットと作業着を着けたまま。うち亡くなった四人は既に硬直し、腕を上げたままの状態だった。気道や全身の極度の熱傷で即死したものとみられるが、医師は「これだけ早い段階で死後硬直し真っ白な状態になるケースは、今まで見たことがない。よほど高温の蒸気に一瞬でさらされたのでは」と漏らした。
 市立敦賀病院で手当てを受けている早佐古清さん(44)と小矢淳平さん(23)は手、足、でん部などに20―30%のやけどで、体の皮がめくれ、赤くなっている状態。県立、福井大付属の両病院に運ばれた三人は、気道の熱傷があり、体表面積の50%以上にやけどがみられ、作業着には体液がにじんでいた。

一度も検査、交換せず 破損配管
安全思想、1次系と差 76年運転開始以来

タービン建屋内で多数の死傷者が出た美浜原発3号機は、加圧水型軽水炉(PWR)と呼ばれる原発で、二次系に放射能を含んだ冷却水が入り込まず管理しやすい利点がある半面、配管に高温高圧の負担がかかるという本質的な危険性を抱えている。ただ、一次系に比べて安全思想は徹底されておらず、破損した配管も一九七六年の運転開始以来、一度も検査しておらず、交換もされていなかった。  

老朽で延性割れか

 美浜原発3号機の蒸気漏れ事故は、金属が冷却水による腐食で薄くすり減り、引き延ばされて破れる「延性割れ」が起きた疑いが強い。事故が起きたのは、放射能を含まない二次冷却水が循環する復水系配管。

 極めて似たケースが、一九八六年の米サリー原発事故。美浜と同じ加圧水型原発(PWR)のタービン建屋で、直径四十五センチの配管が一瞬のうちに破断、高温の水蒸気と熱水を浴びた作業員四人が死亡した。その後、配管に激しい腐食が見つかった。
 この事故の後、日本のPWRはすべて点検され「異常なし」とされていた。だが、今回は直径五十六センチの配管の一部が突然大きくめくれる破損が起きており、米国のように配管が破断していれば、被害者はもっと増えていても不思議はなかった。

 

引用元:http://www.fukuishimbun.co.jp/jp/mihamaziko/kiji06.htm#060922

 


2011年3月13日双葉町で1000マイクロシーベルト/時以上を計測していた

2011-11-27 22:59:35 | 原発・放射能

2011年3月13日双葉町で1000マイクロシーベルト/時以上を計測していた

http://ameblo.jp/m08068469/ より

 

「3・11メルトダウン 福島原発取材の現場から」Part3
http://youtu.be/szGonMt6ILI

 

地震発生から2日後の2011年3月13日午前10時40分ごろ、福島第一原発から数キロ付近の双葉町で1000マイクロシーベルト/時以上を計測した、JVJA取材チー-ム(森住卓、豊田直巳、山本宗補、野田雅也、綿井健陽)と広河隆一(DAYSJAPAN編集長)は、福島第一原発に向かって車を進めた。
陥没した道路、倒壊した家屋、津波が襲来した田畑を回る中、情報を何も知らされないまま車で自宅に荷物を取りに戻る住民たちと出会う。一方、ラジオでは枝野官房長官(当時-)はそれまで同様の政府発表・見解を流していた。
あの日、福島第一原発近くの町で何が起きていたのか。
放射能の情報は何が伝えられて、何が伝わらなかったのか。



福島原発事故1ヵ月後鎌倉市内の放射能計測値通常の約100倍以上

2011-11-27 09:50:30 | 原発・放射能

福島原発事故1ヵ月後鎌倉市内の放射能計測値通常の約100倍以上

http://www.youtube.com/watch?v=mYHx1Qw7UEg (約4分動画)(転載開始)

さんが 2011/04/13 にアップロード

福島第一原発事故一ヶ月後の4月11日鎌倉市内住宅地の排水口付近で放射線濃度を測定、雨水が集まる所は通常よりかなり高い数値を計測、γ線は若干だが、β線は通常の10­0~200倍の高い値、恐らく放射線ヨウ素131と放射線セシウム137のものと思われるが実際の放射線核種は不明。かなり広い範囲の土壌が満遍なく汚染されていると思わ­れる、又雨水が集まる所等がホットスポットになっている。その他の場所でも排水口周辺は高い値であった、排水口以外では壁の値は約0.3~0.7μSv/hであった、アス­ファルト等平面の場所では約0.7~2μSv/h程度であった、雨水の集まるところはそれより若干高い印象。今後はその様なデータの動画も録ってきたいと思う。

(転載おわり)


敦賀・若狭の原発からは既に大量に放射能が漏れている。1年間に81兆Bq・・

2011-11-27 08:54:18 | 原発・放射能

ホットスポットで被爆による健康被害が進行中か

2011-11-26 22:37:54 | 原発・放射能

ホットスポットで被爆による健康被害が進行中か

http://ameblo.jp/311shikousakugo/entry-11088110136.html より

被ばくを疑う某情報…

2011年11月24日(木) 19時31分16秒
テーマ:

ブログで語ってしまってよいのかどうか。

私が今お勤めしているお店(店員してます・笑)が、

日本各地に店舗がありまして、

その 柏の店舗 がですね、

スタッフ全員が体調不良

しばらく営業時間を短縮する

という、前代未聞な社内情報が掲示されました。。


柏といえばホットスポット。

その情報を目にして、めちゃくちゃ鳥肌立ちました。


スタッフ全員っておかしくないですか?

しかも、営業時間を短縮するほどだなんて。

普通、風邪とかなら、一時的なものだし、

そんな対処法ないですよねぇ。


被ばく?


恐ろしいけど、疑ってしまいます。。


作家・広瀬隆が改めて警告「東海地震の危機」/(警告)M9の地震が発生する可能性、今年12月~1月

2011-11-26 17:07:18 | 原発・放射能

作家・広瀬隆が改めて警告「東海地震の危機」

「浜岡原発は止めるべきだ」

週刊朝日2010年11月26日号配信
http://www.wa-dan.com/article/2011/03/post-78.php

マグニチュード(M)8クラスの東海地震が起きれば、浜岡原発が破壊され、末期的な大事故が起こる--。作家の広瀬隆氏(67)は近著『原子炉時限爆弾 大地震におびえる日本列島』(ダイヤモンド社)で、警鐘を鳴らした。原発事故の危険性を訴えた『危険な話』から23年、本当の危機が迫っているのか。改めて聞いた。

 

--『原子炉時限爆弾』では、地球の内部構造から地震の起こるメカニズムを説き起こして、「原発震災」の危険性を訴えています。今なぜ、この本を書こうと思ったのですか。

 ここ数年、浜岡原発に近い御前崎が年々沈み込んでいるデータや、プレートのひずみの蓄積がわかる海底音波探査の結果などを見て、東海地震が近いのではと心配して調べていました。

 静岡の人たちに呼ばれた講演でそんな話をしようと思っていた矢先の昨年8月、駿河湾地震(M6・5)が起きたんです。とにかく浜岡原発のやられ方がひどかった。「これは心配だ」と思っていたら、太平洋を中心に地震が相次ぎました。

 昨年9月にはスマトラ沖(M7・6)、サモア(M8・0)、10月にはバヌアツ近海(M7・8)、今年2月のチリ沖はM8・8ですからね。これだけ地震が続いても、報道では「地震があった」としか言わないけれど、どう見ても太平洋プレートの動きが関連しているとしか思えない。「天災は忘れたころにやってくる」の「忘れたころ」とは、今ではないのか。そんな思いがありました。

--昨年8月11日の駿河湾地震は、浜岡原発がある静岡県御前崎市などで震度6弱。東名高速の路肩が崩れて、お盆の帰省客が足止めをくらいました。浜岡原発では4号機と5号機が緊急自動停止しました。

 浜岡原発の被害は、予想を超えるものでした。中でも耐震性がいちばん高いと言われていた5号機の揺れが最も激しくて、被害が集中しました。10センチから15センチの地盤沈下が起きて、原子炉で発生した蒸気を配管で引き込んで発電するタービンがある建屋は、コンクリートの壁にひびが入った。原子炉の核反応を止めるための制御棒を動かす駆動装置の一部も故障しました。今も点検が続いていて、5号機は止まったままです。

 あのときは長野にいたのですが、ドーンと大きな揺れが来て、テレビをつけたら震源地が駿河湾だというから、ぞっとしました。

 07年7月にはM6・8の新潟県中越沖地震が起きて、柏崎市で震度6強を記録し、想定を超える揺れに襲われた柏崎刈羽原発で変圧器が火災を起こすなど大被害が出ました。それでも、地震学的には小地震です。悲しいかな、あんなに怖い地震でも。

 M8・0から8・5と予想される東海地震は、立っていられないような激しい揺れが1分から2分続くといわれます。地震のエネルギーでいうと、昨年の駿河湾地震の178倍から1千倍もの大きさがある。安政東海地震(1854年、M8・4)では御前崎の周辺が1~2メートル隆起したことがわかっています。昨年の小地震でもあれだけひどくやられたのですから、1メートルも隆起したら原発の配管が持つわけがない。建物が傾いて、蒸気と高温の水が循環する配管はめちゃくちゃになってしまうでしょう。

◆大事故の放射能、3日で東京覆う◆

--配管が弱点だと?

 配管が破断して、原子炉を冷やす水の供給が止まれば、ウラン燃料が灼熱状態になって溶け落ちるメルトダウンを引き起こして、大事故につながります。非常時に水を炉心に送り込む緊急炉心冷却装置も金属パイプでつながっています。

 原発は、核分裂で発生する熱で蒸気を発生させてタービンを回して発電する。発生した蒸気は、復水器という熱交換機で海水を使って冷やされて水に戻し、原子炉を循環している。水蒸気と水が流れるパイプは、すべて一本の回路でつながっているので、どこが切れても熱を奪えなくなる。世界的な原発論争で最大の論点になってきたのも、この配管破壊による「冷却材喪失事故」だったのです。

--昨年の駿河湾地震では制御棒の駆動装置の故障も報告されています。

 原子炉を止めるには、中性子を吸収する制御棒を使います。浜岡原発のような沸騰水型の制御棒は四つのブレードを持つ十字型で、燃料体のすき間に下から挿入する。縦揺れと横揺れが同時に襲ってくると、周囲にぶつかって正常に挿入できなくなる可能性がある。

 電気系統が破壊されることも考えられます。浜岡原発では、チェルノブイリの原発事故が起きた2年後の88年、1号機で無停電電源という絶対に停電してはいけない電源がストップした事故が起きています。水を循環させる再循環ポンプや制御棒の駆動装置が止まった。記録計も止まってしまい、何が起きているのかわからなくなった。最後は手動で原子炉を止めたのですが、大惨事につながる恐れのある事故でした。

 沸騰水型の原子炉では、配管などが壊れなくても地震で核暴走が起きる可能性があります。93年の宮城県北部地震では、わずか震度4の揺れだったにもかかわらず、近くの女川原発で核分裂を起こす中性子の数がガッと上がって、原子炉が止まってしまった。

 核暴走の瞬間的な反応を計器がとらえ、自動的に制御棒が挿入されたのです。83年と87年に同じ沸騰水型の福島第一原発でも、小さな地震で同様に中性子数が異常上昇しました。

 沸騰水型では燃料棒の周りにあぶくがたくさん出ていて、その効果でウラン燃料の核分裂が一定の割合で継続している「臨界状態」になっています。ここに地震がドーンと来ると、沸騰したやかんをドンと置いたときのように、あぶくが消滅する。すると瞬間的に核分裂の連鎖反応を促進する中性子が増えるのです。

 中性子数の異常上昇は別の原因を挙げる報告書もありますが、いずれにしても沸騰水型の弱点として、小さな地震でも核暴走が起きる危険性に変わりはない。浜岡原発も沸騰水型なので、一瞬のうちに核暴走が起きる可能性があります。

--本の中では、原発の大事故が起きると「日本は『放射能汚染地帯』の烙印を押されて世界貿易から取り残され、経済的にも激甚損害を受けて廃虚になると考えるのが、最も妥当な推測だろう」と書かれています。

 浜岡原発が大事故を起こしたらどうなるかというと、風速2メートルほどのそよ風でも、3日くらいで首都圏、中部経済圏、関西経済圏が大量の放射能で覆われてしまう。ここの人口を合わせると7千万人以上です。本の中の事故のシミュレーションでは、この時点で「100万人をはるかに超える人たちが肉体的な被害を受け始めた」と書きました。

 87年に『危険な話』を書いたときは、チェルノブイリの事故が起こった直後だったので、原発事故は本当に起こることだと、みんなが理解していました。今は忘れてしまっています。危険は何も変わっていないし、老朽化が進んで、地震が来なくても原発事故はいつでも起こりうるのです。
 若い世代が心配です。かわいい孫を見ていると、「この子たち大丈夫なのかな」と思いますよ。これから生きていく人たちが、このままいったら非常にまずい状態にあるのに、ボーッとしている。やっぱり僕はメディアの責任が大きいと思います。記者の人が自分の頭で考えて、原発事故の危険性について、しっかり伝えてほしいと思います。

--本の中では地球の成り立ちから説き起こして、地震発生のメカニズムをわかりやすく解説しています。

 伊豆半島が太平洋から動いてきて、本州にぶつかってくっついたなんて知ってました? 「この本を読んで初めて知った」と言う人が多いですね。あまり細かい議論をするよりも、もっと大局的に、日本の成り立ちそのものが、地震が必ず起きる、とんでもなく危ない国だと知ってほしい。

◆巨大地震が続く活動期に突入か◆

 江戸時代の地震活動を調べると、どれもみんなすさまじい。1703年の元禄大地震(M8・1)、1707年の東海・南海地震(M8・4)。2カ月後の富士山の宝永大噴火では江戸まで全部灰に埋もれている。

 今の日本が、このような活動期に入っているかどうかはわかりませんが、起こっていることがあまりにも似ているので、当時と同じ力が作用している、と思います。

 76年に浜岡原発が営業運転を始めた5カ月後、当時東京大学理学部助手だった石橋克彦先生(神戸大名誉教授)が古文書で過去の地震を調べて、東海地震の周期説を打ち出しました。

 このような地震発生のしくみや地球物理学の知見をまとめるかたちで、『原子炉時限爆弾』の中では「地震と地球の基礎知識」も書きました。大陸移動説から日本の成り立ちを説明し、地球の原理をまとめました。ここは、楽しみながら読んでほしい。東海地震の起きるしくみを理解すれば、浜岡原発の危険性がだれにでもわかるはずです。

 今回、放射能の危険性についても、あえて基礎的なことから書いたのは、知らない人が多いからです。原発を取材している記者からも「『死の灰』って何ですか?」と聞かれました。記者の人たちに、私たちが原点を説明してこなかったこともいけない。もう一度、きちっと伝え直さなければ、多くの人が原発に反対している理由も、わからないでしょう。

--政府の地震調査研究推進本部によれば、東海地震は30年以内に起こる確率が87%とされています。

 いつ起こるかはわからないけれど、近い将来に東海地震は必ず起こる。起きてしまえば壊滅的な被害を受けるという意味で、原子炉はまさに時限爆弾です。まずは東海地震の震源域に建っている浜岡原発を止めなければいけない。逆に言えば止められるんですよ。

 クリーンで原発よりもはるかに熱効率がいい最新鋭の火力発電所を、中部電力も建設すると発表しています。電力供給の点からいえば、浜岡原発が止まっても問題はありません。大事なのは世論です。みんなが危険性に気づけば、浜岡原発は止められるはずです。 (構成 本誌・堀井正明)

    *

ひろせ・たかし 1943年生まれ。作家。早大理工学部応用化学科卒。原子力の危険性を訴えてベストセラーになった87年の『危険な話 チェルノブイリと日本の運命』(八月書館)、近刊『二酸化炭素温暖化説の崩壊』(集英社新書)など著書多数

 

◆◆◆◆◆浜岡原発4号機で進むプルサーマル発電計画◆◆◆◆◆

 浜岡原発4号機は10月14日から約4カ月の定期検査に入り、プルサーマル発電の営業運転に向けて、プルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料を初めて装填する。764体ある燃料の184体を取り換える予定だが、そのうち28体がMOX燃料という。

 中部電力によると、年末にもMOX燃料を取り付ける。来年1月下旬にもプルサーマル発電の試運転を開始、2月下旬には営業運転を始めたいとしている。

 プルサーマルとは、長崎原爆に用いられた放射性物質の「プルトニウム」を原子炉(軽水炉=サーマルリアクター)で使うことから日本で作られた造語。09年11月の九州電力玄海原発(佐賀県)から始まり、四国電力、東京電力が開始。関西電力も来月下旬にも始める見通しで、浜岡原発は国内5例目となりそう。

 浜岡原発では、耐震補強に費用がかかりすぎるという理由で1、2号機の廃炉を決定。かわりに6号機を新設するリプレース(置き換え)計画に着手したばかり。使用済み核燃料保管所も併設する6号機の着工は15年、廃炉完了は36年度を目標にしている。

 プルサーマル発電については、プルトニウムの毒性の高さに加え、通常の原子力発電に比べて中性子の量が増えるため制御が難しいなどのリスクがあり、導入に反対する声も根強い。

 広瀬さんはこう憤る。

 「浜岡原発3、4号機は原子力安全・保安院などの耐震安全性審査(バックチェック)が続いていて、結果は来年3月まで出ない。原子炉の安全を確認している段階で、危険なプルサーマルを実施することは、ブレーキが利くかどうかわからない車で高速道路へ飛び出していくのと同じで、はっきり言って論外です」

 

【関連記事】

【警告】再びマグニチュード9の地震が発生する確率が高くなってきました。VHF電磁波の地震エコー観測からふたたびM9地震が発生する可能性が高まっていることをお知らせします。震央は宮城県南部沖から茨城県沖の日本海溝南部付近
http://blog.goo.ne.jp/jpnx02/e/12a52c5c04a972859af794fe99cb54c9

三陸沖~房総沖で3.11を遥かに上回るM9.2の大地震と 高さ2倍以上の大津波が12~1月に切迫  三陸沖 から 房 総 半 島 沖 の 正断層を震源として、3.11より威力が遥かに大きいM9.2の巨大地震と、3.11の2倍以上の高さの大津波発生
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-981.html

浜岡原発設計者の告発「岩盤強度データ改ざん」 (直下でマグニチュード(M)8の地震がおきる原発)
耐震設計の計算担当者が「耐震計算の結果では、浜岡2号機は地震に耐えられない。
大地震は起こっていないのに、浜岡原発の1号機・2号機にはシュラウド(炉心隔壁)にひびが入っていることが見つかりました。そのことを知って谷口さんは、地盤の強度が不足している上に、地震がなくてもひびが入るような材料が使われていることに驚き、証言を決意。
浜岡原発で事故がおきた場合の被害予測(小出氏が計算)、事故後、癌で亡くなる人は計176万人にのぼる。
http://blog.goo.ne.jp/jpnx02/e/26dd3c7668105c84440191044d406e05


福島原発と同型の原子炉は、配管破損すると冷却不能となり30分後には炉心溶解が始まる

2011-11-26 11:59:54 | 原発・放射能

原子炉(沸騰水・マークI型) 「配管破断による溶融貫通」想定シミュレーション(アニメ動画)


独立行政法人・原子力安全基盤機構が事故前に、
原子力防災専門官向け資料として作成していた、
炉心溶融のシミュレーション画像。

「フクシマ」事故前、同じ型の原子炉(沸騰水・マークI型)
「配管破断による溶融貫通」想定シミュレーション(アニメ動画)を制作していた

すべては想定済みであり、この危険性を国民に知らせずに
危険な原発を稼動しているのだ。
福島原発事故では、地震によって配管破損していたことが、
複数の研究者によって立証されている。

 http://www.youtube.com/watch?v=wwYk62WpV_s&feature=player_embedded(約5分のアニメ動画)

(書き起こし開始)

いまからご覧いただく映像は、
沸騰水型原子炉の設計基準を超えるような、
いわゆるシビアアクシデントを想定し、視覚的に説明したものです。
およそ5分の映像で説明したものです。

この例では、二十数時間におよぶ事故の経過を
およそ5分の映像にまとめています。

【防災事故シナリオ理解のための教材】
(BWRマークI型)



*************************************
事故事例

原理力容器につながる大きな配管が破断し、
大量の放射性物質が環境に放出される事故
*************************************


それでは、マークI型格納容器を例に、
原子炉圧力容器につながる大きな配管が破断し、
大量の放射性物質が環境に放出される様子をご覧いただきます。


*************************************
事故シーケンス

事故発生後に制御棒が完全に挿入され、
原子炉が停止した後、
炉心を冷却するための全ての注水に失敗するケース
*************************************

これは、事故発生後に制御棒が完全に炉心に挿入されたことにより、
原子炉が停止し、その後、炉心を冷却するための
すべての注水に失敗するケースです。

配管破断事故が発生すると、
冷却材が流出し、原子炉圧力容器内に水位が低下します。

制御棒は挿入されますが、注水に失敗するため
炉心が露出します。

炉心が露出すると、
燃料の冷却ができないため、
残留熱により燃料温度が上昇します。

そして最も温度が高くなる炉心中央部の燃料が
溶融します。

*************************************
炉心溶融
事故発生から30分後
*************************************

溶融した燃料は、やがて原子炉圧力容器下部に到達します。


*************************************
圧力容器下部到達
事故発生から約1時間後
*************************************

解析により事故発生からおよそ1時間で、
この状態になると予想
されます。

原子炉圧力容器はおよそ12ー15センチの鋼鉄製ですが、
溶融した燃料は、非常に高温であるため、
ついには原子炉圧力容器を貫通
します。

*************************************
圧力容器貫通
事故発生から約3時間後
*************************************

解析により事故発生からおよそ3時間で、
この状態になると予測
されます。

貫通した溶融燃料は、原子炉圧力容器を支える、
ペデスカルの中間床面に落下します。

そしてコンクリートの床を侵食しながら、
ガスを放出し、格納容器の温度および
圧力を上昇させます。

マークI型格納容器では、その後
溶融燃料がコンクリートで形成された
ペデスカルの中間床面を貫通し、
さらに、その下部にあるコンクリート床面に落下します。

ペデスカル下部のコンクリート床面に落下した
溶融燃料により、ガスが発生します。

このガスが格納容器内に充満して、
温度および圧力が序々に高くなります。

*************************************
格納容器異常漏えい
*************************************

そして圧力が格納容器の限界を超えたときに、
格納容器のフランティブ(?聞き取れませんでした)から、
原子炉建屋内に、大量の漏洩が起こると想定し、
防災策を講じます。


*************************************
環境への放射性物質の放出
*************************************

漏洩したガスには、希ガスやヨウ素などの
放射性物質が含まれており、
原子炉建屋を経由して、
排気塔から、環境に放出
されます。

今回は、防災用事故シナリオ理解のために、
配管破断に起因する、最悪の事例をご覧いただきました。


*************************************
最悪の事態に至った場合でも、
住民の方々に安全・安心して頂けるよう、
日頃から、防災担当者への訓練を通して、
原子力災害時の対応能力の習熟に努めております。
*************************************

(書き起こし終わり)

 

【関連記事】

[福島原発]原子炉で何が起きていたのか 専門家が詳細なデータを元に分析、実態が明らかにhttp://blog.goo.ne.jp/jpnx02/e/69094d9812aca04fcd780c9fc9c79fcd

(上記記事の一部) 弱々しい原子炉であった「マークI」。福島第一の事故推移は、アメリカのシミュレーション通り。

アメリカ国内では、原発の「安全性」に対する激しい議論が巻き起こる。
その時、スリーマイル島の原子炉を差しおいて槍玉に上がったのが「マークI(ワン)」という原子炉。この原子炉は、他の原子炉に比べて、あまりにも「格納容器が小さい」ため、事故の危険が高いとされたのだ。
  
「マークIは廃炉にすべきである」とまで責め立てられた。

ご存知の方も多いと思うが、この「マークI」こそが「福島第一原発の原子炉」なのである。
 
 弱々しい原子炉であった「マークI」。福島第一の事故推移は、アメリカのシミュレーション通り。
アメリカ国内では、原発の「安全性」に対する激しい議論が巻き起こる。
その時、スリーマイル島の原子炉を差しおいて槍玉に上がったのが「マークI(ワン)」という原子炉。この原子炉は、他の原子炉に比べて、あまりにも「格納容器が小さい」ため、事故の危険が高いとされたのだ。
・・・・
  
この実験では、原子炉内部に大量の空気が送り込まれた。原子炉がどれくらいの「圧力」に耐えられるか、その限界を調べるためである。
その結果、ある一定の圧力を超えると、原子炉内部の「圧力の上昇が止まる」ということが確認された。

原子炉内部の「圧力の上昇が止まる」とは、どういうことか?
空気を送り続けているのにも関わらず「圧力の上昇が止まる」ということは、どこからか「空気が漏れている」ということを意味する。穴が空いたタイヤに空気を送り続けるようなものである。
これは原子炉としては、「致命的な欠陥」である。
  
 
  
地震により福島原発の配管は破損していたという検証結果 
 
 

Yahoo知恵袋 解決済みの質問より http://yahoo.jp/o0wvsW
 
福島原発の格納容器の隙間から今でも1時間に10億ベクレムの放射能が出ているそうですね
 

ssharu2006さん

福島原発の格納容器の隙間から今でも1時間に10億ベクレムの放射能が出ているそうです。近隣を除染すると言っていますが無駄じゃないでしょうか?

2011/8/17 18:21:06

 

ベストアンサーに選ばれた回答

chikuzensirakabaさん

無駄でしょうね。

でも パフォーマンスとわかってても 何かしらやったあ! って宣伝したいんでない?

ところで 以下の政府大本営発表【放射能放出量は毎時10億ベクレル】は 眉唾だって思いませんか?

・今は 多い時の200万分の1
・現在 毎時10億ベクレル放出 >> MAXは毎時2000兆ベクレル

実際の放出量を 以下の2ケ所の信頼できる観測所データに基づいて 独自に想定すると。。。

①CTBT高崎観測所でのセシウム134と137は今も観測最高値の数千分の1にしかなってない > 現在も毎時1兆ベクレル放出???

②福島第一原発から20キロ南の第二原発構内MP4の放射線量は7月20日には1.4μSV迄低下していたのが 7月下旬から上昇に転じ 現在値は1.7μSv(最大値は3月15日2:20の155μSv) > 現在も毎時20兆ベクレル放出???

やっぱ 毎時10億ベクレルは眉唾かも。

2011/8/17 20:54:48

 



耳なしウサギのママ(フクシマ、浪江町)より

2011-11-24 12:40:58 | 原発・放射能

ユウチュウブだけでなく、ブログにまで政府の手先らしき奴が書き込みしてきたさ。よほど、3月14日の事態をばらされるのが怖いんだろうなぁ。警戒区域に住民を戻そうなんて、彼らには積算計しか貸し出ししていないじゃないかぁ。数値も私のと比べて半分しか無かったし。私は実験が可能なんだよ。2011/08/06

政府は絶対に言わないが、α波の放射線物質があちこちで出てるんだよねぇ。3号機の建屋内は燃料棒が吹っ飛んで空の状態だしさぁ。数十万円の線量計も買わなきゃならなくなったから困ってるよ。フランスからの線量計3600個は何処に消えたのでしょうか? 2011/08/06

近辺を警備している警視庁の若者達も積算計か平均値を出すタイプの線量計らしく、自分達の滞在している場所の数値も知らない。いまだに10μsv以上あるのにさぁ。20μ以上ある地域や200μ以上あった側溝の情報を教えたら、引き攣っていたさ。2011/08/06

鼻血、皮膚炎の起こっている人は、放射能のせいでしょう。私は3月に鼻血も顔のヒリヒリも喉のガラガラも経験しましたからね。なぁ~に、3か月もすると、時々ヒリヒリガラガラ程度に落ち着きますよ。ババアはそれでいいだろうけど、子供はそんなもんじゃ済ませられないんだよ。クソ政治屋どもめ。 2011/08/13

体内被曝と浪江町の凄い放射線量を隠蔽したいがため姑息な事ばっかりしてたからさぁ、全て後手後手になってしまって、結局、セシウム牛とセシウム豚とセシウム鶏を日本中にばら撒く羽目になったじゃないの。耳なしウサギで風評被害を広げるなとか脅されたりもしたよなぁ。事実は実害なのにさ 2011/08/21

 

@ikarostayuu フクシマ、浪江町の自宅


[放射能汚染]放射能汚泥 建築資材で都内に15万トン流通か

2011-11-22 07:18:47 | 原発・放射能

[放射能汚染]放射能汚泥 建築資材で都内に15万トン流通か
http://savechild.net/?p=1830

わかっててやってますね。これは、確信犯ですよ。
[注意]東京都の下水に170,000ベクレル 建設資材に利用されるこの記事にも触れてますが、この他にも園芸用の土に加工する会社へ出荷を続けていたりと、この汚泥の焼却灰については、無法地帯です。そして、ここに来て福島県のみ対象に暫定基準値や処理方法の指針を示したりしてます。これは、福島だけの問題ではないはずなのに。まるで他の県は汚染されていないような対応です。
やはり後手に回った放射能汚泥建築資材で都内に15万トン流通か
週刊ダイヤモンド(4月16日号)が明らかにした下水汚泥の放射能汚染と、
それが建築資材などとして流通する問題が今月、最悪のかたちで現実のものとなった。

福島県が1日、汚泥焼却後に生成され、セメントなどに再利用される溶融スラグから1キログラム当たり最大44万ベクレル超の高濃度セシウムを検出したと発表
東京や茨城など各都県でも同様の発表が相次いだ。

東京都では3月25日に採取した汚泥から、放射性物質の総量を示す「全β放射能値」で同17万ベクレルを検出。
都内の震災後の汚泥総量、約21万 トン(5月17日現在)のうち7割、約15万トンがセメントや建築資材としてすでに流通したことが、本誌の取材でわかった。

都は搬入先の業者を把握してい るが、使用された建築現場までは不明だ。

汚染拡大の異常事態に国は12日、ようやく重い腰を上げ、福島県のみを対象に汚泥汚染の暫定基準値や処理方法の指針を示した。

指針では、同10万ベクレル以上の汚染汚泥はドラム缶などに密閉保管する。
それ以下の場合は埋め立て処分を求める一方、汚染度の低いものは再利用 を“容認”した。

検出された汚染セメントの測定値を2倍にし、住居用に使っても年間最大362マイクロシーベルトの被ばく量にとどまり、
健康被害は予想しがたいと判断したためだ。

だが、判断根拠となった汚染セメントの汚染度は、
数時間ごとに採取されたセメントを混ぜた1日の平均値などさまざまだ。

そもそも各工場の品質管理レベルによって、
「測定結果が変わる可能性は否定できない」(業界幹部)のだ。

<後略>
http://diamond.jp/articles/-/12355

 

福島第1原発:廃棄物汚泥 1立方センチに1億ベクレル (汚染水処理)
福島第1原発:廃棄物汚泥 1立方センチに1億ベクレル
東京電力は9日、福島第1原発の敷地内にたまっている、
高濃度の放射性物質を含む汚染水処理システムの概要を、
経済産業省原子力安全・保安院に報告した。
この作業で発生
する廃棄物の汚泥は、1立方センチ当たり1億ベクレルの
高濃度の放射性物質を含む。

15日以降に始まる汚染水の処理作業では、放射性物質除去の実績が
ある米キュリオン社製や仏アレバ社製(※1)の特殊な装置を使用。
水と放射性物質を含む汚泥を分離させる。汚泥には汚染水に含まれる
放射性物質が凝縮されるため、高濃度になる。


毎日新聞 2011年6月10日 0時47分(最終更新 6月10日 1時21分)
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110610k0000m040135000c.html より

 

6/8の小出裕章氏の発言から・・

・(下水処理場で焼却した灰からは1キロあたり1万ベクレルを
超えるセシウムが検出された)

すごい量だ。そんなレベルの放射能を取り扱ったことは私は一度もない。

・(国は汚泥をセメントとして再利用することを進めている。
セメントや肥料にするにあたって1キロあたり100ベクレル以下
になっていれば問題ないとしているが?)

何度も言うが放射線は
どんなに微量でも危険。100ベクレルでも10ベクレルでも危険。
社会的にどこまで受け入れ可能なのか判断するしかないが、
いま出ている汚泥は猛烈な濃度であり、始末の方針を示す必要がある。

・(国が汚泥の汚染の基準を定めたのは5月で、それ以前の分は
既に出回っている。セメントにして道路を舗装したら放射線が出てくる?)

飛び出してくる。


6月8日 今までと違う世界に生きる覚悟 小出裕章 (MBS)
http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/06/08/tanemaki-jun8/ より

 


まわりを被曝させかねない。10万CPMを超えて、計測不可能な住民がいるという現実。

2011-11-20 12:11:02 | 原発・放射能

 まわりを被曝させかねない。10万CPMを超えて、計測不可能な住民がいるという現実。

ある現地の医師の話が僕に伝わってきました。

南相馬の、大きな病院の医師。

原発爆発から1週間以内に診察したなかに、

10万cpmを大幅に超える患者5人(同市小高区)がいたとのことです。

計測器が振り切れ、計りきれなかったレベルだそうです。

この医師は「あの数値はいわる原発症になる水準で、

近くにいる人にも影響がでるだろう」と言及しています。

この患者たちは、その後行方がわからないそうで、

これらのことは政党や政府に伝えているそうだが、

返答はないようとの事です。

医師はまた、「小高でこの水準なら、

飯舘村の住人はもっとひどい被ばくをしている。

避難先で他の人に影響を及ぼしている可能性も否定できない」

と言っていました。

転載元:http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/2c654c1fe35b6f59d53b9dd9bbb62c99

 

【関連記事】

*放射化* 人から人へ、物から物へなど、あらゆる経路の被爆  http://blog.goo.ne.jp/jpnx02/e/494be7e475dace7285de442e0945ae16

 


海外の論文が示す津波の前の放射能放出-福島第一原発1号機

2011-11-19 21:20:10 | 原発・放射能

海外の論文が示す津波の前の放射能放出-福島第一原発1号機

地震による配管破損は大飯3号ストレステストで考慮されていない
2011年11月14日 美浜の会

5月19日のブルムバーグ紙が、福島第一原発で津波がくる前に放射能が漏れていたと伝えたことはよく知られている。この古い情報が、ネイチャー誌10月27日号も紹介している新たな研究によってよみがえり、ストレステストの前に立ちはだかる。このことを以下に示そう。

 

1.モニタリング・ポストが示す津波がくる前の放射能放出

 5月19日付ブルームバーグ記事は次のように伝えている。「3月11日午後3時29分に1号機から約1.5キロ離れたモニタリング・ポストで高いレベルの放射線量を知らせる警報が鳴った。

大津波が福島第一原発を襲ったのはその数分後で、原子炉の非常用冷却設備を動かすための電源が失われた。

東電原子力設備管理部の小林照明課長は19日、ブルームバーグ・ニュースの取材に対し、『モニタリング・ポストが正常に作動していたかどうか、まだ調査している。津波が来る前に放射性物質が出ていた可能性も否定できない』と認めた」。

 この情報は、東電が5月16日に公表した運転日誌類の16頁目にある「1号機 当直員引継日誌」に書かれている。その元になったホワイトボード写真は19頁目にあり、次のようにモニタリング・ポストMP3で高高警報が発生したと書かれている。
 

(引継日誌)15:29/15:36 MP-3 HiHi警報発生/クリア(MP-7リセット不可)

http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/plant-data/f1_4_Nisshi1_2.pdf

 

この頃、14:40に地上10mで風速1.9m/sの南東の風が吹いていた(左図)。この状態がしばらく続いたとすると、15:29にMP3がキャッチした放射能は1号機を15:16頃に出たことになる。

 津波がきたのは15:30過ぎとされているので、津波がくる前に放射能が原発から出たことになる。その原発とは諸般の事情から1号機だと考えられるのである。 

 しかしその放射能は燃料の中にあって、燃料被覆管に包まれ、原子炉圧力容器に包まれ、さらに格納容器で包まれている。それがどうして大量に格納容器の外に出たのだろうか。この問題に行く前に、放射能放出の別の根拠を見ておこう。

http://www.tepco.co.jp/fukushima1-np/monitoring/monita2.html

 

2.海外の論文が示すキセノン133の津波前の放出

 津波がくる前の15:00頃にキセノン133が福島第一原発1号機から放出されたという結論が、A.Stohl(ノルウェイ大気研究所(NINU))たちの10月20日発行の論文によって示されている。また、この内容は10月27日付ネイチャー・ニュースで紹介されている。

   「福島第一原発からのキセノン133 とセシウム137 の大気中への放出」
Xenon-133 and caesium-137 releases into the atmosphere from the Fukushima Dai-ichi nuclear power plant

http://www.atmos-chem-phys-discuss.net/11/28319/2011/acpd-11-28319-2011.pdf
(ネイチャー・ニュース)http://www.nature.com/news/2011/111025/full/478435a.html

 

Stohl たち論文の要約では、次のように書かれている。

 「最初のキセノン133の大量放出は非常に早い時刻、おそらく地震と緊急停止直後の3月11日6時(UTC:日本時間の15:00)に始まったという強力な証拠がある」。

 また、結論でも次のように述べている。

「キセノン133の放出は早い時刻に、大地震によって引き起こされた炉の緊急自動停止の間か直後に起こったという強力な証拠がある。この早期の放出開始は、興味深いものであり、地震の間に原子炉に何らかの構造的損傷が起こったことを示唆しているかも知れない」。

この最後の点は、論文の「4.2.1 キセノン-133」において、およそ次のように指摘されている。

「3月11日の日本時間15:00の放出開始は、地震が起こった時刻と一致しており、炉の緊急停止の結果としての希ガス放出によるものであろう。その希ガス放出はこの頃におそらく地震による構造的損傷によって高められたものだろう。また、緊急炉心冷却系による冷水の注入やそれに伴う燃料被覆管への熱応力がこの放出に寄与しているかも知れない。このようにして、放射能が、1号炉の圧力解放弁(引用者注:ベント弁)が3月12日の9:15(日本時間)に開くより前にすでに放出されていた」。

結局、この論文の見方を解釈すれば、津波がくるより前に、地震と炉の緊急冷却によって燃料被覆管の破損が起こり、燃料棒内に蓄積されていた希ガスのキセノン133が外部に放出されたことになる。

キセノン133の放出状況の評価は次のグラフ(論文のFig.4)で示されている。最初に立ち上がっている(青色の)グラフが、世界各地のキセノン133測定結果から逆モデリング法(時間を逆に遡る方法)によって算出された(a posteriori)放出量である(左目盛)。

最初に立ち上がっている時刻が3月11日6:00(日本時間の15:00相当)になっている。もう一つの2番目に立ち上がっている(赤色の)グラフは、あらかじめ想定した(a priori)放出量である。最後の結論は最初の想定より放出開始時刻が9時間早まっている。 

 バックに見えている色分けは、放出される高さを示している。一番下が0-50m、真ん中が50-300m、一番上が300-1000m の高さの層を示している。ある時点で放出された放射能のうちどれだけの割合がどの層まで吹き上がったかを右目盛から読みとることができる。

この評価に用いられたキセノン133の測定データは、世界15カ所の814のデータで、そのうち13カ所がCTBT(包括的核実験禁止条約)関係である。日本のCTBT関係は高崎と沖縄にあり、そのうちキセノン133は高崎だけだが、結局データの信頼性の関係でそれは用いられていない。それゆえ、ハワイやストックホルムなど海外のデータだけがこの評価に用いられている。

 

3.放射能放出のルート

 このようにして、最初のモニタリング・ポストMP3は15:00過ぎに放射能が放出された直接の証拠を、第二の論文はキセノン133が最初に15:00に1号機から放出されたという包括的な評価結果を提供している。しかし、東電や保安院はこの事実を無視しているのである。
もしこの事実を認めれば、現在進めているストレステストによって原発の運転再開を図るという路線が、もろくも崩れてしまうからに他ならない。なぜなら、この早期の放出は地震による配管の破損という深刻な結果に導くからである。

3月11日14:46に地震が起きてすぐに、制御棒が挿入されて炉は緊急停止し、同時に右図でタービンに蒸気を送る主蒸気管の隔離弁が閉鎖されて、格納容器は密閉状態になった。

また、仮に炉内から蒸気が格納容器内にでたとしても、サプレッションチェンバー(S/C)内の水で冷やされて蒸気が水になるため、格納容器内の圧力は1気圧に保たれる。

それゆえ、格納容器の隙間から放射能が外部に出ることもない。
結局、大量の放射能キセノン133が外部に出るためには、次の条件が必要となる。


 

(1)燃料棒が地震等で損傷して、燃料被覆管内に蓄積されていたキセノンが原子炉圧力容器内に出る。

(2)圧力容器から格納容器外にでる何らかのルートが必要になるが、それは格納容器経由ではあり得ない。

(3)それゆえ、圧力容器から格納容器を貫いて外部にでている配管が、格納容器外で破損するようなルートしか考えられない。

そのようなルートとして有力なのが非常用復水器 (IC)系の配管である。

左図で赤い配管(蒸気管)は原子炉圧力容器から出て格納容器を貫き、2つある非常用復水器のタンクに高温の蒸気を運んでいる(2つのタンクは断面図)。

http://www.youtube.com/watch?v=j5EV0Tjbik8&feature=rela

 

蒸気はタンク内の水で冷やされて水になりドレン管を通じて圧力容器内に戻る。
他方、タンク内の水は高温蒸気で温められて水蒸気になり、原子炉建屋外の大気中に放出される。

 18:18に運転員が蒸気管とドレン管の弁を開いてこの非常用復水器系を働かせようとしたところ、建屋外に一瞬水蒸気が出たがすぐに出なくなったという。つまりタンク内の冷却用水は一瞬温められて水蒸気になったが、すぐに炉からの高温蒸気が来なくなったことを意味している。

 ということは、蒸気管がすでに破損していてそこから蒸気が外部に出ていたことになる。もっともその破損は配管の完全破断ではなく、弁を開いた瞬間には蒸気を送ることができる程度の破損(ひび割れ)であったと推測される。その破損した時刻は15:00より前、つまり蒸気管は15:30過ぎの津波が来る前に、地震によって破損したことになる。

このようにして、炉内の放射能混じりの蒸気は「シューシュー音」をたてて漏れ続け、17:50には原子炉建屋の入り口を入った付近でも測定器の針が振り切れるほどに充満したのである。
この点については下記URLにある美浜の会HP掲載の見解を参照されたい。

http://www.jca.apc.org/mihama/fukushima/1f1ic_hasonron_20111005.pdf

 

4.ストレステスト評価への影響

 大飯3号のストレステストは基本的に耐震解析であり、地震動を恣意的に高めていったときに、どの程度で評価基準値(許容値)に到達するかを調べている。

その場合、経年劣化については、劣化が検査で把握されていなければ考慮外とされている。

今回福島第一原発が受けた地震動に関する耐震解析は、すでに7月28日付の東電報告書として公表されている。そこで1号機については右表のように、今回の地震(M9.0)によって原子炉停止時冷却系配管が受けた力の計算値(評価値)を評価基準値と比較している。

 この耐震解析では経年劣化は考慮されていないことを、10月7日の政府交渉で確認した。東電はこのような耐震解析を一般化して、今回の地震では配管が破損することはなかったと結論づけている。

ではもし、1号機の非常用復水器系配管が実際に破損していればどうなるのだろうか。

1号機はすでに約40年運転している。配管の経年劣化の影響で、実際の計算値は実際の評価基準値を上回って破損したのかも知れない。

あるいは、地震動の想定や地震動によって配管等が受ける力のモデル計算等の耐震評価自体が間違っていたのかも知れない。

いずれにせよ耐震解析は、今回の地震で実際に力(ストレス)を受けた配管・機器の実態によって検証されるべきである。これこそがストレス「テスト」ではないのだろうか。

もし実態調査の結果、実際に配管が破損していれば、このような耐震解析は一挙に信頼性を失う。そのような耐震解析に基づいているストレステストも意味を失う。

また、経済産業大臣が指示した緊急安全対策では、全交流電源喪失のもとで、PWRではタービン動補助給水ポンプが唯一の炉心冷却の手段となるが、そこにこの系列の配管破損が重なれば、炉心冷却はできなくなる。

ストレステストでは地震と津波の重畳現象を扱うことになっているが、このような重畳はいっさい考慮されていない。想定される地震の範囲内では、配管はあくまでも健全性を保つとされているのである。このような想定が本当に成り立つのかどうか、福島第一原発の実態調査によって確かめるのが先決ではないだろうか。

 

5.福島第一原発の実態調査を優先せよ

 10月7日の政府交渉で保安院は、定検停止中の原発の運転再開条件として、ストレステスト合格の他に、「福島が二度と起こらないことを説明して地元に納得してもらうこと」を挙げた。

その場合の「福島」とは、福島事故の実態と原因のはずだが、それはこれから考えるのだという。

他方で、実態はまだ把握されていないし、現場に立ち入ることが必要だと認めた。しかし実際には高線量で立ち入ることが困難なため、線量が下がるまで調査は待つべきだ。

実態調査が必要なことは新潟県の泉田知事も強調されており、福島事故の知見に基づくべきことは福井県の保安院への要請書でも強調されている。これなしに地元が納得できないのは、すでに明らかである。まずは福島事故の実態を把握し公表することを優先させるべきである。

 

以上、「海外の論文が示す津波の前の放射能放出-福島第一原発1号機」より
http://www.jca.apc.org/mihama/fukushima/discharge_btsunami.pdf


福島原発事故、3月12日未明の出来事|東電を激しく非難していた報道人がひき逃げで亡くなっていた

2011-11-12 14:06:32 | 原発・放射能
福島原発事故、3月12日未明の出来事と、
東電を激しく非難していた報道人がひき逃げで亡くなっていた話

63:転載(埼玉県):2011/06/10(金) 20:51:07.16 ID:6MADBNgL0
半径20キロに根拠はない。エイヤッ、と決めた数字だった
1 :ぽキール星人φ ★:2011/06/10(金) 14:56:35.54 0
◇「本当に20キロですか?」

3月11日の東日本大震災発生後、首相官邸地下の危機管理センター別室に詰めていた
菅直人首相は海江田万里経済産業相らと協議し、午後9時23分、第1原発から半径3キロ圏内に
避難指示を出した。12日未明には、1号機の格納容器内の圧力を下げるため、弁を開けて
放射性物質を含む水蒸気を逃がす「ベント」実施の必要性が生じるが、午前3時、これを発表した
枝野幸男官房長官は記者会見で「(半径3キロの)避難指示の内容に変更はありません」と2度繰り返した。

ところが直後に事態は急変する。午前5時、仮眠中の枝野長官は海江田経産相の「ベントを
まだやっていない」という叫び声で起こされた。「格納容器が破裂する恐れがある」という班目春樹・
内閣府原子力安全委員長の助言を受け、範囲をいきなり「半径10キロ」まで拡大する方針を決め、
午前5時44分に発表した。

官邸での鳩首(きゅうしゅ)協議では「住民がパニックになる」との声も上がったが、「やり過ぎても
いいから避難させよう」という枝野長官らが押し切った。

12日午前6時前。福島県大熊町役場に泊まり込んでいた渡辺利綱町長に、細野豪志・首相補佐官から
電話が入った。町には第1原発がある。「総理から原発の10キロ圏内に避難指示が出されました」。
原発はどんな状況なのか。渡辺町長は細野補佐官に聞きたかったが、説明はなかった。「いろいろあるでしょうが、
安全確保のために協力してください」。細野補佐官はそう言って短い電話を切った。

大熊町など原発周辺自治体は、事故を想定した訓練を毎年実施している。「原発の注水ポンプが故障して
格納容器の圧力が高まり、放射性物質が漏れる」とも想定していたが、町内の体育館へ集合して訓練は終わる。
原発が爆発したり、町民が町外に逃げ出さなければならない事態は「想定外」だった。

12日朝、福島県内だけでなく茨城県や東京都のバス会社から避難用バスが続々と町へ到着した。
国土交通省旅客課は、最初の避難指示より1時間以上も前に官邸から「当座100台のバス確保」を
命じられていた。混乱はあったものの、自主避難を除いた約8000人が県内約30カ所の避難所に向け出発した。

最後の1台が出たのは12日午後2時ごろ。町役場に残った鈴木久友総務課長は、北東約4キロにある
原発から「パーン」という爆発音を聞いた。午後3時36分、1号機での最初の水素爆発だった。

「ああーっ」。爆発の映像が官邸のモニターで流れた瞬間、班目委員長が頭を抱えてうずくまった。
衝撃を受けた官邸は午後6時25分、避難指示の範囲を「半径20キロ圏内」に拡大した。

原子力安全委の防災対策指針は「防災対策を重点的に充実すべき地域の範囲」(EPZ)の目安を
「原発から半径8~10キロ以内」と規定。これ以遠では「避難や屋内退避などの防護措置は必要ない」と
いうことだ。「半径20キロに根拠はない。エイヤッ、と決めた数字だった」と、決定過程に関わった
文部科学省幹部は振り返った。

全文はソース元で
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110610ddm010040004000c.html
64:転載(埼玉県):2011/06/10(金) 21:05:31.66 ID:6MADBNgL0
kibakoichi 木葉功一
by huromu@
もしかしてユースト中継で東電を激しく追求し、
司会から発言を止められた方でしょうか?
RT @yamacquiesce @thoton @huromu: 6/4
深夜国会議事堂近く、顔面出血で見付かった読売新聞広報宮地さん。
病院死亡。東電の記者会見によく出てた人。見せしめが始まったか?


警視庁麹町署によると、
死亡したのは読売新聞広告局、宮地正弘さん(28)=杉並区高円寺南。


 同署は現場や遺体の傷の況などから、ひき逃げ事件とみて
調べている。
 同署によると、現場は国会議事堂から数百メートルの片側4車線の
直線道路。宮地さんは中央分離帯近くにスーツ姿で倒れているところを
発見された。
現場に目立ったブレーキ痕や車の破損部品はなかったという。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110604/crm11060410470001-n1.htm