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パンの仏道日記

仏道の思いを自由気ままに、勝手に記す。
時事問題を考える。市民運動を推進する。

女神チャームンダー

2009-12-08 12:09:04 | 宗教

インド人の苦しみを全て表すヒンドゥー教の女神チャームンダー (2005/01/22 National Museum, Delhi, INDIA)
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Chamunda.jpgより。

チャームンダー Camunda インド
 七母神の一。ヤマの妃とされる。痩せて骨ばかりの体で歯を剥き出し、舌を長く伸ばし、髪を逆立てている。墓場などの不浄な場所に住み、梟に乗る。不気味な笑い声を立てて魔神たちの闘争心を恐怖に変えてしまう。
 又、人々の苦痛を引き受けるとされる。
http://i-otter.hp.infoseek.co.jp/kami/k_bti.html

今日、仏教学者・森雅秀さんのHPを見つけた。チャームンダーについて説明されている。以下に引用する。
 カーリーとよく似た神にチャームンダーという女神もいます(図18)。ふたりの神は同一であると考える人々もいます。チャームンダーも恐ろしい神で、天然痘の神であるとも言われています。その姿はやはり痩せこけた骨と皮だけで、顔は骸骨のようで、乳房もひからびています。蠍とともに描かれることもありますが、蠍も天然痘と関係のある動物で、死と結びついています。
 カーリーもチャームンダーもどちらも女神です。しかも母神、母なる神と呼ばれています。これはわれわれが持っている女神とか母なる神というものとはかけ離れた存在です。われわれが女神や母に求めるイメージは、美や豊穣、包容力、生命力などです。しかし、ここに描かれた女神の姿はその正反対です。死をもたらすものであり、その姿は血や髑髏、死体などで飾られたいわば死のイメージのオンパレードなのですが、このような神がインドにおいては中世以降、絶大の信仰を集めました。
森雅秀のHP「インドの宗教にみられる生死観(2)インドの宗教にみる死のイメージ」 http://web.kanazawa-u.ac.jp/~hikaku/mori/misc/lectures/%90%B6%96%BD%97ϗ%9D2.htmlより。

遠藤周作著『深い河』には、チャームンダーが登場しているようだ。それは遠藤文学の到達した〈救いの世界〉を描いているようだ。
以下、引用する。
最後の純文学書下ろし作品『深い河』は、インドへの数回の取材旅行の後に完成した。
 小説中にはヒンズー教の女神・チャームンダーの像が出てくるが、これは「印度人の苦しみのすべて」を表す像である。
 長いあいだ人々が苦しんできた病気のすべてにチャームンダーはかかり、さらにコブラやサソリの毒にも耐えている。それなのにこの女神は、「喘ぎながら、萎びた乳房で乳を人間に与えている」のである。
 清純でも優雅でもなく、美しい衣装もまとってはいない女神。むしろ、醜く、老いて、苦しみに喘ぐ女神像・・・この姿のなかに読者は、ヨーロッパの聖母マリアとは違った、〈苦しみの母なる女神〉を見る。遠藤文学の到達した〈救いの世界〉を知る。
 『深い河』は、作者が最後の闘病生活に入る直前に脱稿した。そこには、人間の生と死を包みこむ〈大いなる命としての母〉が描かれた。
「母なる神を求めて 遠藤周作の世界展」展覧会構成 5.到達の地~救いの世界~ http://www.shibunkaku.co.jp/artm/shusaku/kousei.html より。

「・・・・チャームンダーは墓場に住んでいます。 だから彼女の足もとには鳥についば啄まれたり、ジャッカルに食べられている人間の死体があるでしょ。・・・彼女の乳房はもう老婆のようにしな萎びています。 でもその萎びた乳房から乳を出して、並んでいる子供たちに与えています。 彼女の右足はハンセン氏病のため、ただれているのがわかりますか。 腹部も飢えでへこみにへこみ、しかもそこにはさそり蠍が噛みついているでしょう。 彼女はそんな病苦や痛みに耐えながらも、萎びた乳房から人間に乳を与えているんです。」遠藤周作著『深い河』
http://www.geocities.jp/princegifu/indotetu8.htmより。

チャームンダーは、墓場に住む、死の神であるヤマの妃。恐ろしい神で、天然痘の神。カーリーのように、骸骨を身にまとい、手には剣を持ち、襲い掛からん勢い。また、その姿は痩せこけた骨と皮だけで、顔は骸骨のようで、乳房もひからびている。右足は伝染病のため、ただれていて、 腹部も飢えでへこみにへこみ、しかもそこにはさそり蠍が噛みついている。
さまざまな病苦や飢え、蠍などの毒の痛みの姿。それはまた、それに苦しむ人々の苦痛をともに苦しみ、あるいは、それを代わって引き受けているかのようである。

大乗に、代受苦ということばがある。
『ウィキペディア(Wikipedia)』 には、代受苦(獄苦代受)について、以下のようにある。
「獄苦代受(ごっくだいじゅ、Skt:Duhkhaudvahana)とは、仏や菩薩が衆生の地獄(のような)苦しみを代わりに受けることをいう。代受苦、大悲代受苦ともいう。
特に、地蔵菩薩はその徳相を表すとされる。他人の代わりに苦しみを受けることで、菩薩の大慈悲心についていう。」

チャームンダーも、代受苦しているのかもしれない。

このチャームンダー姿を見ていると、インドのハンセン病と貧困の救済に取り組まれたマザーテレサを私は想起する。
マザーテレサのとても疲れきった姿が、私には印象深く記憶に残っている。
と同時に、その疲れきった姿にも関わらず、神がその内から光り輝き、神とともに暮らし、「貧しい人・イエスに仕える幸福」に満たされている、何ともいえない笑顔も、また印象深く記憶に残っている。

玉城康四郎は、最晩年、遠藤周作のキリスト教観に共感していたようで、遠藤亡き後で、生きているときに、ゆっくりと語り合いたかった、と述べている。

玉城がチャームンダーについてどう考えていたかは、私は知らない。
玉城康四郎が遠藤周作に共感したことの意味についても、私はまったく知らない。今後、縁があれば、調べてみたいと思う。

チャームンダーについて、このごろ、気になっていたので、ちょっと、調べてみた。稚拙なものになってしまって、恥ずかしいが、これで勘弁を。

アスモデウス

2009-11-30 03:21:50 | 宗教
悪魔をもうひとつ紹介。
グリモワールのアスモデウス
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



悪魔学によると、彼は元が激怒と情欲の魔神のためか、キリスト教の七つの大罪では色欲を司る。悪魔になる前は智天使だったとされる。

グリモワールのひとつ『ゴエティア』ではいわゆるソロモン72柱の魔神の1柱とされる。アマイモン配下の東方の悪魔の首座で、72の軍団を率いる序列32番の大いなる王とされる。

姿かたちは牛・人・羊の頭とガチョウの足、毒蛇の尻尾を持ち、手には軍旗と槍を持って地獄の竜に跨り、口から火を噴くという。 姿を見ても恐れずに敬意を払って丁寧に応対すれば非常に喜び、指輪やガチョウの肉をくれたり、幾何学や天文学などの秘術を教えてくれるという。

パーン神

2009-11-30 02:45:46 | 宗教
私のハンドルネームは以下のパン神からとった。このことは以前にも述べましたが、ついでですから、『ウィキペディア(Wikipedia)』より、まるパクリで紹介します。

パーン (ギリシア神話)
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


笛の演奏をエローメノスの羊飼いダフニスに教えるパーンの彫像。

パーン(古典ギリシア語 Παν、Pan)は、ギリシア神話の神の一種である。アイギパーン(Αιγιπαν、Aigipan、「山羊のパーン」) とも呼ばれ、ローマ神話におけるファウヌス(Faunus)と同一視される。

笛の演奏をエローメノスの羊飼いダフニスに教えるパーンの彫像。

日本語では、パンとも表記される。また意訳して、牧羊神、半獣神、牧神とも呼ばれる。

概説

パーンは羊飼いと羊の群れを監視する神で、サテュロスと同じく四足獣のような臀部と脚部、山羊のような角をもつ(→獣人)。何者がパーンの親かは無数の伝承があり、どれが正しい、というものは存在しない。父親はゼウスともヘルメースともいわれる。母親はニンフであるといわれている。

実際には古形「パオーン、Παων、Paon」(「牧夫」の意、現代英語のpastureと同じ接頭辞)から名付けられたものだが、ギリシア語の「パン」(「全ての」の意)としばしば誤って同一視された結果、パーンの神は性格と名前が誘惑的なものと思われるようになった。

原初のパネース

さまざまな点でオルペウス教の創世神話に登場する原初の両性存在の神、プロートゴノス(Πρωτογονος、最初に生まれた者)あるいはパネース(Φανης、顕現する者)と同じものとも考えられた。この神は原初に卵より生まれた両性の神で、原初神エロースの別名で、みずからの娘ニュクス(夜)とのあいだに初原の神々、すなわち大地(ガイア)と天(ウーラノス)を生み出した存在である(Protogonus/Phanes)。また「全て」という意味からアレクサンドリアの神話学者、そしてストア派の哲学者たちによって「宇宙全ての神」であると解釈されるようにもなった。

パーンの語源と起源

パーンがテューポーンに襲われた際に上半身が山羊、下半身が魚の姿になって逃げたエピソードは有名であるが、この姿は低きは海底から高きは山の頂上まで(山羊は高山動物であるため)世界のあらゆるところに到達できるとされ、「全て」を意味する接頭語 Pan(汎)の語源となったともいわれている。

恐らく、言語上の誤解はホメーロス風諸神賛歌のなかの『パーン賛歌』(第19編)から始まったのだろう。『賛歌』によれば、パーンはドリュオプスの娘、あるいはニンフとヘルメースの間に生まれたが、山羊の脚、頭に二本の角を生やすという奇妙な姿をしていたため、母親は幼いパーンを置き去りにして逃げた。ヘルメースはパーンを野兎の皮でくるんで神々のもとへ運ぶと神々はみな喜んだ。しかし、なかでも特に喜んだのはディオニューソスだった。そして「全ての神々を喜ばす」として、そこから名前を得たのだという。

パーンには、少なくとも原インド・ヨーロッパ語族時代においてはもう一つの名前があり、ローマ神話でのファウヌス(下記)であると考えられる。あるいは印欧比較神話学的な観点からはインドの牧羊神プーシャン(Pūṣán)と語源が共通しているという説もある。どちらにしても、パーンの血統をめぐる説がいくつもあることから、太古の神話的時代に遡る神であるに違いない。パーンがアルテミスに猟犬を与え、アポローンに予言の秘密を教えたというのが本当なら、他の自然の精霊と同じく、パーンはオリュンポス十二神よりも古いものにみえる。 パーンはもともとアルカディアの神であって、パーンの主な崇拝者もアルカディア人だった。アルカディアはギリシア人の居住地であったが、この地のギリシア人はポリスを形成せず、より古い時代の村落共同体的な牧民の生活を送っていたので、オリュンポスの神域がパーンのパトロンになった時、ポリス生活を送る先進地帯のギリシア人は彼らのことを蔑視していた。アルカディアの猟師たちは狩りに失敗した時、パーンの像を鞭打ったものである(テオクリトス vii. 107)。

パーンは人気のない所で、突然、混乱と恐怖をもたらすことがあった(「パニック(Panic)」)(panikon deima)。

復興ペイガニズム(Neopaganism)においてパーンは「角を持つ神」の典型として、神の元型の一つだった(→ケルヌンノス)。

パーンとニンフたち

パーンのトレードマークである笛に関わる有名な伝説がある。シューリンクス(Συριγξ、Syrinx)はアルカディアの野に住む美しいニンフだった。サテュロス他の森に住むものに愛されていたが、彼女は彼らを皆軽蔑していた。ある日狩りから彼女が帰ってくると、パーンに会った。彼女はパーンのお世辞を聞かずに逃げ出したが、パーンは川の土手まで追いかけて行って彼女を捕えた。水中のニンフに助けを求める余裕しかなく、パーンが手を触れた時、彼女は川辺の葦になった。風が葦を通り抜け、悲しげな旋律を鳴らした。パーンはニンフを讃え葦をいくたりか切り取ると楽器を作り「パンの笛」(パーンパイプ、パーンフルート、つまり古代ギリシア語でシューリンクス、Syrinx)と呼んだ。

エーコー(Ηχω、Ekho)は歌と踊りの上手なニンフであり、全ての男の愛情を軽蔑していた。好色な神であるパーンはこれに腹をたて、信者に彼女を殺させた。エーコーはバラバラにされ、世界中に散らばった。大地の女神ガイアがエーコーの肉片を受け取り、今もエーコーの声は他の者が話した最後の数語を繰り返している。エーコーとはギリシア語で、木霊を意味する。別の伝承では、はじめエーコーとパーンの間にはイアムベー(’Ιαμβη、Iambe)という娘がいた。

パーンはピテュス(Πιτυς、Pitys)というニンフにも惚れた。ピテュスは彼から逃げようと松の木になった。

山羊は性的な多産のシンボルであったが、パーンも性豪として有名であり、しばしばファルスを屹立させた姿で描かれる。ギリシア人はパーンがその魅力により、処女やダフニスのような羊飼いを誘惑するものと信じていた。シューリンクスとピテュスでしくじりはしたが、その後、ディオニューソスの女性崇拝者であるマイナデスをたらし込むことには成功し、乱痴気騒ぎの中で一人残らずものにした。これを達成するため、パーンは時に分身してパーン一族(Panes)となった(サテュロスを参照)。

パーンとアポローン

ある時、パーンは竪琴の神アポローンと音楽の技を競うことになった。トモーロス(Tmolus、山の神。オムパレーの夫)が審査員となった。パーンは笛を吹き、田舎じみた旋律はパーン自身とたまたま居合わせた追従者ミダスを大変満足させた。次いでアポローンが弦を奏でると、トモーロスは一聴、アポローンに軍配を上げたのである。ミダス以外の誰もが同意した。彼は異議を申し立て不公正じゃないかと糾した。アポローンはこのような下劣な耳にわずらわされないよう、彼の耳をロバのそれに変えてしまった(→マルシュアース)。

キリスト教文学や絵画に描かれるインキュバス(男性型夢魔)の悪魔風イメージ、サタンの角と割れた蹄のイメージは、大変に性的であるパーンのイメージから取ったものであろう。

偉大なるパーンは死せり

ギリシアの歴史家プルタルコスが『神託の堕落(;The Obsolescence of Oracles" (『モラリア』5:17))』に書いたことを信じるならば、パーンはギリシアの神々の中で唯一死んだ。ティベリウスの御代にパーンの死というニュースがタムス(Thamus)の元に届いた。彼はパクソイ諸島島経由でイタリアに向かう船の船員だったのだが、海上で神託を聞いた。「タムス、そこにおるか? Palodesに着いたなら、忘れず『パーンの大神は死したり』と宣告するのじゃ」と。その知らせは岸辺に不満と悲嘆をもたらした。

ロバート・グレイヴズは、『ギリシア神話』(The Greek Myths)の中でタムスは明らかに「 Thamus Pan-megas Tethnece」(全てにして偉大なるタンムズは死したり)を聞き誤ったのであると示唆している。実際、プルタルコスの後一世紀たった頃、地理家のパウサニアスがギリシアを旅した時、パーンを祀る祠や洞、聖なる山を尚もしばしば見た。

死が宣言されたにも関わらず、パーンは今日も復興ペイガニズムやウィッカ(Wicca)の間で男性の強さと性的能力の源泉として崇拝されている。

パーンはケネス・グレアムの児童文学作品『たのしい川べ』(The Wind in the Willows)とトム・ロビンズの小説『香水ジルバ』(Jitterbug Perfume)にも登場してくる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/パーン_(ギリシア神話)

バフォメット
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


エリファス・レヴィによるバフォメット

バフォメット(Baphomet)は、有名なキリスト教の悪魔の一人で、黒ミサを司る、山羊の頭を持った悪魔。

概要

バフォメットの起源について判明していないが、1300年初頭にテンプル騎士団が祀っていたバフォメットの記録が、異端審問の裁判記録に残されており、これが最古のものとなっている。語源はイスラム教の創始者預言者ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフの古フランスでの綴り(Mohammed)を転じた、あるいは誤記したものと考えられているが、様々な異説もある。

ルシファー、ベルゼブブ、アスタロトに仕える上級六大悪魔の一人である大将のサタナキアと同一視する意見もある。

十字軍で活躍したテンプル騎士団は、1307年にフィリップ4世の偶像崇拝の糾弾を受けた際、このバフォメットの偶像を奉っていたとされている。後に両性具有で黒山羊の頭をもつ姿で知られるようになり、魔女たちの崇拝対象となった。ただし必ずしもこの姿に限定されている訳ではない。

19世紀にフランスの魔術師エリファス・レヴィが描いた絵「メンデスのバフォメット」が最も有名。

「サバトの牡山羊」レオナールと同一視・混同される事も多い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/バフォメット

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パンもバフォメットもキリスト教にとっては影(シャドー)であるだろう。仏教にとっても、そうだろう。
だから、私は提婆達多だろう。

サルタヒコ

2009-08-21 01:10:11 | 宗教
サルタヒコ

天孫が降臨する際、その道中に立ちはだかる神。

アマテラスはアメノウズメに「なぜ、たちはだかるか」と聞いてきなさいと命じる。アメノウズメがその神に訊ねると、その神は「自分は国つ神で名をサルタヒコという。天孫を道案内するために参上した」といいいます。サルタヒコは天つ神にとって異人です。しかし、アマテラスが異人スサノオに対して誤解して武装した行動はここでは見られません。既にアマテラスは天の岩戸の引きこもりから外へ出てくるイニシエーションを通過して、アメノウズメの持つ肉体的側面を具えています。その機能が地上に降りるために必要であり、それが橋渡し、先導するというのでしょう。

サルタヒコは天孫一行を日向へと案内した後、アメノウズメとともに伊勢へと向かいます。どうやら、サルタヒコはアメノウズメと結婚するということになるようです。アメノウズメが巫女の側面があることを考えると、巫女となるためのイニシエーションが関係するようです。神が地上に降りるには、あるいは、神を降す巫女には、サルタヒコ、アメノウズメの機能が重要であるということなのでしょう。

終戦の日

2009-08-15 23:55:12 | 宗教
今日は、終戦の日。
首相、閣僚の靖国神社への参拝が気になるところだ。
ネットニュースを見てみると、
麻生内閣の閣僚では野田聖子消費者行政担当相が参拝したようだ。麻生首相は参拝せず、千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れて献花した模様。

日本の首相、閣僚が、千鳥ケ淵戦没者墓苑に慰霊に訪れるのは、よいだろうと思う。
首相、閣僚が、国家神道の象徴である靖国神社に参拝することは、国家神道の神社に参拝することと同じである。

靖国神社にまつられている英霊は、国のために尊い命を捧げた人たちであり、首相が英霊を参拝することは当然の務めだという、もっともらしい主張があるが、はたしてそうだろうか。国家神道そのものが持つ問題を考えれば、そのような単純なものではないだろう。そのような主張が国家神道の考えそのものであるからだ。

今日、行われた戦没者追悼式の、麻生首相の式辞は以下のようだ。
「 天皇、皇后両陛下のご臨席をかたじけなくし、戦没者のご遺族及び各界代表多数のご列席を得て、全国戦没者追悼式をここに挙行いたします。


 先の大戦では、300万余の方々が、祖国を思い、愛する家族を案じつつ、亡くなられました。戦場に倒れ、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異境の地において亡くなられました。また、我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えております。国民を代表して、深い反省とともに、犠牲となられた方々に、謹んで哀悼の意を表します。

 終戦から64年の歳月が過ぎ去りましたが、今日の日本の平和と繁栄は、戦争によって、命を落とされた方々の尊い犠牲と、戦後の国民の、たゆまぬ努力の上に築かれております。

 世界中の国々や各地域との友好関係が、戦後の日本の安定を支えていることも、忘れてはなりません。私たちは、過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を風化させることなく、次の世代に継承していかなければなりません。

 本日、ここに、我が国は、不戦の誓いを新たにし、世界の恒久平和の確立に向けて、積極的に貢献していくことを誓います。国際平和を誠実に希求する国家として、世界から一層高い信頼を得られるよう、全力を尽くしてまいります。

 戦没者の御霊の安らかならんことを、そしてご遺族の皆様のご健勝をお祈りして、式辞とさせていただきます。」

これについて、国民のほとんどは、ほとんど違和感がないだろう。
ただ、先の「今日の日本の平和と繁栄は、戦争によって、命を落とされた方々の尊い犠牲」ということばに違和感を持つ人もいるだろう。
「尊い犠牲」とは何だろうか。おそらく、国のために尊い命を捧げた人たちの意味であるだろう。その国とは、国家神道に基づく国家である。
私はそれを尊いとは思わない。悲惨な犠牲となったと思う。
その犠牲を顕彰し、その犠牲者を英霊とし、まつっているのが靖国神社である。
その犠牲を追悼、慰霊するのではなく、顕彰しているから、問題なのだ。信教の自由であるから、それを一宗教団体がそうするのは自由だが、国家が関与するのは、政教分離の問題もあるが、国家神道の復活につながるからこそ、問題なのだ。

戦争を美化する人たちはこの国の国民のほとんどにはいないだろう。
国家神道は過去、国家の上層部の人たちの手によるものであったのが、国民の次第に浸透して、国民から支持され、大きな力を持つものとなった。国民も戦争の加担者となった面もあるという。この国家神道の危険な側面を見過ごしてはならないだろう。これは、他の多くの宗教にもあることたが。

心理学的には、自我肥大と影の否認という問題が当てはまるだろう。
高く舞い上がった自我は、自身の罪を決して認めようとはしない。傷つきやすい自我、過大な自信、自己への賞賛の要求、人への見下し、共感性の欠如、人を支配し、物として扱う、ちょっとしたことで、過度な攻撃性をみせる、など、自己愛的傾向を持つ人格の特徴を心理学はいっている。自我肥大は影の肥大を生み出すという。それははけ口を求めて、時に、破壊的な力となって現れるという。
ユングは、ドイツのナチスをヴォーダンの破壊的な現れであるといっている。ヴォーダンとは、ゲルマンの主神で、ドイツ地域ではこの名で呼ばれ、風や死を司り、暴風雨の夜に声をたてて疾走する霊たちや、稲妻や雷の霊を支配する神。ナチス、ヒトラーをドイツ国民が熱狂的に支持した点を見逃してはならないだろう。

心理学の知見に学び、われわれが、そのような危険に向かわないように、自ら、常にチェックしていくことが大事ではないかと思う。