「幸福の科学」観察日記

「幸福の科学」を観察しつつ、心に浮かんだ感想などを綴っています。

殉教について

2012-06-16 | 信仰・神秘・真理

★★『幸福の科学』統合スレッドpart640★★
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1339584234/


25 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/06/13(水) 21:19:39.95 ID:ZhfebERJ
アンチの方々に質問です。江戸時代の隠れ切支丹狩りにおける踏み絵に対しての切支丹の選択をどう思いますか?
命を捨てても踏み絵を踏まなかった切支丹をどう思いますか?

30 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/06/13(水) 21:29:17.14 ID:6yqq0LeG
>>25
幸福実現党の最初の選挙の時、大川は不惜身命と信者を煽ったね
ところが、体調不良に陥った大川は「私が死のうとしているのかもしれません」などと洩らしてあっさり尻尾を巻いた
隠れ切支丹たちは大川とは対極の心の持ち主だったのだろうと思うよ

35 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/06/13(水) 21:37:19.90 ID:uvjOY9J5
>>25

ごめんね。
真面目に答えるよ。
信仰の素晴らしさを言いたいんだろうけど、そうはいかないよ。
当時の政治状況とキリスト教徒である意味合いは
今を生きる自分たちとは違うだろうから簡単に質問は出してほしくないね。
歴史の持つ意味合いもわからず今と昔を簡単に引き合いにして質問していただきたくない。
それなら自分の言葉で質問した方がいいよ。

40 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/06/13(水) 21:44:36.60 ID:ZhfebERJ
>>35
まったく答えてないんですが。

41 名前:潮風[] 投稿日:2012/06/13(水) 21:44:43.44 ID:uMHEqBHq
>>1 スレ立てありがとうございます。

踏み絵?
大川さんの写真なら、躊躇しないけど。
三回ぐらい余計に踏んであげる♪

53 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/06/13(水) 22:06:55.12 ID:IVv661Eh
>>25

殉教者といっても、その中身は、いろいろだと思いますよ。
名誉心による殉教もあれば、
狂信による殉教もあろうし、
純なる信仰による殉教もあるんでしょう。

きれいな心による殉教であれば、尊敬するよ。

58 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/06/13(水) 22:12:03.02 ID:IVv661Eh
>>53

ついでに言うと、

「おれは、踏み絵を踏まなかったぞ。信仰を守り、殉教したぞ」とふんぞり返る人と、

「拷問が怖くて、死ぬのが怖くて、踏み絵を踏んでしまいました。神様、許して
ください。憐れんでください」と泣いて祈る人がいたとしたら、

神様は、前者に背を向けて、後者を抱きしめるんだろなと思います。

68 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/06/13(水) 22:36:38.81 ID:IVv661Eh
>>30
三島由紀夫は、憲法九条の改正をうったえて、腹を切ってるんだよね。

でも、大川隆法さんは不惜身命といいながら、憲法九条の改正をうったえたものの、
体調が悪くなったら、「私が死のうとしているのかもしれません」と撤退しようとした
わけだ。

二人を比べたったしょうがないのだけれども、大川隆法さんは、どんな気持ちで、
「不惜身命」なんて言ったんだろう?
大川隆法さんって、言葉の思いだとか、発言の責任だとか、そういったことは、
全然、考えない人なんだろね。

75 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/06/13(水) 22:49:24.69 ID:IVv661Eh
ポアの話が出てるけど、これって、信仰を語る上では避けて通れない問題なんだよね。

そんなわけで、信者さん、職員さんに質問しますけど、
HSの場合は、神が「殺せ!」と命じたときに、どうすることになってるんですか。

あくまで、もしもの話ですけど、神が「殺せ!」と命じたときには、どうするのでしょうか?

最近の教えだと、地上の法や道徳よりも、大川隆法さんの言葉が優先するというような
教義になってるそうだから、この質問のこたえをきいて、安心したいのですけど・・・。

77 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/06/13(水) 22:56:20.86 ID:scZPij6Z
>>75
殺せとは言わないだろうけど
ファックス攻撃しろだの、デモだの、電話攻撃だのはしてるじゃん

84 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/06/13(水) 23:18:55.87 ID:uvjOY9J5
>>58

遠藤周作の本なんかでは信仰を貫いて死んだ人の話等出ているけど
それはもちろん当時のキリスト教を信じている人の話で、KK信者ではないからね。
信仰を貫けず踏み絵を踏んでしまった人ももちろんいるのです。
この世のしがらみを優先することだってあっていいわけで。
だって生きていくことも大事です。

89 名前:絶対神[] 投稿日:2012/06/13(水) 23:37:11.09 ID:jy+zN02Q
>>25
           「私はアンチではないが」

       『もし「神」がそんなにいいやつなら』

          「殉教などさせる訳がない」
現代の基準から言えば

 『家や財産や命すら捨てさせる宗教ってカルト以外のなんでもないだろう』
無論、現代の基準からすれば、幕府こそが最低のカルトなんだが
昔だから当然、殉教も必要だったのかもしれないが

「殉教というものを何か素晴らしいもののように考える考え方は、ゾッとするね」

103 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/06/13(水) 23:51:01.53 ID:oNXSyzx7
人間を試さなければ見抜けないなんて、なんてアホな神様でしょう。

105 名前:神も仏も名無しさん[age] 投稿日:2012/06/14(木) 00:05:50.70 ID:An1QLmMu
>>103
>人間を試さなければ見抜けないなんて、なんてアホな神様でしょう。

そうだよね、自分の造った物に信頼を置いてない神様になっちゃうもんね。
信者さん達は「試練」って言葉が好きだよね。ちょっと苦しい事があるとすぐに「試練、試練・・」って思いたがる。

でもこれってホントは「私は神に特別に目を掛けられてるんだ・・・」って思いたい深層意識が働いてるんじゃない?

124 名前:ソフィア ◆NeOAuKKDSQ [] 投稿日:2012/06/14(木) 02:48:32.74 ID:2oe1Txzu

信者さんに聞きたいけれど
もし「エルカンターレの仏敵を滅ぼせ これは あなた方の信仰が試されているところの踏絵であーる さぁ仏敵を刺してみよ」と言われたらどうする?
信仰の名のもとにするの?
そうなる前に退会を考えてみてね いまの教団は本当に おかしなことしそうだよ 客観的に見てるひとからはそう見えるよ

126 名前:ナンシー ◆oAl6hmX7x./1 [sage] 投稿日:2012/06/14(木) 02:54:56.99 ID:TN3/Fped
>>124
追い込まれてる感があるんじゃないの?
たかしちゃんが死ぬまで突っ走って、あとは整理宜しくではまた分派出るよ。

157 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/06/14(木) 12:46:10.06 ID:Lk9EhRs6
>>58
それはもちろんそうですよ。

158 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/06/14(木) 12:49:37.27 ID:Lk9EhRs6
>>75
絶対に殺しませんよ。そんなの当然じゃないですか。

204 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/06/14(木) 18:42:48.78 ID:b2mOXAif
>>157
退転したからといって、堕地獄とは限らないみたいですね。

>>158
神の命令よりも、国法・道徳が優先される場合もあると。

なんていうか、HSでは、
信仰の綱を手放したら落ちるのは地面でなく、地獄であるとか、
道徳や国の法律よりも、信仰や真理が優先するとしてるのを思えば、
あまりにもご都合主義的なこたえだね。

352 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/06/15(金) 11:31:31.11 ID:l2t5WnZy
>>58

「大川先生の踏み絵を踏まなかった。信仰を守り、殉教した」となれば、
 あの世の天国に帰還して神様から祝福の光に包まれることでしょう。

 そして、殉教した天国霊は、地上の下界を観ると、「拷問が怖くて、死
 ぬのが怖くて、踏み絵を踏んでしまいました。神様、許してください。

 憐れんでください」と泣いて祈る人が何年も懺悔を繰り返しているので、
 殉教した天国霊は哀れに思い、下界の地上に降り、懺悔している人のと
 ころに寄り添うと温かい光を感じ、懺悔している人から見ると神様に抱
 きしめられていると勘違いをしていた。 

 殉教したシンパの天国霊と懺悔しているアンチの地上の人とは、価値観が
 合わず過去に何回も議論を交わしていた仏の子の仲間だった。

413 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/06/15(金) 19:24:16.42 ID:WUuJIKQw
>>352
なるほどね。

わたしが理解しているHSの心の教えから行けば、

殉教するということは、その人のなかにある自虐的な傾向が、殉教を
引き寄せている可能性があるから、そこのところの反省が必要になろうし、

踏み絵を踏んでしまったからといって、いつまでも後悔してばかりだと、
自己処罰の念が強まり、自虐的になるからよろしくないということに
なりそうに思います。

この頃のHSは、涙の谷だとか、不惜身命だとか説いてるようだから、
殉教者は、神さまに祝福されるという考え方になるのだろうけれども、

傍から見てると、殉教を礼賛、美化するというのは、すんごく危うい
感じがして心配です・・・。

 



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