続・山形そば黄門漫遊記

記載する情報は、一部のそば好きの食べ歩きによる個人的感覚の押し付です。嘘も少しはあるでしょうから文句はご勝手に。

そばの細道・まほろばの里

2006年06月21日 | そばの細道

 山形から南下していくと米沢の手前が高畠町です。 ポツリポツリと史跡があります。

有名なのは日本三文殊に数えられる文殊様くらいなんですが、八幡宮には三重の塔があり、「犬の宮」とか「猫の宮」とかなんだかわけの分からない神社???があったり、見学の出来る酒屋があったり、サイクリングコースを自転車借りて回って歩くと結構退屈しない町です。 かつて地元の代議士やJR関係者を呼びつけて決起大会をやり、結果むりやり新幹線を停車させて駅の名前まで変えた「高畠駅」にはすこーし”ヌルッ”とする温泉がありまして、かいた汗を流してお帰りくださいと言うところです。

そば屋の話になりますと、ここという所が少なくまぁ素通りが多かったのが現実でした。ただしラーメンとなりますと少し話が違いまして、結構話題に上るお店が何件かありますし、のこのこ行ってもありつけないよ!てなお店もあるくらいです。

そんな町にここのところ例の旗がたなびくようになりました。 町外れにも街中にも、ちょっと違うような気がしてよぉーく見ると、南という字が一つ多い”南山形そば街道”と書いてあります。 何とかの一つおぼえじゃないのでしょうが、あれも"まほろば”、これも”まほろば”、そっちもこっちもなんでも”まほろば”で宣伝してきた町だけにこれは新鮮です。 だいいち”まほろば”なんて意味も知らない人がほとんどなんですから。 ちなみにまほろばとは、万葉集などにしばしば見られる古語で「まほら」「まほらま」などという言葉と同義語です。これは周囲を山々にかこまれ、のどかで住みよいところ―すなわち盆地形をなし、美しく住みよいところという意味なんだそうです。

 国道113号線から高畠の町に入り、亀岡の文殊様を目標に県道1号線を進んでいくと文殊様まであと僅かのところに差しかかると旗が見えてきます。 ちょうど高畠三中の所の角を左折し旗の案内に従っていくと 嘉平 と言うそば屋が見えてきます。 まだ一年にもならないんだそうですが、しっかりとした歯がかりのあるそばが出されます。十割そばと謳っていますが、それにしては食べやすい感じがします。 ちょっと話が逸れますが、先ほど曲がってきた高畠三中の所をもう少し進んで行くと、また旗が見えてきます。こんどは右に曲がっていくと、 清壽庵 と言うそば屋に行くことが出来ます。 こちらは一年チョットくらいになりますので、やや先輩格なんでしょう。 こちらも十割そばと謳っています。 何が言いたいのかというと、まぁ食べてみればわかるんですが、見かけが似ているような気がするんです。やや白目で、透明感のあるような艶やかさでどこか北郡のそばに似ています。 似てるとは言いましたが勿論そばもたれも味は違いますし、値段も違います。 できてまだそんなに経ってないにしては、しっかりした濃いたれでそば湯が美味しくいただけます。 ところで、そば湯ほど単純に出来の良い悪いを実感させてくれるものはありません。 新しい店なんかですと如実に現れます。 何と言ってもそばはそれぞれ自信がおありでしょうし、あとは経験でしょうが、たれはそうはいきません。 化けの皮がはがれるというかそば湯をいれたら正体見たり、たまにある話です。 物の本では読んだことありますが、実際には教科書どおりになんか行かないんじゃないでしょうか、そばは三たてだそうでですが、たれは作りたてではダメなようです。

 さて、このの少し先に和田という地区があります。 よく分からないのですが資料館があったりして、何か歴史を感じさせる雰囲気があります。 余談ですがこの辺りの山はいわゆる松茸山なんだそうで、季節になると地区民の欲のかたまりのようなビニールテープが山を囲み、景観をぶち壊しています。どこでもそのようですが。

 食べたければ和田から”ぶどう松茸ライン”を少し北進すると食べさせてくれるところがあります。 採ってみたい人は入山料を払って挑戦してみるのもいいと思います。 ただしいくらだか知りませんけど、お金払って採れたという人はあまり聞いたことがありません。 セットになっているご飯を一杯食べたという人なら大勢知っていますが。 まぁきのこなんてそんなもんですよ。 ところで、お買いになりたい人は、その辺を見渡すと看板が目に付きますので、出ているお店に行けば売っています。 私はキノコは決して食べませんが、好きな人の土産に一回だけ買ったことがあります。 

 ある夕方その店に求めに行くと、近所の農家の人が売りに来ていました。 トーチャンとカーチャンが、ピクニックがてらにその日とってきた松茸を売りに来ていました。 はかりに乗せて何か書いてあるボタンを押すと、目方と金額が出てくるようです。 何気なく見ていましたら、一万五千円くらい渡していました。 店の人はそれをかごに入れて棚の下の方へおきます。 少し経って私が「松茸少し売ってくれ」と言うと、はかりに棚の下から適当に4~5本乗せて、前とは違うボタンを押しました。多分ボタンには”売り”と書いてあるんでしょう、先ほど買い取った1/4位の量で「こんで、おまけして七千円だ」ということでした.......。 わたしはやっぱりキノコはきらいです。 

 そんなこんなの南山形そば街道、最近結構売り出し中であります。 そば屋もそこそこ増えているようですし、ファンも少しずつ増えているようです。 私もまだまだ通ってみたいと思っています、行ってみようと思っている所だけでもすでに3~4件あります。いいことあったらまたご報告いたします。

山峡の章

2006年06月20日 | そばの細道

 こんなものでも書いているとたまにはコメント欄に情報をいただけます。 大概は役に立たないいわゆるただの”知ったふり”で、他人のこととやかく言える身分ではないんですが、困ったもんですまったく。 だいたい今更 ”誰でも知ってるような”店名を上げて「あっちの方がいいよ」とか「あんた勉強不足だよ」なんて言われたって、なんてお答えしたらいいのか分かんないじゃないですか。

 ただし世の中やっぱり広い、知らないところが多すぎる。 たまに何か引っかかるのが出てくるものなんです。 それらしい名前を教えてくれるのですが、電話帳見たって”出てない”、好き者に聞いても”知らない”、行きたかったら少しは苦労して探せというこの道の約束事なんでしょうか、でもこういうのに大当たりがあったりするものなのです。 だからというわけでもないのですが、分からないのに頑張って、でも結局探しあぐねて「くそっ!!!」と思ったことが前は何度もあったものでした。 でも年が経てば人間だんだん狡くなります。 いいことお教えします。山形ではこういう時はその市町村の『観光課』へ聞くのが一番、大概はそこの役所へ電話すればOKです。 ただし余計なことまで教えられますので、鵜呑みにしないことが大事です。 店の電話番号だけ聞けばあとは自分でガンバラナクッチャ。でもでも、言っておきますがこれは邪道ですぞ。

 ある日そばマップ請求にコメントが、”飯豊町の高峰に『そば工房』あり”。 おまけメッセージに”そばの好みがあいそうだ”ときたもんだ。 早速とは思ったのですが、まぁ飯豊の高峰と言えば白川ダムのあたり、チョット仕事のついでとはいかない所です。正真正銘ご立派なド田舎ですんで、行ってしまえば場所はわかると思いますが、休みだったりするとホントに「メッチャ悔しいー!」てなことになりますんで、まずは情報収集に精を出します。ところがどっこい、新しいのか誰も知りません。 正確な店の名前もわからないので電話番号もわかりません。 結局邪道は百も承知で役場へ電話 、そして呆気ないほど簡単に電話番号をゲット。

 晩夏と言うよりは空がたかーいと感じられる、どっちかというと秋っぽいとある休日、一行は連れだって飯豊へ向かいました。 大して苦労もせずに得た情報を辿って113号国道を西進、手ノ子から白河ダムへと左折し白川沿いに進みます。 地図でみると高峰は川の向こう側なんですが、目的地位は進んでいく道沿いの左側に何の苦労もせずに見いだす事が出来ます。 国道を左折して10分位でした。『西高峰農作業準備休養施設』

 と言う”大したこと無い建物”がありまして、その施設の一部(その施設の殆ど)がそばのための施設になってました。 いわゆる町おこし、村おこしで、こんな感じの施設が県内至るところの”へき地”に出来ています。 小国、長井、村山、、、、、まぁそんなもんでしょうが、たいへん結構なことだと思います。

 出てきたそばは、何となく艶っぽいというか透明感があるというか、どこか彼の北郡のそばと似ているような感じです。 二八くらいなんでしょうが、程々の歯がかりとやわらかさが上等で久々に”あたり”という感じでした。 そばは笹の葉二枚に町中よりはチョット多めの量、おかずの漬け物は黄金色?、、、不思議な色だと思ったらなぁーんと紅花で色をとっているのだそうです。 そしてそれよりもなによりも、ビールはスーパードライ、酒は住吉、言う事ねぇーー!!。

 通常営業は土日と書いてありました。でも平日は予約しておけばOKなんだそうで、名人の指導でそば打ちも体験できるんだそうです。宣伝文句によれば、地元産のそばで、石臼引きなんだそうです。

 白河ダムまで車であと何分、緑豊かな山あいのそば屋はGOODな香りが漂う癒しの里、道路沿いと言ったって大して車も通らない静かな自然。イイナァー! たれがすこーし濃い目のをいいことに、そば湯をおかわり。 イイナァー!  夏そば前なのに、なぜか香りのわかるのには思わず感激手打ちそば 高峰工房、同行者も高評価。 平日予約しても行きたい人は製粉作業担当の井上さん(0238-75-2844)かそば打ち担当の遠藤さん(0238-75-2963)へ、井上さんは日中でなかったけど、遠藤さんはたいがい電話が通じました。 遠藤さんはおかあさんでいわゆる”名人”なんでしょう、暇があったら食後にダムまで行かれてみてはいかがでしょうか、季節によって様々な色合いを見せてくれますので満足度は高いものと存じます。

そばの細道・西蔵王高原(前編)

2006年06月19日 | そばの細道

  月日は百代の過客にして行き交う人もまたそば好き?なんでしょうか。
かの芭蕉さんは道中で山形に一番長く居たということですので、さぞ古典的な山形そばを召し上がったことだろうなぁなどと歴史に思いを馳せてみておったのでしたが、
先日「寒晒しそばの試食会」にお招きいただきました時の話で、山形のそばが今のようになったのは、かつて信州高遠藩の保科正之公が、山形へお国替えになった時に持ってきた食文化なんだそうだという話を聞くに及んで、歴史の考証をせざるを得なくなってしまいました。

結果を申し上げますと、保科公が山形に入られたのが寛永13年(1636年)だそうでして、芭蕉さんが曽良さんと山形に入って封人の家にお泊まりになったのが元禄2年(1689年)ということでしたので、山形そばを食べたんじゃないかなぁ という推測は十分成り立つのではないかということでした。

余談ですが保科正之公というのは徳川三代将軍家光の弟で、この後会津松平家のトップバッターとして再度移って行かれたんだそうです。 いろいろと面白い逸話がある方でして、お好きな方は歴史書を紐解かれてはいかがでしょうか。

それにしても山形というところは面白いところです。一般の人たちが好きなもんですから、そば屋はもちろんのこと粉屋までが、これでもかこれでもかと技を練り上げて、おかげで常に発展途上、それに加えて何でもいいから何かやりたい県だ市だ農協だ、観光協会からJR等、諸々団体が悪のり?ではないけれど我こそはと名乗りを上げる。 そう言えば駅前クラブだってそんなわけの分かんない一つなのかも知れません。 結局のところ、皆さんきりがないのは百も承知で
♪ア-ァどうにも止まらない....。      

さて、前出の「寒晒しそば」なるものですが、山形の麺類組合の配付した資料によりますと、昭和49年に鈴木製粉(試食会のある「石臼の館」に工場があります)にその復元話し持ちかけられて、試作が始まったのが58年、お披露目を下のが59年というのですから、まぁやっぱり物好きもそこそこ度が過ぎないと難しかったものなのでしょう。その過程で歴史なんかも調べられ、保科正之公の関連なんかもわかってきたというわけです。そんなこんなで今年の試食会には、わざわざ高遠町の町長さんもお出でになっておられました。(この麺類組合の配付した資料は、大家さんがやってる変人ホームページの、写真の中に「寒晒しそば」というところにありますのでご参照下さい)

ところで、山形では”そばのついで”も最近はなかなか良いものが整備されてきているようです。 その一つと言うわけでもないのですが、近年春の桜がけっこうもてはやされております。それぞれ「**桜回廊」とか名付けられて宣伝されております。 高遠町のように”吉野の桜と肩を並べる華やかさ”はないのですが、地区の所々に毎年忘れずに何百年、中には千何百年咲き続けている桜があり、たずね歩くのも蕎麦のおまけで結構いいものです。おっと、どっちがおまけなのかは人それぞれということにしておきます。

 話を戻しますが、「寒晒しそば」は山形の東側”西蔵王高原”にある「大山桜」というそば屋に、市内のそば屋が集まって真冬の作業で作られています。「大山桜」自体は年中やってますので、行ったときそばを冷水に浸ける池?なんかを知っている人と知らない人では味が少し違うかも知れません。 因みにこのそば、当然できあがりは限定品でして4~5月くらいに組合員の店でいただくことが出来ます。

(後編を読む→)

そばの細道・西蔵王高原(後編)

2006年06月19日 | そばの細道
(←前編を読む)

  ついでの話ですが、この西蔵王高原は結構たいへんな歴史があるところで、芭蕉の奥の細道をさかのぼること五百年、久安4年(1148年)に東国巡りの西行さんがしばし修行なさった所なんだそうでして、《たぐいなきおもいいではの桜かなうすくれないのはなのにほひは》と詠ったという”オオヤマザクラ”という種類の桜があり、里よりは少し遅い春に濃いピンクの花を咲かせます。 この一帯、かつては三百とも八百ともいはれる

坊舎があったそうで、古い石の鳥居が今も残っております。 今日では龍山(竜山)と書いて”りゅうざん”と読んでますが、龍を瀧とか滝と書き”タキノヤマ”と読むのが正しいという人もおります。芭蕉が月山(ガッサン)を”ツキノヤマ”と詠んだことからみてもわかるだろうと言われてみれば、何となく理解できなくもないのですが、まぁいいでしょう。いずれにしても、何か少しは尊い地だったのかもしれませんが、どうでもいいことなので暇と興味のある人は勝手に調べて見てください。 そんなこんなで800年も前に思いを馳せながら、そばをいただき、桜と山をご覧いただければと存じます。

 また、近年この辺りではそばの栽培が広がりを見せ、夏を過ぎるあたりから、そこらここらに真っ白のそばの花が咲き乱れ、これはこれでたいへん結構なもんです。(これも大家さんがやってる変人ホームページの中に写真がありますのでご参照下さい)

 さて、以前にお話しいたしましたがこの辺りには三件のそば屋があります。 三百坊竜山そして大山桜で、そばそのものは前編でお話ししたときと大した変わりはありませんが。 三百坊はお庭が少しリニューアル、やはり気分はいいです。でも値段は相変わらず高いなぁ。  竜山はほとんど変わりがありません。冬は本業?(吾妻でペンション)が忙しいのでお休みしてます。 何があったか知りませんが、”駐車場の所の野菜売りは関係ありません”という張り紙がありました。 大山桜は少し変化がありました。 店の雰囲気をぶち壊すような券売機がおかれて、先に食券を買わなければならなくなりました。これがまた使いづらいやつでなんとかなんないかなぁと思っています。

 まぁ、そんなこんなで今回はそばは勿論ですが、少し暇つぶしの事も考えて出かけてみようと思います。今まで行ったとこ、そして新規開拓。 駅前クラブのそばマップFAXサービス請求者の殆どが県外の方だったものですからそんな風に考えてみた次第です。いうなれば『奥のそば道』と言うか『そばの細道』というか、サラリーマンの昼飯のような点と点よりは点(天)と面(麺)的にご案内いたしたいと思います。 一軒だけ目当てにわざわざお出でになっても、混みすぎて何ともならないなんて言うことがよくあります。いつも言いますがたかがそばなんですから、何時間も都会人みたいに並ぶなんて馬鹿なことしないで、『山形駅前クラブのそばマップ』から2~3軒予備を頭に入れておいてはいかがでしょうか。 好きでお待ちになるのならそれもいいですが、次へ移動しながら山形新発見!と言うのもそば並みに話のタネにはなるようです。 予備がわからなければメールでお尋ね下さい、勿論無責任ですが少しは御案内いたします。


(←前編を読む)