ルカのギリシア語は立派だとよく言われます。マルコのたどたどしい、まるで英語学習者が英語で作文をしたかのような姿と比べると、いわばネイティブとしての流暢さは、たしかにルカにあると言えるでしょう。そこでルカは、大筋としてのイエスの言動をマルコから移して写すときに、ギリシア語の修正も施しました。文体や表現を、洗練されたものに変えようとしただけならまだよかったのですが、そのときに自分の意図で、ずいぶんと内容までも書き換えてしまいました。使徒たちのだらしなさを暴くマルコの姿勢には我慢がならず、ルカはそれを使徒として、立派な人々にしてしまいました。そうしないと、後の教会の権威に疵がつくと思ったのでしょう。また、ルカは他の資料を盛り込もうとしたために、マルコの内容を端折らないといけないと思うようになっていました。マルコの二倍の分量を含むルカの福音書です。マルコの詳しい描写のうち、ルカには不要と思われたものを細かに省いていくことをやりました。それはルカの編集です。ルカは、イエスの誕生にまつわる部分を大きく脚色したことは有名ですが、その後、マルコをたどる部分、それからマルコにない他の資料による部分、そしてまた十字架に近づいたときにマルコをたどる部分と、大きく三つの部分に分かれた構成をとっていると言えます。マルコのギリシア語を修正しつつも、どこかユダヤ的なものを伝えようとしたルカは、七十人訳のギリシア語を真似したような書き方をもしています。ヘブライ語のような調子を含んだギリシア語をわざわざ使うようなこともしているということです。それはアメリカのことを記す日本人が、英語独特の表現をそのまま日本語に置き換える直訳をして、英語に由来する文だということを臭わせようとしているのと似ています。
福音書についてのコメントは、今日で終了です。
福音書についてのコメントは、今日で終了です。