こん○○わ あ~るでございます
黒部第4ダム観光記 その4です
もともと黒部ダムは、太平洋戦争のあとの復興の遅れから
電力不足の関西への電力供給を行なう為に関西電力が計画した物だそうです
当時の関西は電力不足の為工場などが休電日を設けたり、夕方になると
停電になったりしていたそうです
しかし、これほどの秘境の地にこれほどのダムを建設するのは並大抵のことではなかったでしょう
当時、「黒部にケガは無い」と言われていたそうです。
黒部峡谷を行く人は、落ちれば確実に死ぬという事みたいです
そんな中、多くの人が黒部峡谷を踏破しこの地にやって来たのですね
近くで見るとこんな感じなんですが、これはダム建設時に仮設設備を作った基礎の跡です
両岸に同じ様なものが建設されているのですが、ここにケーブルクレーンや
セメントサイロ、バッチャープラントを作っていたようです
ちなみにバッチャープラントとは、コンクリートを練る工場のことです
そして、見学通路の途中にこんな物が展示されていました
ダム建設時に使っていたコンクリートバケットです
なんと9m3バケットです 大型生コン車1.5台分の容量です
高さ3.63m、幅2.43m、長さ3.25mもある大型バケットなんです
あ~るが以前いたダム現場では3m3バケットを使っていましたので、
単純に3倍の量です このでかさには驚きましたねぇ~
ちなみに写真の比較モデルはも~りでございます
そして、このバケットをこれで吊りました
コンクリートバケット用の吊り上げフックです これもまたデカイんですわ
そしてケーブルクレーンの主索のワイヤーがこれです
あ~るの顔の大きさと比べると太さが一段とわかりますね~
このような機材を使って、昼夜を通してコンクリート打設を行なっていたのですね
最高打設日には1日960回もコンクリートを運搬したそうです
新展望台広場とダム堰提上に「ふぉっとダム」と言う無人カメラの操作盤があり、
その場所で写真を撮ってもらうことが出来るのでお勧めです
そしてダム右岸にはこの慰霊碑があります。
彫塑家の松田尚之氏による「六体の人物像」です。
7年間のダム建設で命を落とした171名の名前が刻まれた殉職者慰霊碑です。
慰霊碑には「尊きみはしらに捧ぐ」と刻まれていました。
今の工事現場では信じられないくらいの人が亡くなっていたのに驚きました。
それだけに過酷な工事だったということが身にしみて分かります。
実際に、黒部ダムでお土産に買ったプロジェクトXの黒部ダムのDVDを
帰ってから見たのですが、本当に大変だったんだなぁと改めて思いました。
伊勢湾台風で宿舎が流されたり、工期を短縮する為に大発破を行なったり
本当に苦難の日々だったのでしょう。
それだけに完成したときの喜びは計り知れなかったと思います
あ~るもダム現場にいた時は、何日も徹夜してボロボロになって
やっと完成したときは嬉しくて泣いてたもんです
これから黒部ダムに行く方は、プロジェクトXのDVD見てから行くとさらに
黒部ダムが面白くなりますよ
あわせて、マンガ版のプロジェクトXも読むと、さらに深く黒部ダムが分かるのでお勧めです
今度はあ~るの父親が「死ぬまでにはオレも一度見に行きたい」と言っていたので、
へ、
来年当たりにまた来ようかなって思ってます
さて、次回から立山黒部アルペンルートの話題に行ってみようと思います
果たして何回書けば黒部観光記は終わるのでしょうか
それは書いてるあ~るにも良くワカリマセンです
まぁ、気長に書いていこうと思いますのでヨロシクお付き合いくださいませ
それでは今回はこの辺で
おヒマならまた見てよね
あと、幸塊大橋~葛西までは、35kmあるらしいよ。
往復すると1日掛かりになりますね。
やはり、行きは水上バス、帰りはチャリが良いんじゃない??
行きの水上バスで酔ったらアウトだけど..