「幸福の科学」観察日記

「幸福の科学」を観察しつつ、心に浮かんだ感想などを綴っています。

イエスの復活について一緒に考えてもらえますか (1)

2012-02-18 | 教義・法話・霊言

↓ (ここからコピペ)

 
[963] イエスの復活について一緒に考えてもらえますか
From: minamikaze
 皆さん、お久しぶりです。
キリスト教伝道をしていて、聞かれたことがあるので、一緒に考えていただけたら幸いです。伝道中のクリスチャンの友人に、以前渡された本ではこのように書いてあるが、(下に掲載)

「『聖書』には、「十字架にかかって死んだイエスが、三日後に肉体をもって復活し、弟子たちの前に現われ、弟子たちとともに食事をした」というように書いてあります。『聖書』に書いてある以上、これを信ずるのが正統なクリスチャンであって、信じなければ異端というのが本則のはずです。
 しかしながら、今から二千年前、私は霊人として霊天上界からイエスを指導していましたが、当時、私の目に映じた事実は、「イエスの復活は、肉体をもっての復活ではなかった。それは魂としての復活であった」ということです。
 魂としての復活を遂げてこそ、イエスは救世主としての本来の使命を果たすことができたのです。それこそが、人びとを真に救いに到らせる思想であったはずです。肉体をもって生き返らなければ、イエスが救世主であることを証明することができないのならば、それは、キリスト教という宗教が唯物論に敗北したことを意味しています。
 かつての宗教において、肉体をもってしか復活できなかったような聖者はいません。魂をもって復活し、魂をもって霊天上界、高次元世界において多くの人びとを救うのが、救世主の第二段階の仕事であり、イエスの場合もまさしくそのとおりでした。」

 今回渡された不滅の法には、99ページに、イエスは牽引ビームで空中に引き上げられたとあるが、この変節はどういうことか、という質問を受けました。
聖書には、復活後のイエスがいろいろな人のところに現れたことが書かれています。以前の私は、これは霊的に現れたのかなとも思っていたのですが、必ずしもそうではないようです。とあり、その後空中携挙への疑問とか、そうした記述が続き、最後には、だろうと思いますと、推測のような形で終わっています

 友人が問題にしたのは、「しかしながら、今から二千年前、私は霊人として霊天上界からイエスを指導していましたが、当時、私の目に映じた事実は、「イエスの復活は、肉体をもっての復活ではなかった。それは魂としての復活であった」ということです。と、断言していたあの発言は何だったのだ、ということのようです。
 言われてみればそのとおりで、返答に窮してしまいました。最近は、御法話なども、3万、5万、10万、20万と、高額化の傾向があり、なかなか拝聴できず、自分が勉強不足なのは認めるとしても、ここは皆さんの知恵を拝借できればと思い、書いてみました。よろしくお願いします。
 
[968] Re:イエスの復活について一緒に考えてもらえますか
From: eaon
minamikazeさん

私個人は素直に「方便でした」と考えています。
宇宙人も牽引ビームも最初は明らかに出来なかったので、魂の復活だということにしたと。
そう語ったのは昔の霊言集のイエスご自身でもありますから、イエス様の自己申告をそのまま採用したんですね。
イエス様が一般的定説を訂正せずに踏襲したということになります。

全世界のクリスチャンに対するお気遣いでしょうか

私にも疑問がありまして、ベガ星人に体を直してもらったということは、その後のイエスの人生があったはずで、一体どこでなにをしていたのか?ってところです。

疑問は実は切りがなくありまして、例えば十字架に架けられることは想定内だとすると、ユダの裏切りも想定内、ということはユダの存在は因縁上の役割だったということ?

分からないことがまだまだありますねえ(苦笑)

[970] Re:Re:イエスの復活について一緒に考えてもらえますか
From: enzo
イエスの復活は、以前こちらでも話題になりましたね。
扉を開けずに部屋に入ったとの話だし、自分は今でも、復活は肉体に近い霊体、幽体でのものだったと考えています。
オフェリアス神は肉体だったはずですよね。

[971] Re:イエスの復活について一緒に考えてもらえますか
From:  ueyonabaru
minamikazeさんへ

>  皆さん、お久しぶりです。

 お久しぶりです。元気で頑張っておられるようで、誠に結構なことです。

 疑問のところ、前にも出てきたものですね。


> 「『聖書』には、「十字架にかかって死んだイエスが、三日後に肉体をもって復活し、弟子たちの前に現われ、弟子たちとともに食事をした」というように書いてあります。『聖書』に書いてある以上、これを信ずるのが正統なクリスチャンであって、信じなければ異端というのが本則のはずです。
>  しかしながら、今から二千年前、私は霊人として霊天上界からイエスを指導していましたが、当時、私の目に映じた事実は、「イエスの復活は、肉体をもっての復活ではなかった。それは魂としての復活であった」ということです。
>  魂としての復活を遂げてこそ、イエスは救世主としての本来の使命を果たすことができたのです。それこそが、人びとを真に救いに到らせる思想であったはずです。肉体をもって生き返らなければ、イエスが救世主であることを証明することができないのならば、それは、キリスト教という宗教が唯物論に敗北したことを意味しています。
>  かつての宗教において、肉体をもってしか復活できなかったような聖者はいません。魂をもって復活し、魂をもって霊天上界、高次元世界において多くの人びとを救うのが、救世主の第二段階の仕事であり、イエスの場合もまさしくそのとおりでした。」


 先生の上のご発言は後に修正されるわけですが、その主旨は変わらないと思えるんですよ。人間は霊であるという真実は不変です。

 

>  今回渡された不滅の法には、99ページに、イエスは牽引ビームで空中に引き上げられたとあるが、この変節はどういうことか、という質問を受けました。
> 「聖書には、復活後のイエスがいろいろな人のところに現れたことが書かれています。以前の私は、これは霊的に現れたのかなとも思っていたのですが、必ずしもそうではないようです。」とあり、その後空中携挙への疑問とか、そうした記述が続き、最後には、だろうと思いますと、推測のような形で終わっています。

 たしかに変節というか修正と言うか、変わりました。宇宙人の牽引ビ-ムということですね。先生も宇宙人リ-ディングで新たに分かったことなんでしょう。これは先生が、全てをあらかじめ理解しているという見方を改めねばなりませんよね。先生も学んでいくんでしょう と考えてみたいものです。ですが、先の先生の思想が根本的に変わるというものではないと言えますね。

 このような友人氏の疑問は悪意のあるものではなく当然なんでしょう。当然の疑問に対して色々と弁解を考えても解決はないのかもしれません。

 eaonさんenzoさんのご説明は興味深いものでした。

 キリスト教では、復活というのが一番に重要なことのようですから、宇宙人ビ-ムで肉体の復活をしてその後のキリスト教の拡大を
天上界あげて計ったということでしょうか? その後のイエスはやはり死んだのでしょうから、イエスの本質はは霊であり、肉体ではやはりなかったことになります。

 


最近は、御法話なども、3万、5万、10万、20万と、高額化の傾向があり、なかなか拝聴できず、自分が勉強不足なのは認めるとしても、ここは皆さんの知恵を拝借できればと思い、書いてみました。よろしくお願いします。

 お布施は高くなりました。発行された本を繰り返し読み、勉強するしかありません。必要なものはすでに与えられているはずです。

[972] Re:Re:イエスの復活について一緒に考えてもらえますか
From: minamikaze
eaonさん、

 なるほど、方便ですか。方便が多い宗教なので、今更驚くにはあたらないのでしょうが、クリスチャンには、なかなか通じないことを実感しています。実は、僕も、簡単には納得できません。

 「疑問は実は切りがなくありまして」と、eaonさんが仰るように、疑問は、腰をすえて向かい合えば、30ぐらいは簡単に出てきますよね。なるべく、考えないようにはしているのですが、考えると、苦しくなります。
 また、何かお気づきのことがあったら、教えてください。

[973] Re:Re:Re:イエスの復活について一緒に考えてもらえますか
From: minamikaze
enzoさん、

 コメントありがとうございます。「肉体に近い霊体、幽体でのものだったと」、そういうこともあるかもしれませんね。最近は、霊言を聞いていても、理解不能のことが多く、原田真二と同じ年齢の僕としては、つまりアナログ人間(Modern Vison)としては、混乱することもしばしばです。

[974] Re:Re:イエスの復活について一緒に考えてもらえますか
From: minamikaze
ueyonabaruさん、おひさしぶりです。

当時、私の目に映じた事実は、「イエスの復活は、肉体をもっての復活ではなかった。それは魂としての復活であった」ということです。

僕はこれを横浜アリーナで、生で聴いて感動したものですから、とても方便だとは思えず、なぜなら、イエスが死ぬときのことですから、愛の神、エル・カンターレとして、そして、イエスにとっての、天の父として、この昇天はつぶさに見ていると思うのです。だから、僕は、横浜アリーナでの、「信仰告白の時代」は、とても感動したのですね。
天の父として見ていたのは、総裁先生自身ですから、そのときの一部始終はすべて把握していなければおかしいのではないかというのが、僕の理性がどうしても訴えているところなのですね。

[975] Re:Re:Re:イエスの復活について一緒に考えてもらえますか
From:  ueyonabaru
 minamikazeさんへ


> 当時、私の目に映じた事実は、「イエスの復活は、肉体をもっての復活ではなかった。それは魂としての復活であった」ということです。
>
> 僕はこれを横浜アリーナで、生で聴いて感動したものですから、とても方便だとは思えず、なぜなら、イエスが死ぬときのことですから、愛の神、エル・カンターレとして、そして、イエスにとっての、天の父として、この昇天はつぶさに見ていると思うのです。だから、僕は、横浜アリーナでの、「信仰告白の時代」は、とても感動したのですね。
> 天の父として見ていたのは、総裁先生自身ですから、そのときの一部始終はすべて把握していなければおかしいのではないかというのが、僕の理性がどうしても訴えているところなのですね。

 お気持ちよく分かります。総裁先生のそのようなご説明は、谷口雅春師も同様なご説明でしたので、唯物論的でない宗教家はそれが共通する良識的判断だったと思えますね。

 それを肉体としての復活であったとしても、その後のイエスのご生活が表現されていかないので、特殊な一時的な復活であったのかもしれません。

 そのことについて、先生はお知りにならなかったと考えても良いのではないでしょうか? しかし、それで先生を否定するのも早計だと思うんです。先生の修正は率直な態度のように受け取りました。

 今後とも宇宙人論が説かれるようですので、ユックリまいりましょう。私は、宇宙人論は苦手なんです。先生がおっしゃることですので、学んでいこうということなんです。どこにも右顧左眄することのない先生ですので、どこまで行くのか見守ってゆきたいものです。
 
 すでに仏教論で高みにあるお方が、さらに宇宙人論というわけの分からない領域に踏み込んでいくのは止して欲しいという気持ちもありましたが、いまはただついていくのみですね。霊言も方法論としておかしいという気持ちがありましたが、いまやこれが当たり前になっておりますね。

 私がいま確かなものとしているのは、正心法語の読誦と四正道の実践です。守護霊の導きが感じられるようであれば立派な信仰者だと思っております。

[976] Re:Re:Re:イエスの復活について一緒に考えてもらえますか
From: eaon
minamikazeさん

元クリスチャンだからなのかなんなのか、方便に違和感ってなくて(笑)

ガーシュインのオペラ ポギーとベスの中の曲 It ain't necessarily so は麻薬の売人スポーティング・ライフが歌う歌です。


必ずしもそうじゃないぜ。
お前らが聖書を読んで知ったことも、
必ずしもそうじゃないんだぜ。

ガキのダビデはチビだったけどよぉ、なんてこった!
ヤツはでかいゴリアトを相手に戦ってぶっ倒したそうじゃねぇか、
ガキのダビデはホントにチビだったんだぜ、そんなのアリかよ!

(スキャット:特に意味のない言葉を羅列した歌詞)
ヴァドゥー! ズィン バン ブゥドゥルゥー!
フードゥルゥ アァ ダァ ワ ダァ!
スキャッティ ワァ イェー!

そうだ、ヨナは鯨の中に住んでたそうじゃねぇか。
テメエで鯨の腹の中に家を建てたそうじゃねぇか。
おぉおぉ、ヨナは鯨の中に住んでたってか!

赤ん坊のモーセは川の中で見つかったんだよな。
ヤツは籠に乗せられてファラオの娘のところまで流れてきてさぁ、彼女が釣ったんだろ、「モーセ(引き上げた)」って言ってよ!

(スキャット)

必ずしもそうじゃないんだぜ。
お前らが悪いヤツだって言ってる悪魔にしたって、
必ずしも悪いヤツとは言えないんだぜ!

天国に行きたきゃ、サイコロ賭博なんかやるなよ!
清く生きよ! 過ちを犯すな!
俺様を見ろよ、そりゃいつでも出来る限り教えは守るぜ!
・・・と言ってもまぁ、テキトーにだけどよ。

メトシェラは900年生きたそうじゃねえか。
でもどんな女にも相手にされなかったヤツが900年生きてたところで何になるってんだ?

とにかく、俺様がお前らに説教してぇのはな、
物事ってぇのは、いっつも、必ずしも、
そうじゃねぇってことなんだよ!

文と邦訳: 岩田倫和

後世の人々がご都合主義で事実を曲げてしまったり、隠蔽し消し去ってしまったり、大げさに誇張したり・・それが宗教史や神話の世界ですからね。

長年信じられてきたストーリーを、どのように修正し、改定し、そして新たな法を解くか、これがエル・カンターレのお役割なのかもしれませんね。
 
[977] Re:Re:Re:Re:イエスの復活について一緒に考えてもらえますか
From: minamikaze
ueyonabaruさん

どの御法話かは忘れましたが、イエスが血の汗を流しながら、祈っているときに、先生は、沈黙を持って見守るしかなかったという話がありました。
 つまり、先生は、その場に立ち会っていたわけです。考えてもみてください。天の父よと言って血の汗を流しているわが子を、無視できる親があるでしょうか。ueyonabaruさんが、自分の子が、自分に対して祈っているときに、無視できますか。注視するでしょう。それが親というものでしょう。別に、先生に文句を言っているのではありませんよ。僕も命がけで、クリスチャン伝道をしているのです。
 だからこそ、僕は横浜アリーナでの講演会は、感動したのです。ところが、不滅の法では、あのような発言です。これは、疑とは違うと思います。素朴な疑問です。この素朴な疑問は無視できる疑問ではありえません。
 どうか、真剣に一緒に考えてくれませんか。信仰がぐらついているのですから


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(ネタ元) 
幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい
http://www.c-player.com/ac86119/thread/1100108492852



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