東大阪市加納 日蓮宗 妙政寺のブログ〜河内國妙見大菩薩、安立行菩薩、七面大天女、鬼子母神を祀るお寺!

HPからブログに移行し、ちょっと明るい雰囲気です。仏事、納骨、永代供養のご相談、どうぞお申し出ください。

境内墓地

2016-11-28 01:19:50 | 納骨や永代供養のこと
こんばんは。

今日は軽くです。

河内のお寺って、大抵は境内地に墓地がないんです。
みんな村の共同墓になります。

妙政寺には登記上、墓地があるんです。



見えますかねぇ。一番奥にあります。

以前はもっとあったんですが、絶家で無縁墓になったりで整理されてしまいました。

ところが、お墓には納骨されているわけですから・・・

このたび境内地墓地をさわりました。大きく様変わりです。
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河内の民話・キツネの悲しみ

2016-11-26 22:48:36 | 河内國の昔話
こんばんは。

今夜も河内の民話です。

あんまり続けるとネタがなくなるのですが、まだ大丈夫です。


《キツネの悲しみ》



 加納村の南に、猫の額ほどの田を作り、農閑期のときは、猟をしている幸助という人が住んでおりました。

 ある年の五月のことです。村の東を走る今米堤に、銃をさげた幸助の姿が見えました。堤の両側の畑は、おたふく豆の花が咲き競っていて、のどかな昼さがりです。幸助はその豆畑の中で眠っているキツネを見つけたのです。
「しめた。こんなとこに大きなキツネがいよったぞ」と銃をかまえました。
 その気配にキツネは目を覚まし、畑のうねを飛び越えて逃げます。しかし銃に自信のある幸助は「ズドン」。鋭い銃声が五月の空を引き裂きました。ねらいたがわず一発でキツネをしとめたのです。幸助は意気揚々と太い尻尾を垂らしたキツネを担いで家に帰り土間につるしました。このことを聞きつけた村人たちはつぎつぎと見物に来ました。そして一発でしとめた幸助の腕前に感心していました。
 しかし見物に来た人の中には、今にもこぼれ落ちそうな大きな乳房を持った母ギツネを哀れに思った人もあったのです。
 その夜のこと。上機嫌で寝た幸助は、雨戸をたたく音に目を覚まし、「だれやねん。今じぶんに―。どうしたんや」と窓から外をのぞいてみました。門口の前には、何か小さな黒い影が飛び跳ねているのです。月明かりでよくよく見てみると、それは、三匹のキツネの赤ちゃんなのです。その三匹が、しっぽで必死に戸をたたいているのです。「トントン、トン」とたたく音が「返せ、返せ」と聞こえるのです。
 幸助は「昼間に撃ったキツネのややこ(赤ちゃん)に違いない。まだ乳飲んどったんやなー」とあ然とつっ立っていました。
 どれだけの時間がたったのでしょうか。東の空が白みかけた時、キツネの赤ちゃんの姿は見えなくなっていました。
でも話はこれで終わったのではありません。
 やがて幸助の娘が美しく成人して嫁に行ったのですが、女の子を産んだ後、乳が大きくはれあがり痛み出しました。あらゆる手当てをしたのですが、少しも良くならず、ついに娘は苦しみながら死んでしまったということです。

「これはきっと母ギツネを殺したたたりやでー恐ろしいこっちゃなぁ」と村人たちは、うわさし合いましたと。
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にりんの木

2016-11-25 09:01:42 | 河内國の昔話
お早うございます。

今日は河内の昔話です。


《にりんの木》


加納村の北にある沼のほとりに、天にも届くほどの大きな「にりんの木」がありました。

 むかしから「この木から龍が空に昇るんや。そうすると、村に幸せがやってくるんやー」と言い伝えられていて、それを信じているおばあさんが、注連縄を張ってにりんの木を大切にしていました。

 ある年のことです。
 梅雨の時には、天の底が抜けたように何日も大雨が降り続き、恩智川の堤が切れて村人を困らせました。
 その反対に七月には一滴の雨も降りません。川は日に日に細い流れとなり、用水路へ引き入れる水もなくなってしまいました。
 村人は、氏神様に雨乞いをしました。でも灼(や)けるようなお日様は、生駒の山から顔を出し、無情にも田畑を焦がして、お城のむこうへ沈んでいきます。

 そんな時
「雨を降らすと言われている龍に頼んではー」
「にりんの木に頼んだら、龍を昇らせ雨を降らしてくれはるんやろー」
との声があがりました。
「そんなあほなことー」
と、てんで相手にしなかった人たちも、日照りのひどさにたまりかね、にりんの木にむかって雨乞いを始めました。でも少しも雨は降りません。田畑は亀の甲のようにひびが入り、稲の苗は黄色くなりはじめました。このままだと村に大きな飢饉がおしよせてきます。

 日ましに、にりんの木に祈る人が多くなってきました。全身全霊をかたむけて祈る村人の精も根も尽き果てたかと思われた日の夕方のことです。もくもくとにりんの木から黒い雲が湧き出し、ゆっくりと東の方へと広がっていきました。その雲が、みるみる厚い層となって、にりんのこずえをおおいます。とー
「ごぉーっ」
響きとも、雷の音ともつかない大きな音がしたかと思うと、“ピカッ”するどい稲光が四方の空をひき裂きました。
「あっ」
息を呑む村人の頭の上を、黒々とした雲のかたまりが、にりんの木をよじ登るように大空めがけて昇っていくではありませんか。
 その中に、龍のらんらんとした眼(まなこ)を、青光りするうろこを村人たちは確かに見たのです。

 呆然と見上げる人たちの顔や背にポツポツと水の滴が落ちてきました。命をかけて願った雨だったのです。

 やがてごうごうと音を立てて降ってくる雨に、人々は小躍りをして喜び合いました。
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庭の風景など

2016-11-20 16:56:46 | 妙政寺の紹介
こんにちは。

妙政寺の境内地はそれほど広いものではありません。
200坪足らずです。

東側の庭が広く空いているのですが、門からのアプローチや其処此処に季節に花を咲かせる樹木を植えています。
先月は金木犀の甘い香りが漂っていましたが、いまは銀木犀が満開です。



本堂の玄関前に咲いています。
本堂に向かって右手が銀木犀で、左が金木犀なんです。



境内には石碑や外宮、また古井戸があったりします。
石碑は題目碑と仏足石。



外宮は安立行菩薩さまを奉安しています。
いつの頃から祀られているのか、誰も知らないのです。
以前はこんな感じで祀られていましたが、



昨年の初夏に、新しく外宮を御寄進いただきました。
随分と変わりましたよ。




庫裡の勝手口の前に古井戸があるのです。水質上飲用には使用できないのですが、またいずれ調査してもらい、整備を予定しています。
この井戸、七面天女さまを祀っています。
新たに整備させていただきました。
ちょうど身延・七面山の方角になるように設置・奉安させていただきました。



昨日から庭を造作し始めました。
また雰囲気が変わります。

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がたろうのこと

2016-11-18 23:23:12 | 河内國の昔話
こんばんは。

昨日のお話しの続きというか説明ですね。
昔話は時代の道徳観や倫理感を反映させている物が多いのです。また教訓であったりもします。

昨日の創作民話にもそうした内容を織り交ぜてみました。


《がたろうのこと》




河内では河童を「がたろ」と呼んだそうです。
つまり河内にも河童がいたわけです。
もちろん河童は想像上の生き物で、実在するわけではありません。
しかし岩手県遠野市の河童淵に立てば、なるほどそんな生き物がいるかも知れないと思えてきます。

環境ホルモンが騒がれて久しくなります。地球温暖化は様々な形で私たちの生活を脅かし始めました。

人間の行為によって、過去にない自然破壊が行われた結果、多くの生き物が住む場所を失い、絶滅していきました。日本の民話に語り継がれてきた様々な妖怪たち。彼ら想像上の生き物が、想像の世界の中でさえも棲む場所を失われてしまいました。彼らの悲しみや恨みを考えたとき、本当に祟りを為すのは、決して長いひげを生やし、白い服を着、杖をついた老人ではなく、こうした環境ホルモンや温暖化現象に伴う人災での事象、地震などの天災などに姿を変えて現れてくるのではないでしょうか。

環境はこころの鏡です。環境を見れば、そこに住む人の姿や心が見えてくる。そういうものです。




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