
イエズス、マリア、あなたを愛します
コンソラータ
「聖母マリアに対する愛は非常に増し、私は過去、現在、未来において、イエズスと聖ヨゼフ以外はだれもそれほど愛した者がないほど愛したいと提案いたしました。
この世の全て、天と地のあらゆるものは私にとって消え、善にたいして嫌悪と退屈しか感じない時も、絶え間ない愛の十字架を抱擁して、聖母マリアのマントの抱擁のもとに隠れることは、私の無上の喜びです。」
「私を完全に満足させるマリアへの唯一の呼び掛けを見つけました。
それは、イエズスがマリアを呼び掛けた『お母さま』です。
隣人愛の絶頂
コンソラータ
「イエズスの聖心が最後の息を引き取られるまで、隣人愛のために、ご自分を尽くしたもうたように、私も力の尽きるまで、隣人愛によって人々に献身し、自分はもう存在しないように自分を少しも大切にせず、最後の瞬間まで全ての人々にたいして微笑しながら、『はい』とこたえる事を決心いたします。」
「・・・毎日、愛、忠実、隣人愛の生活を送りながら、疲れ果てて、イエズスのように『全ては成し遂げられた』というまでに前進いたしましょう!」
「私の霊魂は、良くないこと、特に隣人愛に反する最も小さいことも、大変敏感に感じるようになりました。」
「しかし、神父さまに次の事を申し上げたほうがいいと思います。イエズスはこの頃私の良心を非常に感じやすくしてくださったので、ちょっと親切でない短気にひびくほんの短い言葉をいってもすぐに苦しく思います。」
「長く苦しい努力の後で、今、隣人愛の絶頂に達し、私は糸でつながれていた小鳥が糸を切られたような喜びを感じています。
この隣人愛という善徳を実行することによって、新しい光が心に輝いてきました。イエズスの聖心に感謝いたします。」
この新しい光とは、あわれみだった。
あわれみは隣人愛にまさり、隣人愛にさらに高度の親切を加える。
あわれみによって人の悪い所を見ず、批判せず、親切に弁護し、隠し、黙っている。
あわれみによって忘恩の人、悪人、敵に対しても親切を尽くすのである。
「あなたがたの御父が慈悲にましますようにあなたがたも慈悲であれ。(ルカ35・36)」
とイエズスは隣人愛の絶頂を指しておられる。