陸軍中将が開戦直後に太平洋戦争批判 部下を前に演説 東京新聞 2009年12月7日 09時41分
太平洋戦争開戦から間もない昭和16(1941)年12月末、中国・徐州に進駐していた陸軍第17師団の師団長だった平林盛人中将が部下の将校を集め、痛烈に開戦を批判する演説をしていたことが、元部下2人の証言で明らかになった。将校らは「他言無用」と申し合わせ、発言は表面化しなかったという。8日で開戦から68年。平林の危惧(きぐ)した通り、日本は戦争の泥沼に入り込み、日本人だけで300万人以上の命が失われた。
以下記事続く。http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009120790091245.html
太平洋戦争開戦から間もない昭和16(1941)年12月末、中国・徐州に進駐していた陸軍第17師団の師団長だった平林盛人中将が部下の将校を集め、痛烈に開戦を批判する演説をしていたことが、元部下2人の証言で明らかになった。将校らは「他言無用」と申し合わせ、発言は表面化しなかったという。8日で開戦から68年。平林の危惧(きぐ)した通り、日本は戦争の泥沼に入り込み、日本人だけで300万人以上の命が失われた。
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南京大虐殺「火を噴く機関銃 倒れる人」 元日本兵証言 朝日http://www.asahi.com/national/update/1205/OSK200912050145.html
2009年12月5日23時13分
日中戦争のさなかの1937年12月に「南京大虐殺」を目撃した元日本軍兵士や生存者の証言を聞く集会が5日、大阪市内であり、約260人が耳を傾けた。
「機関銃がババババッと火を噴き、何十人もの人がばたばたっと倒れていった」。元海軍兵士として南京攻略戦に参加した三谷翔(みたに・しょう)さん(90)=大阪府=は、揚子江に停泊した駆逐艦から見た南京の河畔の光景を語った。「殺害した兵士も出征前はよき父であり、頼もしい青年だったはず。殺すか殺されるかの日々の中で、人間が壊れた。戦争こそ元凶だ」と語り、「憲法9条を両手で握って守り続けて」と呼びかけた。
初来日した楊翠英(ヤン・チュイイン)さん(84)は12歳の時、農民だった父親を日本兵に銃剣で刺殺された場面を、体を震わせながら語った。「なぜ罪のない農民が殺されなければならなかったのか今もわからない。今日皆さんに話をしたことで気持ちが少し軽くなりました」と話した。(武田肇)