新古今和歌集の部屋

都名所図会 島原 蔵書



嶋原

 出口にて
 
けいせい
    の
 賢なるは
 此柳
   哉
 
   其角
 
 
 
 
 
 
 
嶋原傾城町は朱雀野にあり。此所上古は鴻臚館の地なり。中頃は観喜壽院
 の封境にして西口の畠の字を堂の口といふ。又傾城郭は万里小路(今の柳馬場なり)
 二條の南方三町なり。其先は東山殿(義政公))遊宴の地なり。天正十七年原三郎
 左衞門林又一郎といふ浪人上訴によつて傾城町を免許せられ一の郭をひらき
 しんり。地名を新屋敷と號し又柳の雙樹あれば柳町とも称ず。(今の出口の柳は此遺
 風也)其より十三年を歴て慶長七年に六條へうつされ今の室町新町西洞院
 五條橋通の南にて方弐町の郭の中に小路三通ありしにより三筋町と號す。

 
(六條通〔今の魚棚なり〕西洞院川にかくる石橋は傾城町の入口にして此時かけ初し也。今にり又室
 町五条の南西側醞匠の居宅異風なり。此時の忘八にして今存せり。)
 又寛永十八年に今の朱雀野へ移さる嶋原と號ることは其頃肥前の
 嶋原に天草四郎といふとの一揆を起し動乱に及ぶ時此里もこゝに
 うつされ騒しかりければ世の人嶋原と異名つけしより遂に此所の名とせり。






 

 
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