今日も1200人超えの新型コロナウィルスの感染者が全国で出ました。
4月末に安倍政権は、ウイルス感染で緊急事態宣言を出しましたが、現在の状況は4月末を超える感染拡大状況となっている様に見えます。しかし当の安倍政権は、何ら動きをする事もなく、安倍総理は何やら自身の夏季休暇の過ごし方を考えていたり、また仲間内を集め何やら来年に向けて「新たな社会像を議論」しているそうです。
一体、今の政権は何を考えているのか、よく解りません。
国の指導者がこの様な状況で、この先、日本はどの様になって行くのでしょうか。
さて、今日の記事はそんな事を書くつもりではありません。本題に移ります。
ネットの中では、創価学会に関する様々な議論が溢れかえっていますが、俯瞰してみれば、これは創価学会に限った事ではなく、様々な宗教団体でも同様な動きはある様です。
私自身、過去に創価学会に関係している事から、その目線で書かせてもらうと、今現在でも創価学会を信じて活動に励む人もいれば、私の様に創価学会に疑念を持ち、離れ、批判に転ずる人もいます。そしてこの両者は事あるたびに「自分達の方が正しい」という事で議論をするのは解りますが、互いにマウントポジションを取る為に、教義以上に相手の人格攻撃を行ったりする場合が多くあります。
この気持ちは解りますが、本来議論するのであれば、最低限のモラルというのは必要だと思うのです。議論をするのであれば、互いに「自分こそ正しい」という事を示したいという願望が出てくる事から、こういった行為に走ってしまうのでしょうが、互いに感情的になり人格攻撃をする行為は頂けません。
ネット等で議論する場合には、「文字」でやり取りをするのですから、やはり最低限の礼儀としての文字表現や書き方だけは、心がけてほしいものだと思います。
でも今日書いておきたいのは、そういった事ではなく、そもそも宗教とは何故必要なのでしょうか。本来であれば「よりよき人生を送るため」という事が目的だったのではないのでしょうか。
けして自分が優位に立ちたいとか、自分の行いがその宗教に所属する事によって全肯定されるという裏付けとして、宗教というものがあるとは思いません。
また宗教を離れた人が、以前にいた宗教を実践する人を全否定する事で、過去の自分の行いが正当化されるという事も無いのです。
重要な事は、宗教により自分自身の「信仰」という事に気付く事だと私は思います。ここでいう信仰とは、何かを信じるとか、何かに帰依するという事ではなく、最終的には自分自身を信じて、この人生を生きていく心の基盤を得る事とでもいうものかと、私は思っています。
そして「信仰」という事に気付いたのであれば、その信仰の元となる自身の考え方や、物事の捉え方、それらが日常の自分の生き方に、どの様に反映されているのか、それが自分の人生にとって有意義なものなのか、違うのか。その様な事に対して自分自身の批判の視点を持っていく事が大事であって、その批判の視点を自分以外の他者に向けてそれを行い、自分を高みにある様に見せる事ではないと思うのです。また無暗に自分を宗教組織に隷属するものでもありません。
でもそういった人達を、結構見かけたりするんですよね。
要は偉そうなことを他者にぶつける前に、その自分の考えている信仰に基づく信念や考え方が、自分自身の生活の上で良いモノとなっているのか、また他者に対しても良き影響を与えているのか、常に気を付けるべきはそこであると思うのです。
こと宗教団体に対しては批判して良いと思いますし、その宗教で飯食らう人間に対しては、厳しき視点と論点をぶつけるのは構わないでしょう。何故なら、宗教とはそうして磨かれていくものであり、その宗教を信じる人は、そういった厳しき論点に対して向き合う事で、より自分達の信じることに理解が深まるとも思うからです。
ただし、一般的に宗教に取り組む人、信仰をする人といった個人に対しては、基本的な礼節は弁えられるべきであり、その上で議論をするなら、進めるべきだと思うんですけど、どうでしょうか。
ここに書いている事は、自分への自戒(いましめ)を含めて書いています。
しかし最近ネット(特にツイッター上)では、こういった基本的な礼節に不備な人が多くいる様に思えてなりません。これはとても残念な事です。また文字や文書についても不躾な人も多くいます。
ツイッターという場合には、やはり140文字という制限がある事から、文字を端折って書く癖がつきやすく、そういった傾向も強くなるように思えます。でも「文字」という、ある意味で機能を限定された媒体でやり取りする場なので、本来であれば特に気を付けるべき事だと思うのですが、特に宗教がらみになると、人間というのは難しい関係になってしまうんですよね。
人類の歴史を見れば、人間とは宗教の美名のもとに多くの残虐な歴史を刻んできましたので、ネット上でもそういった傾向が強くでてしまうのかもしれませんが、ちょっとは心に留め置いてほしいものですね。