john note〜マリアニストの霊的日記

いちカトリック者です。イエズス・マリア様に捧げるブログです。勝手に書いてます。お気にさわりましたらすいません。

ヨハネの詩 36〜突然ですが・・・お世話になりました。

2017-11-27 21:01:23 | ヨハネの詩
昨日、Rさんからのメールを読んで決めました。
志なかばではありますが、ブログを一旦閉じようと思います。
また、体調が良いときは、単発で記事を書くかもしれません。
目の調子がすこぶる悪いのです。
しかしながら、明日の事はわかりません。
銀魂ファンならわかると思います(笑)

お世話になりました。

カトリックのブログでは良いブログがいっぱいありますから
私ひとりがやめてもなんら問題はありません。

最も小さい霊魂の会〜コンソラータへの道はYブログにアップしておりますから前半部分はそちらで見てください。

ちなみにブログ村カトリックランキングではヨハネノート〜あしあと日記というブログ名で45位あたりをうろちょろしています。
書庫で見るとすぐに見れます。


スマホにて長文を打ったりするのは、もはや不可能になりました。

皆様、どうか私のためにお祈り下さい。

ありがとうございました。 使徒ヨハネ


王であるキリストの主日

2017-11-26 19:19:59 | 告解履歴


今日を持って教会の一年が終わります。

教会は明日から新しい一年が始まります。

アドベント待降節に入ります。

今日、先週出来なかった告解をしてきました。

イエズス様にごめんなさいを言ってきました。

最近はまた体調が悪く、祈りもあまりしておりません。

近々、教会では共同回心式がありますが、これは告解に代わるものではありません。

また、新たに戦う準備ができました。

どうか、皆様、私のためにお祈り下さい。

最も小さい霊魂の会 〜コンソラータへの道 3

2017-11-26 13:55:38 | Yブログからの転載

イエズス様がコンソラータに語る。


『コンソラータ、私は犠牲となる霊魂が必要である。世界は破滅へ向かって進んでいる。しかも、私は世界を救いたい。

コンソラータ、悪魔は、ある日、あなたを破滅させようと誓った。

だが、私は、あなたを救おうと誓った。

どちらが勝ったか?

悪魔はまた、世界を破滅させようと誓った。

そこで私は世界を救おうと誓う。

私は世界を、私の慈悲と愛との勝利によって救うだろう。

そうだ、私は世界を、私の深い慈愛によって救うーーー。

このことを書いておきなさい。
😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄



結論・・・・。
悪魔が勝つように見える世の中ですが、最終的には神様が勝つのです。


悪魔を美化したような風潮が世の中にはありますね。


悪魔のサインを手でしたり、悪魔を思わせるようなⅭⅮジャケットや服やアクセサリーがいっぱい出回っています。


悪魔は、悪魔が世にいないと思わせることに成功しています。
それこそが悪魔の最大のこの世での勝利です。


しかし、神様はいろいろな方法で悪魔から奪われた霊魂を奪い返します。
神が悪魔に負けることはあり得ないのです。

最も小さい霊魂の会 〜コンソラータへの道 2

2017-11-26 08:44:24 | Yブログからの転載


イエズス様は、コンソラータに話す. 1935・12・12


「あなたの未来について私はあまり話しすぎるだろうか?あなたに全部言っているのだろうか?

そう、その通り。

だが、心が溢れているからどうにもならない。あなたは、本当に小さい者だね。

だから私の言ったことをみな書きとめておくことだけで満足している。

何もかも書きとめておきなさい。

私は、そうして欲しい。

それだから、あなたにみんな話すことが出来るのだよ。

母が一番小さい子供を抱いて愛撫する時、大きい子供に話さないようなことをいっぱい話すものだということに気づいたことがあろうか?

母の心は溢れてどうにもならないので、ただ、母に笑いかける事しか知らぬ小さい者に、その未来について大切に心にしまい込んでいるいろいろな計画をみんな話さずにはいられないのだ。

母は、子にはみんな、本当に何もかも話すだろう。

ちょうど今、私があなたにしているように、しかし子供が話せるようになり、『誰にそのきれいな服を作って頂いたの?』と問われれば、うれしそうに『お母さん』と答え、その服を持っていること、褒められたことを喜ぶようになるだろう。




あなたは大きな霊魂と小さな霊魂の相違に気づいただろうか?

小さい霊魂は、その霊魂を飾る善徳を喜ぶ。

なぜなら、善徳を与えたのは神だから。

一方、大きな霊魂は、善徳を得ようとして非常な努力をしたのであるから、傲慢のために失くしはせぬかと恐れるあまり、善徳を隠す。

コンソラータ、わかりましたか?

小さい霊魂にすべてを話す理由はそこなのだよ。

小さい霊魂は、賞賛、名誉、光栄を全部私だけに帰して、私から何も奪わないからね。



私はイエズス様が大好き。
ここ20年間変わりません。
愛の源であるお方を愛さずにはいられません。
男性とか、女性を愛するという次元をはるかに超えているという気がします。
私たちが、両親を愛する、兄弟姉妹を愛する、友人を愛する、恋人を愛するという愛はすべて神様から来ているのです。
そして、それらをすべて集めたよりも神様の愛ははるかに大きいのです。
神様の愛は無限ですから。


神様を愛する人たちは、たぶんキリストとは言いません。
イエス様でもありません。
イエズス様と呼ぶのです。
親しみを込めて。



最も小さい霊魂の会 〜コンソラータへの道 1

2017-11-26 08:39:42 | Yブログからの転載

イエズス様
「見よ、コンソラータ、人々は私が霊魂に与えた恩恵の多少によって徳の程度を量る習わしである。
しかし、それは間違いである。
私は、意のままに、自由に行う。
例えば私があなたに与えた大きな恵みは、あなたの徳に値するだろうか?
かわいそうなコンソラータ、あなたは徳も何も持っていない。
功績もない。あなたは何も持っていないのだ。
あなたは、前に罪を持っていたが、私が永遠にその罪を忘れたから、今ではその罪は存在しない。
何故私はあなたに対して特別に、非常に多くの恵みを与えたのだろうか?
私は意のままに恵みを与えることが出来るし、それに私には一つの弱点があるのだよ、小さい霊魂が大好きだということ!
小さい霊魂があんまり大好きだから・・・・誰も私を不公平だと言って攻めることは出来ない。最高位の主はその欲するままに、欲する人に、王のように豊かに、自分の宝物を与えることが出来るのだから。」 p35

映画 銀魂

2017-11-25 09:33:24 | 映画


感想

銀魂ファンの自分としましては・・・
面白くありません。
アニメの方がいいですね。
実写化する必要はありませんでしたね!

むしろ銀魂の声優陣がそのまま実写化したほうが、面白かったかも。

あともうちょっとこのブログに付き合ってください

2017-11-25 04:38:09 | 日記


やはり、最も小さい霊魂の会〜コンソラータへの道の投稿の終わりを持って、このブログの幕を一旦閉じようと思います。
なので、あともうちょっとこのブログに付き合ってください。
私のブログでの使徒的活動は終わりを告げます。
後は、イエズス様とマリア様にお任せをいたしたいとおもうのです。
一カトリック者のブログとはいえ、多くの方に読んで頂いたと感謝を忘れません。
本当に最初の頃はほとんどスルーされていたのですから。
Yブログと合わせて読んで頂けたら、カトリックに興味のある方なら少しは参考になるかな?と思います。

なので、あともうちょっと付き合ってください。

最も小さい霊魂の会 〜コンソラータへの道 63

2017-11-24 21:20:59 | 最も小さい霊魂の会


死に対する「はい」

数時間後、コンソラータはトリノ市ランソの療養所に入院した。翌日指導司祭に療養所での最初の便りを送った。

コンソラータ
「モリオンドを去る時、私の病気に関して、誰にも責任を負わさないようひたすら願いました。なぜなら責任者こそはイエズスの聖心です! 優しい神が今まで私にして下さった根本的な準備と指導によって、それは明白ではないでしょうか?イエズスこそ私に、『兄弟たち』のため、この十字架をお与えになったのであり、私はこの十字架の上で死ぬでしょう。・・・あす、治療に耐えられるかどうかを試みる注射を打って頂き、だめなら、治る見込みのない患者たちのために、トリノ市サン・ルイジ病院へ移ります。モリオンドの母様は、いろいろな栄養物を下さいましたが、おそらく全部食べることが出来ないでしょう。そんなに心を込めて下さったものを拒むことも、また私ひとりだけで食べることもできません。病院でも例外をせず、いつも修道院の皆さんと同じように!」


病院の料理も食欲のないコンソラータにとって多すぎた。

コンソラータ
「殉難を続けましょう。食物を一口食べるごとに、霊魂を救いましょう。」

😞😞😞😞😞😞😞😞😞😞😞😞😞😞😞😞😞😞😞😞
数ヵ月前、自分は歯が悪いため、ものを噛むごとに激痛が走った。
食べるという事が普通のことではなくなっていた。
だから、コンソラータと同じように、「一噛みごとに霊魂を救ってください」とイエズス様にお願いしていた。

本当に普通の事が普通でなくなり、また、他の人が普通にしていることが自分には出来ない寂しさは身に染みてわかるようになった。
しかしなが、イエズス様のためにこの苦しみを捧げることで慰めも頂いている。
聖ヨブのように、神様から恵みをたくさん頂いたのだから苦しみも頂いたこう。
たくさんはいらないですけれど(笑)😓


免償の十字架

2017-11-23 20:25:44 | カトリックのひとりごと
免償の十字架のロザリオを販売してくだった方の訳が素晴らしいのでその訳と、ホームページにのっていた説明をのせてみたいと思います。

《販売してくださった方の訳》
この免償の十字架は、1905年にピウス10世によって定められたもので、これを用いることにより免償を得ることが出来ます。また、1907年に現世に生きる人だけでなく、煉獄にある魂にも有効であると定められました。

この十字架を身につける者は、免償を得ることができます。
信仰心を持ってこの十字架に接吻する者は、免償を得ることができます。
十字架の前で、「天におられる私たちの父よ、私たちが人を赦すように、私たちの罪をお赦し下さい」と唱えるか、「聖母マリアよ、私たちのために神に祈ってください」と唱える者は、そのたびごとに免償を得ることができます。
この十字架を常に信心し、告解と聖体拝領の条件を満たす者は、次の祝日に全免償を得ることができるかもしれません。(主の五つの御傷の祝日、聖十字架発見の祝日、無原罪の御宿りの祝日、聖母の七つの悲しみの祝日)
死を迎えるとき、教会の秘跡によって強められた者、また秘跡を受けることができない場合であっても悔悛の心を持つ者は、この十字架にに接吻し、自分自身の罪の赦しを神に求め、隣人の罪を赦すなら、全免償を得ることができます。

十字架表面
十字形の上にはINRIにあたる言葉がラテン語で "Jesus Nazarenus Rex Judaeorum"と刻まれています。小文字がなかった古ラテン語はのJの代わりにIを、Uの代わりにV(Iesvs Nazarenvs Rex Ivdaeorvm)を使用していました。この言葉の意味は「ユダヤ人の王ナザレのイエス」です。

十字架裏面
横に"Father, forgive them."(父よ、彼らを赦したまえ)、縦に"Behold this heart which has so loved men."(人をかくも愛したまえるこの聖心(みこころ)を見よ)と刻まれています。十字の交差部には炎に燃えるイエス・キリストの聖心が浮き彫りにされ、聖心は荊(いばら)の冠を巻き付けて血を流しています。下部には"AUSPICE MARIAE"(ラテン語:マリアの庇護の下に)を表すモノグラム、"AM" が記されています。

《ホームページの説明》

<赦しの十字架>



この十字架の免償は1905年に初めて、教皇聖ピオ10世によりて与えられ、1907年には煉獄にありし霊魂らに適用可能である事が公布されました。
完全なる免償を得るためには、最初に司祭より祝別される必要があります。

本来の免償は「この十字架に接吻し奉る毎に100日の免償」などでしたが、現在は免償規定の変更に遵って免償が変わっています。

この十字架の御像を持ち運ぶ者は誰であれ免償が得られます。
また敬虔に接吻し奉る毎にも免償が得られます。
またこの御像を前にして、「天に在します我らの父よ、我らが人に赦す如く、我らの罪を赦し給え。」「わがために我らの主なる天主に祈り給わんことを、祝せられた童貞マリアにこいねがい奉る。」の呼祷を唱える毎に全免償が得られます。
またこの御像に対し習慣的に信心深くあり、告解の必要条件を満たし、なおかつ我らの主の五つの御傷、十字架称賛、無原罪の御宿り、童貞マリアの七つの御悲しみの祝祭日に従って聖体を拝領し奉る場合にも全免償が得られます。

また臨終において公教の秘跡によりて強められ、もしくはそれらを受ける事が出来なくても痛悔の心を持ってこの御像に接吻し奉りて、罪と隣人の赦しを求める者は誰でも全免償が得られます。

十字架の縦木の裏には「いとも世人を愛し給いしこの聖心をみそなわし給え。」とあり、また横木には「父よ、彼らを赦し給え。」と刻まれており、この二木の出会う中心において聖心が示されています。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
免償とは・・・・
カトリック教会では洗礼の後に犯してしまった罪は、告解により許されますが、その償いが残ります。
免償には、部分免償と全免償かあり字のとおりです。
告解では、罪の償いとしてめでたしの祈りを3回唱えなさい、と言われます。
な〜んだ、たったそれだけか・・・楽々だよな。
なんて思っている方はいませんか?
その考え方は危険な考え方です。
主の祈りにしても、アベマリアにしても、深い意味があり、一回でも唱えることに意味があり、幸せな事だと感じています。
イエズス様は、私たちに主の祈りしか祈りを教えて下さいませんでした。
神である御子イエズスが私たちに残してくれた祈りだという事を頭において祈りましょう。

私達は、罪を許されたとしても、また、罪を犯してしまう弱い生き物です。
だからこそ、こういう準秘跡を神様は与えて下さるのです。