john note〜マリアニストの霊的日記

いちカトリック者です。イエズス・マリア様に捧げるブログです。勝手に書いてます。お気にさわりましたらすいません。

ごめんなさい 2

2017-07-30 16:37:38 | 日記



😢😢😢😢😢
夏風邪が治らず、病院へ。
薬を飲んだが、体調が良くならずじまい・・・😭
でも、ミサだけは欠かさずにいけた。

最近は誘惑に悩まされることが多いので、聖体拝領前にイエズス様に祈った。
拝領後、心の声が聞こえた。
「お前を愛している」と。
すると、その後、目の前で子供が転び、お母さんが来てその子供を抱き上げた。
そうか、そうなんだよな。
自分がもし、何かで転んでも(失敗したり、罪を犯したとしても)抱き上げてくれるんだよな、と思いながら日常の中に示してくれる神様に感謝した。
神父様の説教も、日常の中にある神様のしるしに対しての気づきだった。

プロライフ

2017-07-30 05:38:19 | カトリックのひとりごと

同じカトリックを信仰していらっしゃる方の記事を読ませて頂いておりますと、プロライフという活動があることを知りました。
私もプロライフに全く賛成しております。
堕胎をしない、させない、赤ちゃんを守る。命を守ること。

かつて、聖母はこう言われました。
「堕胎は殺人です。」と。
受胎した時にはもう霊魂がそのなかに存在していて、何者をも手を加える事は許されないんです。

私はかつて堕胎を止めさせる祈り、くすしきばらの聖母に祈る祈りを祈っていました。

また、祈ろうと思っています。

堕胎に関しては難しい問題もありますが、しかしながら日本の場合は性の乱れによるものが多いと思います。

どれほどの子供たちが母によってこの世に生まれることなく殺されているか!
子宮から子供たちが叫んでいます。
「ママ、私を殺さないで!」と。

法律により堕胎はゆるされているとしても、神の目には違います。
堕胎は大罪です。
この罪を悔いることなく死んだ者は、間違いなく地獄行きです。

どうか、今、堕胎を考えているお母さん、自分自身と子供を守ってください。

前にも書きましたが、堕胎・同性愛・安楽死は神様の目には大罪なのです。

いつもつけているネックレス

2017-07-26 23:35:50 | 日記



いつもしているネックレス。
昔から、そういうアクセサリーというものにはまるっきり縁がなく、興味もなかった。
このネックレス、カトリック教会の準秘跡と呼ばれているものです。
青い方は、不思議のメダイです。
聖母の騎士会の会員になった時にもらったもの
もう一つはカルメル会の茶色のスカプラリオ会員になり、スカプラリオはふだんつけられないので、代用品としてつけているものです。
茶色のスカプラリオの方は、カトリック信者しか身に着けることが出来ません。

因みに、緑のスカプラリオはどなたでももつことができます。
私は、スマホのケースのポケットにいつも入れています。
青い方のメダイに変化がありました。
赤くなっていたんです。何故かわかりませんが。
でも、このシャメほど肉眼で見た場合は赤みが取れました。
カビなのか、錆びだったのかはわかりませんが、洗っても取れなかったのですが。

さて、最近は暑さもほどほどになり、また、バナーを押してくださる人も40人に減りました。
本当にいつも、ありがとうございますと御礼を申し上げます。
最も小さい霊魂の会の記事ははじめからお読みくだされば、必ずや霊魂によい効果を与えるものだと確信しています。
今、サラッとお読みになったとしても、いつの日か全文読みたいと思ってくれる人が出てきてくれる事を願っております。
この本は廃刊になっていますが、カトリック系の図書館やホームページでアップしている方もいらっしゃいました。

ご興味のあるかたは、探してみるのもいいと思います。

引き続きあともう少しですが、アップしていきますので、よろしくお願いいたします。

最も小さい霊魂の会〜コンソラータへの道 46

2017-07-26 21:02:57 | 最も小さい霊魂の会


緩和なしの霊魂の苦悶

新しい誓約を立てて、まずコンソラータは、心と霊魂の苦悶において1度でも考えや言葉による緩和をしないことを約束した。
これ以上心と霊魂を捧げることは不可能である。
この聖性の高さまで、コンソラータは絶え間ない愛の心によって達することができたのである。
だが、その絶え間ない愛の心を起こすための絶え間ない努力こそは、コンソラータの十字架であった。

「イエズスがご受難の時、一歩一歩全ての自由を奪われていって遂に苦痛に硬直されたように、私の霊的生活も一歩一歩全ての自由を奪われていかなければなりません。それは絶え間ない愛に硬直して、動けなくなるためです。」

「もし、私の愛が絶え間ないものであれば、私は最も完全な燔祭の生け贄になるでしょう。なぜなら絶え間ないものとするためには、必然的に全てを焼き尽くさなければなりません。」

わずか一時間でも絶え間なく愛の心を起こすには、霊魂、肉身の最も元気な時でさえ、非常な努力を要する。
それなのにコンソラータは一日中、絶え間なく純粋な愛の心を起こすことを一度も怠らなかったばかりでなく、何ヵ月、何年も、しかも霊肉ともに最悪の状態の時にも一日も休まず、休憩時間の間すら続けたとは、なんという偉大な英雄心だろう。

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私達は、弱い。
否、私は弱い。
決めたことを一定の期間中は守ることが出来る。
でも、何年も守ることは出来なかった。
コンソラータの偉大な英雄心をたたえます。
神に心を合わせて、することがどれほど大変かはやったことのある人ならわかるはずです。
身近な所でいうと、人の悪口(批判)を言わないようにしよう。
さて、何日守れますか?
一日一環ロザリオを祈ろう。
さて、何日続きますか?

私達は、どうしても自分に甘くなってしまいがちです。
コンソラータは、自分に一切の甘えを捨ててしまわれました。
コンソラータは、自分の使命を知っていたのでしょう。
コンソラータは、未来に生きる私達をも考えていたのだと思います。
コンソラータは、最も小さい霊魂になりたい人たちのために最も小さい霊魂になったのだとおもいます。
主に認められた霊魂はなんて恵まれているのでしょう。
今や、聖人でもないのに聖人以上にコンソラータは世界中の人から愛され、知られています。
それは、主を熱烈に愛しているほど知られているのです。

私達は、コンソラータだけを見てはいけないのだと思います。
コンソラータと同じようにコンソラータの中に働いていらっしゃるイエズス様を見るのです。

それでもイエズス様に近づくためにコンソラータに取り次ぎを願いたいと思います。




最も小さい霊魂の会〜コンソラータへの道 45

2017-07-25 21:33:05 | 最も小さい霊魂の会

苦しみと救霊の絶頂



苦しみを耐え忍ぶこと

コンソラータも救い主のように、殉難の最高潮である「すべては成し遂げられた」という最後の瞬間に達するだろうが、精神、心、肉身の苦しみを完全に忍耐することによって、すでに忍耐の絶頂に達していた。だが、その殉難の最高潮を迎えるため、更に準備することが必要だった。

コンソラータ
「殉難の絶頂はまだ遠い。私はまだ不完全ないけにえです。でも絶え間ない愛の心と、完全な献身の誓約によって、殉難の絶頂へ向かう準備は着々進んでいます。」

「神の恵みに導かれ、まず神と人とに対する愛を完成させ、次に苦しみの忍耐を完成し、その次に『すべては成し遂げられた』がきて、私の道は終わるでしょう。」

「各々の苦しみを、神の道具にすぎない被造物からではなく、直接に神の御手から受けること、そしてその苦しみを、イエズスのご受難に一致させ、愛においてイエズスと御母に感謝しつつ、『兄弟』のために捧げること、そしてその捧げ物を決して取り消さず、それについて全然考えないこと。
苦しみのすべてについて純粋な沈黙を守ること、苦しみは
貴重なとうとい賜物であることを確信し、あらゆる努力を
傾けて、苦しみの全てを微笑みで隠すこと。自分を苦しめる人に、あらゆる隣人愛を持って報いること。」

「ゲッセマニからカルワリオまでのイエズスのご受難にならいながら、深い沈黙のうちに、全然、不平、悲嘆、文句なしに忍耐します。」)


緩和なしに耐え忍ぶ

やがてコンソラータは、全然緩和することなく苦しむという、より難しい誓約を立てるよう恵みによって要求された。
まえには単なる決心によってそのことを励んだが、今や、精神、心、肉身の3倍の殉難がはじまるにあたり、この最も守りがたい誓約によって、コンソラータの意志は強められねばならなかった。

コンソラータ
「・・・私は自分のからだの事を少し心配しすぎ、ある日の午後、気分の悪いため、負けて、眠りました。またその晩も9時にならなうちに寝ました。その時、神の光は、にせのいけにえと、本物のいけにえの羊の差別を悟らせて下さいました。ゲッセマニからカルワリオまで、辱しめられた精神、苦悶された聖心、弱り果てた御体にも関わらず、少しも緩和をお求めにならなかったイエズスを、常に眼前にじっとみつめること、イエズスにならって、どんなに気分が悪くとも、居眠りをしたり、早く寝たりすることによって、楽になろうと全然しないことを誓約いたします。その誓約をたてる日は、無原罪の御宿りの祝日と、恵みによって定められました。
神父様、この誓約が難しい事は、よくわかっております。けれども、神の御助けによりその準備をいたします。」


「・・・貪食の罪あるいは不摂生でしょうか?私にはわかりません。自分の小室におります時、あんまり唇が渇いてもえるようでしたので、少し冷やそうと思って洗面器の水に浸しましたが、思わず負けて水を飲んでしまいました。無原罪の御宿りの祝日の前夜、また、祝日の日にも祝日だからという口実に負けて食事の時、かわきをとめ、皆さんに分配する十分な分け前を私もいただこうと思いました。神父さま、その後の良心の呵責がどんなにひどく耐えがたかったか、書くことができません。私は、自分の臆病を強く感じ、どうしても生活を直さねばならないと固く決心しました。一瞬間でもそんな自己非難を経験するくらいなら、喉が渇いて苦しさのあまり泣くほうがよほどましだと思います。イエズスは私が英雄的であることを望んでおられます。それに寒さとかわきを忍ぶことは、修道会則によって勧められています。さあ、私はその会則を守ることを初歩から始めます。」


😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅

ああ、神秘家であることがいかに大変であるか・・・」
通常の人間ならできない・・・。カトリック者でもできない・・・神の選ばれた器である人間しかできない。
苦しみを全て受け入れ、心の中でさえ不平を言わず、沈黙を守り、微笑み、隣人を愛する。
不可能なことも神により、可能になる。
コンソラータは今、天においてどんなに福楽を楽しんでいるのだろう。
主に従った者の報いは天での福楽なんだよ。
私は、コンソラータのようにはできない。
でも、一生懸命にやってみたい。
ただ、その意志だけだ。
私には、沈黙している神だけがいる。
コンソラータのように指導なんてない。
でも、今日、何故か、いきなりいい香りが鼻を包んだ。
これは、マリアさまが来たしるしかもしれない。
マリア様にお願いしてみよう。
コンソラータのようになれるように。

腐敗しない聖人 61 聖ジェラルド・マイエラ

2017-07-23 09:39:55 | 腐敗しない聖人

約200年以上も前の聖人です。
聖ジェラルド・マイエラはよく知られた聖人ですね。
カプチン会に入りたかったそうなんですが、体が弱くて入れなかったそうです。それで、レデンプトール会の平修道士になられました。
いろいろな雑務をこなしながらも、奇跡を行っていたそうです。

最も小さい霊魂の会〜コンソラータへの道 44

2017-07-22 16:53:00 | 最も小さい霊魂の会

コンソラータ
「今こそ、私は親切、柔和、寛大の徳の事をよく悟ってきました。今こそイエズスの聖心がそれらを私に対して実行しておられるように、私も実行するよう強く励まされるのをかんじます。それで、次の決心をいたします。今後、人々の欠点を決して見ず、前よりも深い親切、暖かさと寛大とを持って扱うこと。」


「数日前から『ホスチアに対してホスチア』という考えが私の心をつかまえ、どうしてもそれを忘れることができません。いけにえとなられたキリストにならい、私もどうしてもいけにえとならねばなりません。潔白なホスチア--御父と霊魂に対する愛に溢れ、完全に親切、寛大、慈悲に満ちているホスチアという理想を深く味わっています。イエズスなるホスチアにならい、潔白で、愛に燃え、恵みを与えるホスチアになりたい。そうすれば私もいけにえになって、いけにえなるイエズスに完全に一致するでしょう。」

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コンソラータは1900年代の人で、帰天されたのが1946年だと思われます。
私達とほぼ同じ時代を生きていた聖女だったんですね。
私達は、身近に感じる所では2人の聖人を生きながにして見ていたんですね。
聖ヨハネ・パウロ2世教皇様と聖マザーテレサ修道女です。
神様はいつの時代にもこういう人たちを世の模範として、地の塩として与えてくださります。

日本にもこういう人を与えてくださいますように、神様に祈りたいと思います。

最も小さい霊魂の会〜コンソラータへの道 43

2017-07-22 07:01:01 | 最も小さい霊魂の会


イエズス、マリア、あなたを愛します

コンソラータ
「聖母マリアに対する愛は非常に増し、私は過去、現在、未来において、イエズスと聖ヨゼフ以外はだれもそれほど愛した者がないほど愛したいと提案いたしました。
この世の全て、天と地のあらゆるものは私にとって消え、善にたいして嫌悪と退屈しか感じない時も、絶え間ない愛の十字架を抱擁して、聖母マリアのマントの抱擁のもとに隠れることは、私の無上の喜びです。」

「私を完全に満足させるマリアへの唯一の呼び掛けを見つけました。
それは、イエズスがマリアを呼び掛けた『お母さま』です。



隣人愛の絶頂

コンソラータ
「イエズスの聖心が最後の息を引き取られるまで、隣人愛のために、ご自分を尽くしたもうたように、私も力の尽きるまで、隣人愛によって人々に献身し、自分はもう存在しないように自分を少しも大切にせず、最後の瞬間まで全ての人々にたいして微笑しながら、『はい』とこたえる事を決心いたします。」

「・・・毎日、愛、忠実、隣人愛の生活を送りながら、疲れ果てて、イエズスのように『全ては成し遂げられた』というまでに前進いたしましょう!」

「私の霊魂は、良くないこと、特に隣人愛に反する最も小さいことも、大変敏感に感じるようになりました。」

「しかし、神父さまに次の事を申し上げたほうがいいと思います。イエズスはこの頃私の良心を非常に感じやすくしてくださったので、ちょっと親切でない短気にひびくほんの短い言葉をいってもすぐに苦しく思います。」


「長く苦しい努力の後で、今、隣人愛の絶頂に達し、私は糸でつながれていた小鳥が糸を切られたような喜びを感じています。
この隣人愛という善徳を実行することによって、新しい光が心に輝いてきました。イエズスの聖心に感謝いたします。」


この新しい光とは、あわれみだった。
あわれみは隣人愛にまさり、隣人愛にさらに高度の親切を加える。
あわれみによって人の悪い所を見ず、批判せず、親切に弁護し、隠し、黙っている。

あわれみによって忘恩の人、悪人、敵に対しても親切を尽くすのである。
「あなたがたの御父が慈悲にましますようにあなたがたも慈悲であれ。(ルカ35・36)」
とイエズスは隣人愛の絶頂を指しておられる。


訪問者が1000人になりました。ありがとうございました。

2017-07-21 21:18:17 | 1000毎 goo版


訪問者が1000人を超えました。
ありがとうございました。
Yブログのはじめの頃は、1日の訪問者数が2人とかでした。
1000人になるのにすごく時間がかかりました。
なので、その有り難みがわかったのです。
なので、gooブログさんにおいても初心を忘れずに、感謝の心を1000毎ごとに書きたいと思います。

さて、最近の私と言えば、ぼっちですね。
いろいろしたりしてはいるのですが、やっぱり、ぼっち感はつきまといます。
あっ、勘違いしないで下さい。
私は、ぼっちが嫌いじゃないんです。
ぼっちだと何かしらの悪いイメージがありますが、何も悪い事をしている訳ではないんですよ。
最近は、夏風邪らしきものを引いてしまいまして、仕事もしんどいですね。
また、糖尿病の定期健診を忘れるという失態も起こしてしまいました。
びっくりしたのは、ブログ村のカトリックのバナーを押してくださった方が110人もいたことです。

皆さん、影ながら応援して下さっているんだなぁ〜と感激しています。
ありがとうございます。

これからも応援、よろしくお願いいたします。