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john note〜マリアニストの霊的日記

いちカトリック者です。イエズス・マリア様に捧げるブログです。勝手に書いてます。お気にさわりましたらすいません。

最も小さい霊魂の会〜再始動しました。

2017-09-16 16:11:02 | 最も小さい霊魂の会


最も小さい霊魂の会は今までは準備不足のため、休止していました。

しかしながら、また再始動いたしました。

今回は先輩信者であるKさんとともに再始動する運びとなりました。

今回、Kさんにアクションを起こしてもらい、私の思いを神父様に伝えていただくよう依頼しました。

結果がどうであれ、再始動したんです。

現在、6人が入って下さいました。

詳しくはカテゴリの中にある最も小さい霊魂の会 入会案内をご覧になって下さい。

イエズス様とマリア様、すべての天使と聖人たちが見守って下さいますように。

😌😌😌😌😌😌😌😌😌😌😌😌😌😌😌😌😌😌😌

その後の進捗状況ですが・・・・

結果を単刀直入にいうと門前払いでした、こんな感じですかね。

いろいろと不具合が出てきました。

Kさんにはご足労頂きました。
感謝いたします。

しかしながら、最も小さい祈りの会は、人知れずゆっくり進んでいくものだと思っております。

また、今回の結果は想定内でしたから、こんなものだと割りきってます😊

必要なら神様が動いて下さいます。

何も心配しないでいいのです。

まだまだ、これからです。


最も小さい霊魂の会〜コンソラータへの道 52

2017-09-12 20:59:54 | 最も小さい霊魂の会


喜びを持って耐え忍ぶ・・・つづき

コンソラータ
「神よ、私に与えてくださる苦痛の大きさによって、あなたが私を愛してくださる程度がわかります。」

「私の霊魂は悩んでいますが、より以上悩むことができるとかんじます。どうぞ、イエズス、苦痛をもっと増してください。私は、決して恐れず、疑わず、深く信頼しつつ、神が苦しみの絶頂へ登らせてくださる事を願っています。そしてそれは神の思し召しだから、かならず登らせてくださると確信しています。」

「神父さま、私が悲しんでいると思わないでください。私は、歌いながらカルワリオを登っていきます。イエズス゛マリア・ヨゼフが私を愛しておられることがよくわかりますので、彼らと一緒に生活することで十分で、それ以外は望みません。」

「よく苦しみを耐え忍ぶ為には、少しの同情も受けずに、自己と、自分のすべての望み、権利を常に蹂躙されなければなりません。」
⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐

聖人たちの苦しみ、自己放棄は徹底しています。

私達が言い訳できないほどに・・・。

コンソラータの霊魂はなんてきれいなんでしょうか?

はじめはよちよち歩きだったコンソラータは、使徒聖ヨハネのように、神に向かって飛翔しております。

聖テレーズの後継者とはコンソラータのことなのだと何かに書いてありました。
自己放棄、苦しみの受諾、霊的幼児の信仰、絶対的信頼。

コンソラータとの出会いは、聖テレーズの信仰を分かりやすくしてくれます。

しかしながら、聖テレーズは、どんなに短い訓戒でも重みがあり、やはり、聖テレーズはすごいといつも感心しております。


最も小さい霊魂の会〜コンソラータへの道 51

2017-08-31 21:41:37 | 最も小さい霊魂の会


喜びをもって耐え忍ぶ

心、精神、体の苦しみを少しも緩和せずに受け、自分の望みを一度も満足させないという決心

コンソラータ
「カルワリオの生活とは、どんなに小さい尊い満足であっても、それが、天から来たものにしろ、地から来たものにしろ、あらゆる満足を受けないことであることがますます深くわかってきました。しかし私はこのカルワリオの生活を好んでいます。神父様、あなたは全てのものが私にとって十字架と殉難になるだろうとお書きになりました。7月の間、全くそうでしたと答えたいと存じます。わずか2日、日光に満ちた戦いのない愛の日を過ごしただけでした。でも、その2日は私にとって少し変な気持ちでしたので、また苦痛に憧れると、すぐに願いを聞き入れてくださいました。」

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ここ数日コンソラータへの道を続けて連載しています。
はじめの方はYブログにて書庫の中に入っております。

どうにかして、今年中にはコンソラータへの道を終わらせたいと思いまして、頑張っております。

シスター・ヨゼファ・メネンデスの愛の招きも書こうと思いましたが無理です。今の体では。

他のホームページページことコピー画像でのせているものもありましたので、それをご覧下さいとしか言えません。

煉獄の苦しみは人生の中で全ての苦しみを集めたものと比べてもとてつもなくすごいらしい。
煉獄の苦しみと比べると、人生の中で味わう苦しみは、それが最悪なものだとしてもそよ風のようなものだと言われている。
そよ風?

早く天国に入りたいのなら、煉獄で償うよりも地上で苦しみを甘受したほうがおりこうさんなのだ。

しかし、それは人間。

楽しく生きたいと償うことを後回しにしてしまう。
その結果、罪を償うことのないまま、死んでしまうのだ。

誰しもそうだ。

でも、嫌だ嫌だと言いながら神様に衣(霊魂)を洗ってもらった方が後々いいのだ。


知識のはじめは神を恐れることである、と何かに載ってた。

神様が怖いから罪を犯さない生活を送る。
これはらよいしるしです。

それが、神様を愛しているから罪を犯さないようにしようになり、神様を悲しませないために罪を犯さないようにしようになり、最後に神様の救いのみわざに協力するために苦しみを甘受しようになります。

なんか、聖人ってすごいなぁと思ってしまいます。


最も小さい霊魂の会〜コンソラータへの道 50

2017-08-30 22:06:53 | 最も小さい霊魂の会


誓約の実行 続き

コンソラータ
「神が犠牲を要求なさる前に、神の御手はまずペン先をイエズスの尊い御血に浸し、続いてコンソラータの血の中に浸して、全ての要求に対して『はい、承知します』とお書きになりました。

その時、イエズスの御血がコンソラータの血と混ざり、コンソラータの血はイエズスの御血に覆われるのをたびたび霊的に見ました。」と書いた。

ゆえにコンソラータは英雄的に神の御力に信頼して、心、精神、からだの犠牲に励まされることが出来たのである。
そして、神に対して『はい 』というたびにだんだん新しい頂上へ導かれ、上へ上へと登って行った。

「イエズスは私に清い、偉大な他の頂上を直感させてくださいました。そしてそれこそ完全な自己放棄でした。イエズスよ、あなたは私にこの頂上を指してくださいましたから、御たすけによって、最後の息を引き取るまでこの頂上を目指して進むことを決意いたします。」

「私はいつも台所で働いていましたので、リクリェーションのため、時々祝日の午後など修道院の公園を散歩しました。けれども私は今からもっと雅量の豊かな人になりたいと思いますので、この散歩も犠牲にします。そして、祝日の暇な時間も全て、聖堂か、小室で過ごします。

イエズスと、人々の不滅な霊魂のため、たった一人で愛の祈りを唱えながら。それは時々弱い私の心臓にには無理かもしれませんが、絶対的自己献身にのみ、私のよろこびはあるのです。

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コンソラータは、修道女だ。
神に対して誓約をし、そして、修道生活に入ったのだろう。
しかも、それに加え、神が特別に選んだ゛器(うつわ)゛となった。

カトリック教会を代表する神秘家となったのである。

カトリック者といえどその器を真似できるものではないとつくづく思った。
いや、修道者ですら出来ることじゃないと感じた。

先週、ミサに行ったら老修道女が聖堂のなかでペチャクチャしゃべっているのを目にした。
なんとも残念な光景である。

自分は修道者でもないし、誓約をしてもいない。
でも、出来る事があるはずだと思った。

自分は今、いろいろな不平不満や嫌な思いを他人からさせられることに対して文句を誰にも言わないという決まりを自分の中で決めた。

自分は体が壊れきるまで忍耐した事がないと思ったからだ。
自分には何が出来るのか、挑戦してみようと思う。

今の世の中、その人がいない所では悪口ばかり。
それでいて、その人の前では仲のいい素振りをする。
自分も裏では言われているんじゃないかと。

なんか、淋しいよね。
カトリック者、特に、イエズス・マリアを愛するという者がそういう事をするなら、どうだろう。

ますます悲しい。

こんな世の中だから、心がおかしくならない方がおかしいと思う。
正しく、正直に生きている者は心がおかしくなって当然だと思う。
だからこそ、長渕剛の歌が流行るのかもしれない。


最も小さい霊魂の会〜コンソラータへの道 49

2017-08-29 20:54:03 | 最も小さい霊魂の会


誓約の実行

コンソラータ
「時々、あまり疲れ果てて『ああ、今、ちょっとベットに入る事が出来たら・・・という考えがうるさいほど心に浮かんできます。でも、幸いにしてイエズスは私を甘やかさず、優しいおかあさんのような上長の方々が、私の状態に気づかないようにしてくださいます。』

「あんまり疲れきって立っている事が出来なくなり、小室へ退いてちょっとベットの上に横になり、寝込んでしまいそぉうになった時、ノックの音がしました。起きて戸を開けてみると誰もいないので、また固いベットに寝ますと、すぐまたノックの音がします。その時、神のおぼしめしを悟りました。すぐに起き上がり、力がないままで仕事をし始めますと、だんだんまた元気になりました。」


『恵みの声』

ご公現の祝日のけさ、私は心を集中させたいと思いましたが全然出来ませんでした。ごミサの後『恵みの声』は私に聞きました。
『あなたは、壊れきるまで黙って苦痛を耐え忍ぶというあなたの誓約を守る意志があるのか。』

正直に言って私にはその誓約を更新する勇気はありませんでした。足はほとんどきかず、もう体も運べないほどでした。
でも思いきってご聖体拝領の時、その誓約を改めて立てようとした瞬間、なくなった元気がまたすぐ戻ってきました。
そして、治療を全部やめ、共同生活の全ての義務を守りながら、台所での犠牲生活を続けました。」

「この状態で生き続けるためには、神の豊かな絶大な力が必要です。」


最も小さい霊魂の会〜コンソラータへの道 48

2017-08-29 20:41:08 | 最も小さい霊魂の会


緩和なしの肉身の苦しみ 空腹の殉難

コンソラータ
「飢饉のため神を呪い、侮辱する人々の上に神の御あわれみを抱く意向で、贖罪とあがないのため、私は死ぬまで、全然不平を言わず、愛と喜びをもって、少しも緩和することなく、飢えを耐え忍ぶ誓約を立てます。イエズスが私のうちに働いておられるので、御たすけによって、緩和を求めるより も、餓死することのほうを求めます!」

最も小さい霊魂の会〜コンソラータへの道 47

2017-08-12 19:58:24 | 最も小さい霊魂の会


緩和なしの肉身の苦しみ

絶え間ない渇きの殉難
「母様は台所に『沸騰散』ある間よかったら使いなさいとおっしゃいましたので、私は従順のため緩和剤を使うことを承知いたしました。けれども聖堂にいる間じゅう、いたる所で沸騰散を溶かした瓶のことばかり考えました。しかも、沸騰散を溶かせば瓶に80本ぐらいもあるのです。そのことを考えて心は苦しみました。殉難の一週間が過ぎ、聖櫃の前で聖福音を開くと、『あなたの目があなたをつまづかすなら、それを抜き出しなさい』とありました。本を閉じるとすぐに母様の部屋へ飛んでいって、沸騰散水によってどんなに困っているかを打ち明けました。『それなら、やめてください。』のどの渇きはもどってきましたが、緩和なしの苦痛は、私に深い平安と絶えざるいけにえである喜びを返してくれました。その緩和の苦しみこそ、神と一致させる唯一のものです。」

最も小さい霊魂の会〜コンソラータへの道 46

2017-07-26 21:02:57 | 最も小さい霊魂の会


緩和なしの霊魂の苦悶

新しい誓約を立てて、まずコンソラータは、心と霊魂の苦悶において1度でも考えや言葉による緩和をしないことを約束した。
これ以上心と霊魂を捧げることは不可能である。
この聖性の高さまで、コンソラータは絶え間ない愛の心によって達することができたのである。
だが、その絶え間ない愛の心を起こすための絶え間ない努力こそは、コンソラータの十字架であった。

「イエズスがご受難の時、一歩一歩全ての自由を奪われていって遂に苦痛に硬直されたように、私の霊的生活も一歩一歩全ての自由を奪われていかなければなりません。それは絶え間ない愛に硬直して、動けなくなるためです。」

「もし、私の愛が絶え間ないものであれば、私は最も完全な燔祭の生け贄になるでしょう。なぜなら絶え間ないものとするためには、必然的に全てを焼き尽くさなければなりません。」

わずか一時間でも絶え間なく愛の心を起こすには、霊魂、肉身の最も元気な時でさえ、非常な努力を要する。
それなのにコンソラータは一日中、絶え間なく純粋な愛の心を起こすことを一度も怠らなかったばかりでなく、何ヵ月、何年も、しかも霊肉ともに最悪の状態の時にも一日も休まず、休憩時間の間すら続けたとは、なんという偉大な英雄心だろう。

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私達は、弱い。
否、私は弱い。
決めたことを一定の期間中は守ることが出来る。
でも、何年も守ることは出来なかった。
コンソラータの偉大な英雄心をたたえます。
神に心を合わせて、することがどれほど大変かはやったことのある人ならわかるはずです。
身近な所でいうと、人の悪口(批判)を言わないようにしよう。
さて、何日守れますか?
一日一環ロザリオを祈ろう。
さて、何日続きますか?

私達は、どうしても自分に甘くなってしまいがちです。
コンソラータは、自分に一切の甘えを捨ててしまわれました。
コンソラータは、自分の使命を知っていたのでしょう。
コンソラータは、未来に生きる私達をも考えていたのだと思います。
コンソラータは、最も小さい霊魂になりたい人たちのために最も小さい霊魂になったのだとおもいます。
主に認められた霊魂はなんて恵まれているのでしょう。
今や、聖人でもないのに聖人以上にコンソラータは世界中の人から愛され、知られています。
それは、主を熱烈に愛しているほど知られているのです。

私達は、コンソラータだけを見てはいけないのだと思います。
コンソラータと同じようにコンソラータの中に働いていらっしゃるイエズス様を見るのです。

それでもイエズス様に近づくためにコンソラータに取り次ぎを願いたいと思います。




最も小さい霊魂の会〜コンソラータへの道 45

2017-07-25 21:33:05 | 最も小さい霊魂の会

苦しみと救霊の絶頂



苦しみを耐え忍ぶこと

コンソラータも救い主のように、殉難の最高潮である「すべては成し遂げられた」という最後の瞬間に達するだろうが、精神、心、肉身の苦しみを完全に忍耐することによって、すでに忍耐の絶頂に達していた。だが、その殉難の最高潮を迎えるため、更に準備することが必要だった。

コンソラータ
「殉難の絶頂はまだ遠い。私はまだ不完全ないけにえです。でも絶え間ない愛の心と、完全な献身の誓約によって、殉難の絶頂へ向かう準備は着々進んでいます。」

「神の恵みに導かれ、まず神と人とに対する愛を完成させ、次に苦しみの忍耐を完成し、その次に『すべては成し遂げられた』がきて、私の道は終わるでしょう。」

「各々の苦しみを、神の道具にすぎない被造物からではなく、直接に神の御手から受けること、そしてその苦しみを、イエズスのご受難に一致させ、愛においてイエズスと御母に感謝しつつ、『兄弟』のために捧げること、そしてその捧げ物を決して取り消さず、それについて全然考えないこと。
苦しみのすべてについて純粋な沈黙を守ること、苦しみは
貴重なとうとい賜物であることを確信し、あらゆる努力を
傾けて、苦しみの全てを微笑みで隠すこと。自分を苦しめる人に、あらゆる隣人愛を持って報いること。」

「ゲッセマニからカルワリオまでのイエズスのご受難にならいながら、深い沈黙のうちに、全然、不平、悲嘆、文句なしに忍耐します。」)


緩和なしに耐え忍ぶ

やがてコンソラータは、全然緩和することなく苦しむという、より難しい誓約を立てるよう恵みによって要求された。
まえには単なる決心によってそのことを励んだが、今や、精神、心、肉身の3倍の殉難がはじまるにあたり、この最も守りがたい誓約によって、コンソラータの意志は強められねばならなかった。

コンソラータ
「・・・私は自分のからだの事を少し心配しすぎ、ある日の午後、気分の悪いため、負けて、眠りました。またその晩も9時にならなうちに寝ました。その時、神の光は、にせのいけにえと、本物のいけにえの羊の差別を悟らせて下さいました。ゲッセマニからカルワリオまで、辱しめられた精神、苦悶された聖心、弱り果てた御体にも関わらず、少しも緩和をお求めにならなかったイエズスを、常に眼前にじっとみつめること、イエズスにならって、どんなに気分が悪くとも、居眠りをしたり、早く寝たりすることによって、楽になろうと全然しないことを誓約いたします。その誓約をたてる日は、無原罪の御宿りの祝日と、恵みによって定められました。
神父様、この誓約が難しい事は、よくわかっております。けれども、神の御助けによりその準備をいたします。」


「・・・貪食の罪あるいは不摂生でしょうか?私にはわかりません。自分の小室におります時、あんまり唇が渇いてもえるようでしたので、少し冷やそうと思って洗面器の水に浸しましたが、思わず負けて水を飲んでしまいました。無原罪の御宿りの祝日の前夜、また、祝日の日にも祝日だからという口実に負けて食事の時、かわきをとめ、皆さんに分配する十分な分け前を私もいただこうと思いました。神父さま、その後の良心の呵責がどんなにひどく耐えがたかったか、書くことができません。私は、自分の臆病を強く感じ、どうしても生活を直さねばならないと固く決心しました。一瞬間でもそんな自己非難を経験するくらいなら、喉が渇いて苦しさのあまり泣くほうがよほどましだと思います。イエズスは私が英雄的であることを望んでおられます。それに寒さとかわきを忍ぶことは、修道会則によって勧められています。さあ、私はその会則を守ることを初歩から始めます。」


😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅

ああ、神秘家であることがいかに大変であるか・・・」
通常の人間ならできない・・・。カトリック者でもできない・・・神の選ばれた器である人間しかできない。
苦しみを全て受け入れ、心の中でさえ不平を言わず、沈黙を守り、微笑み、隣人を愛する。
不可能なことも神により、可能になる。
コンソラータは今、天においてどんなに福楽を楽しんでいるのだろう。
主に従った者の報いは天での福楽なんだよ。
私は、コンソラータのようにはできない。
でも、一生懸命にやってみたい。
ただ、その意志だけだ。
私には、沈黙している神だけがいる。
コンソラータのように指導なんてない。
でも、今日、何故か、いきなりいい香りが鼻を包んだ。
これは、マリアさまが来たしるしかもしれない。
マリア様にお願いしてみよう。
コンソラータのようになれるように。

最も小さい霊魂の会〜コンソラータへの道 44

2017-07-22 16:53:00 | 最も小さい霊魂の会

コンソラータ
「今こそ、私は親切、柔和、寛大の徳の事をよく悟ってきました。今こそイエズスの聖心がそれらを私に対して実行しておられるように、私も実行するよう強く励まされるのをかんじます。それで、次の決心をいたします。今後、人々の欠点を決して見ず、前よりも深い親切、暖かさと寛大とを持って扱うこと。」


「数日前から『ホスチアに対してホスチア』という考えが私の心をつかまえ、どうしてもそれを忘れることができません。いけにえとなられたキリストにならい、私もどうしてもいけにえとならねばなりません。潔白なホスチア--御父と霊魂に対する愛に溢れ、完全に親切、寛大、慈悲に満ちているホスチアという理想を深く味わっています。イエズスなるホスチアにならい、潔白で、愛に燃え、恵みを与えるホスチアになりたい。そうすれば私もいけにえになって、いけにえなるイエズスに完全に一致するでしょう。」

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コンソラータは1900年代の人で、帰天されたのが1946年だと思われます。
私達とほぼ同じ時代を生きていた聖女だったんですね。
私達は、身近に感じる所では2人の聖人を生きながにして見ていたんですね。
聖ヨハネ・パウロ2世教皇様と聖マザーテレサ修道女です。
神様はいつの時代にもこういう人たちを世の模範として、地の塩として与えてくださります。

日本にもこういう人を与えてくださいますように、神様に祈りたいと思います。