
早朝5時半、祖納ナンタ浜を出艇。流れに乗り快調な滑り出しだ。時速7km。与那国島の周囲をなめるように流れる追い潮に乗ってるようだ。
今回の横断は5艇のシーカヤックに9人が分乗する。全てスオーターフィールド社製のカヤックだ。シングルのマリオンは2艇。アスリートであり、今後力強いパドリングを披露し皆を驚かせるMさん。
それと地元西表から自艇参加の藤縄さんだ。ダブル艇はホエールウオッチャーのSさん、八幡さん、ジェミニの水野さん、Hさん組み。そして我らがグレートジャーニー。バウはPen&paddle誌編集長、平島さん、真ん中は
Tさん。バリバリのアスリートで、自転車で湘南国際村(横須賀)の坂を30往復も上り下りしてしまうような人だ。そしてスターンマンは僕。
3人艇グレートジャーニーは当初、順調な漕ぎで回漕していたが、だんだん雲域が怪しくなってきた。まずは吹き続ける7m前後の北東の迎風だ。大きいカヤックはそれだけ風の影響を受けやすい。パドリングが
重いなあと思った。しかし、20時間なら漕ぎ続けられると踏んでいた。
3時間ほど漕いだ7時ごろだったと思う。前を漕ぐTさんが「城後さ~ん、眠いよ~」という。しまった、計算外のことが起こった。海上での眠気イコール船酔いなのだ。このグレートジャーニーは八幡さんの遠征
用オリジナルで、Tさんのコクピットは従来荷物格納用なのだ。ずっと座りづらく、心地も悪かったろう。これが船酔いの遠因になったとも思う。「それは船酔いです、パドリングを止めると酔いは強くなります、パド
リングを止めないで下さい、そして興奮してください」とアドバイスした。しかし、さすがTさん、どんな酔おとも、以後最後までパドリングが止まらなかった。べらぼうな体力の裏づけがあるのだろう、気持ちが全然折れないで漕ぎ続ける。
4時間目、「20%パドルピッチを上げてください」の僕の言に、平島さんからギブアップの声が出た。「これ以上ピッチを上げられません!」
「んんんん、困った」
まだ4時間目。これはまずい。他の艇は1時間に一回それぞれ休みを入れていた。しかし、それではグレートジャーニーのメンバーは体調を保てないだろう。だんだん分かってきたが、向かい風で
明らかにシングル艇やダブル艇より、我々は消耗していた。大きい艇ほど、風の影響を受けるのだ。追い風なら有利だが、逆に向かい風だと前進にエネルギーを必要とする。
そこで、2つの作戦を考えた。一つは休憩を30分に一回取ること。一人が休憩をしてる時は残りの2人が漕ぐ。これで、ずるずる後れを取ることが防げる。もう一つは、もう最後尾より前には出ない。最後尾に徹する
ことだ。前に出る体力があるなら、それを30分後、1時間後に使おうという省エネパドリングだ。
しかし昼頃から、どうにもピッチが上がらなくなった。原因は分かっていた。僕がガス欠を起こしつつあったのだ。夕方までは漕げるが、夜までは持たないだろう思った。そんな時、八幡さんが「城後さん換わりますか」と言ってくれた。
7時間目、八幡さんとカヤックを交換した。
グレートジャーニーのメンバーには申し訳なく思った。このメンバーでゴールしたかったが、すまん。メンバーチェンジも作戦のうちと気持ちを切り替え、ホエールウオッチャーのスターンコクピットに収まった。
