続・山形そば黄門漫遊記

記載する情報は、一部のそば好きの食べ歩きによる個人的感覚の押し付です。嘘も少しはあるでしょうから文句はご勝手に。

奥のそば道・月山越え

2006年06月23日 | 奥のそば道

 山形もなんだかんだと都市の体を備えてきました。 例の代表的な特殊法人がやっている自動車道にしてもどんどん整備されていくようです。 山形から庄内地方へ抜けていく国道112号線、通称”月山道”、古いお方には”六十里越街道”と言った方が通りがいいかもしれませんが、ここも並行して高速自動車道が建設され、一部一般道と共有の自動車専用道路部分はありますが、従来よりかなり早く鶴岡、酒田へ行けるようになりました。そんなおかげで”奥のそば道-月山越え”は味気ないものとなりまして、ならばいっそ庄内で”むぎきり”でも、、、、なぁーんて方が増えてしまったのでありました。 
 ところが、なぁーんと山形から酒田方面へ向かい寒河江ダムを過ぎるて月山湖のはずれ、有料道路が終わり一般道と共有の自動車専用道路と合流するところに行きますと、そばの香りがしてきます。 合流点をUターン、ほんの少し戻ってさらにUターン、大井沢への道に入った所に何年か前から『あの旗』が立っています。 大越そば と看板が出ていますので直ぐにわかると思います。
 ちょっと話がずれますが、寒河江ダムのダム湖を通称”月山湖”と呼びます。 これがややこしい始まりなんですが、”寒河江湖”とは呼ばないのであります。 道を進んで庄内側に行くと近年”月山ダム”が作られました。 地元の人はそのダム湖を”月山湖”と呼びたくなりますというか、これが自然だと思います。 ちょいともめたのは記憶に新しいところです。 どうなったんだけかなぁ。 (寒河江ダム)とか”あさひ月山湖”とかなんとも情けない表示を目にします。 そういえば月山を挟んで内陸側に”朝日町”庄内側に”朝日村”があるのもなんかの因縁でしょうか。
 話を戻します。 この大越そば、湖の絶壁にある感じでとくに春と秋が見事です。冬は何ともならないので2~3ヶ月お休みにしているようですが、太めのわりにやわらかな万人向けのそばを出しますので人気が高いようです。 自動車道で来ると仙台から二時間とかからないものですから、宮城ナンバーが目につきます。そば食って、112m上がる月山湖の大噴水を見て、湯殿山か月山で自然を満喫してお帰りになる方が多いようです。  ところで、ここの店ではおかずに”京にしん”というのがあります。 京にしんについてはこれまでもいろいろ論議がありましたが、決定的な物がありません。 京都出身の方でさえ「そんなもん京都で食べればそうなんじゃない」なんておっしゃる方がいたもんですから、変に納得してそのままでした。 もちろんこのそば屋でも結論なんてとんでもない、美味しかっただけです。 さて、そばを頼んでしばし待っていると、ポツポツとやってくるお客で、一見常連風の人が「今日はイワナある?」とか「イワナないのぉ?」とか聞いているのが聞こえてきます。 はっきりとは聞きませんでしたが、どうも親父か誰かが釣ってくるようで、それをお客に出しているようです。 もし行かれたら、知った振りして「今日はイワナある?」なぁーんて聞いてみたらどうでしょうか。店の人はともかく、周りの人はあの人は《常連さん》なんだと、尊敬の眼差しを感じさせてくれるかもしれません。でも言っておきますがそばとイワナってそんなに相性いいとは思いませんよ、まぁ一杯飲んでからとおっしゃる方は羨ましい限りではありますが、、、、、
 そばが終わったらゆっくり大自然をご見聞ください。 先に申し上げまし湯殿山か月山も結構ですが、ちょいとはずれて大井沢あたりへ行かれてもいいのではと思います。 冬はまさに”死ぬほど”雪が降るところですが、とってもいいところです。 朝日連峰の登山口という以外にはこれと言ったもの、あぁそういえばだいぶ前の話になりますが東京あたりで問題起こした役者が稽古場を作って話題になったことがありましたが、あれは今どうなっているんでしょう。 春はその辺の民宿で山菜三昧、民宿によってはそばを出してくれるところもあると聞いております。 なんかの際には「そばでもぶって、あど鶏でも絞めっでけっか」(そばでも打って、鶏でも処理してごちそうしようか - ただしこの話は昔の話で今はどうだか知りません)なんてことだったのでしょうから腕に覚えのある名人が多いのかもしれません。 秋は紅葉狩りをして、ついでに資料館?だったか寄ってみると煮込みそばがいただけたものでした。 でもキノコが腐るほど入っていたのでガッカリしたのを覚えています。 何度でも言います。 キノコはだめです、絶対だめです、美味しいはずがないのです、あんな物。私は大嫌いです、決して食べません。 やっぱり秋はやめましょう。 好きな人はどうぞご勝手に フン!!!
 まぁいずれにしても奥のそば道は、山形のそばを引き連れて月山を越え、出羽三山そして庄内へ伝わっていったんでしょう。


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