jojony HULA sisters

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リリウオカラニ

2011年02月05日 | ○ハワイの歴史
私は、いま、カヒコで「He Mele No Lili’u」をやっています。

ハワイ王朝最後の女王様、リリウオカラニを讃えた曲で、
あなたは、座る姿も美しく、
あなたの目、ほほ、肩は美しい。
あなたの胸もやわらかく、
あなたの足は天にも昇ると、
いかにリリウが美しく、素晴らしい女王様であったかを謳っています。

ハワイは文字を持たなかった口承文化。
こうしたカヒコで歴史や人物、文化などを後世に伝えていたため、
曲のラストはほぼ、「Ha’ina ’ia mai」(伝えましょう)で結ばれています。
このカヒコでは、「この曲を通じて、伝えます。いかにリリウが美しかったかを」と、
曲の主意がまとめられています。

リリウオカラニは、ハワイ王朝最後の女王様。
メリーモナーク(陽気な王様)として有名な、
またフラなどハワイ文化の復興に尽力した王様・カラカウアの妹です。

カラカウアには、お子さんはいませんでした(美しいカイウラニは養女です)。
奥さん(カピオラニ王女)はいましたが、血筋を重んじ、カラカウア死後、カラカウアの遺言によって
妹のリリウオカラニが王を継ぐことになったそうです。

王位を継いだのは1891年。リリウが53歳のときです。
でも、当時はアメリカ人やイギリス人などの白人がハワイで猛威をふるっていた頃。
サトウキビプランテーションやそのほかのビジネスでハワイに資本を築いていた頃で、
白人たちは自分たちの経済的基盤を強固にしたいが一心に、
なんとかこの王朝を声なき、力なきものにしたかった。
そして、わずか4年後、1895年には王朝が最期を迎えることになってしまいます。

この間、ハワイの王族と白人の権力者たちとの関係は急速に悪化するわけですが、
日本は王族を支持していたそう。
日系人保護という名目ではあったにせよ、軍艦を送るなどして
白人の臨時政府に遺憾を表明していたそう。
フラを嗜む日本人としては、かなり誇り高き史実です。

リリウは、王朝最期の8ヶ月間は、イオラニ宮殿に幽閉されます。
その間のエピソードはいろいろあって、
有名な「アロハ・オエ」は、この間にリリウが国民を想って作った曲だとか、
この間、国内の情報がまったく得られなかったリリウのために、毎日、花を贈った青年がいた。
その花は、情報の詰まった新聞紙だったとか…。

王朝の最期は、リリウが決断を下します。
1895年1月、リリウの支持者たちとの命と引き換えに、王位を廃位する契約書にサインをして
ハワイ王朝は消滅しました。

こうして、白人の権力によって王位を失ったリリウですが、
リリウが幼い頃には、もうハワイには既に白人の宣教師などが入ってきていて、
リリウもアメリカ人宣教師による学校で聖書に基づく教育を受けています。
英語も堪能で、結婚も米国出身の白人ジョン・O・ドミニスとしています。
イギリスまで招待されてビクトリア女王から金のブレスレッドも贈られています。
(これが、いまのハワイアンジュエリーのもとになっているそう)
ハワイに白人がいることは、違和感なき世代だったのだとは思います。

リリウは、白人社会とハワイ文化の両方に精通した、大変に洗練された方だったそう。
いまなら雑誌に「今週のリリウ」なんて特集された、
おしゃれな憧れセレブマダムという感じだったのかもしれません。

ところで、あるクイズ番組のハワイ特集で、気になった問題がありました。
「さて、ハワイの西洋化に貢献したこの人は、誰でしょう」
え、西洋化に貢献? 西洋化を肯定した問題文です。
でも、西洋化=文明化=便利な生活、ということであれば、それはいいことになります。
私たち日本も、ほぼ西洋化して、便利な生活になっています。

でも、便利はうれしいけれど、心までは西洋に売り渡したくない!?
リリウは、白人主導だったハワイをハワイ王制に取り戻すため、
王制優位の憲法改正などに力を入れます。

リリウは、白人社会とハワイ文化の両方を知っているからこそ、
便利は受け入れつつも、ハワイの心、ハワイの土地、ハワイの文化は
大切に守りたかったのかもしれません。

それにしても、ハワイは、太平洋の真ん中の、あまりにも小さな島。
神々を信じる無垢な人々。
天国のような自然。
強欲な人々からしたら、ハワイを我が物にするのは、赤子の手をひねるようなものだったかも。
あまりに無防備な島々だったかもしれません。

リリウは、一人、欲にまみれた手から、ハワイを守ろうとしたのかもしれません。

リリウは、王位を失った後も、イオラニ宮殿近くのワシントンプレイスで
亡くなる79歳まですごしています。
短命な方が多い王族の中で、80歳近くまで長生きされたのは救いです。

カヒコ、「He Mele No Lili’u」では、
リリウは、「座る姿も美しい」とあります。
この曲が作られた年がわからないので、私個人の勝手な解釈ですが、
座る姿とは、幽閉されていた頃の姿なのかしら…。
リリウは、イオラニ宮殿の二階の角部屋に幽閉されていたと聞きます。
窓から、座るリリウが見えていたのかしら。

「あたなの目は輝いて、頬は素晴らしい」とは、
リリウがハワイの未来を信じて目を輝かせ、微笑んでいたのかしら。

西洋化の中で、翻弄された最後の女王様リリウオカラニ。
洗練された美しさを讃え、ハワイ国民を愛した母性を感じ、
ハワイを守ろうとした力強さをカヒコで表現できたらいいなと想います。

それは西洋化真っ只中に暮らしつつも、日本人としてどう生きるのか、
また日本人として、なぜにフラにはまるのか(これ、私のテーマ)
私たちにも通じる想いのような気がします。
国家を背負ったリリウとは、あまりに次元は違いますが…。

(ジョアン・アベ)

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2 コメント

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女王と言えば (paul okubo)
2011-03-01 09:21:31
イギリスのヴィクトリア女王の映画が昨年作られましたね。
ヴィクトリア女王即位50周年の式典にリリウオカラニも出席してます。49歳の時です。自分が女王になる4年前ですね。この時作った曲がクイーンズジュビリーと言う曲ですね。これもいい曲ですよ。
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■paul okuboさんへ (ジョアン アベ)
2011-03-01 18:06:52
コメント、ありがとうございます。

「クイーンズジュビリー」、タイトルだけでも素敵ですね。

リリウオカラニは、たくさんの歌を作ったと聞きますが、知っているのは「アロハ オエ」くらいです。
もっと聞いてみたいと思いました。
まずは、「クイーンズジュビリー」聞いてみます!
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