もう今日は週末です。夏季休暇も終わりこの1週間、仕事場は自宅のままで休暇中とあまり環境は変わらないのですが、まあ様々ストレスを受けました。以前に美輪明宏氏は「仕事の給料とは我慢料」という言葉を言ってましたが、確かに給料とは我慢料なのかもしれません。ただ我慢料とは言っても、この新型コロナウィルス渦の中でも、仕事がある事に感謝しながら、頑張りたいと思います。
さて、れいわ新選組で何があったか私は解りませんが、沖縄県創価学会壮年部の肩書で、山本太郎氏の下で活動していた野原善正氏が独自に活動する事をツィター上で宣言。ただしこの行動が物議を醸しだしています。
「やっている事がずれています、お金集めが先ですか?」
「政策がわからないので、寄付しかねます」
「政策もなし、実働もなしで寄付のお願いとは呆れます」
確かに批判だけではなく、応援するメッセージもありますが、批判の方が多くあるように私には見えます。
私の知人でも地方議会で政治に関わりたいと、以前に政治活動をしていた人がいました。それこそ無一文から始めていましたが、3年間近く、雨の日も風の日も朝いちばんに駅頭に立って、自分自身が考える政治について、また政策について訴え続けていました。また国政に携わっていた人とも連携を取りながら、とにかく自腹での活動を三年間続けていたのです。
まあ結果は落選でしたが、私はこの知人の姿に政治に議員として参加する事の難しさ、また地方政治とは言っても、どの様に利権と絡んでいるのかについて、実際にこの知人から教えてもらった気がします。
そこから考えると、野原氏の今回の行動は、あまりに浅薄であると思うのです。
では何故、野原氏はこの様に浅薄に見えるのか。実はここに野原氏をはじめ、公明党の議員にも見え隠れする実像を、私は見てしまうのです。
公明党の議員になるのは、私が過去の経験で見る処、大きく2つのパターンに分類できます。
一つは創価学会の地域の組織で幹部をしていた人が、地方議会の議員として立候補して活動するというパターン。この場合には、青年部で区・圏幹部以上の幹部をやっていて、それなりに地べたを回る事を知っている人達が議員として創価学会から指名され立候補、当選して議員になります。
もう一つは創価大学や有名大学を卒業し、弁護士(多くは創価学会系の弁護士事務所)や霞が関の官僚、また有名処の大企業のエリート社員をしていた人物で、同じく創価学会から指名され立候補、当選して議員になる人。こちらは主に国会議員になりますが、実際に創価学会の地域の組織の活動はしていなかったり、片手間にやっている人が大半で、あまり地べたを回った経験もなく、組織活動の経験はしていません。
ちなみにこの2つが絶対的な原則ではなく、中には例外もいますが、近年の公明党国会議員というのは、どうも組織活動をしていない人達がなるケースが大半の様に思えます。
公明党の山口代表は「3000人の連帯」とか言っているのは、近年ではこの2つの議員、創価学会の元地域幹部の地方議会の議員と、地域をしらない弁護士やエリート官僚やエリート社員からなる国会議員の連帯というのが実態です。
この2つのパターンですが、共に共通している事があります。それは「政治家を元々志している人はいない」という事です。ともに創価学会という宗教団体から「君は〇〇から立候補ね」と指名され、宗教的な使命感、また人間関係のつながりもあって、そこから政治家に転身するというパターンです。だから政治家に対する思いとか、情熱(この情熱というのも良し悪し様々ありますが、とりあえず情熱としておきます)は、他党の政治家よりも低いレベルからスタートしているという事です。
元々、政治なんて表面的にしか舐めていないレベルの人が、地方議会の議員になったり国会議員になる訳ですから、そういう事も当然ある事でしょう。
他党の場合、例えば若い時代から社会活動に関わったり、議員秘書として親や先輩・師匠と思う人の背中を見ていたり、それこそ青年期から政治という事を良くも悪くも視野に入れて活動し、その先で政治家になっていますが、公明党の場合、根底にあるのは創価学会に対する「忠誠心」だけしかありません。これでは政治家としてのレベルを求められ訳は無い事も、頷けたりします。
そしてこの事は、一般的な創価学会の会員の政治的な感覚も同様です。野原氏も同じ土壌から政治に関与し始めました。
野原氏が出てきたのは、沖縄県知事選挙で「辺野古基地建設反対」という事で、当時の公明党の政策に対して反対を表明し、デニー玉城氏を応援、その県知事選挙で創価学会の三色旗を振り回しながら、「池田先生のおっしゃる内容とは公明党は異なる!」「公明党はけしからん!」という様な事を主張していました。
そしてその後、れいわ新選組の東京選挙区に山口公明党代表の対立候補として参議院選挙に立候補、信濃町の創価学会本部の前で演説するなど、一貫して創価学会が二十数年前に主張していた事を連呼していました。しかし結果は落選。
私は思うのですが、例えば辺野古基地の問題に関して、その根本的な問題点を考えると、日迷安保条約や日米合同委員会。そして歴史的には太平洋戦争の敗戦とGHQの統治の問題といった歴史的な問題にも絡んでいる事は、容易に理解できる事であり、そういった歴史的背景を元に、現在の日本の政治に切り込む論調があってもしかるべきであったと思いますが、野原氏が語るのは、ただ「池田先生を思い出せ!」「仏法とは違う!」という事しか主張していませんでした。
これでは政治もそうですが、歴史にも不勉強と言わざるを得ません。でも何故、野原氏がその様な行動をとったのか。そこには先にも上げた公明党の議員の持っている問題と同質な事があると思うのです。
要は政治に関して無関心で来てしまったままで、今の立場になってしまったという事。
確かに創価学会では時事問題について「政治学習会」なんかを開催して、選挙の度に会員は勉強したつもりになっていますが、そもそも政治という事を理解していません。そして野原氏もその姿勢のままで、ここまで来てしまったのでしょう。
もう少し歴史的な事や、政治的な事。また当然、経済的な事や国際問題について学び、思索してから自身の政策を訴えて活動し、そこから政治家を目指せば良いんですけどね。どうもそこが出来ていない様に思えます。
そんな事で国会議員になるとは、認識があまりに甘すぎるのではありませんか?