信頼
神の愛と御憐れみについての彼女の談話は尽きることがなかった。彼女の信頼はひるまぬものであった。
そして、自叙伝の6章に断言しているように、
彼女は「聖人、しかも大聖人になる」ことを幼少の頃から望んでいたには違いないが、その大望は
「私の所有物」と彼女自身称していたイエズスの御功徳の無限の富の中に吸い込まれて行ったのであった。
それゆえに最高の希望ですら、彼女には無謀とは思えなかった。
あまり望みすぎるとか、神に願いすぎるとかいうことを恐れるべきではない、と彼女は断言していた。
「この世には、人から招いてもらったり、上手に取入ったりする、すべをわきまえている人々がいます。
神様が私どもに与えるおつもりでないものをお願いしますと、彼はたいへん御力があり、冨者でいらっしゃいますから、ご名誉にかけても私どもにお断りになるわけにいかず、
与えておしまいになります。」
しかし彼女は慰めを求めたり、苦痛を和らげていただくためにはこの聖なる大胆さを決して用いなかった。
現世的恵みについては、彼女は非常に用心深かった。彼女は、神が自分には何も拒み給わないと信じていた。
そして、「神様が私の言うことを、どうしてもきき入れなければならないと、お思いになるといけませんから」と言って、非常に控え目にしていた。したがって彼女が何かの望み、あるいは苦しみの軽減を願うならば、それは他人を喜ばせるためにほかならなかった。
しかも、「聖母マリアを通じて、その祈りを捧げていた。」それについて彼女は次のように説明した。
「聖母マリア様にお願いするのは神様にお願いするのと違います。
マリア様は私の小さな望みを、どうしたらよいかよくごぞんじです。それを言うべきか言うべきでないかを・・・・・
とにかく神様が私の祈りを無理におききとどけにならないよう、万事において聖旨が行なわれるように気をつけてくださるのはマリア様のなさることでございます。」
「自分の死後、地上のために尽す」という希望を述べた時、彼女は「それが神様の聖旨であるかどうかを知るために、彼の御目を仰ぎ見る」という条件をそれにつけた。
この委託が、カナで「あの人たちにぶどう酒がなくなりました」と言うだけにとどめられた聖母マリアも、ただ「あなたの愛している人が、病気です」と言うだけにとどめられた聖母マリアの御祈りを模倣したものであるということに、彼女は私どもの注意を促した。

神の愛と御憐れみについての彼女の談話は尽きることがなかった。彼女の信頼はひるまぬものであった。
そして、自叙伝の6章に断言しているように、
彼女は「聖人、しかも大聖人になる」ことを幼少の頃から望んでいたには違いないが、その大望は
「私の所有物」と彼女自身称していたイエズスの御功徳の無限の富の中に吸い込まれて行ったのであった。
それゆえに最高の希望ですら、彼女には無謀とは思えなかった。
あまり望みすぎるとか、神に願いすぎるとかいうことを恐れるべきではない、と彼女は断言していた。
「この世には、人から招いてもらったり、上手に取入ったりする、すべをわきまえている人々がいます。
神様が私どもに与えるおつもりでないものをお願いしますと、彼はたいへん御力があり、冨者でいらっしゃいますから、ご名誉にかけても私どもにお断りになるわけにいかず、
与えておしまいになります。」
しかし彼女は慰めを求めたり、苦痛を和らげていただくためにはこの聖なる大胆さを決して用いなかった。
現世的恵みについては、彼女は非常に用心深かった。彼女は、神が自分には何も拒み給わないと信じていた。
そして、「神様が私の言うことを、どうしてもきき入れなければならないと、お思いになるといけませんから」と言って、非常に控え目にしていた。したがって彼女が何かの望み、あるいは苦しみの軽減を願うならば、それは他人を喜ばせるためにほかならなかった。
しかも、「聖母マリアを通じて、その祈りを捧げていた。」それについて彼女は次のように説明した。
「聖母マリア様にお願いするのは神様にお願いするのと違います。
マリア様は私の小さな望みを、どうしたらよいかよくごぞんじです。それを言うべきか言うべきでないかを・・・・・
とにかく神様が私の祈りを無理におききとどけにならないよう、万事において聖旨が行なわれるように気をつけてくださるのはマリア様のなさることでございます。」
「自分の死後、地上のために尽す」という希望を述べた時、彼女は「それが神様の聖旨であるかどうかを知るために、彼の御目を仰ぎ見る」という条件をそれにつけた。
この委託が、カナで「あの人たちにぶどう酒がなくなりました」と言うだけにとどめられた聖母マリアも、ただ「あなたの愛している人が、病気です」と言うだけにとどめられた聖母マリアの御祈りを模倣したものであるということに、彼女は私どもの注意を促した。
