今日の朝刊の週プレの広告から切り抜きました。素晴らしすぎたんで、、。
「竜ちゃんサイコー!!」(JUDOサイコー!口調)
今日は====
友人からの「新宿のタワレコで夜ストのライブがある」 というメールをみたのが六時十分 。
駅まで自転車とばし総武線 ===新宿のタワレコについたのが七時ちょうどだったのだ。
タワレコ店内ののど真ん中===
まるでデパートのど真ん中の明かりの中~~~
ミウラさんは歌うのだった「トラボ~ボ~」
時間はサンジュップン== しかし かっこいいのだった===
八時からクロマニヨンズ
十チャンネルのテレビでね(ミュージックステーション)
そんで友人宅でヨッバラッテ 都営新宿線なのだ。
栃木まであと一日
そんなかんじなのだった。
押忍!
時間が空いたんでブログの更新です。
====
前にブログで「人間は、その人間が持つ多くの荷物(生活用品)を抱えて生きている、ナカナカ身軽になれない、、」
とかいたけど、、
「この感じ」
重い荷物は、生活用品という物質的なものだけじゃない。
人間社会のシステム。
この「ゲーム」の中で生きなきゃいけない、、という「この感じ」だ。
「株が暴落なんて知るか~!」「経済のスパイラルなんてカンケーねえ!!」
、,といきたいところだが、ナカナカ難しい。
このゲーム(資本主義?)のルールの中のプレイヤーとして生きなきゃいけない、、、、という義務感、
そんな重りが乗っているという、、大きい貝がのっかっているという、、、「ヤドカリ感」。
====
やっぱり、、、そんな「ゲーム」、、、、勘違いかもしれない!
人間この世に生まれた限り自由なんだよ!
人間生きてる限り「野生」なんだよ!!
生きてる限り何処でもいけるし、なんにでもなれるんだよオオ~!
、、、なんてね~。~~~
=====
いや、やっぱりこのゲームは勘違いじゃないかもしれない、、
この前、部屋が狭くなってきたんで大量の荷物を処分した。
こうやって荷物を整理するたびに、つくづくこう思う…
「人間はヤドカリだ。」でっかい貝をかついで生きている。
背中の貝は大量の荷物だ。
どうしても捨てられない大事ものから、生活の日常品、どうでもいいけどなぜかあるもの
シャツ、靴下、、、、タバコの穴が開いたトレーナー、、
鍋、フライパン、パスタつかみ、、
布団、枕、タオル、、
20年前の週刊ゴングのバックナンバー、、、、宮沢りえの「サンタフェ」、、、
中学時代に録音したストーンズのカセットテープ、、
この前友達の引っ越しの時は、ヤツに大量のレコードを運ばされた。
「これには大事な思い出があるから、捨てられない」
そういう風に感じられる人はココロが豊かな人だと思う。本当に、、。
でも「思い出」も脳の一部を使う、機能のひとつかもしれないな。
やっぱりモノはモノでしかない。
<<<
特に持ち主が死んだ後、残されたモノになんの意味もない。
こないだ親族が死んだ時に痔の軟膏薬60箱でてきた。ずっと前に手術して痔は直って必要なくなったんだと…
「つーか!痔の軟膏、まとめ買いかよ?それにしてもおおくねえか?(泣)」
、、、、、
、、 easternyouthの歌は「あー馬鹿でかい暮らしの怒鳴り声え~、売り払えばもの悲しくも安らぐ命いい~ー」だっけ?
、、、
本で読んだけど、ある作家はホテル暮らしをしていて、ほとんど荷物を持たない、余分な服は持たない、靴ははいてる1足だけ、はきふるしたら捨ててかいかえる。だからすべての荷物は片手でもてるほどしかない…そんな話だった。
そんな生活スタイルできたらある意味気持ちいいだろう。死んだ後も後片付けが簡単だ。
まあなんつーか、
イロイロいってきたけど
要するに
荷物整理するときに
「これ捨てようかなあ…とっておこうかなあ…でも部屋が片付かないし…やっぱり捨てた後後悔したりして…」なんてウダウダ考えて、ウダウダ時間ばっかたってしまう。
「そんなコトでウダウダするなら全部すてちまえばいいじゃねーか!アホが!俺!」ってこと。
捨てて後悔する時がきたとしてもどうせ死ぬんだぞ!俺!
そう言い聞かせて、こんど週刊ゴング(天龍革命、UWF親日業務提携時代)を捨てよう…。。