高齢者の医療に関わるようになってもうすぐ一年になります。人の生き死にをたくさんみました。人が亡くなる瞬間。またそれに至るまで道のり。終末期。
僕は人より生死についてよく考える方でした。比較的リスクの高いアウトドアスポーツをやっていたため、死は身近だったし、何人(片手ですまない)もの先輩が足を踏み外し向こうの世界に旅立った。ただ、後輩は1人も死んでない、これは僕の自慢。
どの辺りが死に時かというと、天命尽きたときがベストと思っている。天命に逆らって頑張って生きてしまうと、どうなんだろう?、その生に自分が価値を見つけられるか疑問。では天命をどうやって見分けるか。僕は自分の口で自分の意思でご飯が食べられなくなった時、その時でいいと思うようになった。だから、その時まで食いしん坊精神を働かせ、美味しいものを食べ続けたい。
おそらくいろいろなラインがあるんだけど、自分で自分の食べるものを作れなくなった時、これも一つの線引きだと思う。天命に近づいているサインだ。だからその時が来るまでは、自分の食べるものぐらい美味しく作れる自分でありたい。
食材を自分で育てたり、自分の手で採集できたらこれまた最高だと思う。その瞬間、僕は自分の「生きてる」を感じる。釣りって面白くて、あれ、現代の狩猟だと思ってる。海に出たら、なるべく手ぶらで帰らないこと。何か一つでも食べれるものを持ち帰ること。これは「生きる力」だと思う。
天命が尽きるその瞬間まで魂を燃やし続けること。これが僕にとっての生きる意味。こんなふうに考えるようになりました。ワタクシ、今年も燃えます。たくさん新しいことにも挑戦したい。
生物は、自分や自分の種のためだけに生きてるのではなく、関係性の中で自分の生をまっとうしている 山極寿一